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夏の現代音楽祭開幕へ [現代音楽]

ある方とヴァーチャルで会話していて、今更ながらに気付かされた事実。2020年コロナの異常な夏の音楽業界にあって、いちばん「いつも通り」にやってるのは、意外にも現代音楽業界なのではなかろーか!

考えてみれば、そもそもが大きなお金や仕掛けが動いて膨大な人を動員するようなものではなく、業界の規模に比べ注目される度合いは高いジャンル。どれも手作りみたいなところがあり、媒体だって大手は相手にしてくれないから、草創期からWebを利用して自分らでやってきた。ネットワーク作業は創作のジャンルとして既に存在していたし、電子音はそもそも業種として半世紀以上の長い歴史を有し、Webや配信の媒体としてのキャラクターを利用した創作も、《ヘリコプター四重奏》以来とっくに普通に行われていた。

理由をあげつらえば、いくらでも小難しいことは言えるのでしょうけど、それも「ゲンダイオンガク」の創作者さんのお仕事のひとつ。とにもかくにも、確かに言われてみれば、ゲンダイオンガク業界、合唱やオペラみたいにコロナ直撃で萎縮している、という感じはありませんね。

とはいうものの、やっぱり影響は出ている。「たくさんの人が集まってプロジェクトを一緒にする」という作業が出来ない今、所謂セミナー系のイベントは難しい。いずみホールさんはしっかりこういうことをおやりになられておりますが。偉いなぁ。18日には発表演奏会もあるようです。
http://www.izumihall.jp/schedule/concert.html?cid=2267&y=2020&m=8
ニッポンの僻地関東では、打楽器奏者の加藤訓子さんが数年かけて中央線の多摩地区から奥の公共ホールあちこちを会場に進めていた「18人の若手打楽器奏者がクセナキス《プレアデス》を合奏する」というプロジェクトが夏のイベントとしてあり、本来なら来る8月22日に目黒パーシモンホールで数年にわたる訓練を終え本番になる予定だった。だけど、当然ながら、なくなってしまいました。その先にあったアテネの音楽祭出演という大プロジェクトも…欧州遙かなり。

とはいえどっこい、転んでもただでは起きないのが現代音楽の皆々様。本日からくにたち市民文化小ホールを舞台に諦めずにセッションが行われ、来週には発表会のような形で、今時のクローズドなセッションを基本に、クセナキス関連のミニフェスティバルが開催されます。こちら。
https://npo-artsworks.org/ja/inc
遙か多摩は谷保で開催されるセミナーに続く演奏会の案内は、こちらのPDFファイルでどうぞ。
inc kunitachi 2020_f.pdf
19日昼間は、どうやら野外らしいのですが、一般公開もちょっとだけあるそうです。猛烈な残暑の中、これだけのために谷保まで来てくれというのも無茶だとは思いますけど、お近くにお住まいでご関心の向きは、ご覧あれ。なお、17日からの本来だったら公開の筈のセッションはストリーミングがあるらしいので、詳細が判りましたらFacebookの方で速報いたします。

夏の終わりの恒例となっていた松本や木曽福島はなくなっちゃっても、どういうわけかうんと地味な現代音楽祭りだけは開催されるような夏の終わり、来週の週末からは溜池のサントリー芸術財団主催のフェスティバルも始まり、今年のテーマは「アヴァンギャルド」などというぐるっとまわっていちばん古めかしくも懐かしいものがトップランナーになってしまった、みたいな奇妙な現象も起きている。そして月が変われば、溜池でのシュトックハウゼン最晩年の電子音楽披露を受けるように、いよいよ秋吉台にクセナキスの巨大電子音楽が響き渡る。ついでに越前は武生でも、出演者は国内のみと縮小されたとはいえ、秋の名物現代音楽祭が始まる。

ゲンダイオンガクの夏の終わりは、今年もさりげなくやってくる。

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「新しい日常」のコンサートマナー [パンデミックな日々]

オリンピックは終わったといえ、パラリンピックに向けて晴海選手村は大改装大騒ぎの真っ最中であろうニッポンでいちばん暑い残暑が続く今日この頃、皆様、いかがお過ごしでありましょうかぁ。

