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「ニューノーマル時代の新演出」とはなんだったのか [音楽業界]

目出度くも2020-21シーズンの初日を迎えたニッポンのナショナルシアターは初台、「ニューノーマル時代の新演出版」という触れ込みで上演された《夏の夜の夢》を、4階上手側隅っこの貧乏人席から見物させていただきましたです。
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このような立派な舞台を税込み€30もしないお値段で提供して下さるのですから、今や巷の話題の「公金投入」という意味ではもう有り難いとしか言い様がないです。はい。

中身に関しましては、基本的には「こんな時期によくぞここまでやった」という賞讃で溢れているようなので、そういう話はそちらにお任せ。当無責任電子壁新聞では、毎度毎度の「感想にもなってない感想」以前の、「で、要はニューノーマル時代のなにやら、ってのは何だったんじゃ」というところだけ、後のメモとして記しておきます。だから、ホントは「パンデミックな日々」カテゴリーにしておくべきなのかな。

まず話の前提は、このブリテンが1960年にまだ今のホールがなかったオールドバラ音楽祭で初演するために書かれた作品、極東の島国が江戸時代だった頃から様々なジャンルで無数に作られているシェイクスピアの二次創作(敢えてそう言いますが)の中でも最も成功した作品のひとつである、という事実。なんせ、オペラなんて詰め物がたくさんある状態にして、アーデン版のオリジナルテキストを朗読した全5幕の長さとほぼ同じになってるなんて、ブリテン絶頂期の音楽劇作家としてのトータルな能力の高さに驚嘆せざるを得ません。オリジナルの第1幕をまるまる削ってモテモテちっちゃい美女ハーミアのパパとの状況説明を省き、長さを調節。そのぶん、音楽を付けるという意味ではいろいろやれる最後のアテネ市民のおバカ劇の部分がアンバランスなまでに大きくなるのをどう処理するか、無駄とも思える劇中劇の存在をどう解釈するのか、演出側に放り投げる(演出家の挑戦意欲を刺激する、というべきか)舞台作家としての仕掛けの周到さ(悪辣さ、というべきか)もあっぱれだし。

シェイクスピアをオペラ化する際の「今の言葉とは些かかけ離れた古い文章をどう処理するか」という最大の問題は、饒舌すぎる部分は削るけど基本はオリジナル、という開き直ったやり方で処理しちゃう。丁度60年前の英国では、わざわざ遙かオールドバラまでブリテンの新作を眺めにくるような聴衆観客なら『A Midsummer Night's Dream』なら最後のパックの口上を暗唱できるくらい知り尽くしてて当然でしょ、って前提があったんだろうなぁ。アデスの《テンペスト》なんぞでは言葉の処理に苦労してるのがミエミエになっちゃって、この半世紀でいかに世界人類の文学的教養が衰退したか嘆きたくなるけど、ま、それはまた別の話。

さても、やっと初台の「ニューノーマル演出」の話になるのだがぁ、そんなとても特殊な作品の10数年前にモネ劇場で出たプロダクションの改定演出、感想をまるっと言っちゃえば、「なるほど、ニューノーマルって、要は作る側の問題ね」でした。つまり、「ニューノーマルの日常の中で新しく感じたことや見えてきたことを、舞台に反映させた」試みではない。「イースター以降のニューノーマル時代の制約の中でも、これだけオリジナルに近いものが作れますよ、これだけ違和感なく舞台が作れますよ」ということだったみたい。「みたい」ってのは、やくぺん先生はモネ劇場のオリジナル舞台をどんな形であれ眺めてはいないので、判断のしようがないからです。スイマセン。

実際に舞台にどのような条件が課せられたかは、「ぶらあぼ」さんに掲載されているゲネプロのレポートをご覧いただけばよろし。こちら。
https://ebravo.jp/archives/68507
舞台作成上の技術的な制約があった、ということです。

いちばん大きな制約は「出演者間の距離を取る」だったのであろうことはどんなシロートにも判る。初台の大劇場のようなアホみたいにデカい空間で、そもそもがオールドバラで上演することを考えて作られた舞台をやるわけです。ホントはせいぜいが日生劇場くらいでやるべき作品、ってこと。オリジナルの構想とは異なる規模の舞台での上演ですから、舞台上に配置される歌手やら役者、合唱団なんぞの距離って、演出家にとってはとても大事な文法のひとつとなる。つまり、表現の重要な要素に制約がかけられてしまってる状態。さらには、声楽作品上演では盛んに論じられる飛沫防止もあるでしょうから、近づくばかりかある程度以下の距離で向き合って歌うなんて御法度でしょうし。

幸いにもこの作品に限れば、「歌手二人が接近して歌い合う」必要があるとすれば、駆け落ちを決行した愛し合う二人が暗い森の中で道に迷ってるところくらいしかない。大喜びして抱き合い歓喜の二重唱を高らかに響かせる、なんていかにもオペラっぽいシーンは全くありません。アテネ市民たちのドタバタも、「しらじらしいまでの演劇ごっこ」に様式化することが出来る。横一列に並んで客席に向けて歌おうが、しろーと演劇をやってるのだから、これはオペラのお決まりなんだから、と納得させられるし。

そうはいっても、やはり横一列並び客席向いて歌唱って、今時のムジークテアター系の舞台からは一掃されてしまった一昔前の「オペラ」の舞台風景だなぁ、と妙に懐かしく見えたりしましたね。キャストが全部日本の歌手や役者であることもあって、それこそ1980年代くらいまでの二期会の舞台を上野東京文化会館の天井桟敷から眺めているような、みょーな懐かしいデジャビュ感があったのは否めませんです。そう、前世紀のニッセイ劇場プロダクションのモダンオペラみたい、ってかな。

幕の間の休憩では、ロビーに並ぶ椅子が全て甲州街道側を向き、まるで学校の教室みたいに座ってる不思議なニューノーマルの世界。
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これが舞台の中身に反映されていくのは、これからになるのでありましょう。とにもかくにも、スタッフキャストの皆様、お疲れ様でした。

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