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歴史の語り方あれこれ [現代音楽]

本日午後、東神奈川のJRと京急が並走する間の空間に幾つも存在する横浜市立ホールのひとつで、こんなイベントがありましたです。
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このホールのレジデント・アーティストをなさっている打楽器の會田瑞樹氏が「現代音楽を語る」というレクチャー。演奏家さんがレクチャーするというと、実際のところは演奏が9割であとは四方山話、ってのが殆どですけど、ヴィブラフォンとピアノが置かれた練習室での會田氏、演奏も勿論ながら、しっかりと極めて興味深い内容を語って下さいましたです。この類いのミニレクチャー・コンサートとしては驚異の充実ぶりの100分弱でした。

内容に関しましては、會田さんご自身があとで書き起こしを公開するかも、と仰ってますので、請うご期待。とはいえ、敢えてちょっとだけポイントを記しておけば、「歴史は個人の視点で語る以外に方法はない、という前提から、現代音楽の歴史をヴィブラフォンを専門とする打楽器奏者が語る」という前例のない試みです。ですから、20世紀の「戦後ゲンダイオンガク」のパラダイムにいらっしゃるある世代以上の「クラシック音楽系現代音楽愛好家」さんからすれば、ちょっと想像も付かないビックリな切り口で語られます。

そもそもこの類いの議論をするときの入口での堂々巡りたる「現代音楽って何?」に関しては、極めて明快。ニッポン語文化圏でのボンヤリとした常識の「戦後(あくまでもニッポン文化圏での「第2次世界大戦日帝敗戦後」という意味ではなく、第1次大戦後の世界)」を「現代」とします。その理由は、「打楽器という工業製品が作曲家が楽譜に音程を記すに値するまともな楽器と認定され始めたのがその頃からだから」という。ふーむ、なるほどねぇ。打楽器奏者が語る歴史とすれば、妥当この上ない認識ですね。

で、「現代音楽」の始まりは、《兵士の物語》最後の打楽器独奏。なぁるほどねぇ。以降、ミヨーやらヴァレーズ、はたまたチャベスらによる創作。ヴィブラフォン奏者による自らのレパートリーの開拓(皇紀弐千六百年騒動の頃に独学で日本初のヴィブラフォン独奏曲を書いていた演奏家兼作曲家の作品演奏などを挟みつつ)、楽器の発展と創作に及ぼした影響(パーシー・グレインジャーがシカゴの打楽器メーカーからの委嘱で書いた、譜面に特定の会社の打楽器を使う指定がある楽譜を回覧したり)、そして今の安倍圭子さんや、この夏は秋に初演する北原白秋の詩に拠る作品を作曲で缶詰だったというご自身に至る、という議論の流れ。

シェーンベルクもヴェーベルンも、ブーレーズもシュトックハウゼンも出てきません。演奏された音楽は、変拍子はあっても無調はありません。柴田南雄とも、マコトニオ・モンロイとも、はたまた博学片山センセーともまるで異なる「現代音楽の歴史」でありました。

うううむ、自分が常識として扱ってきている「音楽史」は一体誰の視点で語られたものなのか、イヤでも考えざるを得ない、猛烈に刺激的な時間でありました。これを横浜の御隠居たちが暑い夏の平日午後に面白がって聞いているのだから、いやぁ、新帝都首都圏ってのはスゴいところでんなぁ。

んで、そんなレクチャーが終わるや、ゴメンと客席から手を振り、目の前のJR東神奈川駅から帰宅の通勤通学列車に飛びこみ菊名で乗換え、通勤客は反対方向でガラガラじゃろと思ったら意外にも夕方ラッシュの東横線に乗り換え、そのまま渋谷新宿の下を潜り、池袋に向かいます。こんな演奏会。
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いやぁ、正に「歴史の語り方」第2部というか、実践編というか。

特別演奏会とはいえ、オーナーさんが某右派系コングロマリットから某音楽雑誌を買い取った会社なんで、メインとなる北原白秋作詞「皇紀弐千六百年祝奉」の神武東征譚に涙したい方々が詰めかけているかと思いきや、肩すかし。定期でサラッとやっちゃいました、という空気の演奏会。冒頭、ボンクリ芸劇ではスターの作曲家さんの手堅く纏めた委嘱新作も、ついでにサラッとやっちゃいましたぁ、って。

最近は大流行のこの《うみゆかば》作曲家さんの大作カンタータ、キューシュー島は温泉県に縁を持つようになってから始めて聴きましたけど、擬似古文の言葉がこんなに聞き取れたのは初めてかも。とはいえ、だからって内容が分かるもんでもなく、話を知ってないと付いていけないのはこの類いのヘロドトスや司馬遷以前の「歴史語り」としてみれば、仕方ないことでありましょう。個人的には、宇佐でガメラやら子供やら突然が出てくるのはどうしてなんだろうなぁ、なんて温泉県民以外には気にならんじゃろところにひっかかったりして。作品としてはユニゾンの力押し一本槍、それはそれで割り切ったもんであるなぁ、とあらためて思わされたでありまする。大阪上陸から大和平定の辺り、管弦楽の後奏でサラッと流しちゃって残念至極、ここで大暴れがあれば《クレルボ》くらいにはなれたかも…というと褒めすぎかしらね。

歴史の語り方にはいろいろある……そんな当たり前のことをガッツリ目の間に示された、いつまでも暑い新帝都首都圏の夏の終わりでありましたとさ。

[追記]

なんと、會田瑞樹氏がご自身のBlogでレクチャー全文を書き下ろし掲載なさっております。こちらを読んでいただければ、当電子壁新聞記事など不要ですな。じっくりどうぞ。
https://marimperc.hatenablog.com/entry/2023/08/31/%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%8F%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E3%80%8C%E6%9C%83%E7%94%B0%E7%91%9E%E6%A8%B9%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B_%E6%89%93?fbclid=IwAR1bsvneEIY91Fhs-kxPNK25a-jJZ9MYBgwN6ZgnjvHejGdNJz1cAK17-ow

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サントリーサマーフェス2023はホントに祭りだった [現代音楽]

毎年夏の終わりに開催され、新学期前の音大作曲科学生さん達やら若い「ゲンダイオンガク」系奏者が結集する夏の祭り、サントリーホール・サマーフェス2023が今年も恙なく開催されたでありまする。

