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ジュネーヴの《浜辺のアインシュタイン》ストリーミング中 [現代音楽]

この世界規模のパンデミックは数ヶ月前には想像もしかなったようなことをあれこれ起こしており、そのひとつは「毎日朝から晩まで眺めていても時間が足りないほどのオペラの舞台ライヴ収録映像がネット上に氾濫する」という現象でありまする。

とりわけ膨大な公的資金を投入し運営されている欧州の公立オペラ劇場は、人々がもの凄く暇している今こそありったけのアルヒーフを提供し、魂の慰めやら、好奇心の満足やら、知的な枯渇感の解消に供するときであると本気で思っていて、これでもかって映像を日替わりで流して下さっておりますな。こんなページが出来てるほど。
https://operawire.com/a-comprehensive-list-of-all-opera-companies-offering-free-streaming-services-right-now/

これだけいろいろあると、毎日実質半日はパソコンとスピーカーの前に座っていることだって出来る。数少ない手持ちの原稿や、もうあと数える程しかない校正待ち原稿が戻ってきても、そっちに手が着かない、なんておかしなことが起きつつある先週来でありまする。なんせ、先週の聖金曜日以降、《パルシファル》はメトとリンデン・オパーの2本を眺めてるわけだし、例の世界驚愕の《ヨハネ受難曲2020》はあったわけだし、ハンブルクの劇場がペンデレツキ追悼で出した懐かしい映画版の《ルドンの悪魔》を久しぶりに(ながら、だけど)眺めちゃったし…まるでヨーロッパをDB乗り継ぎしながらあちこち動き回ってるイースター休暇頃、って感じでありますな。ライヴなら、だけどさ。

さても、本日はちゃんとテープ起こしを始めようではないか、と朝にオフィスの風呂掃除も終えてパソコンに向かったら、欧州歌劇場事情にお詳しい某先生から悪魔の入れ知恵がありました。本日から19日までの期間限定で、ジュネーヴ歌劇場が昨年9月に上演した新演出の《浜辺のアインシュタイン》を、4時間ちょっとの全曲ノーカット配信するとのこと。他にもこれまた時間限定ながら、オマケの映像とか当日プログラムのPDF版とか、いくらでも暇つぶしになるオマケがついてます。豪華特典付きBlu-rayパッケージみたいでんな。
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https://www.gtg.ch/en/digital/#module11-block_5e7df921b4b97
てなわけで、午後から日暮れまで、途中何度か中座しつつ(っても、実際の舞台のように「好きなときに出歩いていいですよぉ」ってのでもないから、ちゃんとストリーミングは止めて席を立ちましたけど)、拝見させていただきましたです。

去る夏に医者から人生初の病人認定が下され、以降、どこにいくにもデカい医療機器を持って歩かねばならぬ身になり、9月にジュネーヴなんぞまでノコノコ出かけていくわけにもいかなくなり、「世界中の《浜辺のアインシュタイン》演出を全て眺める」という人生の目標のひとつがあえなく瓦解してしまった。この舞台、どうやら劇場隣のジュネーヴ音楽院との学生コラボ創作みたいなものなので、他で観られるとは思えず(ルガーノの劇場との共同制作になってるようですが、国外まで持ち出す感じはない)、まさかこんなものが商業用パッケージ映像になるとは思えず、著名歌手が出るでもなく、カリスマ演出家が鳴り物入りでやるわけでもなく、流石のarteさんなんかも収録なんぞしないだろーなー、観られても極一部くらいだろうなぁ…なーんて思ってた。それがまさかまさかのパンデミック下の実質お隠り状態葛飾オフィスで観られるなんて、世界中でお亡くなりになったり生活が出来なくなっている方々にはホントに申し訳ないけど、そんな人々のぶんまでこの機会を大事にせねば成りませぬ。うん。

かくて、リブレットと拙著部分も含まれる新国立劇場編『戦後のオペラ』を引っ張り出し、おもむろに拝聴拝見させていただいた次第であります。

で、見物し終えての本音の感想を漏らせば、「ああ、これはいかなくてもよかったかな」でありまする。舞台を作る側とすればいろんな意味で意義はあったプロダクションなことは良く判るし、みんなよく頑張ってるし(アンサンブルは、いかにも「指揮者がちゃんといます」ってテンポの微妙な変化を流れじゃなく明快にしたり)、こういうやり方があったかと感心したところもあるけど…ライヴで付き合ったら「おいおいおいおい」と思っただろーなぁ。それとも、映像だけってのはこういうものなのかしら。

