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コロンビア・アーティスト終焉へ [パンデミックな日々]

「音楽業界」以外のなにものでもないネタなんだけど、敢えて「パンデミックな日々」カテゴリーにします。正直、業界ネタとしては無視できない大ネタではあるが、今更特に興味深いことではないので。

世界一の早耳、英語圏で最も知られた「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」業界ブログで有名なSlipped Discさんが、コロンビア・アーティスト(CAMI)廃業へ、というニュースを流しました。こちら。
https://slippedisc.com/2020/08/breaking-biggest-classical-agency-goes-bust/

こういうリリースをまんまペトペト貼り付けてだしてしまう勇気は、このオッサンの偉いところだわなぁ、とちょっと呆れながら、へえええそーなんかい、と時の流れと今回のこのコロナ騒動の異常さを感じざるを得ないでありますなぁ。早速、大物アーティストの引っ張り合いが始まっている、とかも含め。考えてみればこの世界一の早耳業界ブログのオッサン、前世紀の終わり頃に”Who Killed Classical Music?”というベストセラー本を書いて業界で有名になった「英語圏の石井宏」みたいな方なわけで、世界に一報を流すに最も相応しい方ではありますな。

日本の普通の音楽ファンとすれば、別にマネージャーの名前を知る必要などありません。まあ、「ナベプロ」とか、最近では「ジャニーズ」とか「エイヴェックス」とか、はたまた「吉本興業」とか、芸能界を牛耳る悪の差配集団みたいに面白おかしくマネージメント会社やレコード会社のことが語られることはあり、それはそれでまたひとつの娯楽のジャンルを生んでいるようなところもある。正直、どーでもいいといえばホントにどーでも良いことですからねぇ。

それと同じように、「世界のクラシック音楽の堕落、商業化をすすめる諸悪の根源たるコロンビア・アーティスト」という伝説がありました。「CAMIは神なり」なんてギャグも言われてたっけ。70年代くらいからかしら、「精神性のベームvs綺麗なだけのカラヤン」みたいな空気が漂う中、べーてーの世界支配の中でのクラシック音楽商業化、商品化を進める権化はコロンビア・アーティスト社長のオルフォードなのであーる、という論調がありました。そういう論調を積極的に展開して人気を得ていたのは、日本語で活動した音楽系売文業者の中で最も筆力があり、吉田秀和やら遠山一行、野村あらえびすなど名だたる偉い先生より書き手としての力は遙かに高いスーパーライター、その論じている内容はともかく(そこが問題だ、と言われれば返す言葉はありません…)書き手としての力としては同業者としてやくぺん先生が最も尊敬する石井宏氏であったことは、ある世代以上の方はよーくご存じでありましょう。「諸悪の根源安倍晋三」とか、「悪いのはみんな民主党内閣」、みたいなもんですね、ある意味。

石井氏や、氏が中の人となって神楽坂の音楽専門出版社じゃない方の文芸と週刊誌出版の大手S社などで活躍したライターさんなどが広めたこんな神話、その根っこにあるのは書き手の方が某ホールで現場をやっていたときの私憤だという話はきくものの、まあ本人にそんなこと尋ねてもホントのことを言う筈もない。ともかく、筆力破壊力抜群のその筆によって、「音楽をダメにする諸悪の根源コロンビア・アーテイスト」説は、ニッポンの音楽ファンに深く静かに広がっていたわけであります。

やくぺん先生も、そういうものなのかぁ、と思うしか無かったが、その後に実際にコロンビア・アーティストの方々と接することがあり、なるほどねぇ、と思うこと多々でありました。少なくともやくぺん先生が現場を知っているような90年代に入ってからのコロンビア・アーティストって、「オフフォード御大の下に、若くやり手のマネージャーが集まっている巨大なマネージャー置屋」みたいなものなんだな、って。

アーティストのラインナップを眺めれば誰にでも判るように、この会社はそもそもは歌手のマネージャーさんで、そこから広がっていった。で、いちばん手薄だったのが室内楽部門です。このジャンルにはコロンビアが本気で手を出さなかったのは、ある意味、この会社の賢さというか、ちゃんと現実をみているところだったのでしょう。あたくしめの現役時代にこの会社のマネージャーで弦楽四重奏団に手を出したのはひとりしかおらず、20世紀に所属した弦楽四重奏団はセント・ローレンスQのみ(だと思う、少なくとも長続きした団体は)。当無責任私設電子壁新聞が張り出され始めてからも、こういうニュースがあったっけか。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2012-08-14
この契約も1シーズンくらいで終わっちゃったような。

ま、いずれにせよ、20世紀後半のアーティストマネージメントの形が崩れていき、広報会社とブッキング会社に分業化され、演奏家がマネージャーとの契約を辞めてインターネットを使ったインディズ型の個人マネージメントへと移行していく大きな流れの中で、コロナが歴史的な決断を迫ったということなのでしょう。なんせこの半年、会社としての収入がなかったというのだから、アベノミクスで膨大な内部留保をため込んだニッポンの大企業でもなければ、とても耐えられないのは当然ですな。

次は、日本の大手事務所ネタで、こういう「自分のための防備録メモ」を記すことになるのかな。ふううう…

[追記]

8月31日付けで、公式Webサイトにこういうリリースが出ています。いつまであるのやらわかりませんけど。
https://columbia-artists.com/?fbclid=IwAR0deLsemujAROr0lY7JKMndhrgvqdLY7JOSDNEZAzXAzJ5Ppe0ALUGQiEY

英語圏で最も読まれている業界紙の記事はこちら。公式のWebサイトを引っ張って事実関係の確認をしているだけで、分析やら今後の展望などは一切ありません。これもいつまで読めるやら。
http://www.internationalartsmanager.com/news/music/columbia-artists-closes-after-90-years.html?utm_source=wysija&utm_medium=email&utm_campaign=IAM+newsletter+01+September+2020

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南の扉を全開にして晩夏の熱風を通わせて… [パンデミックな日々]