…っても、今年はいつもの「欧州のメイジャー系現代音楽のプチショーケース」だけでは済まなそうだったのは、プログラム全体像から明らかでありました。

コロナ騒動勃発直前のヴィーン国立歌劇場で「劇場初の女性作曲家新作上演」と盛り上がって上演され、衣装がコムデギャルソンの日本の人だったりしたことでも話題になった(のか、ならなかったのか…)、今がインの作曲家オルガ・ノイヴェルトをメイン作曲家にフィーチャーした毎年恒例王道の正統派欧州メイジャー系現代音楽潮流紹介と、毎度ながらの音大生夏祭り「芥川也寸志作曲賞」、それに加えて、どういうわけか同時期に行われているのに神社の向かいで勝手にやってるみたいな不思議な扱いになっていた湯浅穣二作曲家の個展
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20230825_M_3.html
更には溜池離れた内藤新宿でも、日本フィルさんがモサドやKGBよりもつおいパパを持つカリスマ落合陽一プロジェクトをやってたり
https://japanphil.or.jp/concert/20230823
なんだかトーキョーはスゴいことになってるなぁ、と遙か温泉県盆地からボーッと眺めていたわけでありまする。

んで、話を溜池に戻せば、今年の溜池ゲンダイオンガク夏祭りのもうひとつの柱が、こんなトンデモなものだったわけでありますな。
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/feature/summer2023/producer.html
どういうものかは、上の公式URLをご覧になって下さいませ。やくぺん先生ったら、夏の終わりの関東甲信越音楽祭巡り新帝都編ということで、溜池のこの「ガムランもどき祭り」だけは拝見させていただいたわけでありまする。ま、どうしようか迷っていたノイヴェルト様紹介も、結局、室内楽だけ先程拝聴させていただきました。感想は…オリベッティのホントの音を知らん奴はダメじゃな、でんがな。

さても、その「ガムランもどき祭り」でありますが、どんなものだったか、後の自分の為のメモとして記しておきましょうぞ。先週の金曜日からの3日間、ブルーローズの真ん中にインドネシア風東屋を仮設し、ステージ側ではない2面には屋台が出て、ガムラン楽器にインスパイアされた創作を次々と繰り広げ、客はその辺に勝手に座ったり寝転がったり、はたまた並べられた椅子に腰掛けたりして見物する、という出し物。正に「神社の境内に舞台が仮設され、なんかいろいろやってるわい」ってものであります。これが話題になった、入場者数確認を兼ね入口で渡されるうちわ。くれませんじゃだっく!
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東京音大の助教くんが頑張るガムラン・アサンブルのワークショップなんてまともなものから、一昔前の前衛舞踏風のアヤシげなオジサンが妙な人達にあれこれ指示しながら踊る出し物やら、なんとも騒々しい創作インドネシア影絵やら、それこそ深川八幡さんの夏祭りで何故か毎年披露されるガムラン・アンサンブルなんかと似たようなテイストのものが、ニッポン国クラシックの聖地たる溜池で繰り広げたわけであります。

んで、その集大成となったのが、昨日日曜日夕方からの「ガムランを脱構造化した作品群」としか言いようのない大ホールでの演奏会。個々の作品については…まあいいや。大真面目なガムラン再構成、かなりあざとい今風のいかにもガムランっぽさ狙いの新作、たった20年前の作品というのにすっかり古典的な佇まいのホセ・マサダ作品、と紹介され、最後にステージに上がったのは、野村誠の新作であります。

そもそも「作品」といっていいのか良く判らない野村氏の仕事、それこそハシモト文化切り旋風吹き荒れる大阪でセンチュリーが生き残りを賭けたワークショップ型創作くらいから、北千住近辺で盛り上がってるだじゃれ音楽祭、そして野村氏が京からキューシュー島は熊本に居を移してから日田やら不知火やらで展開されている様々な活動を遠くからぼーっと眺めている身とすれば、あれこれ納得の「集大成」。ヒジャブのお姉さんがこともあろうにウィスキーの瓶叩いたり、相撲取りが出てきたり、最後はみんなが舞台上で綱引きしたり、ってのも、「あああ、野村誠ワールド、とうとう溜池はサントリーの舞台にまで上り詰めたかぁ」って感慨ひとしおでありましたです。野村さんとすれば、いやいやこんなもんに感慨されても困る、と仰るでしょうけど、天下のサントリーがとうとうこういう「コミュニティ巻き込み型創作」をひとつの立派な「2023年の最先端現代音楽のあり方」として認めざるを得なくなったんだなぁ、と感無量でありましたです。はい。

とはいえ、これまでの野村氏の地域プロデュース型創作活動に触れる必要などなかった王道の評論家さんやら、諸井誠・柴田南雄的な正当派「西洋音楽史」を常識と信じる真っ当な教養人知識人の皆さんは、これをどういう風に受け取るのであろうなぁ、とお節介なことを思わずにもいられないのでもありまする。所謂「ゲンダイオンガク」に無茶苦茶詳しい人であればあるほど、この野村作品の相撲やら綱引きは
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元祖さぶいダジャレの帝王シュトックハウゼンの《光の火曜日》第一部のパクリと思うかも知れないし、インタビュータイムやら聴衆に向けてのインスタ撮影の煽りなどは、同じく《水曜日》のディスカッションタイムと同じと言われそうだし。「自分の知っているものの文脈で目の前に起きていることを理解する」という人間の習性からすれば、この舞台にどんな議論がされるのだろーなぁ。いやぁ、楽しみだこと。ま、少なくとも野村氏ご本人は、そんなことは一切考えてないでしょうけど。

サントリーホール・サマーフェスティバル、今年はホントに「夏祭り」でした。こういう「例大祭」(裏祭りかな?)が3年に一度くらいあると、それはそれで面白いんだろうけどねぇ。ちなみに来年は、アーヴィン・アルディッティ御大半世紀祭りだそーな。王道なりっ!