ともかく暑すぎて頭が動かず、今日は朝っぱらにプラド音楽祭のカザルスが復帰し、シュナイダー翁やグリーンハウス爺さん、はたまたゼルキン・パパやゴールドベルク先生などが60余年前に集った懐かしい教会から、やたら見慣れた、でもこいつらに次にいつライヴで会って呑んだり出来るかまるで判らない懐かしい顔ぶれをパソコン画面で眺めていたわけですが…その風景の余りのいつもっぽさに、ちょっと違和感すら感じてしまったです。聴衆は、ヨーロッパ人が大嫌いなマスクをしてる姿はともかく、他はいつもと同じ。ステージの上も、ペンデレツキの六重奏で指定通りにホルンが遠くにひとり離れて吹くところがあっても、特にいつもの夏と違う感じはない。小さな画面から覗ける遙か5千マイル彼方のピレネーを臨む田舎町は、あれぇ、コロナ・パンデミックはどこにいっちゃったの、って風景でありました。

なんでそんな風に感じるのかと言えば、横浜は紅葉坂を登り切った場所から港を臨む(って、今は文字通りの高層ビルの壁が出来てしまい、レンガ街もノースピアもまるで見えない)神奈川県立音楽堂に昨晩流れていた空気が、随分と独特というか、特殊というか、いかにも「今は非常時」というものだったからなのですね。

思えば6月半ばに「再開実験」という形でコンサート専用ホールでのライヴの演奏会が手探りで始まり、幸いにも大きなクラスターやらの発生源にはならずに無事に二ヶ月近くが流れた。御上は完全に「政府崩壊」で、あちこちで感染が広がり、GOTOキャンペーンが隠されていたものを顕在化してしまった東京首都圏と地方各地の意識の違いが「コロナ差別」みたいなものを生んでいるニッポン鎖国列島にあって、それぞれの会場や主催者さんが、それぞれの事情に沿って独自のガイドラインで演奏会を開いているのが現状でありまする。

昨晩の神奈川県立音楽堂も、御上仰るところの「新しい日常」の風景の中での開催でした。そもそも、会場となった場所は、226アベ要請の日に記念年事業のバロックオペラの最終仕込みが始まる瞬間にストップがかかり、悲劇的とも言える状況で中止に追い込まれた。日本でのコロナ禍の始まりともいえる埠頭は、みなとみらい地区の高層ビル群がない昔ならばクルーズ船が停泊している姿が眺められたかも、というような場所です。今回、神奈川芸術協会という地元の民間主催者に県立音楽堂が共催する形での開催となったYamato弦楽四重奏団のベートーヴェン中期以降サイクル、川崎市が全面的にバックアップして市の文化財団が主催するフェスティバルとはまた違った、民間のプレゼンターによる演奏会であることが、会場の空気にも大きく影響していたようです。

なにより驚いたのは、これです。
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コンサートというものに行くようになって半世紀、正直、こんなものが舞台上に出ているのを目にしたのは初めてでした。吃驚したというよりも、あああこれはただ事ではない状況なんだなぁ、とあらためて背筋が寒くなった。演奏前にはかたづけられ、換気のためか各曲毎に設けられた休憩のたびに持ち出されていたこの告知、なかなかインパクトがありましたです。

そもそも春から始まり、毎月1回4ヶ月かけて演奏されるはずの企画が、客席収容人数が半減されたため昼夜の2公演、それも日本列島がいちばん暑い灼熱の季節となる残暑に毎週1回ずつ、とされた。気楽に「された」なんて書いているけど、一頃は落ち着いたかと思ったコロナが7月になって盛り返し、神奈川県知事は8月いっぱいは公共ホールを使用禁止にする、などと言いだし、おいおいおい、と主催者側が驚き呆れて…すったもんだの挙げ句に、なんとか公演まで辿り付いた。

そういう厳しい状況ですから、再開以降のコンサートの中でも個人的にはいちばん厳格な感染防止策を採っている。中でも、ホールの中では絶対に喋らないでくれ、というのは大きなポイントのようで、当日プログラムには、「5日の第1回目の演奏会ではホール内での会話中止が徹底されていないようでした、今日は絶対に静かにして下さい」という主催者さんからの刷り物が挟み込まれていたり。ほれ。
DSCN5376.JPG
ニッポン国のベートーヴェン弦楽四重奏受容の伝統からすれば、そんな極めてストイックな環境でみんなスコアを眺めるように集中して聴く、というのはありなんでしょう。けど、ぶっちゃけ、YamatoQの聴衆は普段の弦楽四重奏演奏会とは随分違って、女性客が半分くらいでいつものオッサンたちは多数派ではないんじゃないか、という感じ。真っ暗な中で暗譜で演奏していたプロムジカQ、みたいな「聖なる儀式としてのベートーヴェンの弦楽四重奏曲」という空気とは、本来ならば醸し出される空気はまるで違っている筈なんだろけど…

