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シュトゥットガルトの《ボリス》を視る [現代音楽]

本来ならばそろそろ大阪に移動し、関西はもうすっかり初夏じゃないか、などと悪態をついている筈だった皐月も半ば、新帝都は川向こうの新開地葛飾ももう夏の空気が漂い、風呂掃除をしてもなかなか乾かない季節となって参りました。今週は、大阪のコンクールが始まった気持ちになって最後の作文仕事に専念するべぇ、と心に決めていたのだけど、「コロナに負けるな大放送」のシュトゥットガルト歌劇場が去る週末から今週いっぱい、日本時間だと15日金曜日深夜まで、とてつもない舞台をネット上で観せてくださるというので、ともかく朝からきっちりそいつを眺める日となってしまいました。かなり面倒なものなので、まるまる一日仕事になってしまいましたです。

とにもかくにも、こちらでございます。
https://www.staatsoper-stuttgart.de/en/schedule/opera-despite-corona/
なんだ、《ボリス・ゴドゥノフ》じゃないの。そんなの、数週間前にはミュンヘンの我らがアベそーりも登場する舞台をやってたし、YouTubeで探せばアバドからゲルギエフから、長い版も短い版もどっちも全曲映像よりどりみどり、今週限定映像だからってそんなに焦って眺める必要もない泰西名曲じゃない…なんて思うでしょ。

ところがどっこい、これ、なかなか一筋縄ではいかんもんなんですよ。なにしろ、ご覧のようにタイトルはこんなん。
BORIS from Modest Mussorgski/Sergej Newski
Sergej Newski Secondhand-Zeit (Auftragskomposition der Staatsoper Stuttgart) nach Texten aus dem gleichnamigen Buch von Swetlana Alexijewitsch

プーシキンとも書いてないし、版もどっちを使っているかここには記してない。なんせ両版では長さが全然違いますから、改訂版でやるならそう書いておいてくれないと、終演後の飯屋の予約とか出来ません。シュトゥットガルト駅前通りの中華料理屋くらいしかやってないぞ、長い版が終わった後だと。で、サイトの別のところに行くと、「1869年版に拠る」とちゃんと書いてあるのに、あれぇ、YouTubeの映像を流し始めると、3時間12分41秒なんて改訂版の長さになってるじゃん。

世界がコロナ騒動で滅茶苦茶になる直前、2月の終わりにシュトゥットガルトの劇場の委嘱でベルリン在住のロシア人作曲家セルゲイ・ネフスキーが作曲、世界初演された舞台を収録したものです。本来なら、今頃もレパートリーとして上演されていたプレミア舞台であります。

どういう作品かといえば、「ムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》の短い方の初稿版に、ネフスキーが2015年ノーベル文学賞を史上初のドキュメンタリー作家として獲得したアレクシェーヴィッチのソ連民衆を描いた『セカンドハンドの時代』からの場面を挟み込んだハイブリッド創作」です。この原作、流石にノーベル賞作家だけあって、ちゃんと岩波から日本語訳も出てるんだ。
https://www.iwanami.co.jp/book/b266311.html

察しの良い方なら、なるほどプーシキン原作のロシアの民衆が主役となる作品に20世紀のソ連民衆の声を挟み込んで現代向けにアップデートした作品か、とお判りになるでしょう。正に、そういうものです。ちなみにネフスキー作品はリコルディから出版されていて、1時間ほどの独立した作品として上演も可能とのこと。こちら。ここで必要な情報は全部ゲット出来ます。
https://www.ricordi.com/en-US/News/2020/02/Newski-Seconhand-Zeit.aspx
なんと、このリコルディのサイト、ちっちゃいけど総譜が全部見られます。最近、こういうの多いですよねぇ、藤倉さんなんかも出版社の公式サイトで総譜が見られたりするし。ま、勿論これで演奏に使うのは無理ですけど、どんな楽器が鳴っていてどういう歌わせ方をしているかくらいは判る。

ざっと一度眺めただけですが、作りとしては、冒頭に序曲のようネフスキーの無伴奏合唱の導入があり、2時間程の長さの初稿版に従い話が展開。皇帝讃歌の場面などはちゃんとそれと判るようにあります。
IMG_4750.jpg
そのあと、修道院の場面の前になにやら女が喋り出し、ソ連の歴史が語られ始める。
IMG_4751.jpg
オーケストレーションは、ロマン派オペラのオーケストラを無理なく使ってますので、それほど違和感はありません。で、リトアニア国境の旅籠屋の前にも新作を挿入、さっき登場したナレーターが旅籠屋のおばちゃんになる。偽ドミトリー逮捕寸前のところなどにも、挿入があります。で、幕が一度下りる。
後半、クレムリンの場面の最初や、ボリスの狂気のところにも短く新作挿入。初稿版ですから偽ドミトリーがポーランドで画策する場面は一切なく、その代わり、英語字幕ではthe Activist、the Homelessとされる民衆の場面が入る。赤の広場になり、白痴が惨殺されて挿入部分へ。ボリスの死の場面は、新作挿入部のテキストが最も直接的にプーシキンの歴史譚と重なります。ピーメンのアリアの前に「ユダヤ人が自分らで穴を掘らされ、そこに飛び込まされて殺される、その中にロシア人の奥さんがいて、お前は死ななくていいとされるけど、自分は家族と一緒に死ぬと真っ先に飛び込んだ」というソ連の暗黒を語る場面が挿入される(この演出では、集まっている歴代ロシアの政治家達の前で語られます)。初稿版ですから、ボリスの死の後に偽ドミトリーのモスクワ侵攻の場面はなく、これまで出てきた様々な登場人物の大アンサンブルで20世紀ソ連を生きた人々の声がフーガとなり(《ファルスタッフ》みたい、とは言わないけど、あんな感じ)、最後は白痴役だった男が「人に善い悪いはなく、人は人なのだ」と呟き、女の「私たちはどこかに行くことが出来るのか」というモノローグに終わる。

このような「既存の作品に注釈を付けるわけでもないくらいの微妙な距離で新作を挟み込む」というやり方、ヨーロッパの21世紀の創作ではなかなか人気があるというか、珍しくないやり方で、音楽では日本で紹介されたものでは、たしかケント・ナガノだっけかが、NHKホールで《ドイツ・レクイエム》の間にリームの作品を挟む、というのをやったことがあるような気がするぞ。建築では、古い歴史的建築の周りを現代の建築で囲ってしまう、というのは、例えばライプツィヒのゲヴァントハウスの隣の教会とか、バルセロナ音楽堂とか、東京でも丸ノ内にその類似品はありますから、なんとなくどんな感じの創作かはお判りになるでしょ。

ま、こんな説明になってない説明じゃ全然判らん、とお思いかも知れませんけど、ともかく金曜日までは視られますから、ご関心のある方はご覧あれ。一日まるまる付き合う価値はある、これが今のヨーロッパの評価の高い劇場の新作だ、ってのが良く判ります。パンデミックな日々に感謝、とは言わないけどさ。

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