[追記]

その後、昨晩の大ホールでの演奏会を巡ってはSNS上でいろいろと興味深い議論が展開されているようですがぁ、残念ながらというべきか、あの作品をシュトックハウゼン作品と関連付ける議論は全く出てきてませんね。うううむ、《光》チクルス、まだまだニッポンのゲンダイオンガク界隈ではマイナーなのかぁ…

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《光の日曜日》日程出ました [現代音楽]

数ヶ月前に仙台でマキシム・パスカル氏に遇ったとき、「2日かかるしねぇ、週末を挟むのか…グダグダグダ…」みたいな調子で今は別のことで頭いっぱいという感じ。ああこれは今は突っ込めないな、ともかく11月で2日以上かかるのか、ということだけしか判らなかった2023年のル・バルコン《光》チクルス、やっとフィルハーモニー・ド・パリから発表がありました。なんでこんなに遅かったんねん。

とにもかくにも、こういう日程です。
https://philharmoniedeparis.fr/fr/activite/opera/26250-karlheinz-stockhausen-sonntag-aus-licht-scenes-1-et-2
https://philharmoniedeparis.fr/fr/activite/opera/26117-karlheinz-stockhausen-sonntag-aus-licht-scenes-3-4-et-5

まず、演目はなんと《月曜日》ではなく《日曜日》です。なるほど、だから2日かかるとか言ってたのね。

この作品、第5場にふたつの会場で別の事が平行して起きている、というトンデモな箇所があり、それをどう処理するかが上演上の大問題。当然、シュトックハウゼン御大はなーんにも考えていないままに遠くの宇宙に去ってしまい、世界初演のケルン・メッセ・ドイツでのケルン歌劇場の上演では、「2回演奏して聴衆はふたつのグループに分かれて交代に聴く」という手を取ったようですね。

今回は、1&2場が2日、3場から「サヨナラ」までが1日って発表されてるけど、これ、ホントなのかなぁ。更には、問題の「会場から遙か離れたところで誰も聴いていないのに演奏する」というトンデモなパートがあるんだけど、これはどうするんでしょうかねぇ。あれ、作曲されてないんだっけか。

ま、とにもかくにも日程が出ました。自分へのメモとして、まずは記して起きます。

来る木曜日の晩にはシテ・ド・ラ・ムジーク辺りをウロウロしている予定なんで、現場でいろいろと眺めて参ります。関心のある方はほぼ皆無でしょうが、ま、詳細はもうちょっとお待ちあれ。土曜日にはレヴィ・ストロース劇場でル・バルコンの演奏会があるので、顔を出そうとも思ったんだけど、ある方から飯食おうという話になっていてダメそうなんで。

ちなみに明日のアルディッティQのブーレーズ《リブール》全曲、なんとなんとチケットが出てるようです。早々と売り切れになっていたので、諦めて欧州到着を最安値の12日夜のフランクフルトにしてしまったんだけど…ううううむ、まあ、こういうこともあるわなぁ。いやはや。

[追記]

シテ・ド・ラ・ムジークのカフェにおります。先程、ボックスオフィスに行って来たら、本日から来年度のチケット販売開始でもう朝から忙しくて、とおばちゃんが嘆いておりました。で、ここでも買えるの、と尋ねたら、買えるわよ、というので、いきなり11月の《日曜日》のチケット、これ3公演全部くれ、と積み上がっているピカピカの到着したて来年度シーズン冊子のページを開いて出したら
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ゴメン、今日から売ってるのはシーズンセット券で、一回券は来月15日からなのよ、来月来てね、とのことでありましたとさぁ。

それにしても、なんで昨年と同じく《光》サイクルと《浜辺のアインシュタイン》を続けてやるんじゃ、仏蘭西国は。ハーディング御大のマラ8って、NJP最後の公演が懐かしいなぁ。

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「ゲンダイオンガク」から「同時代の音楽」へ [現代音楽]

明日までの新帝都滞在、その間に金沢富山に1泊プチツアーがあったとはいえ、実質2週間の間に、あれやこれや涙を飲まねばならなかったものがあったにしてもコンサート会場に座ったのは13回なので、一応は1日ひとつのペース。ま、なんとかお仕事はしてます、というギリギリですな。その間に完成稿はひとつだけ、未だ零稿状態で依頼規模の5倍くらいになりそうなでっかい原稿はまだ未完の未完でやっと半分。来る月曜朝〆切厳守の短い原稿は取材問い合わせの返事がまだ来ておらず、流石にちょっと焦り始めている、ってな状況。そんな中に、4月の統営から欧州へと続く実質3週間以上のツアー、更には5月の大阪国際室内楽コンクール缶詰の直後に別府アルゲリッチを捨てて香港に二泊三日で行かねばならぬ用事が一昨日に突然浮上し、あいもかわらずバタバタぶりでありまする。ふううう…

とはいえこの2週間弱は、オペラやらオーケストラやらという「新帝都にいるんだから聴いておかないとマズいなぁ」というメイジャー系なものはほぼ皆無。一昔前の若杉弘プロもかくやというメッツマッハー御大の「コワくない娯楽要素満点の新ヴィーン楽派」大会に始まり
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今や西の(熊本の)野村誠と並び立つ東の正横綱、ニッポンを代表する二大人気作曲家のひとり川島素晴が杉並公会堂地下に満員の聴衆を集めて自作陶器叩き絶叫する個展
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金沢の駅前のニッポン一の室内管と
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東京は神田川大曲になんでもやれちゃう若手集めてやりたい放題やったドイツ語圏最大の人気の三刀流異才にして同時代音楽界の大谷翔平ヴィドマン大旋風、隣の大ホールでの大野都響《復活》なんぞに負けるかと上野の杜の小ホールで知る人ぞ知る気合いの入った作曲とヴァイオリンの二刀流を披露した松原勝也独奏会
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そして昨晩は、卒寿まであと1年の80代とは信じられぬ「昭和の空気と抒情」をこれまた満員の早稲田の裏路地に振り撒いた會田瑞樹による全曲水野修考マリンバリサイタルと続き
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本日はこれから墨田トリフォニーで小曽根誠クラシック系創作の最高傑作との声も挙がっている自作自演協奏曲世界初演から、なぜか弦楽四重奏の聖地鶴見を会場とする加藤訓子のライヒやら快刀乱麻のソロリサイタル…