まあ、それだけに、この強引に静けさを強制されるような空間で、世界一雄弁な音楽家がしゃべくりまくるような音楽を静かに聴き、感想を口にすることも禁止されるというのは、なんとも不思議な状況でありました。

中身については、言葉の最良の意味での「ローカルなチクルス」で、これはこれであり、と思った次第。一応、短い商売原稿があるので、それ以上はご勘弁を。なお、最終回の9月6日も夜の部が設定されたとのこと。作品131と135をやったあとに、山響チェロさんを迎えてシューベルトの大五重奏が最後に演奏されるという、これまたとんでもない演奏会でありまする。夜の部はまだチケットがあるようですので、ご関心の向きはどうぞ。

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プラド音楽祭もライヴ配信します [弦楽四重奏]

昨日、無事に関係者からコロナ陽性者も出ること亡く、会場由来のクラスターも発生すること亡く、川崎の夏フェスが終了しました。恐らくは、コロナ禍の2020年夏に世界で開催されたクラシック音楽系フェスティバルの中で、ザルツブルク音楽祭と並んで最も大規模なイベントだったことは確かでしょう。2週間ちょっとの間に、ひとつの会場に9団体のプロオーケストラと地元アマチュアオーケストラが来演し、三密回避を心がけながらもモーツァルトから久石譲までのオーケストラ曲を披露し、その間にはジャズやピアノ、オルガンの日も設けられたなんて、正に堂々たる都市型サマー・フェスティバル。大人数が楽器抱えて移動するのが困難な今、ホールの文化圏内に1ダースものプロオケが活動している場所など、世界にもロンドンと東京とソウルくらいしかないわけですから、オーケストラだけに限ればこの夏世界最大のフェスティバルが川崎だったわけですな。ご苦労様でした。

とはいえ、川崎やザルツほど巨大なものではないけれど、世界のあちこちでなんとかフェスティバルは開催されています。フランスとスペインの国境、ピレネー近くのプラドでも、恒例の「カザルス音楽祭」が始まりました。こちら。まともなサイトがフランス語のみで、スイマセン。
https://prades-festival-casals.com/le-programme-2020/
https://www.facebook.com/festival.casals/
今年はアレクサンダー・シュナイダー翁がカザルスを引退から引っ張り出し、この音楽祭を始めて70年ということで、本来は大きく盛り上がる筈でしたが、ま、ともかく、開催されておりまする。オープニングを飾ったのは、我らがダネルQの《セリオーソ》でありました。彼らも、3月以来の演奏会なんじゃないかしら。

このカザルスが蟄居していた街での室内楽音楽祭、流石に今時の音楽祭で、YouTubeでライヴ配信をしてくれます。明日12日午後7時、日本時間では13日午前2時という困った時間なんだけど、ダネルQがフランソワ・サルク(解散したイザイQのチェリストを経験した二人が並ぶわけですな)とシューベルトのハ長調大五重奏曲、ノラス翁(来年に延期となった大阪国際室内楽コンクールに、テイト君に代わって審査員としていらっしゃる予定)がルティエック監督とペンデレツキの六重奏曲を演奏、ライヴストリーミングがあります。こちら。
https://www.youtube.com/watch?v=xNG3XMoRH6o&fbclid=IwAR2RhqAd82IzuyRvV9AEyWcnPGxeo3i0bsHAeu-WCTDELieNy6iX_thfqeU&app=desktop
まあ、困った時間ではあるけど、暑くて寝られないと困ってる方は思い出して眺めてみて下さいませ。あたしゃ、Yamatoの諸君の《ハープ》と《セリオーソ》と作品127、なんて無茶な演奏会を横浜は紅葉坂で聴き、鶴見川と六郷川と大川と荒川放水路越えて葛飾まで戻ってきて、まだ聴くだけのパワーが残っているかしら。

世界各地で、案外、音楽祭やってます。来週になると、いよいよ溜池での懐かしの「アヴァンギャルド」祭りが始まるし。しっかり夏も終わりに向かってら。

[追記]