旧大日本帝国敗戦受諾の日、東京文化会館小ホールに午後1時過ぎから午後7時まで座って、延々とバッハとブリテンを聴いておりました。

いつから始めていたのか、もう記憶は定かでないけど、今や京都を拠点に室内楽を中心にマルチで活動なさっており、この春からは相愛の先生になっている(って、ホントに教えに行けてるのかしらね)
https://www.soai.ac.jp/information/news/2020/01/post-37.html
チェリスト上森祥平氏、晩夏恒例となっている「バッハの無伴奏チェロ組曲に20世紀無伴奏作品を挟みながら全曲演奏する」という2020東京五輪マラソンにも匹敵する荒技の日でありまする。
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以前は浜離宮だったような気がするんだが、数年前からマネージメントをしているミリオンコンサート協会お得意の「長く続く定番曲全曲企画」のひとつとして上野で開催されるようになっている。クリスマス頃の道夫先生《ゴールドベルク変奏曲》、大晦日のベートーヴェン弦楽四重奏一日でハーフサイクルと並ぶ、三大企画であります。

ちなみに、前の2つの言い出しっぺプロデューサー小尾さんが先頃お亡くなりになり、道夫先生は小尾さんと「お互いどっちかが逝くまで」という口約束だったんでもう今年はいいでしょ、という事になったそうですが、遺された若き(でもないが)スタッフ連の説得で今年も開催予定だそうな。このコロナ禍、年内で収まるとは思えず、どうなるかは誰にもわかりませんけど。

もとい。んで、その今や晩夏のトーキョーの風物詩となりつつあるバッハ・マラソン、これまたデータはいい加減で申し訳ないけど(「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」が当私設電子壁新聞のモットーであることをお忘れなく!)、10年代半ばからはバッハ全6曲とブリテン全3曲、という究極の灼熱のトライアスロン企画となった。

今年は旧日帝敗戦受諾の日に設定されました。なんか、良心的懲役拒否を貫いたゲイということで社会的には大いにしんどい状況で英国から北米に逃れねばならなかったブリテンという方の背景を考えると、納得がいったりして。ちなみに、曲は盟友ショスタコの晩年様式などとも通じる最晩年のものですけど。

このコンサート、客として座っている側も弾く側同様に戦略が必要で、なんせ《マイスタージンガー》全部聴く位の長さだけど、オペラとは違って作曲者の方が途中で客が気を抜く箇所を作ってくれてはいない。そりゃ当然で、こんな演目をやること考えてないでしょうからね。だから、「このくそ暑い中では全部集中するのは無理、こことここは座ってるだけでスイッチオフ」みたいな瞬間を用意しておかねば、休憩込み5時間半の長丁場を乗り切るのは不可能です。上森氏はもっと大変なのは百も承知ながら、これはもうシロートが200キロマラソンとかやってる選手の気持ちを考えようがないみたいなもので、ぐぁんばってくれ、としか言いようがないわ。

結果として、今年もバッハの1番と4番の間にブリテン1番が挟まれる第1部はほぼアウト。30分の休憩を挟んで2番と3番の間にもうひとつの2番が挟まれる第2部が、大人気のバッハ3番が頂点となる弾く側も聴く側も充実したところ。で、サパー休憩40分也を挟んで(JR公園口が文化会館楽屋真ん前から北にちょっと移動し、文化会館正面入口の真向かいにコンビニが出来て、サンドイッチやらおにぎりやらが買えるので、こういう無茶な長丁場企画にはとても有り難いことになりましたぁ!)、しんみりむっつりの難曲5番と、妙に突き抜けちゃったようなブリテン3番、そして最後に低音発ほっぽらかしののーてんきな6番で第3部が締めくくられると、短くなり始めた晩夏の日はすっかり沈んでおりました、ってなる。この長丁場の最後になると、ホントに6番ってのはあっちの世界にいっちゃってるお祭り曲だなぁ、絶対にチェロのために書いてないよなぁこの曲、とあらためて思うのであった。

この恒例の演奏会、今年はいずこも同じ真夏のコロナ対応様式で開催されています。考えてみたらコロナ下では始めて足を踏み入れた我がホームベースのひとつたる文化小ホール、ロビーへと上がっていくと、熱風が吹き込んでら。おお、「バリアフリー」などという概念は頭の片隅にすらない60年代高度成長へとイケイケゴーゴーの頃の建物らしく階段で地下に降りていくトイレの入口の向こうの扉が、大きく開かれている。この会場に70年代以降どれだけ来たか判らないけど、この扉が開かれ
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ほったらかしの草ボウボウ、上野地区でもっと野生の緑の溢れた庭園とも言えない芸術院との間のぺんぺん草の彼方から、灼熱の南風が押し寄せる。もうひとつ、駅に近い側の喫煙所になってる空間に出る扉も、同様におっぴろげ状態です。

そして、20分から30分弱の各曲が終わる度に、休憩ではなく3分程の「換気Time」が設けられ、オーディトリアムの上手下手の扉が開かれる。と、楽器のためにも少しでも湿度を下げるべく冷え切った設定にされている空間に、夏の強い光がぽっかりと浮かび上がり、熱風が吹き込んでくる。
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結果として、コロナの為の強引な換気は、長大なバッハ&ブリテン・トライアスロンの走りながらの合間合間の給水みたいなことになり、さあ、次にいこうぜ、って気持ちになってくるのであった。

コロナの時代の「新しい日常」がこうなのかは知らないし、これが冬だったらどうなんじゃろか、と思わんでもないけど、灼熱のバッハには驚くほどの効果がある。お陰で、なんだろうが、今年は第3部の大人の味わいがじっくり堪能できましたとさ。

「今年は長くなったので、アンコールはなしです」と締めくくった上森氏、弾けなくなるまで続けると仰っているというこの真夏のトライアスロン、来年も今年同様に敗戦受諾の日に同じ会場で行われるとのことでありまする。

どんな夏になってるのか、誰も知らない。

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「新しい日常」のコンサートマナー [パンデミックな日々]

オリンピックは終わったといえ、パラリンピックに向けて晴海選手村は大改装大騒ぎの真っ最中であろうニッポンでいちばん暑い残暑が続く今日この頃、皆様、いかがお過ごしでありましょうかぁ。

