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サー・サイモンの功績 [演奏家]

再びのコロナ緊急事態の中、既に廃止カウントダウンが始まっている葛飾オフィスで、まさかの再びの自主隔離お籠もりが始まってしまいました。やくぺん先生のご商売も、ちょっとは回復の兆しがみえてきたところだったのだけど、本日夕方に新年二本目の原稿を入れ編集さんの年始挨拶みたいなOKをいただいたら、なんとまぁ、手元に締め切りのある原稿がすっかりなくなってしまったぞ!また失業状態に舞い戻りじゃわ。こんな状況が続くとホントに、数年先には入る筈のわずか月数万円の国民年金だけで生きていく方法を本気で考えないといかんなぁ、とあと数ヶ月の命の巨大柿の木の向こうの曇り空を眺めるのであった…いやはや。

そんな中、朝から業界では久しぶりにノンビリした、というか、コロナなんぞどこ吹く風の業界話が飛び交ってますな。ほれ。
https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-55617039
https://www.theguardian.com/music/2021/jan/11/simon-rattle-extends-contract-london-symphony-orchestra-conductor-bavarian

サー・サイモン・ラトルがロンドン響監督を辞して、ミュンヘンのバイエルン放送響監督になりますよ、という話。

もう随分長く言われていた話で、ここまで引っ張ったのはコロナの影響なのかも、とも思わぬでもない。なんせ資本主義世界の主要オーケストラ、この先の活動の目安、ハッキリ言えば安定収入の目安が、どこもまるで立たない状況に置かれているわけで、ロンドン響なんてその筆頭でありましょう。それに対し、この先のコロナ禍&コロナ後の世界で上演コストがかかる大作や現代作品、委嘱新作などを本気でやろうとしたら、しっかりとした財政基盤があるドイツの放送局というのは、ヘタすれば西側世界では唯一オーケストラを支えられる組織となってくる可能性が高い。流石に業界のことを誰よりも良く判っている指揮者さんだけある、もの凄く賢い選択であるなぁ、と感心することしきりでありまする。

そもそもラトル御大がベルリンを辞めてロンドンに行くときに、「90年代以降型のクラシック専用ホール」が存在しないロンドンに、ロンドン響があの残響零秒と呆れられるバービカンを捨てて新しい今時型ホールを作る、というのが大きな理由だった。オリンピックの頃にはロンドン東の足立区だとか台東区みたいな場所も言われていたけど、最終的に場所はバービカンの北辺りで、極端に地域を離れるわけではないみたいで、なかなか微妙な妥協点をめっけたな、と驚いた。その後は話が動いているんだかいないんだか。ま、ラトルがいるならエルプフィルハーモニーみたいなことにはならんだろーに、と思ってたわけで…

そしたら、ガスタイクという「90年代以降型」とはちょっとギリギリ言いがたい会場はあるものの、良くも悪くも弦楽四重奏からマーラーまでやっちゃうあのなんとも言いようのないヘラクレスザールが拠点のバイエルン放送響が、ミュンヘン東駅の東側、何を隠そうミュンヘン厄遍庵からもそう遠くない辺りの再開発で今時タイプのホールを造るということになっており、そっちにサー・サイモンが…ということになっちゃった。

やっぱりそういう流れは誰でも感じられるようで、ガーディアン紙はしっかりその辺りを議論してますな。

正直、オーケストラというものに商売としてそれほど関心がないやくぺん先生とすれば、ラトルという指揮者さんのベルリンでの功績は、音楽的なことよりも、「時代に合わせて公共と民間自主運営オケの両方の顔を持っていたBPOの組織を改革一本化し、ドイツ人にはあまり関心なかった教育プログラムなどアウトリーチ系の事業を充実させ、フィルハーモニーを配信基地へと変貌させた」という21世紀10年代のブランド・オーケストラとしてのアップデートにあったと思ってます。コロナでロンドン響でそういうことが出来なさそう(組織や配信、プログラムはもうとっくにやっているので、なによりも最後のホールのアップデートですな)なら、やれそうな場所に移るのは極めて自然なことでありましょう。

ま、今、世の中の多くのオールドファンが驚いてるのは、「あああ、今やベルリンフィルは上がりのポジションじゃなくなったんだなぁ」ってとこだと思うけどさ。

まだ暫くは鎖国状態の極東の島国から眺めれば、なーんにも関係ない遙かシベリアの彼方の話、って感じられてしまうなぁ。ううううむ。

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次々中止&延期の案内が… [パンデミックな日々]

新帝都首都圏に緊急事態宣言が発令され、再びざわつく我がマイナー業界であります。

本日1月10日夕方で、やくぺん先生が直接連絡を受けた「中止&延期」情報は以下、自分の為のメモですな。

◆1月12日早稲田東京コンサーツラボでの「日本電子音楽の歩み」トークイベント、及び1月27日「東京現音計画#15」は中止。尚、中止、の後ろに(延期)と記されている連絡ですので、時期未定で延期ということなのでしょうか。