上のURL、いつまでか判りませんけど、少なくとも13日朝の時点では見直しが出来るようになってます。それにしても、聴衆、ガッツリ三密ですねえ。昨晩の神奈川県立音楽堂の「ホール内で喋ってはいけません」と見張られているような過剰なまでの聴衆管理に比べると、ノンビリってか、もうクラスター出たら出ただ、って感じだなぁ。
IMG_E6121.JPG
ダネル氏に「演奏してるところが視られて嬉しかった」と連絡したら、「早く会えるようになりたいもんだねぇ」と返事が直ぐに来ました。これ、絶対、終演後にワイン呑みながら打ち上げやってるぞ。

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音楽業界のコロナ禍まとめ [パンデミックな日々]

事実関係のみのデータ。昨日、「日本音楽芸術マネジメント学会」シンポジウムがWeb上で開催されあした。内容に関しましては、短いレポートを某音楽専門誌に入れねばならないので、記しません。ネット上に絶対にまとめを書いている方がいるでしょうから、ググってみて下さいな。

ひとつだけ、この「パンデミックな日々」カテゴリーの重要なデータが、パネラーの東京芸術劇場ディレクターさんから示されました。データ、というよりも、情報の纏めですね。「音楽演劇ホール劇場でのコロナ発生事例のリスト」です。以下、パブリックな場で示されたものですから、まんまデータを引き写しておきます。案外、こういうデータ、ありそうでない。

※シアター・モリエール:7月15日、観衆全員が濃厚接触者とされ、出演者18名、スタッフ9名、公演関係者8名、観客40名が陽性。

※帝国劇場:7月16日、チケット営業担当者が陽性。7月18日から21日までの公演を中止。

※オペラシティ:7月21日、ズーラシア・アンサンブル出演者が陽性。7月31日までホール閉鎖。

※新国立劇場:7月29日、スタッフ1名陽性。30,31日のバレエ公演中止。

※シアターグリーン:7月30日、稽古中の関係者から20名程度の感染者。公演延期。

※歌舞伎座:8月5日、第3部の関係者が陽性。第3部を上演中止。6日以降は通常公演再開。

※兵庫宝塚劇場:8月6日、花組関係者スタッフ11名感染、1名陽性。16日まで公演中止。

※東京宝塚劇場:8月7日、星組1名陽性。20日まで公演中止。

現時点では以上です。この数が多いと考えるか、こんなもので済んでいると考えるか。ご参考までに。

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音楽業界はもっと社会的有効性をアピールすべきではないのか [音楽業界]

余りに暑すぎて頭が動かず、昨日中にやるはずだった原稿がまだ纏まってない。少し己を一喝すべく、勢いの良いことを申しますです。

去る火曜日、「日本音楽芸術マネジメント学会」の第3部会ホール音楽堂がWeb上のズームで開催されました。こんな蒼々たる皆様が登壇し、お喋りになりましたです。

[報告]
 高野裕子   京都コンサートホール事業管理部事業企画課 係長
 永井健一  神奈川県立音楽堂 館長
 古屋靖人  兵庫県立芸術文化センター 事業専門員
 水野学   愛知県芸術劇場 シニアプロデューサー
[司会]
 梶田美香  名古屋芸術大学芸術学部 教授
[オブザーバー]
 森岡めぐみ 住友生命いずみホール 次長

この顔ぶれからお判りのように、オブザーバーの日本のホール広報西の横綱たる森岡氏を除き、発表者は皆さん所謂「公共ホール」の現場の方。立場はいろいろでしょうが、税金で運営される劇場法下のヴェニュとして「自主公演制作」と「ホールレンタル業務」の両方を行っている。つまり、公演という意味では会場の貸し手であるばかりか、自分たちも第一の利用者である方々ですな。

そんなわけで、この数ヶ月の状況をお話になるにあたっても、分母は同じ。それぞれの地域の状況の違い、ホールとしての動きの違いが、微妙にして大きく異なることが良く判った次第。

そんな苦労話を聞ききながら、ひとつ大いに残念に感じることがあったのでありまする。其れ即ち、「これらの話が、果たしてどれだけ世間に伝わっているのだろうか?」という素朴過ぎる疑問。