ともかく暑すぎて頭が動かず、今日は朝っぱらにプラド音楽祭のカザルスが復帰し、シュナイダー翁やグリーンハウス爺さん、はたまたゼルキン・パパやゴールドベルク先生などが60余年前に集った懐かしい教会から、やたら見慣れた、でもこいつらに次にいつライヴで会って呑んだり出来るかまるで判らない懐かしい顔ぶれをパソコン画面で眺めていたわけですが…その風景の余りのいつもっぽさに、ちょっと違和感すら感じてしまったです。聴衆は、ヨーロッパ人が大嫌いなマスクをしてる姿はともかく、他はいつもと同じ。ステージの上も、ペンデレツキの六重奏で指定通りにホルンが遠くにひとり離れて吹くところがあっても、特にいつもの夏と違う感じはない。小さな画面から覗ける遙か5千マイル彼方のピレネーを臨む田舎町は、あれぇ、コロナ・パンデミックはどこにいっちゃったの、って風景でありました。

なんでそんな風に感じるのかと言えば、横浜は紅葉坂を登り切った場所から港を臨む(って、今は文字通りの高層ビルの壁が出来てしまい、レンガ街もノースピアもまるで見えない)神奈川県立音楽堂に昨晩流れていた空気が、随分と独特というか、特殊というか、いかにも「今は非常時」というものだったからなのですね。

思えば6月半ばに「再開実験」という形でコンサート専用ホールでのライヴの演奏会が手探りで始まり、幸いにも大きなクラスターやらの発生源にはならずに無事に二ヶ月近くが流れた。御上は完全に「政府崩壊」で、あちこちで感染が広がり、GOTOキャンペーンが隠されていたものを顕在化してしまった東京首都圏と地方各地の意識の違いが「コロナ差別」みたいなものを生んでいるニッポン鎖国列島にあって、それぞれの会場や主催者さんが、それぞれの事情に沿って独自のガイドラインで演奏会を開いているのが現状でありまする。

昨晩の神奈川県立音楽堂も、御上仰るところの「新しい日常」の風景の中での開催でした。そもそも、会場となった場所は、226アベ要請の日に記念年事業のバロックオペラの最終仕込みが始まる瞬間にストップがかかり、悲劇的とも言える状況で中止に追い込まれた。日本でのコロナ禍の始まりともいえる埠頭は、みなとみらい地区の高層ビル群がない昔ならばクルーズ船が停泊している姿が眺められたかも、というような場所です。今回、神奈川芸術協会という地元の民間主催者に県立音楽堂が共催する形での開催となったYamato弦楽四重奏団のベートーヴェン中期以降サイクル、川崎市が全面的にバックアップして市の文化財団が主催するフェスティバルとはまた違った、民間のプレゼンターによる演奏会であることが、会場の空気にも大きく影響していたようです。

なにより驚いたのは、これです。
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コンサートというものに行くようになって半世紀、正直、こんなものが舞台上に出ているのを目にしたのは初めてでした。吃驚したというよりも、あああこれはただ事ではない状況なんだなぁ、とあらためて背筋が寒くなった。演奏前にはかたづけられ、換気のためか各曲毎に設けられた休憩のたびに持ち出されていたこの告知、なかなかインパクトがありましたです。

そもそも春から始まり、毎月1回4ヶ月かけて演奏されるはずの企画が、客席収容人数が半減されたため昼夜の2公演、それも日本列島がいちばん暑い灼熱の季節となる残暑に毎週1回ずつ、とされた。気楽に「された」なんて書いているけど、一頃は落ち着いたかと思ったコロナが7月になって盛り返し、神奈川県知事は8月いっぱいは公共ホールを使用禁止にする、などと言いだし、おいおいおい、と主催者側が驚き呆れて…すったもんだの挙げ句に、なんとか公演まで辿り付いた。

そういう厳しい状況ですから、再開以降のコンサートの中でも個人的にはいちばん厳格な感染防止策を採っている。中でも、ホールの中では絶対に喋らないでくれ、というのは大きなポイントのようで、当日プログラムには、「5日の第1回目の演奏会ではホール内での会話中止が徹底されていないようでした、今日は絶対に静かにして下さい」という主催者さんからの刷り物が挟み込まれていたり。ほれ。
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ニッポン国のベートーヴェン弦楽四重奏受容の伝統からすれば、そんな極めてストイックな環境でみんなスコアを眺めるように集中して聴く、というのはありなんでしょう。けど、ぶっちゃけ、YamatoQの聴衆は普段の弦楽四重奏演奏会とは随分違って、女性客が半分くらいでいつものオッサンたちは多数派ではないんじゃないか、という感じ。真っ暗な中で暗譜で演奏していたプロムジカQ、みたいな「聖なる儀式としてのベートーヴェンの弦楽四重奏曲」という空気とは、本来ならば醸し出される空気はまるで違っている筈なんだろけど…

まあ、それだけに、この強引に静けさを強制されるような空間で、世界一雄弁な音楽家がしゃべくりまくるような音楽を静かに聴き、感想を口にすることも禁止されるというのは、なんとも不思議な状況でありました。

中身については、言葉の最良の意味での「ローカルなチクルス」で、これはこれであり、と思った次第。一応、短い商売原稿があるので、それ以上はご勘弁を。なお、最終回の9月6日も夜の部が設定されたとのこと。作品131と135をやったあとに、山響チェロさんを迎えてシューベルトの大五重奏が最後に演奏されるという、これまたとんでもない演奏会でありまする。夜の部はまだチケットがあるようですので、ご関心の向きはどうぞ。

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音楽業界のコロナ禍まとめ [パンデミックな日々]

事実関係のみのデータ。昨日、「日本音楽芸術マネジメント学会」シンポジウムがWeb上で開催されあした。内容に関しましては、短いレポートを某音楽専門誌に入れねばならないので、記しません。ネット上に絶対にまとめを書いている方がいるでしょうから、ググってみて下さいな。

ひとつだけ、この「パンデミックな日々」カテゴリーの重要なデータが、パネラーの東京芸術劇場ディレクターさんから示されました。データ、というよりも、情報の纏めですね。「音楽演劇ホール劇場でのコロナ発生事例のリスト」です。以下、パブリックな場で示されたものですから、まんまデータを引き写しておきます。案外、こういうデータ、ありそうでない。