◆1月26日鶴見サルビアホールで予定されていたクァルテット・エクセルシオのショスタコーヴィチ全曲演奏シリーズ第1回は、公演を延期。現時点では4月下旬に予定、とのことです。

なお、現時点では今週の埼玉や千葉の公共ホールが主催する公演は、やくぺん先生が参加を予定しているものに関しましては、特に連絡は来ておりません。また、緊急事態宣言が出ていない県での演奏会に関しましては、先程、今週末土曜日にマチネ演奏会がある大分の小林道夫先生の《パルティータ》第2回目につきましては、予定通り行う予定とのこと。主催する公共ホールの財団の担当者さんからの連絡です。とはいえ、この数年同じ時期に続けていた道夫先生の独奏チェンバロ・リサイタルなのですが、今年は買い控えでチケットの売り上げは極めて悪いとのこと。

なんだかダラダラしたローリングスタートみたいな今回の非常事態宣言、ジワジワと動きは広がっているようです。現在発売中のチケットも売り止めがあり得るでしょうから、どうしようか考えていらっしゃる公演がある方は、ご自身の判断で早急に動いた方が良い場合もあるかも。公演はやるけどこれ以上は客数を増やさない、という判断をする主催者さんがあると考えるべきでしょう。

半年ぶりに入った取材仕事も、まだ担当さんからこまかい連絡が来てません。うううむ…急にZoomインタビュー、ってのは面倒だぞ。

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これもコロナ禍? [音楽業界]

がっつり年を跨ぎ、ヘタすりゃ大阪万博の日程まで影響されそうな長期戦化必至のコロナ禍(なんせ、ドバイ万博が今年ホントにやれるのか、全然判りませんからねぇ)、世界の各地から「この音楽事務所が潰れた」「あのマネージャーが廃業した」という話は伝わるものの、現在実質鎖国中のここ極東の島国の新帝都では、案外と具体的な話は聞かなかった。ところがここにきて、世に言う「年が越せない」という表現を絵に描いたように、立て続けに廃業倒産の話が入ってます。

ひとつはこれ。
https://www.fukeiki.com/2021/01/tokyo-chamber-opera.html#:~:text=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA%E5%85%9C,%E6%98%8E%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
いやはや、「不景気com」というド直球なサイト名も凄いけど、ま、判りやすいのでこちらから引用しておきます。

室内歌劇場といえば、一昔前はお堀端の旧第一生命ホールを常打ち小屋に、様々な意欲的作品を取り上げていた団体。第一生命館が取り壊しになった後は、渋谷のパルコ下のジャンジャン隣の教会で《ダニエル物語》やったりとか、流浪の団体みたいになってる印象があるのは爺だなぁ。極一部でのみ通じる「我らがベックメッサー」竹澤さん(やくぺん先生のお宅では、永遠のベックメッサーです!)が、一頃は代表やってたりしたんじゃなかったっけ。

数年前に補助金不正受給騒動で手入れがあり、世間の話題になったりしておりましたが、その後もなんとかやっているようで、葛飾シンフォニーヒルズで日本歌曲と寅さんメドレー、なんてのを聴いた記憶も。

この報道、どういうことかと思ったら、現存する「一般社団法人東京室内歌劇場」さんの公式サイトに、こういう説明があります。
http://www.chamber-opera.jp/News/view/137
コロナ禍で、室内歌劇なんて真っ先にダメになるジャンル、なんとか頑張っていただきたいものでありまする。22日の旧奏楽堂、いっちゃおうかしらね。日本歌曲とか、日本の室内オペラとか、はたまた懐メロ歌謡とか、この団体でなければやれないことはいっぱいあるわけだし。

もうひとつはこちら。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b0f63bd9022c6651348b8a4b2725590516ebcb8
おいおいおい、佃縦長屋、やくぺん先生の大川端ノマド場から見える場所にあったんじゃないかぁ。知らなかった。

この音楽事務所、正直、「海野さんとか安川先生の事務所」という印象のところで、殆どの音楽ファンには「まだご健在だったんだぁ」と思われることでありましょう。甘利音楽事務所とか、昨年没した小尾さんのミリオンとか、60年代くらいに輝いていた若手演奏家をやってるところ、って感じ。

何度も似たようなことはあったわけで
https://mainichi.jp/articles/20190327/org/00m/200/001000d
今は安川先生の遺産を守っていくところ、ってのが大きなお仕事だったようです。あれ、あの方もそうだったのか、というお若い名前もあるけど。

ぶっちゃけ、凄く困る、という音楽ファンはあまりいらっしゃらないでしょう。とはいえ、コロナの時代が長引き、こういうところから亡くなっていくのだなぁ、と思わざるを得ません。