例えば、兵庫は、合唱を伴ったオーケストラの公演を再開するに辺り、そこまでやるか、と話を聞いていて呆れる程の詳細にして厳格なテストを行い、演奏会もその調査に則ったやり方をしたそうな。とてもこんな無責任壁新聞には記しきれない、マンパワーも経費も膨大に投入した大実験です。公式ページにアップされたテストの様子はこちら。
https://www1.gcenter-hyogo.jp/news/2020/07/0714_utautauta_smoke.html
http://www1.gcenter-hyogo.jp/news/2020/06/072324_kansenboushi.pdf
この写真などだけでも「へえええ…」とお思いになるでありましょう、本格的な科学的実証だった。

こんなプロセスを経て行われた演奏会は盛況だったそうで、それはそれで良かった。

ホールというのは極めてその場の状況でしかない各論のかたまりで、この実験のデータがどれだけ普遍的なものであるかは判らない。だけど建築の専門家などが眺めれば、普遍的な部分を拾い出せるような、それなりに意味のあるデータなのではないのかしら。そういう詳細なデータがあるなら、それも公共ホールという税金で運営されている場所がこれだけの規模の実験を行ったのなら、そのデータを詳細なままでまるまる世に示して、「この空間でこういう実験をやってみて、こういうことが判りましたよ」と知って貰えるようにすべきではないのか。

ホールの構造に似たような建築物といえば、例えば学校の大教室とか、講堂とか、全く無いわけでもないでしょう。「うちの体育館で全校集会を開けるものか、どこをどうすればやれるのだろうか」などと悩んでいる学校は、世界中にたくさんあるでしょう。そういうところの方がこの兵庫の実験データを眺めれば、なにやらいろいろ参考になるところもあったりするんじゃないかしら。

もうひとつ、ホールの営業という意味から考えれば、「うちはこれだけの実験をしてこれこれなら大丈夫と判りました。だから、皆さん、安心してうちを使って下さい」という貸しホールとしてアピールだって出来る。それこそがホールの公共物としての役割じゃないかしらね。

てなわけで、今、ホールで起きていることを、なんとかもう少し社会全体に役立つ丸めていない詳細な生データとして提供することで、「なるほど、俺には関係ないけど、文化会館とか音楽ホールはこういうときにこういう実験を行い、いろいろ役になっているのだなぁ」と世間にアピール出来るではありませんかっ!

なーんて書いていると、「それをアピール出来ないのはお前達の責任だろう」と己への非難を浴びることになるので、話はこれまで。とにもかくにも、兵庫のデータ、なんとか報告書として世間にきちんと発表していただきたいものでありまする。芸術文化予算なんて役に立たない、という声に堂々と反論出来る、天が与えてくれた得がたいチャンスだと思うんだけどなぁ。

[追記]

…などと勝手なことを記しましたら、兵庫の担当者の方から「本日、報告書をアップしました」というご連絡をいただきました。ご苦労様です。ご覧あれ。
http://www1.gcenter-hyogo.jp/news/2020/08/0807_072324_houkoku.html

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今の神奈川はベートーヴェンの聖地なのじゃ! [演奏家]

コロナ禍で吹っ飛んでしまったベートーヴェン記念年、周囲の状況はホントに良くなったとはあまり感じられないのだけど、とにもかくにもおそろるおそる再開され始めたコンサート・シーンの中で、着実に250年前にライン川の畔の街で生まれたオッサンの音楽が鳴り始めてはいるよーであーる。

客席を室内楽ホールくらいの規模にして、ホールまで来るのはコワい方は配信でどうぞ、というやり方で始まった六郷川の向こうミューザ川崎の夏フェスも、現時点まで聴衆や演奏家や裏方にクラスターが発生するなどのことも起きず恙なく進行中。結果として、合唱付き大規模作品を除く主要管弦楽作品が網羅されることになってます。

既に交響曲はかの話題のノット御大ヴィデオで指揮の《英雄》に始まり、2、4、5、6、8番が演奏済み。そこに昨日は久石譲指揮NJPがこういうプログラムをやり
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交響曲の7番と、最大の大物たるヴァイオリン協奏曲を演奏。協奏曲は、来年に延期された大阪国際室内楽コンクール出場権を有するチェルカトーレのヴァイオリンさんが登場し三重協奏曲を披露しており、ヒロシマの日にはピアノ協奏曲1、4、5を一回の演奏会でやるという無茶をする。交響曲の最後を締めくくるのはハ長調スケールが駆け上る1番でさりげなく、というのも、このコロナの年らしいなぁ。

