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歴史的映像の眺め方 [パンデミックな日々]

226アベ自粛要請に始まったコロナ騒動、3月お彼岸に桜が咲く上野の山に三日通ったことで「これは俺は罹患したと思うべきである」と判断し、高齢者と小さな飛ぶ方々がいらっしゃる佃の狭い縦長屋から避難、葛飾オフィスに本格的に自主隔離する生活が始まってから早まる二ヶ月。21世紀の歴史に恐らくは第二次世界大戦以来の世界同時大パニックとして記され、社会が根本的に変化したときとして未来の世界史では教えられることになるであろうこのパンデミックがなければ、来週からはまるまる2週間大阪は大阪城を眺める宿舎暮らし。今頃はもうそろそろ、ミュンヘンやモントリオールやボストンやニューヨークやレッジョ・エミリアやボルドーやトンヨンやらからあの人この人がニッポン列島に集まり始め、大阪に入る前にちょっとトーキョーに寄るんで付き合ってよ、とか連日連夜酷いことになっていたでありましょう。ふうううう…

ま、それはもう現実には存在しない幻のタイムラインになってしまった。幸か不幸か、やくぺん先生とすれば一昨年の「世界の主要室内楽コンクールは全て眺めて歩く」第一線生活からの引退宣言をし、ミュンヘンARDもバンフも行かず、今年も大阪は地元開催となれば正に隠居爺の仕事のしどころ、レッジョは暑いから止めて、その後は哈爾浜のローカル大会をちょろっと眺めに行くくらいにしておこーか、という予定が、強制的に本格的な隠居状態にさせられてしまったわけでありまする。

30代から40代後半くらいでこんな状況に立ち至っていたら、果たしてどうなっていたやら。ちょっと想像が付かないですけど、ま、我が業界の若い力のある人たちが電網上でいろいろやっていたり、三密禁止という新しい課題にどうやって本気で対応するかネット会議で頭を捻っていたりするのを眺めるに、人間、追い込まれればなんとでもするものだと微笑ましく(などと言ってはいけないのだろーが)思う次第でありまする。ぐぁんばってくれたまえ、現役バリバリの業界関係者たちよっ!

とはいえこの老体、「締め切りが近づかないとスイッチが入らない」という悪い習慣が身についてしまっており、今、手元にある唯一の締め切りが設定された原稿が今月末くらいなので、ゴールデンウィークはそっちは手つかず。親父が没し葛飾の家を渡されて佃の裏路地にあった兎小屋オフィスを移転して以来やったことがない風呂場掃除、キッチン水回り掃除、換気扇掃除、はたまたトイレ掃除などを始めてしまい、こういう作業は頭を使わない引き籠もりにはピッタリな上に運動にもなるわけで、ほーほーさんと遊びながらオフィスぴかぴか大作戦はどんどん進行。その間に、パンデミック下の世界の劇場やメイジャーオーケストラが、今こそ税金を投入してやってきたアートオーガニゼーションが世間の役に立つべき時であるとばかりに、膨大なアルヒーフ音源や映像を世界に向けて期間限定公開してくれているので、いつのまにやら「起きて、ゴミを出して、限定放送の舞台を鑑賞して、あちこち掃除洗濯してると日が暮れる」という日々のお籠もりパターンが定着しつつあるこの数週間でありまする。パンデミック初期には演奏家さんや編集者さんと延々と長い電話やらの連絡や相談事などもあったが、連休前くらいからもうそういう状況もなくなってきた。話をする相手は、朝のゴミ出しと柿ノ木下お掃除のときの、お隣やお向かいの奥さんくらい。

今月くらいから収入はほぼゼロになるも、固定費(なんせ納税の月だし、それなりにあるんだわなぁ)と食費以外に出費もない、こういうのが「隠居生活」というものなのであろーか。

あ、柿の木の上を広島行きのちっちゃな737が羽田新離陸ルートで荒川放水路上空を上り、大きく横田空域上空へと左に曲がっていきます。朝のこの時間に、羽田離陸の西行き本州上空縦断ルート便が1時間に2本くらいしかないって、どこのローカル空港なんじゃ。