※シアター・モリエール:7月15日、観衆全員が濃厚接触者とされ、出演者18名、スタッフ9名、公演関係者8名、観客40名が陽性。

※帝国劇場:7月16日、チケット営業担当者が陽性。7月18日から21日までの公演を中止。

※オペラシティ:7月21日、ズーラシア・アンサンブル出演者が陽性。7月31日までホール閉鎖。

※新国立劇場:7月29日、スタッフ1名陽性。30,31日のバレエ公演中止。

※シアターグリーン:7月30日、稽古中の関係者から20名程度の感染者。公演延期。

※歌舞伎座:8月5日、第3部の関係者が陽性。第3部を上演中止。6日以降は通常公演再開。

※兵庫宝塚劇場:8月6日、花組関係者スタッフ11名感染、1名陽性。16日まで公演中止。

※東京宝塚劇場:8月7日、星組1名陽性。20日まで公演中止。

現時点では以上です。この数が多いと考えるか、こんなもので済んでいると考えるか。ご参考までに。

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コロナ下でも「紙」は強かった [パンデミックな日々]

226アベ要請に始まりはやまるまる5ヶ月となるクラシック音楽業界でのコロナ騒動、緊急事態が解除となりコンサート活動がおそるおそる再開されてからほぼ6週間。とーきょー五輪真っ盛りの真夏…の筈だったのにいつまでも終わらない梅雨が続く月曜日の朝、とうとう作業可能な手持ち原稿がない失業者状態になってしまった三文売文業者やくぺん先生なのであーる。一応、締め切りがある原稿はふたつあるも(ひとつは言語道断に冗談みたいに安いギャラなんだけど、今は文句も言わずになんでも引き受けないといけんっ)、どちらもどういう風に処理するか、クライアントさんからの連絡待ちの状態。で、でっかくなりどんどん危険物になりつつある葛飾オフィスの柿の実が湿った南からの強風に吹き飛ばさせそうになっている姿にハラハラしつつ、ライヴ・コンサート再開後の状況について思うことあれこれ。

コロナでニッポン国民が真面目にお籠もりしていた4月半ばから5月、6月頭くらいまで、全くライヴの演奏会がなく配信だなんだで気を紛らわせながら鬱々としていた頃、「コンサートが再開されたらこんなことやあんなことが新たに起きてくるのではないか」と業界関係者が勝手にワイのワイの思いつきで語ってたことがあります。そのいくつかは当たったし、いくつかは全く当たらなかった。当たった方はまあそれはそれ。外れた方で最もスカだったのは、「紙」に関する予想でありまする。

新型コロナのヴィルスが接触感染であるという常識が広まった頃から、「会場で不特定多数に紙モノを手渡す」という行為はタブーになるであろうと考えられました。コンサート会場から紙が消えるだろう、ステージ上でもタブレットへの移行が進み、譜めくりアルバイトが死滅するのではないか…なーんてね。

ところがどっこい、そうはならなかった。少なくとも、今は、まだそうはなっていない。以下、コロナ下コンサート会場での「紙」を巡るあれこれ。

◆当日プログラム&アンケート
コンサートの会場で「紙」を渡すといえば、まず頭に浮かぶのは当日プログラムやらアンケート用紙など、主催者側が聴衆に配布する紙ですな。これ、どうも対応はヴェニュや主催者によって様々なようですが、「紙のプログラムは主催者側が用意し、積み上げておいて、聴衆が自分で拾っていく。アンケートはQRコードなどを当日プログラムに印刷しておいて、ネット経由でやってもらう。」というのが基本みたい。中国や韓国などのIT先進社会では10年代に一気に進んだ「当日プログラムは自分の携帯端末にダウンロード、紙はありません」というやり方、要は「当日プログラムの紙版完全廃止」の動きは、コロナでも加速された感じはしません。サロン規模のコンサートスペースでの室内楽演奏会などでは、そもそも当日プログラムがない例は珍しくないですから、今回の事態も余り影響がないだろうし。

◆広告チラシ
日本のコンサートホールだけとは言わないけど、世界のどこよりもニッポン列島のコンサートに定着している「入口での膨大な演奏会チラシ配り」という珍風景があります。誰がどう始めて、どのように定着してったかがハッキリ判っている業種なだけに、スーパーのレジ袋みたいに誰かが「止めましょう」といえば一瞬でなくすことも可能なこの風習、今世紀に入ってからは紙資源から考えても止めようという動きはなんどかあったものの、チラシを配りたい側が一斉に足を揃えるのが難しく、実現していない。コロナ騒動は千載一遇の廃止チャンスだったんだけど…どうも、去る土曜日の東京文化会館には、しっかりチラシ配りさんが出てました。「厳重に衛生チェックをして配っております」などという張り紙も出してました。うううん、この状況でもやる気満々なんだなぁ、某Cサービス社さん。

◆チケット
いちばん簡単に起こると思ったのが、チケットを紙から電子に切り替える流れ。今や世界のどこの劇場でも、チケットは「もぎり」ではなく「バーコード読み取り」になってます。となれば、最もペイパーレスにしやすい部分ではないか、これはあっという間にバーコード読み取りマシンが会場に配備され、紙チケットであれ、少なくとも直接の手先の接触は避ける方向に行くのだろう、と思ったのだが…導入されるのはサーモメーターばかりで、バーコード読み取りマシンはまだ使われませんねぇ。半券もいっぱい。ちなみに東フィルさんは、半券を「クラスター発生時の聴衆位置把握ツール」として回収しているので、手元にありません。
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単純に導入コストの問題なのか、日本のコンサートチケットのシステムの問題なのか?例えば、コロナ禍にオープンした横浜のぴあアリーナなどは、初めからチケットレス対応になったりはしていないのかしら。

◆名刺交換
これは「コンサート」という切り口で議論しても仕方ない、「ニッポンの不思議商習慣」なんでしょうけど、コンサート会場での関係者との挨拶での名刺交換という習慣がありますな。コロナ下の日常での大規模な記者会見などはまだ経験していないのでどうなるか未知でありまするが、少なくとも会場での関係者ご挨拶、名刺交換、などは、今まで通りにやられてます。北米や欧州ではそもそも存在しないこの習慣、個人的にはコロナを機になくなっちゃって欲しいんだけど…そうもいかないかな。

以上、紙は神のように強し、という雑談でした。

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気軽に行こうコロナ後クラシック・コンサート [パンデミックな日々]

ニッポン首都圏でおそるおそる「専用音楽ホールでの聴衆を客席に入れたライヴコンサート」が再開しそろそろ1ヶ月。オペラハウス機能を持つ会場をフル稼働させるオペラやバレエのフルステージ公演こそ未だ再開していないとはいえ(明日17日に予定される宝塚公演は、ピットは生オケではなく録音での再開となるそうな)、大ホールでのオーケストラ公演や小規模ヴェニュでの室内楽公演など、合唱を伴わないライヴのコンサートは一日にひとつくらい開催されているトーキョーとなりつつあります。