何のことはない、要は9番以外の交響曲全部と、主要な協奏曲が聴ける充実した記念年フェスティバルになっている。そこにもってきて、すったもんだで平日昼夜二回開催で敢行、というよりも、強行されるYamatoの諸君のベートーヴェン《ラズモフスキー》以降の弦楽四重奏半チクルスが、場所を紅葉坂に移した県立音楽堂で無事に始まったとのこと。

なんとなんと、神奈川県って、今やヴィーンよりもボンよりも、はたまたしっかりオペラも始まったザルツブルクよりも遙かに充実した「ライヴ」でのベートーヴェンのラインナップを誇る、この惑星で最もしっかりベートーヴェン祭りをやってる場所になっちゃってるじゃないかぁ。いやはや…

そんな隠れ楽聖夏フェスの神奈川、昨日の久石&NJPでは、もうひとつさりげなく隠れフェス的な出し物が披露されました。上の当日プログラム写真をご覧あれ。ヴァイオリン協奏曲のカデンツァに妙なことが書いてある。この作曲者ご本人がカデンツァを書いていない協奏曲、結果として出版未出版含め様々なカデンツァが存在しているわけだが、そこにまた新たな新版が加わったのでありまする。

実際に現場で耳にした瞬間は、「ああ、ピアノ協奏曲編曲版にベートーヴェンが書いたティンパニー付きのカデンツァに、コンマスと首席チェロの掛け合いが突っ込まれたのかぁ」と思ったわけですが、その後にNJPから関係者にはリリースがあったらしく、あたしゃそれは眺めてないけど、どうもやっぱり聴いたとおりのものだったそうな。久石譲のカデンツァ、といっても、ジブリチックなものではなく、この作曲家さんの真の姿とういか、裏の顔というか、ミニマル音楽の作曲家としての側面をまんま出したもので、ぶっちゃけ、アダムス風ですな。《アブソリュート・ジェスト》みたいな、といえばお判りでしょうかね。思えば、今年はこういう「ベートーヴェンにインスパイアーされた短い作品」みたいなものがいっぱい出てきて、本家の演奏会を彩る予定だったんですよねぇ…

演奏会そのものとすれば、久石氏若い頃のピアノ五重奏を弦楽合奏に編曲したミニマル系、長い旋律的なテーマが延々繰り返されるヴァイオリン協奏曲、最後は第1や第4楽章のオスティナートがっつり強調したベト七ですから、もう夏のミニマル祭りでんがな。それはそれで割り切れば、指揮者さんが自分のやりたいことをベートーヴェンさん通してしっかり仰った、極めて説得力のある午後でありました。

てなわけで、神奈川のベートーヴェン祭り、案外と21世紀っぽく、開催されておりまする。お暇な方はオンラインもありますので、是非どうぞ。

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コロナでもオンちゃんたち元気ですぅ! [弦楽四重奏]

当電子壁新聞で動向をフォローしているアーティスト集団のひとつ、我らがヴェローナQの近況が、ヴァイオリン・チャンネルのトップページに掲載されましたっ。
https://theviolinchannel.com/vc-artist-verona-string-quartet/
なにより大きな話題は、この秋からオーブリン音楽院のレジデンスのポジションを得たこと。ご覧のように、経歴とすれば北米メイジャー団体の超エリートコースを歩いているわけで、シッビがボスの場所を拠点にいよいよ本格的に次の段階に至った、ということなのでしょう。

このコロナ禍、弦楽四重奏団としての基本となるアウトリーチやら地域活動やらがどこまで出来るのか、全く判らないけど、ともかく活動と生活の場所がしっかり確保されたことは素晴らしいことでりまする。

なんのかんの言うよりも、暑い真夏の昼下がり、《アメリカ》終楽章でぱぁあああっと盛り上がっておくんなせーなぁ。ほれ。

ぐぁんばれ、我らがオンちゃん!札幌に行ってみたいと仰ってるが、今の状況では、いつのことになるかねぇ。

なお、蛇足ながら、オンちゃんたちとも付き合いのあったマンハッタンの御大おばちゃんおっさんたちが、「室内楽の未来」なんて大壇上からあれやこれや喋ってます。いつまでアップされてるのか判らぬけど、お暇ならどうぞ。
https://www.chambermusicsociety.org/watch-and-listen/the-future-of-chamber-music?utm_medium=email&utm_campaign=080320%20Watch%20Live%20Weekly&utm_content=080320%20Watch%20Live%20Weekly%20CID_9519bce4da00f97f5e8bfa4fc90c7b34&utm_source=Campaign%20Monitor&utm_term=Future