そんな日々の中で、結局、少しは頭を使うことで何をしているかと言えば、普段は右から左に消費している膨大な情報の中にあって、未消化なままに放置され気になっていたものや、やらねばいけないと思いつつも時間があるときにと「積ん読」になってる面倒くさく時間のかかりそうなものを、気が向くままに少しづつでも処理していく作業。オフィスのキッチン周りなどを掃除しながら、パソコンとスピーカー持ち込んで、貯め込んでしまった面倒な現代オペラやらのソフトを見物したり、普段は必要なところを「ああそうなってるのね」と拾い視するだけで済ませてる映像資料を、ちゃんと全体のコンテクストの中で眺めたり。

恥ずかしながら、ベリオ版の《トゥーランドット》補筆部分を全幕の中で初めて見物するとか、話はなんとなく知ってるし音も耳にしたことはあるけど劇場でかかっていても絶対に金払って観ない(おお、今日はこの演目なら劇場に行かずにお休み日に出来る、と思っちゃう)ようなロマン派国民楽派系のオペラ、具体的には《売られた花嫁》だとか《イーゴリ公》だとか、キッチン掃除しながらだらだら流して「へええ、この音楽って、こういう風に使われていたのかぁ」などと今更ながらにお勉強したり。

※※※

いいかげんに閑話休題…って、この先も閑話なんだけどね。

そんな中で、昨日、たまたまYouTube上には意外なほど歴史的に貴重な映像が転がっていると知り、面白半分にいろいろ漁ってみたら、興味深いことが見えてきた。どうも、我々が常識的に知っている「戦後の重要な舞台の映像」ってのは、いかにもありそうなものがなかったり、その反対に、まさかこんな映像がこんなところに転がってるんだぁ、と驚かされたり。それこそ皆様がパソコンの前に座っていくらでも時間が潰せる娯楽なんで、何があったかのリストを作るなどという野暮はいたしません。それに、アップされているなどという情報が流れた瞬間に、権利をちゃんと所有している人やら団体やら会社が消去を願うでしょうから、ホントにその瞬間の情報みたいだし。

とはいえ、やくぺん先生的に非常にありがたかった映像資料がありましたので、敢えてこんな無責任電子壁新聞だからこそ記しておきます。こちら。直接の動画貼り付けはしません。
IMG_4685.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=TCme745Mhms&t=1660s
そー、かの、1983年11月、パリ・ガルニエのピットはみ出し左右の舞台に近いbox潰しまくって打楽器やらオンドマルトノやら並べてなんとか収まった《アッシジの聖フランチェスコ》世界初演の舞台全曲映像でありまする。

3週間前という、この世界がパンデミック立て籠もり状態になってからのアップ。Angel Parsifalという方が世界のどこに住んでる何者なのかも全然判らない。ただ、アップしている映像音声のラインナップを眺めるに、ドイツ語圏ヨーロッパに住んでいる歴史的なオペラ録音の愛好家かマニアさん、はたまたヴァーグナー研究者の方みたいですな。あまり映像が残っているとは思えない時代のバイロイトとか、とてつもなく凄いもんがリストにあります。《モーセとアロン》なんかはあるけど、現代音楽系というわけではない。
https://www.youtube.com/user/angelparsifal/videos

この方、どういう風の吹き回しか、やくぺん先生としては猛烈に懐かしいマドリッドのアリーナでのカンブルラン御大《アッシジの聖フランチェスコ》の全曲も一緒にアップしてくれてた。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-07-05
おそらく、本気になれば、あなたはだーれ、なんて連絡も簡単にできちゃうんだろうなぁ、なんか、どっかで顔を合わせてるような人だったらやだなぁ。知り合いの知り合いの知り合い、くらいではありそうな。

このメシアのの4時間越えの大作、83年の世界初演以降、初演時の全曲映像は存在するとは聞くものの、全部を目にしたことはありませんでした。世界初演後に小澤氏が抜粋版をレパートリーにしてボストンとかベルリンとか東京とかでやってまわっていた頃があり、東京カテドラルでのオラトリオ・シリーズとして抜粋日本初演をやったときだか、メシアンも来日し外堀のアテネ・フランセでレクチャーとオープンディスカッションがあって、その際に初演時の全曲映像が上映されるという話があったのだが、結局、なぜか映像はでないことになった。
それ以降、「らい者の喜びの踊り」とか一部は眺めることはあっても、全曲は今に至るまで幻の映像だった。当然、公式な商業パッケージなどにはなってはいない。メシアンって、シェーンベルクみたいに公式な研究センターがあったりするわけじゃないんで、どこかがちゃんと保管してあるというのも聞かない。パリ・オペラ座にはアルヒーフとしてあるんでしょうが、バスチーユのどっかに行けば視られるというもんでもないみたいだし。