うううむ、13公演のうち8つが所謂「現代音楽」に分類されかねない(ギリギリ含め)、なかなかに充実した2週間になっておりまする。小規模な演奏会に関しては、温泉県田舎町拠点から出歩ける九州北部地域福岡帝国でも(ニッポン全土への情報遡及力はどうあれ)それなりに充実した音楽生活が展開している状況はこの1年ちょっとの二重生活で判ってきたものの、やはり新作やら世界最先端の創作に関しては、新帝都拠点の意味はあるかなぁ、と思わされる日々でありますな。ちなみに純粋室内楽系は、ドーリックQと元ソレイユのデュオ、それにエクらオクテットだけですので、つくづくこのジャンルからは引退なんだわいと感じる今日この頃でもあるぞよ。

で、興味深いのは、この8公演の演目の中に所謂「ゲンダイオンガク」とカタカナ書きジャーゴンで記されるジャンルの作品がほぼ皆無である、という事実であります。

冒頭のメッツマッハー御大の作品選択が、まるで所謂戦後前衛の「メロディがなく聴いても何をやってるか判らない」という方向に20世紀半ば欧州中央の芸術音楽創作が向かわなかったらどうなっていたか、試してみるようなものだったのは、なんとも象徴的ですな。つまり、「12音技法」なんてのがヨハネス・マティアス・ハウアーなんてマニアしか知らぬジュズワルドみたいな位置づけのカルト作曲家の作風に留まり、60年代ダルムシュタット楽派の前衛三羽烏などの「ゲンダイオンガク」が音楽史上になかったら、どんなシリアス・ミュージックの世界が広がっていたか、どんな音楽史が語られていたか、そんな知的実験みたいな日々だったわけであります。

無論、ヴィドマンの創作は「戦後前衛の面白いとこ取り蔵出し大会」みたいなところがあるわけで、それこそ前衛三羽烏とフルクサスの対立、ラッヘンマンやカーゲルら楽器弄りの実験、ライブエレクトロニクスやテープ音楽などなどの音楽史の正史的な流れがあってこその存在であることは百も承知、それらのエッセンスだけをありがとう御座いましたと使って楽しく創作する、そうだなぁ、誤解承知で言えば「ゲンダイオンガク界のメンデルスゾーン」ですかね。前衛音楽の傍流であり続け、かといってソ連流の音楽のあり方とも一線を画していた「千葉のマーラー」水野修考の復権も、似た流れでありましょう。新日本フィル創設半世紀の新作委嘱が、細川やら藤倉ではなく小曽根、ってのも21世紀20年代だなぁ。

マジで、そろそろ「戦後前衛のコワいゲンダイオンガク」を時代様式としてひとまとめに出来る用語が必要になってきているなぁ、と思う冬の戻りの朝でありましたとさ。

さても、情報待ちながら移動しつつ、あとコンサート4つ。日曜は朝一で成田、4月5日に統営経由で舞い戻るまで、また列島西と半島南の2週間じゃ。ホントに半島が近くなったこと。

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春のヴィドマン祭り絶賛開催中! [現代音楽]

去る木曜晩の溜池に始まり、本日は金沢は石川県立音楽堂、明後日月曜日は新帝都大曲と梅も見頃桜もそろそろのニッポン列島はホンシュー島で繰り広げられている「春のヴィドマン祭り」、大いに盛り上がっておりまする。

世間では讀賣グループがすっかり電波ジャック状態の世界棒玉大会でエースピッチャーにして四番打者「二刀流」のオータニなる方が盛り上がっているよーだけど、それならヴィドマン御大ってば、クラリネット独走者、指揮者、そして言わずもがなの作曲家と、文字通りゲンダイオンガク世界を越えた欧州クラシック音楽業界の「三刀流」の大スター。春浅い溜池ではヴィオラ協奏曲で聴衆の度肝を抜き、他の作品をすっかり霞ませ、まずはいきなり切り札「作曲家」として堂々たる暴れっぷりを新帝都に知らしめたとのこと。やくぺん先生ったら、今や西の野村誠と並びニッポン列島を代表する二大作曲家と断言しても異論はない(わけなかろーが)大人気スター作曲家川島素晴の個展なんてもんで前夜にすっかりやられてしまい、これの濃さ10万倍人作品としての長さ数倍のヴィドマン御大に連日付き合うのは老人の精神的な体力を遙かに超える作業なので、泣く泣くパスさせていただきました。ゴメン、関係者の皆様。

本日はコンコースに乗客が溢れ改札口へのエスカレーター規制が行われる程の大混雑っぷりの金沢駅前、ヴィドマンがどんな奴かさほど情報があるとも思えぬ古都のちょっとセレブっぽさも漂う善男善女が座る前とあってか、「20世紀前衛の遺産を才気煥発に楽しく聴かせるミシュラン三つ星の闇鍋」たる作曲家としての資質は可能な限り表に立てず、ニッポンでは最も未知数な「指揮者」としての姿を初めて天下に現すことになるとあって、大川端縦長屋を朝に出てシンカンセンに飛び乗り、由布院駅前もかくやという雑踏へと飛びこんだ次第。
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んで、この「指揮者ヴィドマン」ですがぁ、なんとまぁ、無茶苦茶面白かったでありまする。まずはクラリネットを持って登場、弦楽合奏にハープ、チェレスタという脳内に??????が飛ぶ編成の小管弦楽を前に、メンデルスゾーンの誰も知らない若書きクラリネット・ソナタの緩徐楽章の小管弦楽協奏曲編曲を披露なさる。この編曲、その編成からしてどう考えても「わぁい、モーツァルトの協奏曲の後に格好のアンコールピースがあるじゃないかっ!」と世のクラリネット独奏者を喜ばせるために書いた…とは思えぬ。こんな妙な編成で、コンマスソロとかいっぱいあって、弦楽器はハーモニックスでヒューヒュー音程難しそうに鳴き続ける曲、ヴィドマン以外のソリストが頼んだってやってくれやしません。

聴衆が「なんだこれは」と思ったところで、いきなりこの日のメインたる序曲《フィンガルの洞窟》を指揮し始める御大なのであーる。これがもぉ、そーねぇ、ヴィドマン作曲「春分も近い春の休日の午後に客でごった返す観光地駅の雑踏で演奏される《フィンガルの洞窟》」ってなもんでしてぇ、テンポ、なによりもダイナミックス、何の版を使ってるんだぁ、なんて騒ぎではなくもう編曲ギリギリ。「欧州でいちばん売れてる代作曲家」だから許されるもんでありましたです。