都知事選が終わり市内感染拡大を隠す必要がなくなった「諸悪の根源」トーキョーでは、予定されていた小規模ヴェニュでの公演が中止になる事例なども出ています。ですがそれらは基本的に規模が小さなイベントなので、マスメディアどころかSNSにも流布することなく、具体例は殆ど知られないのが実情。いかな「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする当無責任電子壁新聞としても、流石に記すわけにはいかない。ただ、このところの第2波の影響は実は出ている、という事実だけは記しておきましょーぞ。

ま、それはそれ。で、関西圏などはどうなっているか判らぬが、少なくとも東京首都圏で復活した「コロナ後のコンサート」の新しい常識を列挙いたします。なんせ、こういうのが基本ですから。あ、札幌の再開コンサートのものだなぁ、まあいいか。
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以下、やくぺん先生の世を忍ぶ仮の姿の四半世紀も昔の最初期の著書のひとつにして、哀しいかな生涯売れないままで終わるへっぽこ三流ライターとすれば唯一再版がかかった『気軽に行こうクラシック・コンサート』のコロナ時代改訂補遺だぞっ。おお、オリジナルはAmazonで50円から売ってるぞぉ…あれ、これ、第2版の方だと思うなぁ。売れてもあたしには一銭も入らずじゃが。
https://www.amazon.co.jp/%E6%B0%97%E8%BB%BD%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%93%E3%81%86%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88-100-music-2-%E6%B8%A1%E8%BE%BA/dp/4276301025

1:終演後に妻と待ち合わせるのにどれくらい余裕をみればいいでしょうか

終演後、最低でも20分は余裕を持って待ち合わせるべきです。

主催各団体がそれぞれにヴェニュ側との協議で再開を始めている首都圏の事例からみるに、現状のでのコロナ前との最大の違いは、「オーディトリアム退出に時間がかかること」です。主催者とホール側の協議で対応はそれぞれのようですけど、基本、大ホールでの公演は、「ホール出口での密集を避けるため」という理由で、客席から聴衆の退席を制限しています。終わった終わった、と好き勝手に出られません。「終演後、拍手が静まった後の空っぽの舞台を前にした客席に聴衆は取り残され、指示に従い順番に退出する」と考えるべき。今の情勢では終演後に飲み会に行くとか、レストランを予約するとかいうことはないでしょうが、「9時に終わるからじゃあ9時10分にどこそこの店で」みたいなことをすると、遅刻する可能性が大いにあります。勿論、それを避けて関係者評論家などには、演奏が終わるや拍手をせずにさっさと客席から逃げてしまう、という猛者も散見しますが。

2:いつも大きな医療機械を抱えている私はコンサートに行けますか

クロークで預かってくれる可能性はありますけど、今は持ち込みはダメと思った方が安全かも。

現状でのホールの表方担当者は、入口での検温やら消毒準備やら、普段と違う客席指定のための誘導やらで、てんてこ舞い状態です。こんなん。
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業務が大幅に増えている上に、気をつかわねばならないことも多い。そのため、基本的にはどの会場でもクロークは使用禁止になっています。東京は溜池のサントリーホールやJTアートホールの場合、首相官邸や国会議事堂が至近のために周囲にコインロッカーが一切存在していません。ですから、でかい荷物を持ってきてしまうと、困ったことになります。現実的には、そのホールなりに対応してくれるようですが、まあ、表方の皆さんに要らぬ面倒をかけることになりますから、「クロークはやってない」と諦めて出かけるべきでしょう。

3:車椅子の母がクラシックを聴きたがっているのです

現状、もうちょっとお待ちください。

2と同じ理由で、今はまだ表方が一般聴衆への対応で手一杯。障害がある聴衆にどう対応するかは、対応マニュアルがないというより、人出が足りないのが実情でしょう。なお、来週の金曜日に東京文化会館で実質上の実験のコンサートがありますので、その状況は当電子壁新聞でもお伝えするつもりでおります(伝えられるようなものであれば、ですけど)。ホールでの行動に介護や援助が必要と思われる方は、事前に連絡しておいた方が良いと思います。

4:不倫中の彼氏が再開コンサートの切符をくれましたけどバレませんかね

バレます。行ってはいけません。

今のコンサート会場では、「誰がどこに座ったかを把握し、なにかあったときのために連絡がとれるようにする」のが原則になっています。氏名と連絡先、席番号は主催者に提供するのがルールです。つまり、お忍びでコンサートにはいけない、ということ。こればかりはしょーがないわなぁ。なお、会場に掲げられたQRコードを携帯端末にスキャンして登録、みたいなことにはなってません。ニッポンのコンサート会場は中国や韓国に比べるとIT後進国レベルのアナログっぷり、用紙に書いて提出するのが原則ですので、気になる方はマイ筆記用具を忘れずに。

5:どうしても演奏者に感動を伝えたいのです、なんとかならない?

大きすぎないメッセージボードを客席から掲げる、という手段は黙認されているようです。

再開したコンサート会場では、当初は拍手もエアだったのですが、今は拍手はOK。スタンディング・オーヴェーションまではOKとする会場もあるみたい。ただし、ブラボーと叫ぶのはウィルス拡散爆弾と看做され、厳禁です。ひとつ、再開後のホールで流行になりつつあるのは、手作りのメッセージボードや、客席に広げる大壇幕。主催者公認というよりも「オーケストラ友の会」の皆さんなどによるゲリラ的な感動の表し方のようです。この解像度なら許されるかな、ほれ。都内某ホールでの某オーケストラでの状況。こんなん。
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現時点ではそれほど派手にやられているわけではないので規制などもないようですけど、主催者さんに真っ正面から「持ち込んでも良いですか」なんて尋ねると、ダメと言われそうだなぁ。

やくぺん先生的には、一人空け席の快適さになれてしまったらヤバい、というのがいちばんの問題だと感じるパンデミックな日々なのでありましたとさ。

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マドリードの三密回避《椿姫》ライブ配信 [パンデミックな日々]

マドリードのテアトル・レアル広報さんから緊急連絡がありました。まんま貼り付けます。

Wednesday, July 15, at 8 pm, from Madrid… TEATRO REAL WILL OFFER ‘LA TRAVIATA' LIVE BROADCAST WORLDWIDE WITH FREE ACCESS TO ITS PLATFORM MY OPERA PLAYER

•Since July 1st, the Teatro Real has been presenting an exciting version of Verdi's opera on its stage, with more than 800 spectators every night and a strict health and safety protocol.