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今どきの雑用仕事 [売文稼業]

落ち葉はまだ全然舞わない新暦葉月の一日、やっと梅雨が明けた関東地方を抜けて、甲斐の国を超えて信濃の入り口(なんだろーなぁ)、茅野まで日帰りし戻るJR中央線各駅停車の中です。膨大な量の動画データをメモリーカードからパソコンを経由してUSBメモリーに落とし込んでおりまする。

GOTOしろと言ったり、都民はやっぱり駄目と言われたり、流石に人が良くノンビリした国民納税者の目にも「政府崩壊」の実態が隠せなくなったニッポン国、遅い夏の夕暮れの甲府盆地を見晴らしつつ笹子トンネルに向けて登っていく各駅停車の車内は、例年のこの季節のこの時間ならいっぱいの熟年ハイカーやら貧乏青春18きっぱーでロングシートに座るところがなくなる筈なのに、甲府近辺の運動部高校生が三々五々下車していくと、妙に閑散としてら。新橋駅前の金券屋激戦区のオヤジが「今年は青春18の出物が少ないねぇ」と申しておりましたが、確かに、この貧乏人切符の真の愛用者たる高年齢層が凄く数を減らしてます。

やっとやってきた妙な夏、やくぺん先生ったらコロナで収入が激減した1割にしっかり入っているわけで、今日も今日とてボランティアお仕事。某認定NPOのAdviserなるお仕事、日本語では「顧問」とか言って、隠居後には顧問業で生きよう、などど老人初心者向け記事にはしばしば美味しい言葉が踊るが、なんのことない、積み上げたノウハウと人脈を報酬を考えずに世間に提供しましょう、ということ。要は「雑用」です。本日も、一眼レフボディふたつ(スチール撮影用と動画撮影用)、コンパクトデジカメ(シャッター音がしないスチール撮影&動画バックアップ)、広角から短望遠ズームと標準固定レンズといつもの300ミリ望遠の一眼レフ用レンズ3本、一昔前のやたらと重い三脚とミニ三脚、それに念のために小型録音機を背負子に突っ込み、公式撮影係としてのボランティアでありました。

やくぺん先生のような若い頃は自分で白黒フィルムの現像やって新宿にしかなかったヨドバシカメラでTRY-Xの100フィート管を買ってきてフィルムを自分で巻いてたような老人初心者世代とすれば、撮影とは、スチールです。動画を撮影したり編集したりするなんて、あくまでもちょー特殊な8ミリマニアさんの世界。落としてもたたきつけても壊れるところのないペンタックスSV自動露出無し一眼レフに始まり、ある時期に露出計内蔵のSPになり、それからスチールは半世紀弄ってきているけどぉ、動画なんてまるでやったことがない。今の若い人は知らないでしょーが、こんなカメラ。まだどっかにあるぞ、葛飾オフィスには。
http://www.mediajoy.com/mjc/cla_came/pentax_sv/index.html
https://sunrise-camera.net/user_data/blog/detail?p=24919
ちなみに、デジカメ時代になってから諸処の事情でCanonになり、ある時期からCANONをNikonに全面的に変更した。経団連会長だったCanonの御手洗会長が「違う意見の人と議論するのは時間の無駄だから意味が無い」という発言をしたのを目にし、嗚呼こりゃダメだ、こいつの会社の製品は使わぬことにしよう、と決意したのがきっかけでありまする。今もバックアップでCanonはあるけどねぇ…