かくて昨日、風薫る五月の爽やかな陽気の中、引き籠もりの窓開け放ち、巨大柿の木の下にほーほーさんや雀たち、はたまた子育て中のシジュウカラご夫婦もやってこられるようにちょっとご飯を出してやり、思えば35年近くやってなかった宿題みたいな4時間の映像を、がっつり見物させていただきましたです。

音そのものは、当時DGばかりだった小澤氏が珍しくもフランスのレーベルから出て驚いた極めてローカルっぽいCDが80年代終わりくらいからあり、フランス語しかないリブレットに悪戦苦闘した懐かしい思い出がある。今はいくらでも音もあるし、映像だって当電子壁新聞で舞台を紹介したメッツマッハー様の演奏のBlu-rayがあるし(なんか、案外関わりのある指揮者さんばかりの名前が出てくるなぁ)
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2008-06-29
良くも悪くも、どんなもんかみんなある程度は判ってる。カテドラルの1列目真ん中にお嫁ちゃま(まだお嫁じゃなかったと思うが)と座り、なんと目の前にどかんとメシアン御大がお座りになられ、アホみたいにでかい総譜開いてずっとめくっていらしたあのときから、時は流れ、小澤のおっさんもじいさんだし、こっちもじいさん初心者だし、NJPであのときに乗ってた団員さんにテレワークでパブリカやってみた方はいるのやら。

映像は懐かしのVHSの酷い画像で、音もモコモコ。鳥の大合奏など、とてもじゃないがこれだけ聴いても判りません。初演のライヴCDで脳内補正しないとちょっと無理。なによりもこの映像、いちばんの聴き所のフランチェスコの鳥への説教の部分で、トラッキングが乱れて完全に映像が落ちてしまう瞬間があります。その後の、鳥たちの大合奏という器楽的には最大の聴かせどころでも、40代後半のいちばん力があった頃の小澤氏の映像が乱れたり。

どういうところから出てきた映像なのか判らないけど、ああああこのクオリティしか遺ってないんじゃちゃんと世に出ないのも仕方ないなぁ、と思わせてくれるものではあります。演出も今どきの(この話になってない作品、ザルツ再演のセラーズ御大も困ったんでしょうねぇ)なんのかんの面倒なことをやってるもんじゃなく、良くも悪くも「活人画」タブロー。とはいえ、「聖痕」の場面で、天使が扉を叩くのと同じ大音響でフランチェスコの手足にイエスが十字架で受けた傷が刻まれる瞬間に、傷口が赤く光るようになっていたのは初めて知った。そんなこんな、ああ、そうなってたのね、と思わされるところはいくつもありました。

それよりもなによりも、ホントに我が人生のいくつかある究極の「積ん読」が、このコロナ・パンデミックが与えてくれた時間のおかげで思わずやっと片づけられたのは、有り難かったです。

その一方で、80年代半ばくらいに、最初にこの映像で接していなくて良かったかもね、とも思えた。こういう「歴史的映像」って、ある程度以上判ってからじゃないと、扱いが難しいところがある。これだけを眺めても、恐らく殆どなにも判らない。この作品全曲をライヴで半ダースくらいは聴いてきて、舞台の練習から付き合ったこともあり、その上で根っこにカテドラルでの猛烈なインパクトを与えられた実演がある。そんなかなり特殊な状況でないと、こういう映像からいろいろ学ぶのは難しいでありましょう。

もうひとつ、昔から眺めてみたいありそうでない映像が、シェロー演出これまたパリの《ルル》チェルハ補筆三幕版世界初演なんですが…流石にこれはYouTube上にもめっからない。映像は存在するという話は昔から聞くのですが、ちゃんとしたものが簡単に出てこない理由はなんなのかしら。

それにしてもなんのことはない、今のお籠もりで次から次へと映像やら再生音に接している状況は、やはり「ライヴ」の代用品でしかない、って言ってることになるじゃないかぁ。そんなことはないぞ、という作品が、きっとこの2ヶ月の間に世界のどこかの画面の上に生まれているのであろう、と信じたい。

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