それに続く自作《コン・ブリオ》は、ベートーヴェンの7番と8番だかの演奏会の間に挟む小品としてヤンソンス息子に頼まれて書かれたとのことで、コロナですっかりダメだった数年前のベートーヴェン記念年にはいっぱい書かれた「ベートーヴェン全曲の間に挟む楽聖オマージュ小品」系列の作品ですな。これって、正にヴィドマン御大の本来業務みたいな課題で、ベートーヴェンという作曲家の本質たるパワーと、リズムと、sfzやらsfffやらをギュッと濃縮したような音楽。開演前のご本人ヴィデオでのプレトークでも仰っていたように、実質的にティンパニー奏者が撥を幾つも持ち替えて叩きまくるティンパニー小協奏曲としても滅茶苦茶楽しい娯楽ピースで、なるほどこういう作曲家さんなのかと悟り始めた金沢の聴衆も素直に大喝采となったのであーる。

後半、クラリネット一本でやりたい放題の自作をチョロッと吹き、来る月曜日にトッパンで大々的に展開するであろー独奏者としての名刺をあらためて提示。んで、いよいよメインイベント、《ジュピター》でありまする。冒頭ハ音fドッカンから始まる1小節の後、休符挟んだ2小節目から4小節目のpの弦だけで、ああああああなんてことをおおおお、って。恐らくはマーラーとかだったら、最初に書かれたfはffffで、休符の上にフェルマータを置き、弦にはpppppppで記すだろーなー、更には音色指定の言葉も記すだろーなぁ、ってな音楽です。そっから先は、もうすっかりこの調子。特に古典作品では常識の「テンポを維持する」なんて考えはまるでなし。伸びたり縮んだり、膨れたりしぼんだりの軟体動物みたいな、でも全体には「コン・ブリオ」で突っ走る細身快活ジュピター選手でありました。とはいえ緩徐楽章がウンと遅い、ってことはなく、あくまでも基本は「イケイケ」です。ティンパニーがモダンでも、多彩な音色が要求されているからとてもじゃないがバロックの固い音しか出ない楽器じゃ無理、これはもうしょーがない、って。最後の5声のフーガが、意外にも意図的なツクリモノ感がなかったのは、このやり方はありということなんでしょうねぇ。

てなわけで、やりたい放題の、口の悪い人ならこれまた「ヴィドマン版ジュピター」と呆れそうな音楽で、もう春吹っ飛ばして夏真っ盛りって熱い金沢音楽堂でありましたとさ。終演後のアフタートークに登場したOEKクラリネットさん曰く
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ヴィドマン御大って、スゴく人間的に出来た人とのこと。オケのスタッフによれば、これだけの無茶苦茶やってもオケマンが面白がってついてくるどころか、イケイケドンドンにさせられる、ってんだから。へええ、「人間的に出来た作曲家」なんて「黒い白馬」みたいな形容矛盾だと思ってたけど(人の良い作曲家なんていません、断言します!)、だからこそこれほどの売れっ子になってるのかなぁ、なーんて思ったりして。

春のヴィドマン祭り、いよいよ最終公演は新帝都は大曲での「クラリネット奏者」編であります。新帝都の皆の衆、現代音楽界の大谷翔平の登場じゃ、東京ドームなんて行かずに隣の大曲に集まれぇ!
https://www.toppanhall.com/concert/detail/202303131900.html

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プッチーニがやりたくても出来なかったこと? [現代音楽]

なんのかんのあったんだけど、ともかく上野の杜は東京文化会館に午後2時過ぎになんとか辿り付き、無事に当初の予定通りルチアノ・ベリオ作曲《プッチーニ「トゥーランドット」第3幕後半の音楽》の舞台付き上演を聴いて参りましたです。ゴメン、2幕からは間に合ったけど、プッチーニさんがお書きになった1幕、まるまる聴いてませんっ。

この上演、どうやら世間ではプッチーニ作曲《トゥーランドット》(ベリオ補筆版)という認識のようで
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恐らくはそのお陰でありましょうぞ、春も近く寒桜チラホラ咲く日曜午後の上野公園口の会場を埋めるほぼ満員とも思える人々ったら、文字通りの老若男女、ってか、やたらと若い人が目立つ驚くべき状況。
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「クラシック音楽客層の高齢化」なんて何処吹く風、まるで1950年代の労音勃興期、ニッポンで最も「クラシック」が人気があった頃もかくやと思わせる風景が広がっておりましたです。なんなんじゃ、これは?オペラ、そんなに若い世代にインなのかぁ?

ま、その「なんでやねん?」はまた別の話。本筋のベリオの《トゥーランドット》について。なんせひとつのオペラ上演としては前述のように第1幕まるまる聴いてないんで(それでも、当初の予定では3幕だけと思ってたんで、まだ立派なもんじゃわい)、まともな感想など書ける筈もない。ですから、あのレーザー光線はなんなん?ピンポンパンのキャラクター歌手任せっぽい乱暴な動きはなんなん?等々は不問。商売もんの作文じゃないんだから、ジュネーヴの広報さんに「おたくでやったときはどんなんだったの」なんて質問のメールを入れたりしませんっ。以下、文字通り、感想になってない感想以前ですな。ま、「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする当無責任電子壁新聞を立ち読みなさってる酔狂な方には、今更言うようなことではないでしょうけど。

ええ、世間には「大作曲家の未完の作品」というのは案外あって、その中でも遺された部分が余りに素晴らしいのでなんとかして上演されている、という作品はそれなりの数がある。このプッチーニの最期の作品の場合は、癌で亡くなってしまったので…というのが未完の理由でそれはもうはっきりしているようですけど、誰がどう考えても強引としか言いようがない結末部分をどう処理するか、延々と悩んでいたから未完になってしまったわけで、シェーンベルクが《モーセとアロン》の最後の部分を台本は自分で書いていながらとうとう最後まで作曲出来ずに演劇としてやってくれと白旗挙げたとか、ベルクが《ルル》の3幕1場の無駄に人がいっぱい出て来るパリの株暴落シーンを処理仕切れずに逝ってしまったとか、そんなんと似たようなところがある。やっぱり冷静に考えれば、「プッチーニは上手く書けなかった」と判断すべきなんでしょう。別にプッチーニさんにダメ出しをしてるわけではなく、ドーナッツ盤レコード片面3分ちょっとで収まる旋律一発の力にかけては史上最強空前絶後の方にとって、些か異なる芸風が必要とされるフィナーレだった、ということなんでしょうねぇ。