•The performance on 15 July will be the 14th of the 27 programmed with four different casts. That night, the cast will be headed by Marina Rebeka, Michael Fabiano and Artur Rucinski, who will perform together with the Teatro Real's Chorus and Orchestra (Coro y Orquesta Titulares del Teatro Real), conducted by Nicola Luisotti.

•La traviata is presented in a semi-staged version conceived by Leo Castaldi in strict compliance with the current health and safety protocols.

•MyOperaPlayer is Teatro Real's audiovisual platform, which offers a wide range of streaming content from theatres around the world and whose programme is extended weekly.

•Free access to MyOperaPlayer will be allowed uniquely for the live broadcast of La traviata on July 15 at 8pm. The recording will then become part of the platform's catalogue.

•This recording of La traviata, created within the limitations of the health and safety regulations, is an audiovisual co-production between TVE, MOVISTAR and the Teatro Real.

•MyOperaPlayer was created by the Teatro Real in 2019 with the technological participation of Telefónica and Samsung, and is sponsored by Endesa.

以上です。詳細なプロフィルなども来てるんですが、ま、それはそれ。要点だけを記しますと

三密回避の《椿姫》、マドリードの時間で15日午後8時から、MyOperaPlayerで特別に無料ライヴ配信されます。タイトルロールは、この三密回避特別演出のオリジナルになっているメトのプロダクションの中継でも歌っているマリーナ・レベカです。
ちなみに、こちらがトレーラー。1日から月末まで、ほぼ毎日、客を入れて公演やってます。ザルツブルクに先駆けて再開した欧州のメイジャー劇場となりました。

日本時間では16日早朝3時という滅茶苦茶視にくい時間ですが、ま、頑張って下さい!

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急告:韓国国立オペラ《マノン》は配信に [パンデミックな日々]

急告です。先週末くらいから急に「コロナ終わったぁ」感が漂い出したお陰で、ちゃんと情報を追いかけていなかった、情けなや。

コロナ・パンデミック後の世界初のオペラのフルステージ上演になる予定だった韓国国立オペラ団の定評ある演出による《マノン》再演、本来なら25日から本日まで、ソウル・アーツセンターのオペラ劇場でセットを組み衣装を着け韓国響がピットに入り聴衆を入れた演奏を行う筈でしたが、残念ながら通常形態での公演は中止されました。
http://www.nationalopera.org/ENG/Pages/Perf/Detail/Detail.aspx?idPerf=500504&genreid=88&year=2020

その代わり、去る25日と本日28日日曜日午後3時から、ソウル・アーツセンターのステージで無観客公演を行い、無料でライヴストリーミングをします。二つのキャストを両方とも放映するって、3月のびわ湖《神々の黄昏》と同じやり方ですね。こちらがURL。
https://www.vlive.tv/video/198387

普通ならば、さあ今から羽田に走れば間に合いますよ、と言うところですが、なんせ現時点ではわしら一般庶民はこの島国を出られないし、金浦空港に到着してもそのまま入国を済ませて地下鉄に飛び込み、乗り継いでアーツ・センター最寄りの南部バスターミナル駅には行けません。行っても入れないしね。幸いにもニッポン列島との時差はありませんので、午後3時から上述のURLでお楽しみ下さいませ。

なんせ「極東のイタリア」と呼ばれ歌手の層は猛烈に厚い韓国です、歌に関心のある方は梅雨の日曜日の午後に格好の娯楽となることでありましょうぞ。演出は昨年暮れに初台で《トラヴィアータ》をやってるヴァンサン・ルメールで、指揮はベルリンで勉強して、今はインスブルックの劇場でいろいろやってるソクウォン・ホンですから、まともなもんです。ご安心を。

さても、ソウルが第2波でダメとなると、コロナ後初のフルステージ聴衆入りオペラは、ことによるとザルツブルクなのかしらねぇ。フルサイズのオペラは国際試合みたいなもんですから、やはりハードルは高い。

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パンデミック下「戦後のオペラ」あれこれ [パンデミックな日々]

梅雨の季節真っ只中の水無月の終わり、雨は降っていないけどいやぁな曇り空で、天樹はともかく都庁やぱっちもんクライスラービルが濃ゆぅい蒸気の中に霞むのをシン・ゴジラ視線勉強部屋から眺めつつ、あぁああああ、今頃は次々と羽田に向け国際線国内線巨大旅客機が着陸していく轟音の下、新宿御苑でベルリンフィルがダイクを高らかに歌い上げていたんだなぁ…と現実とならなかったコロナ無き世界を虚しく思い浮かべる土曜の午後、皆様、いかがお過ごしでありましょうか。現都知事さんなんぞも、満面の笑みを浮かべ正面真ん中でスタンディング・オーヴェーションしてたんでしょうし、デュダメル御大に熱烈ハグなんてしてたんでしょうねぇ、いやはや。

ま、仮想世界のタイムラインはどうであれ、現実の新帝都周辺ったら、先週くらいからいきなり「三密回避演奏会」が矢継ぎ早に開催され始め、4月頭の緊急事態宣言で勢いがつき始めたところでストップがかけられていた「インターネットでの有料配信」も様々な配信会社やフォーマットで競うようにスタート、もう我が業界は待ってられません状態。これに付き合って良いものやら、と老人家庭としては大いに心配しつつも、来週からは自分も現場の裏方なんぞするわけで、春分の日から夏至までの四分の一年の「世界一斉お籠もり」も、実質上、今週でオシマイのようでありまする。隠居初心者の身とすれば、人類が真の変革を迎え次の段階に至るためには、あと半年くらい今の状況が続くべきだろうとは感じるが、21世紀の人類や国家社会を支配する最強の「経済」とやらが、それを許さないのであーる。ううううむ…

てなわけで、今、パンデミックお籠もり下の日課になっていた「世界のメイジャー劇場の今日だけ特別無料舞台配信」の有終を飾る(のか)ヴィーンからの《ダントンの死》を拝聴し終え、いやぁ、この四分の一年、所謂「戦後のオペラ」を随分と拝見させていただいたなぁ、と各団体関係者の皆々様に深く感謝したく思っている次第でありまする。

