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ベルリンフィル五輪公演は再び幻に [パンデミックな日々]

一年でもいちばん陽気が良い、窓を開け放ってちょっと涼しげな、でもそれなりに湿気も含んだ空気が流れ込んでくる午後、東京春音楽祭事務局からこんなリリースが来ました。もう公式なホームページに同一内容がアップされておりますので、問題もないでしょうから、まんま貼り付けます。
2020.04.23_BPOリリース_J.pdf
やくぺん先生ったら、別にこのイベントに関係しているわけでもないし、単にこのパンデミック騒動が始まる前(もう始まってたんだろうけど、ホントは)に東京春音楽祭の実行委員長たるIIJ会長にインタビューさせていただき、記事を作っている、というだけのことで送られてきたリリースでありましょう。とはいえ、世間に告知してくれ、という意味もあるのでしょうから、こんな無責任電子壁新聞にもアップいたします。

このリリースで印象的なのは、「事務局としては延期に出来ないか頑張ったけど無理ということになりました」という内容の記述部分ですね。このさりげなく事実を伝える向こうに、どれだけの人がいろいろ頑張ってやりとりをしたか、皆さんの無念の顔が透けて見えるようです。

スポーツだってそうなんだろうけど、全ての舞台芸術は一期一会です。延期なんて、あり得ないのです。延期して上演されても、それはパンデミック後の新しい世界での出来事。2020年の春から夏の初めに私たちが出会う可能性があった舞台とは、別のものなのです。226アベ要請以降、たくさんの出会いがなくなりました。神奈川県立音楽堂のヘンデルに始まり、例えばエクとヴィドマンの共演も、長柄町の桜の中でのベートーヴェンの弦楽五重奏も、なくなった。いろいろなアーティストが出会い、いろいろにお互いを知り、深め合っていく可能性がたくさんたくさん奪われている。「コロナ禍で芸術が生き残れるか」というのは、アーツを社会の中で可能にしている経済的な環境やインフラを維持出来るのか、という意味だけではない。人と人が出会うことで生まれたかもしれないものが、今、生まれなくなっている、ということが問題なのです。

もちろん、グーテンベルク以来の情報大革命の瞬間にあったインターネットを通じての新たな芸術の繋がりは、模索されている。そう、アートは強い。どんな環境でも、人はアートしちゃうんです。そこを心配する必要など、皆目無い。だけど、ある瞬間に出会えなかった人は、二度と同じ状況で出会うことはない。ベルリンフィルが早坂文雄をデュダメルの指揮で演奏することは、恐らく、もう、ないでしょう。残念、と言うことしかできない。

かくて、ベルリンフィルは二度目のオリンピック絡みでの来日キャンセルとなったわけです。こんな著作もありますな。
http://www.sakuhokusha.co.jp/book/furt.htm

今、こんなにいろいろな可能性を失っても、私たちは何を守ろうとして無茶な引き籠もり生活をしているのか、ちゃんと考えないと。

ちなみにこのベルリンフィル公演は、東京都やオリンピック委員会からのお金は一切出ていない、完全に民間のイベントです。オリンピック委員会は乗っかってただけ、といえばそれまでです。

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