で、トスカニーニ御大がどうだこうだという有名すぎる史実もあるわけだし、アルファーノ補筆はどんなにダメダメと批判されようがそこまでが魅力的過ぎるからともかくお話を終えるためには必要なわけだし、世間ではそれで通ってきた。だけど、やっぱりどう考えても「幼児期トラウマを抱えた権力者が、自分のせいで自害する奴を眺めて心を入れ替える」という猛烈に難しい、これじゃモンテヴェルディやヴェルディだって頭を抱えるぞ、って素材をきっちり1場のみで収めろというのですから…

んで、ベリオが登場するわけですね。この作曲家さんの創作に於いて、「引用」とか「コラージュ」とか、はたまた「編曲」と呼ばれるジャンルは、極めて本質的な位置を占めているのは皆様よーくご存じの通り。今風に言えば、リミックスの想像力というか、DJさんなんかがやってることを作曲技術の手練れが本気でやってくれていて、《シンフォニア》とか《レンダリング》とか、はたまた複数のビートルズ編曲とか、恐らくはこの作曲家の代表作とされるようなものがいっぱいある。

この《トゥーランドット補作》と呼ばれるオペラ作品も、ぶっちゃけシューベルトの未完の三楽章交響曲をベリオが補作したとされる《レンダリング》と同じ趣旨と思うべき音楽なのでしょう。リューの死までがプッチーニの創作で、そっから先はベリオの作品と思うべし。やってることは、プッチーニの素材も使いつつ、今から100年くらい前に欧州のオペラハウスで流れていた最も尖った響き、《グレの歌》を聴いて「こんなものを聴きたかったんじゃない」と怒ったという自分の芸風とは違う最先端をしっかり知っていたプッチーニが、やりたくても出来なかったようなところに足を突っ込んだ「もしかしたらプッチーニさん、ホントはこういうの書きたかったんじゃね」って音楽ですわ。トゥーランドット姫の心変わりは、基本、カラフとの二重唱ではなく、R.シュトラウスみたいなモチーフ病とは違うものの、まるでこの当時に大流行だったシュレーカーの作品と言われても納得しそうな「メロドラマ」で処理してしまう。2幕のピンポンパンの場面でも裏に透けて見えていた《グレの歌》の道化の歌みたいな雰囲気や、指揮者によっては驚くほどモダンに聴かせることもあるドイツ表現主義的なオーケストレーションを、ベリオは素直に引っ張って来て表に出してくる。あああ、なるほどぉ、確かにこの作品はもう《ヴォツェック》が完成していた頃の音楽だよね、って。

舞台としては、「王子を愛する下僕の自殺で心を入れ替えた王女様は、王子と結婚し北京の市民も大喜びしましたとさ、目出度し目出度し」なんて無茶この上ない終わり方ではないこの版の方が、現代の聴衆の気持ちとしても納得するわけですし、作品としての演出の可能性は大いに広がるし。このベリオ版の出現で、《トゥーランドット》という作品はこの先も生きながらえる可能性が高くなったんじゃないかしらね。

さあ、こんなに沢山の人がベリオのオペラを堪能したのだから次は《王は耳を澄ます》だ…なんて言いませんっ。

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唐建平《周首相》は中国版《中国のニクソン》? [現代音楽]

まあ、「現代音楽」カテゴリーなんだろうなぁ。

昨日の当電子壁新聞記事以降、本来業務放り出して大陸の情勢をWeb上であれこれ探っていたら、極めて興味深い情報がありました。視よ、そして驚けっ!
唐健平作曲歌劇《周首相》第4幕、中米首脳会談の場面でありまする。

なんじゃこりゃ、と腰を抜かすでしょうねぇ。今年の3月に世界初演された新作オペラでありまする。

作曲家唐健平(Tang Jianping)は大陸中国のオーケストラシーンでは良く知られた方で、チャイニーズオーケストラのための作品も多いようですな。基本的には後期ロマン派手法で衒い無く中国っぽい音を鳴らす現役バリバリ、って世代の方みたい。ゴメン、よく判らんで。

で、この作品、昨年来のコロナにまともにぶつかってしまった「中国共産党結成100年」記念で雨後の竹の子の如く中国各地で生まれた新作のひとつで、規模の大きさやら日程調整やらでここまで引っ張ってしまったものであろうとは容易に想像が付きますけど、ま、ともかく文字通りの作品。4幕だかで革命時代から米中国交回復までの周恩来の生涯を描く大作のようであります。みんな「ようだ、みたいだ」で申し訳ないのだが、「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」の当私設無責任電子壁新聞ですから、お許しあれ。

当電子壁新聞を立ち読みなさっているよーな悪い人達は、みんな思ってるでしょ。「ああ、《中国のニクソン》の中国版かい」って。ま、そういうものでもあるんでしょうけど、そもそもオペラという総合芸術というか、なんでもありアートの総集編みたいなもんには、「同じテーマをいろんな視点で何度も語り直す」という機能があることは確かで、その意味では「偉い人の人生や苦悩を描く」オペラの王道ですね。

関心のある方は、今ならYouTube上に総計レコード1枚分くらいのそれなりの長さの断片が上がってますから、慌ててご覧あれ。再演とか、いつか観る機会があるのかとか、全然判りません。無論、欧州系のオペラデータベース調べても、全く判りませんから、悪しからず。

さても、ボーッとしているうちに年の暮れ。イースター明けの「ブラウンシュヴァイク・パリ・マドリード《中国のニクソン》4日で3連チャン」の手配を真面目に考えねばなぁ。飛行機の値段がこの急な円高で変わるか、様子を見てたんだが…そんな暇はないかもねぇ。

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久しぶりのアイヴス第4番ライヴ [現代音楽]

アイヴスの交響曲第4番がメインの話題で、「現代音楽」カテゴリーもなかろーという気がしますが、ま、トータルで、ということ。

年末年始、もう上野の《ゴルドベルク変奏曲》もない2022年ったら、いい加減にダイクやらシュトラウス一家じゃないもんを聴きたいぞ、という貴方に、素敵な演奏会のお知らせ。こちら。
https://www.aibigeiken.com/exhibition2022/
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もうめんどーなんで、メインの指揮をなさる夏田昌和氏の熱弁をまんま貼り付けます。どうぞ。
※※※