もとい、で、てなわけで、やくぺん先生としましては、「雑用」仕事はいんちきカメラマンとしてのNPO公式写真撮影がもっぱらでありました。職業柄、ホントの凄い技術を持ったプロの方と接してるわけで、自分のやってることがどれほど技術的に酷いものであるかは死にたくなる程判ってる。特に露出はもう決定的で、昔は「現像や紙焼きのときになんとかするしかない」、今は「後でPhotoshopで弄るしかない」で済ませるわけですな。ま、それはそれで、ホントのトップクオリティが求められているわけでなく、必要な瞬間の必要なショットがあればいいわけで、どっちかというと「場の空気と流れを読み、タイミングを見計らう」ことの方が大事なのでありまする。それなら、ま、出来るわけでね。最近は輪郭線さえあればなんとでもなるんでしょ、あとは野となれ山となれ、使う方の編集担当者さんがてきとーにしてくださいな、あ、クレジットはあたしの名前じゃなくてNPOの方にしてね…

ところがどっこい、この数年、そんな状況が大いに変化してきている。原因はもうはっきりしている、そー、「動画」でありますよ。

あらゆるところに監視カメラが設置され世間が見張られ、この地球上に生きる人類の恐らく20億人くらいが常時ポケットの中に小型動画撮影マシンを忍ばせている21世紀の20年代、広報でも動画が常識。スチール写真は紙媒体やら紙ポスターやらのための特殊なフォーマットとなりつつある。

具体的に言えば、クァルテット・エクセルシオも押っ取り刀でYouTube上に自分らのチャンネルを設置し、そこにこれからの演奏会のコメントとか、練習再開の動画とか、あれやこれやをアップするようになったのであります。
https://www.youtube.com/channel/UCTuH2bbsQZISuhB7lT8XZiQ
となると、その動画制作素材が必要になる。演奏会も、アーカイブはこれまでのように音だけではなく、可能な限り動画も収録しておきたい。

てなわけで、スチール写真撮影じゃなくて、動画の撮影が「雑用」の大きな課題となってきたわけでんがな。ふううう…

今時は一眼レフで低予算映画だって撮っちゃうわけで、映像を収録するだけなら専用のヴィデオカメラはなくてもなんとかなる(音は、今時のホールはちゃんとした録音機材があるので、そっちを貰って御映像に合わせればOK)。だから、いんちきカメラマンでもなんとかなる…と思うでしょーがあぁ、それがそーゆーわけにはいかんのですわいな。

決定的に違うのは、映像撮影はスチール以上に「素材」集めであると言うこと。必要な映像がどういうものなのか、自分が編集してヴィデオクリップを作るわけではない。となると、どのような要求であれ全て応えるのは無理だけど、可能な限り様々な素材を集めておかねばならない。こことここだけ押さえれば良い、というわけにはいかない。

もうひとつは技術的なこと。動画は手ぶれなどの動きがあるともの凄くハッキリ判る。でも、プロの動画カメラマンならぬ我が老体、自分を三脚のようにしてじっとして数十分も微動だにしない、なんて絶対に不可能。だから、三脚が不可欠になる。とはいえ、スタジオではない状況が殆ど、聴衆の皆さんが入る会場なので、好き勝手な場所に陣取るわけにはいかない。だから、どういう状況でもある程度は対応出来る、それなりに頑丈でしっかりした三脚を連れていかねばならないわけですは。ほれ。
DSC_0003.jpg
今は軽い三脚もあるのだけど、20世紀末くらいから使い慣れたデカく、やたらと安定した重い奴が結局はいちばん安心。アウトリーチなどでは、子どもが弄って動かせちゃうようなもんじゃ困るのであーる。

そんなこんな、スチールのみの撮影の三倍くらいの機材を抱えてえっちらおっちら出かけることになる。トウキョウはGOTO除外の今は関係ないけど、荷物がありすぎて遠距離の場合はLCCを使えない。いやはやぁ…

てなわけで、甲斐国から武蔵国に向けての山越えの最中に、やっとデータがUSBメモリーに全て転送されました。あとは佃縦長屋に戻ったら、直ぐにレターパッドに突っ込んで映像編集担当ボランティアさんのところに送りつけてしまい、それでお仕事はオシマイ。クラウドにあげるとか、ネットでデータを送ればいいじゃないか、とお思いでしょうが、辿り付いた先ではいつテレワーク会議やらネットでのシンポジウムやらをやってるやもしれず、回線をガッツリ占拠するのは極力遠慮せねばならないこのコロナ世界なのであーる。

もうすぐ高尾。都会に戻ったのが良く判る点だけは、なんとも素晴らしい中央東線であることよ。秋になってもまだまだ続くコロナ禍、この先のへっぽこ動画撮影担当ボランティア仕事は…幸か不幸か、予定はないわいな。

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