この3ヶ月、ヴィドマンの室内楽練習に立ち会えず、大阪コンクールでの望月委嘱新作を5回だか聴くこともなく、レッジョでの細川新作初演もなく、ベルリンフィルが早坂文雄を演奏もせず、果ては天才パスカル君の《ルル》までなくなり…そんな死んだ子の歳を数えるようなことを始めればキリがない中で、この膨大に配信されてくる貴重すぎる映像達をどうやって日々処理していくか、これまで現場での忙しさにかまけて「積ん読」になっていた大物を一気に処理しなさい、というようなとてつもない事態が起きていたのでありました。なんせ、手持ち原稿ほぼ皆無なわけで、重厚長大、普段ならとてもじゃないが手を付けないようなものを今こそなんとかせよ、とムーサの神がご命令になってたよーな。

パンデミックな日々の間、読者対象はやくぺん先生死後のお嫁ちゃまだけの日記の隅に付けておいた「本日眺めたストリーミングリスト」をつらつら見返すに、3月上旬のびわ湖《神々の黄昏》連発を皮切りに、4月の世界大運動会延期決定緊急事態発令から今までにパソコン上で眺めたオペラ全曲は総計なんとなんと63作品でありました。いやはや、こりゃ、目が悪くなって当然だわさ。オーケストラ関係はほぼ視ていないんだけど、他にも室内楽のライヴは9本ほどあるわけだし。テレビばっかり視てちゃダメ、と叱られそうじゃのぉ。

そんな中、やくぺん先生の世を忍ぶ仮のニンゲン体が編集執筆に参加させていただいた、もうかれこれ10年とまではいかないが、随分昔のものになりつつある新国立劇場刊行『戦後のオペラ』なるガイドブックの選曲対象になる作品を列挙すると、以下。作曲年順にすればいいのでしょうが、日記からの引き写しなんで日付順です。悪しからず。

4月1日:Met《皆殺しの天使》
15日:ジュネーヴ歌劇場《浜辺のアインシュタイン》
17日:BDO《オイディプス》
25日:ROH《グロリアーナ》
26日:ハンブルク《ルダンの悪魔》
27日:シュトゥットガルト《サティアグラハ》
28日:スカラ《エンドゲーム》
5月2日:ストラスブール《ブエノスアイレスのマリア》
7日:Met《彼方からの愛》
8日:パリ《アッシジの聖フランチェスコ》
11日:シュトゥットガルト《ボリス》
13日:Met《テンペスト》
17日:SOB《バビロン》
24日:SFO《モービーディック》
26日:オペラシャム《ヘレナ・チトロノヴァ》
27日:オペラシャム《壇ノ浦》
28日:シュトゥットガルト《ヴェニスに死す》
6月1日:マリンスキー劇場《モスクワ・チェリョームシキ》
3日:オペラノース《タヒチ島騒動》
4日:ヴィーン《テンペスト》
12日:Met《ヴェルサイユの幽霊》
13日:KOB《モーセとアロン》
21日:Met《アクナトン》
22日:Met《サティアグラハ》
24日:ヴィーン《オルランド》
27日:ヴィーン《ダントンの死》

24作品、かぁ。これ以外に、見物を始めたけど「こりゃダメだ」と視聴を放棄した『ガラスの仮面』オペラがひとつありました。スイマセン、今視ておかねばいつ視る、とは思ったのですが、商売ならともかく、流石に厳しかった。他にも、まだお籠もり日程が出来ていない頃に、出演者とパンデミック騒動開始直後に東京駅で飯食ったんだからちゃんと視なければ、と思ってるうちに配信が終わっちゃったアムステルダムの《フランケンシュタイン》とか、まだ大丈夫とノンビリしてたら終わってた初台の西村作品とか、うち漏らしは幾つもあり。特に、マリンスキー劇場がやっていたシチェドリンなどは、貴重とは判りつつも…なんせロシア語で字幕なしだもんねぇ。

いかにパンデミックお籠もり中の己が暇だったか、世間に恥を晒すようなリストではありますが、それなりに興味深いものではあるでしょう。なによりも、「2020年春の時点で、世界のメイジャー歌劇場が世界不特定多数の暇してる音楽愛好家に向けて配信する価値があると判断した戦後のオペラのリスト」なのでありますね。あ、中にはYouTube上に突然出現したいつ消えるか判らぬ素性不確かなものも含まれていますが、ここに挙げたリストではパリの《アッシジの聖フランチェスコ》世界初演映像くらいかな、そーゆーアヤシげなもんは(てか、これ、酷いクォリテイであれ遺ってるんだから、正規に映像を保護しなさいよ、パリ・オペラ座さん!)。

このリスト、あらためて他人事のように眺めれば、なかなか興味深いですね。ホントの新作及びそれに準ずる改訂版初演上演時の映像は(上述の非公認メシアンを含め)8作品。ブリテンは他に《ビリーバッド》とか《螺旋の回転》とか《夏の夜の夢》とかいろいろあちこちでやっていたのだけど、あたくしめが眺めたのはこの程度。いかにも出てきそうだけどこのリストに出てきていない、例えばリゲティ、ツィンマーマン、ヘンツェ、バーバー、アダムス、等々に関しては、うしろの四作家は、少ないながらもやられていてもなんのかんのあたしゃ視られなかった、若しくはその上演のソフトが手元にあるので今回は眺めなかっただけのことです。

やはり目を引くのは、グラスの初期偉人三部作が全部視られ、演目によっては別の演出でふたつ眺められている事実。それから、アデスの大活躍ですねぇ。結局、20世紀後半のオペラの様式できっちり劇場にポジションを得ているのはミニマリズム、ってことかしら。ま、ぶっちゃけ、「今ヴィヴァルディ」だからなぁ。

放送にはいろいろと著作権の問題がありそうな「現代オペラ」がこれくらいの比率ではストリーミングされていたのに、感覚的には遙かに大流行しているバロック以前のオペラが案外と流されていなかったなぁ、などと思いつつ、敗戦直後のドイツ語圏でビュヒナーの真っ正面なフランス革命戯曲がオペラ化され極めて高く評価されたということに「戦後」という言葉の意味を反芻しつつ、パンデミック下「戦後のオペラ」鑑賞反省メモでありましたとさ。