今年のクリスマス、12月25日は特別な日になりそうです。諸事情が二転三転した結果、晴天の霹靂で私に白羽の矢が立ち、アイヴズの「交響曲第4番」を指揮することになりました。100年以上前に書かれながら巨大編成と奇抜なアイデア満載で演奏至難、日本では前世紀に2度しか演奏されたことがないそうで、今回はチャールズ・アイヴズ協会が作成したパフォーマンス・エディション(最大限”演奏可能”を目指した版)を用いての日本初演だそうです。

オーケストラは意欲ある若手プロ奏者で結成されるタクティカート・オーケストラ。ゲスト・コンミスとして「アイヴズ・ヴァイオリンとピアノのための4つのソナタ」のCDを2019年に出した甲斐史子さんをお呼びしました。そのCDで甲斐さんと共演している大須賀かおりさんは、及川夕美さんと共にオケ中ピアノ(連弾)とスコラダトゥーラ・ピアノを担当なさいます。及川さん大須賀さんの2人はプログラムの中で、同じくアイヴズの「2台のピアノのための3つの4分音曲」も披露、両国アートフェスティバル2020以来のこの作品の再演です。

「交響曲第4番」のソロ・ピアノと、同じくプログラムにあるハースの微分音作品「スティーヴ・ライヒ讃」を演奏されるのは、現在フランスに留学中の秋山友貴さんです。この交響曲は部分的に複数の指揮者が必要なのですが、副指揮を務めて頂くのはミラノにお住まいの才能豊かな浦部雪さん。8本のヴァイオリンとハープから成るバンダの指揮をお願いしたのは合唱指揮のスペシャリスト西川竜太さん。彼の主宰するヴォクスマーナ、空、暁という3団体からの精鋭メンバーが、1楽章と4楽章に入るコーラスで交響曲にも加わって頂きます。

この交響曲には「エーテル・オルガン」という謎楽器パートがあるのですが、こちらを今回オンドマルトノで演奏して下さるのは大矢素子さん。またこれとは別に正真正銘のオルガン・パートもあり、そちらはフランスやドイツでの長期留学から帰国されたばかりの井川緋奈さんが担当。ハイ・ベル&ロー・ベルというメチャクチャに音域の広い鐘も用いられているのですが、ステージに乗るそんな楽器は存在しないため、作曲家の磯部英彬さんに音源作成をお願いし、それを磯部さんと共に電子キーボードで演奏して下さるのは現代音楽演奏で大活躍の川村恵里佳さんです。

纏め役が何故かこの私というところが若干心許ないですが[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]、短期間(なにせ一旦頓挫したらしいプロジェクトが再始動したのが先月半ばのことでした)に最大限素晴らしい人材が集まり、総力戦でこの超難関プロジェクトに挑みます!そして本プロジェクトの企画と主催は前衛美術家の中ザワヒデキさんと草刈ミカさんによる人工知能美学芸術研究会。彼らによる新作(2台ピアノ作品とオーケストラ作品)も、プログラムの中で初演されます。ホワイエでは同時に展覧会も!

配信もありますが、超大編成による奇天烈交響曲の歴史的な演奏の場は、是非会場で生で体験して頂きたいと思います。結構な高額のチケットになってしまいましたが、お求めの際はまずは私はじめ出演者までご一報を!かなりいいこと、あります!

という訳で現在130頁ほどのスコアの譜読み(というか解読)に勤しむ毎日です。ぎゃあ?[げっそり][げっそり][げっそり]
会場はパルテノン多摩大ホールで12月25日の15時開演。美術展は13時から20時までの開催です。皆さま、是非!
夏田 昌和Facebookページより https://www.facebook.com/masakazu.natsuda.9

※※※


わしら年寄りとすれば、「あれ、こないだ上野の新日定期で小澤さんがひとりで振ったじゃん」と思ってしまうんだけど、まあなんとなんと、既にこんな昔の話なのね。
https://i.t-bunka.jp/pamphlets/19699

この演奏会、何でか知らんが当時は大井町駅操車場跡地みたいなところにあったNJPの練習場に行って練習見物した記憶が。本番では、「小澤氏はバーンスタイン直伝のひとりで振れる楽譜を持っているそうだ」などという噂がまことしやかに流れ、実際、コンマスの松原かっちゃんやら合唱の関屋晋さんなんかの手伝いはあるのだろうが、ひとりで指揮をし、どうするのかと思ったらある箇所ではかっちゃんに一部のオケを任せて舞台の奥の方に指揮者さんが歩いて行ってその前で振ってたり、とかしてましたね。この辺り、まだ証言者が現場にいくらでもいらっしゃるだから、アメリカ音楽やってる研究者さんがちゃんと「アイヴス演奏史」の証言として話を聞いておくべきなんだろうけどねぇ。

もう四半世紀以上昔のこと、その後もアイヴスの研究なんぞは日進月歩で、楽譜も次々と校訂され、今回は新しい楽譜での演奏とのこと。夏田さんは「この曲をひとりで振る理由はないと思うんですが」と仰られてますが、誠に以てその通りで、小澤氏の場合は極めて現実的な「オーケストラの定期演奏会でやる」という目的が前提だったようですね。

アイヴスくらいだと、小澤氏くらいまでがその演奏史の流れの中で存在しているわけだから、やっぱりまだ「現代音楽」ということなんだろーなぁ。今なら「これ、ライヴじゃなくてサンプリングでやれば良いんですよね」で終わってしまいそうだけど。

前の晩にサンタがドカンと置いていった今年の最大のクリスマスプレゼント、皆の者、クリスマスの朝は遙か多摩丘陵はパルテノン多摩に結集せよっ!