※※※

まず己の事として言っておかねばならぬのは、まさかまさか新国立劇場編『戦後のオペラ』のあらすじを片手に眺めた方がいらしたら、「どこやってるか全然わからん、なんだこのガイドブックは」と怒り出したかもしれない。だけど、ゴメン、やくぺん先生の責任じゃないですから。

あの記述は、グラス&ウィルソンの初演以来3度作られている版の流れを基本にしてあります。なにせ語られるテキストそのものには、普通の意味での「ストーリー」は全くなく、テキストは舞台で起きていることを注釈や解説しているわけではない。ましてや登場人物の心情吐露などではない。そう思いたければ勝手に思ってもいいんだけど、思ったところでなんだという舞台なのは、ご覧になれば一目瞭然でしょう。

それでも、「今何をやっているか」くらいはなんとなく判るようにはなっているのだけど、このジュネーヴの舞台は、その瞬間に視覚的に捉えられるやってることが、ウィルソン演出とはまるっきり違ってます。この作品、いくつかのキーとなるメタファーみたいなものがあって、「列車」「宇宙船」「裁判」「壁」とか、まあそんなもんを軸に場面が作られていく。で、このジュネーヴの舞台は、最初のニープレイからいきなりアインシュタインが出てきて朗読を始める!んで、次の「列車」の場面はアインシュタイン先生の研究室じゃわ!おおお、これは本気で「アインシュタインの人生」やるのかぁ、と驚いてしまうぞ。んで、次の「裁判」辺りからそういう説明的なもんじゃないとは判るのだが、やっぱり浜辺でアインシュタインがくつろいで上空を人魚が舞ってたり…

つまり、我々がこの作品に接するときに期待している基本的なメタフォリカルな言葉遣いはあまり使用していない。かといって、「パントマイム物語アインシュタイン伝」でもない。眺めてると、あれ、この辺りカットしてないかい、ってところも出てくる。「宇宙船のある原野」辺りから、馬という象徴が新しく出てきて、この辺りからそろそろ前の記憶が怪しくなってきて、だんだん意味があるかもしれないと追いながら観ていくのは放棄する気になってくる。でもまだまだ、それからもなんのかんのなんのかんの人魚が水槽で泳いだり、「建物」から「ベッド」への最後のクライマックス(一応、あるんですよ、こんな作品でも)に向け、前半の「裁判」にある筈の「パリ」のナレーションが挟まれ、大量の闘牛士が出てきて大量のアインシュタインと絡み、クライマックスの「宇宙船」はアインシュタイン先生の研究室で論文が舞台を舞い散り…最後のニープレイの数勘定は、アインシュタイン先生の助手さんたちが吹っ飛んだ論文のページ数を数えている数字で(アイデアとしては秀逸…)、花嫁が空を飛んで恋人達の讃歌を語り高いところにいるアインシュタイン先生の近くへと消えていく。

……なーんて記しても、なにがなんだかわからんわなぁ。どこがどうカットされているか、どこの部分が入れ替えられているか、最初はノートを取っていたんだけど、途中でどーでもよくなって止めてしまいました。それが判ったところでなんだ、という気がしてきたものでして。

そもそもこの作品、そういう作品なんですよ。理解しようとしてもしょーがない。舞台を作っている人がどうやって作ろうとしているかは、理解出来る可能性はあるけどさ。

最初は、強引にアインシュタインの創作やらを語る極めてパントマイムの演劇に近い舞台を作るのかとも思っていたが、そうでもない。数年前のダルムシュタットで出た「舞踏要素を極小化して別の台詞を突っ込んで言葉の意味の過剰性に埋もれさせる」という方向性のはっきりしたやり方でもない。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2017-06-04
ただ、何かを表現しよう、意味を与えよう、という素振りはあちこちにちりばめられているので、観る側はなにか「意味」を探そうとしてしまいます。探しても…なにも先には置いてない。

なるほど、ウィルソンの舞台って、象徴性とわからなさが絶妙のバランスだったのだなぁ、とあらためて思わされた、と言ったら失礼かな。

当無責任電子壁新聞も、最初はきちんとどういう作りなってるか記そうとしたけど、ま、もーいいや。ともかく、放送は19日まであります。『戦後のオペラ』に記したあらすじとは全然違いますので、吃驚せずに、これはこれでこんなもんだ、と納得してご覧になって下さいませ。

ダラダラになったので、もうオシマイ。どうやらジュネーヴの配信には、期間限定のオマケがいっぱい付いているので、そっちも明日以降、眺めないとなぁ。ウィルソン御大が出てくるみたいだし。

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