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ネット上でのサロンの作り方 [パンデミックな日々]

パンデミックお籠もりの四分の一年の間に、最も大きく変化したのは所謂「インターネット環境」でありましょう。学校も会社も、はたまた音楽業界も、ネット上にみんな集まって会議したり話したりするのが大流行、ってか、もうそうするしかないからそんなことをやってる。株を買うならAmazonじゃなくてZoom、って頃もあったっけ。

そんな世間の風潮の中で、コロナ前に現役隠居宣言をきめこんでたやくぺん先生ったら、そんなもんに一切手を出さず、お仕事の相手側の要請で仕方なくWhatsAppをダウンロードしたくらいで、他はSkypeなりFACETimeなり、もうPCやら携帯やらに勝手に入っちゃってる「顔テレ」ソフトをご家族で使う程度の老人っぷり。オンライン飲み会などなにがたのしゅー、って時代遅れの偏屈爺を通した三ヶ月でありました。

そんな中、本日午後に今更ながらにZoomとやらをダウンロードしセッティングを始めたのは、Zoomを用いたこんな集まりがあったから。

「昨日の常識、明日の非常識-コンサートホールの公演制作はこれからどうなる、もやもや雑談会」Privé · Organisé par Kazumi W. Minoguchi

ま、ぶっちゃけ、上野藝大GA(めんどーなんで説明しません、「藝大 GA」でググれば出てきます)の某教室、上野の音楽部校舎入って真っ直ぐ行き、階段で2階に上がって曲がって曲がってふたつめ、道の向こうの奴ら含めた学生やら演奏家やら、先生なんぞも勝手に溜まってお菓子開けたりお茶飲んだりしてる、ときには某弦楽四重奏が練習していることもあるMinoちゃん部屋を、電脳上でやってみよう、ということ。

お声がけしたのは、上野のたまり場に出入りしていた(いる)連中、それに電脳上にいらっしゃるホステスの業界お友達関係の皆々様。世代は70代から20代、演奏家さん、アーツマネージメント関係者、ホール関係者、舞台現場関係者、マネージメント関係者、オーケストラ関係者、ひょーろんかさんやがっこの先生、はたまた美術関係の方まで。梅雨の戻りというには半端に暑苦しい夜の8時から延々2時間ちょい、高度成長期の小学校1クラス分くらいの人が画面上に顔を出し、勝手なことをだべっていたのでありました。

ネットのだべり会というのは「似たような分母の人達」が集まり蛸壺化するのが基本のようですけど、可能な限りそうはならないように、ぐちゃぐちゃな異業種、異世代、違う世界の人達が、「アート関係で今困ってる」ってことだけを共通項に顔を出してくださいました。

無論、50人がたがいても喋れるのはひとり、という空間ですから、ホントのライブのサロン(=だべり場)のようにあっちこっちで勝手な集まりが出来て話が盛り上がるのは無理。そういうのはチャット空間で散発的には起きたようでしたけど、まあ、これはもう仕方ないのでしょう。

やくぺん先生としましては、あとから説明をされても面倒なんで家庭内情報共有のために口は出さずに眺めるだけのとんずらを決め込み、ちょっとチャットに突っ込むだけで静かに拝見しておりましたです。で、後の自分のメモとして感じたことを列挙。完全に防備録ですので、悪しからず。

★ホステスは意図的に若い世代に話を振っていたけど、やはり「これからいろいろ自分らで作っていく」未来が仕事の人達と、「今あるものをなんとか格好付けられるようにしていく」現状への責任世代の人達とでは、今回のパンデミックに対する接し方や感じ方がまるで違うのだなぁ。当たり前過ぎるけど、やっぱり目の前でそういう現実を見ると…

★首都圏外でコロナ禍を過ごしていらっしゃる実演系の若い方の話は、やたらと足が地についていて、やっぱりコロナ後は地方拠点が正解、っていう気がしてしまうぞ。

★これまた首都圏外の某大都市の方から、「音楽家はこの先は専業プロではなく、マルチタスクのひとつとして音楽があるという形になるのが普通なのでは」というご意見。これって、要は「プロの演奏家として喰っていけるなんてホンの一握り」という昔からずっと言われている真実を現状に合わせて言い直したのでしょうけど、とっても説得力がありましたです。

★こういう緩い集まりで、異業種の様々な人があつまりつつ、実はそれぞれが支え合っているという状況を眺めるに、今や英米情報産業中心地で崩壊が叫ばれている「業界」ではなく、「エコロジーなシステム」という捉え方の方がこの先は正しいのかも。

★音楽事務所とすれば、多くの公演が「来年に延期」となったお陰で、来年の予定していた公演のブッキングが出来なくなってしまっている。ううううむ…こういう苦労話はあれやこれや。

★公共ホール関係者さんからは、226アベ要請直後にアマチュア演奏団体からの練習場仕様キャンセルや問い合わせが頻発したこと、その後もこの先の活動をどうしたらいいかままらならぬ様子が「練習スペースの貸し出し」という視点から見えているようで、ぶっちゃけ、アマチュア演奏活動の衰退はそんな現場からも危惧される状況になっているようである。

★なんのかんの具体的すぎる話も多かった中で、いちばん面白い、といっては叱られそうだけど、とりわけ興味深かったのは、現政権がコロナ対策よりも熱心に薦めようとしている「GO TOキャンペーン」は、既に現場にいろいろな混乱と困惑を巻き起こしているという話。毎度ながら、経産省と広告代理店がやってる我が御上は…としか言えんわいのぉ。

★流石のノンビリしたクラシック音楽の世界でも、良くも悪くもやっぱり「政治」やんないと駄目じゃない、という空気が少しは出てきているのか……

ま、メモを取っていたわけではないし、録画も敢えてしていなかったそうなので、こんなものかしら。

これだけ詰め込まれていると、殆どの人が話が出来ず眺めているだけになってしまい、最新テクノロジー万々歳と手放しでは言えません。でも、ま、こういう形でサロンが開かれ得ると判っただけでも良かったのかしら。今や鎖国状態で絶対に訪れられない遙かオランダなんぞからの顔も見えたわけだし。

なお、ホステスは次回もやる、と申しております。倒れない程度でお願いいたしますぅ。

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