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英国メディアが選ぶ「21世紀で最も影響力ある作曲家」は [現代音楽]

こんななんでもありの世界になっても未だに(言語で?)世界を支配している英国クラシック音楽メディアの代表、”Classic fm” が先月末に興味深い記事を出しました。こちら。
https://www.classicfm.com/discover-music/periods-genres/modern/best-21st-century-composers/
曰く、「21世紀の最も偉大な作曲家」であります。うううむ、堂々たるもんじゃ。

さても皆々様、どんな名前が挙がると思いますか。なんとニッポンからも選ばれておりますっ!え、Hさんか、いや英語圏だからFさんだろーに、もしやGさん、大穴はオリンピック開会式閉会式で交響曲が鳴ったYさんかも…

では、はっぴょーいたしましょー、カタカナ表記がわからんので、まんま貼り付けます。

1:Max Richter
2:Ludovico Einaudi
3:Hildur Guðnadóttir
4:Eric Whitacre
5:Hans Zimmer
6:Yoko Shimomura
7:Wynton Marsalis
8:Rachel Portman
9:James MacMillan
10:Alma Deutscher

さあどーだっ。正直、普通のクラシック音楽ファンが知ってる名前は7位のマルサリス、イギリス系が好きな方は9位のマクミランもお馴染み、ってくらいかな。堂々の1位になったリヒターは、今や独逸グラモフォンのメインアーティストだし、中国ではコロナ前に万里の長城であの24時間やる弦楽四重奏だかをやったりしてるメイジャーだけど
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-08-02
ニッポン語文化圏では普通の音楽ファンが知ってる名前じゃないかもしれないですなぁ。恥ずかしながら昨年のヴァーチャルトーキョー五輪の開会式閉会式は、未だに映像もなにも全く眺めたことないんだけど、そこではリヒターがメインに取り上げられる、なんてことなかった…でしょうね。よーしらんが。

まあ、どう読むのかまるで判らない奴もいれば、17歳の女の子の作曲家もいるわけで、なるほどねぇ、こういうものなのね今の英国クラシック音楽メディアは、と勉強になりますな。

では、イギリスメディア一押しの21世紀で6番目に影響力のある作曲家、シノムラ・ヨーコの作品を聴きましょう…って、漢字でどう書くの?


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《言葉のない「浜辺のアインシュタイン」》 [現代音楽]

大阪伊丹空港ラウンジです。羽田行き最終便を待ってます。

本日、大阪御堂筋の北の端、曾根崎神社の向かいのザ・フェニックスホールで、このホールの現プロデューサー体制になってから年に一度のペースで行われている「室内楽ホールで現代音楽の古典をじっくり演奏する」シリーズの第2弾、ニッポンでやるならこれ以上の顔ぶれは考えられない、ってムダに豪華な奏者をズラリと揃えた《浜辺のアインシュタイン》演奏会形式・抜萃が上演されました。
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ま、どう考えてもこっちを先にやって、みんなしっかり準備して横浜の舞台上演に臨めれば良かったとは思うものの、こればっかりはしょーがないですわなぁ。日曜日午後とあって、日本列島各地からいかにもいそうな顔ぶれが客席に揃っておりましたです。

さても、この上演、既に県民ホールの客席でも「2時間くらいになっちゃうらしいですよ」などというそれなりに信用出来そうな方からの情報が飛び交ったりして、果たしてどんなもんになるのか、なんせ合唱は5人しか居ないというし、無論、役者もダンサーもいない。正に「演奏会形式」で純粋にガッツリ音楽だけやる、というもの。まあ、ノンビリお昼寝に行くような気分で出かけたわけでありまする。

んでぇ、結論から言えば、「あ、これ、成り立つじゃん」でした。どこをカットしたかとか、話し出せば長くなるけど、ま、それはそれ。誰かマニアさんがWebに細かい情報をアップしてくれるでしょ、そのうち(かなぁ…)。ただ、なんせ「合唱団」が6名ですから、ニープレイ3はやれないから省略されました。また、舞踏はともかく、朗読は合唱団が兼務するにしても数足りるんだろうかと思ってたら、なんとなんと潔くすっぱり無くしちゃった。だから、ホントに辛うじて辿ろうとすれば辿れなくないかもしれなくないかな、という感じのストーリー性は、ものの見事にありません。で、休憩込みで2時間20分くらい。なんで休憩があるかとえば、横浜と唯一出演者が重なる音響のスーパースター有馬さんに拠れば「合唱団が歌いっぱなしですから」とのことです。確かに…

とはいうものの、意外にも、といったら失礼だけど、このやり方だと、マイクで拾って音響補正をされているにせよ、後半の「建物」から「宇宙船」の舞踏ヴァイオリン管楽器総出の壮大なクライマックスに向けて響きの厚みがしっかり変化していく様子がよーく分かりましたです。実質的にCDダラダラ聴いてるようなものとはいえ、ライヴ、それもこの規模のホールでの上演であるからこそ判る音の量感の変化は、それ自身が物語になっていたのは意外と言えば意外でした。最後にバス運転手さんのモノローグもなく静かに終わると、まるで《ヴォータンの告別》や《ブリュンヒルデの自己犠牲》はなかったけど、ガッツリと実質2時間に編纂された《言葉のない「浜辺のアインシュタイン」》を聴いた充実感がありましたです。果たして「オペラ」としての満足があったかは判らんけどさ。

最後のクライマックスの「宇宙船と原野」に向けて、大乱舞の背景で宇宙船が遙か空に向けて飛んでいったりする、なんて演出はないものの、フェニックスホール舞台後ろの壁がずーっと上がっていき、梅田のスカイスクレイパーが見えてくる。そして、ちょっと見えた空を、伊丹から離陸したちっちゃなJALが夕闇の光を浴びて高度を取っていく。ああああ、Einstein on the Beach!って、ちょっと出来すぎた絵面でしたとさ。

日が暮れる大阪の空、ホールを出ると、下弦の月が西に浮かんでら。
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横浜大阪と続いた神無月の《浜辺のアインシュタイン》、この上演で、ことによると抜萃上演やらダンスへの利用など、一気に作品の受容が進むんじゃないかしら。なんせ、どこを切り取ってもインスタレーションの音楽にもってこいの4時間だもんねぇ。名ばかり有名な作品が、ホントに有名な作品に…なるや?

[追記]

その後、つらつらアホ頭で考えるに、結果として実質上演時間2時間ちょいに圧縮されたことで、4時間半の舞台を出入自由で体験している際には感じられない作品としての構造が見えやすくなった、ということなのかなぁ、とも思わんでもないですな。どーなんじゃろね。来月後半のシテ・ド・ラ・ムジークで売り切れになってる演奏会形式上演は、どうやるのかなぁ。ナレーターや演出が記してあるから、所謂「コンサートオペラ」ということなんだろうけど。
https://philharmoniedeparis.fr/fr/activite/opera-en-concert/23751-philip-glass-einstein-beach

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