やくぺん先生の事務所移転後の老後仕事も、あれこれ見えてくるなぁ、ってぼーっと思いつつ松飾りの片付けを眺める、正月終わりの妙に暖かい朝でありましたとさ。

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コンサートホール対コロナ対策の困った問題 [パンデミックな日々]

昨晩は渋谷松濤のオーチャードホールにおりましたが、そこで感じた「新しい日常」シフトの問題について。後の為にメモに記しておきます。

いわゆるメイジャーなクラシック音楽専用コンサートホール客席でのクラスター発生は、少なくとも実質鎖国状態が続くニッポン列島では報告されていないようですけど(ニッポンの外でも、意外にも大ホール劇場でのクラスターって、幸いにして耳にしませんね)、とはいえスーパースプレッダー級の方が発見されたときの追跡調査や周囲の人々への連絡のために、ホールの入口で自分が座る席を申告したシートを提出し、上演中は申告した席を移動しない、という暗黙の「新たなる日常」ルールが出来上がっているのは当電子壁新聞を立ち読みなさっているよーな皆様ならご存じだと思うです。

だけど、このシステムには大きな問題がある。「三密回避」できちんとコントロールされた券売ならば問題ないけれど、現実には指定された席にみんなが真面目に座ると三密がつくられてしまう、という状況もある。実際、昨晩のオーチャードホールの3階天井桟敷近辺は、そんな状況でした。

なんせ演奏会形式とはいえオペラですから、みんな少しでも舞台の見切れがなさそうな真ん中の席を欲しがるのは当然。恐らくそこそこ人が入っていた3階は、いちばんお安い4000円の席と、その上の6000円の席だけなんでしょう。結果、天辺の最安値辺りはぎっしり、貧乏人の中でもちょっと奮発した6000円の席の人は真ん中に集中、ひとり空けでもなく、これまたぎっしりと詰まっている。だけど、上手下手側の、6000円でもあまり条件が良くなさそうな場所は、一列にひとりしかいない状況でした。特定の部分に客が密集し、濃密な空間とガラガラな空間のまだらになってる。わざわざ密をつくっている状況。

本気で三密を避けるなら、レセプショニストさんが最終的な着席状況を眺めた段階で、「では、そこの密のあたりのみなさん、1人空けにして下さい、あぶれた方はこちらのブロックに移動して下さい」ってな指示をすれば、全員がひとりあけで充分に座れたくらいの集客状況でした。

客席の聴衆管理は、ホールの主催公演ならばある程度は差配やコントロールが可能でしょう。ですが、貸しホールの場合はいちど売ってしまった席を、現場のレセプショニスト権限で変更するのはなかなか難しい。バスティーユみたいに「はい、今日は空いているからこの辺りは閉めるから、みんな空いてるところに移りなさい」なんてレセプショニストさんが客を移して歩く、なんて日本の商習慣では言語道断でしょうし。それに、申し訳ないけど、昨日の主催者の二期会さんのような演奏家の団体には、券売の仕方から当日の客席コントロールまでの表方対応が出来る職能があるスタッフを抱えているとは思えない。プロがいたところで、そもそも本来の上演日程が二転三転、指揮者ばかりか会場変更もあり得た難しい公演だったわけですしねぇ。

JRの新幹線や特急指定席みたいに、やってきた車掌さんに「席を移りたいんですけど」と言えばなんとかなる訳でもない。まさかホールの支配人が主催者側と話をつけ、「私は支配人権限があります」と看板背負って客席をまわり、現場で対応する、なんてわけにもいかないでしょうし。

昨晩の状況に限れば、もうひとつ問題があった。所謂「自粛警察」です。

密な場所から疎な場所に移動しようとすると、「席を移っている人がいる」と(本人にではなく)レセプショニストさんに向かって怒りをぶつけているおばちゃんがおりました。その方が怖くて、周囲はガラガラな場所が向こうにあるのに、移動できないような空気が醸し出されておりました。確かに4000円の席の奴が6000円のところに来たら気分悪いだろーが、安い方に自分で移るぶんには問題はなかろう。要は、事前着席番号申告制度の趣旨に反している、ということなのでしょうねぇ。とはいえ、ホールを去るときに「ここに移りました」と正直に申告させれば良いだけのことでもあるんだが…

新しい日常、いろいろなことが起きる。そもそも、この週末から「この演奏会、やるのかしら?」という日常がまた戻ってくるみたいだし。まだまだ続く、コロナ禍よ。

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情勢急転現状:午後6時時点 [パンデミックな日々]

年末の新帝都感染者1000人超え、追い打ちをかけるように元総理大臣息子の野党参議員議員のコロナでの急逝が流石の永田町にも激震を与えたようで、年明けお役所仕事始めから御上もいきなりバタバタ動き出し、本日1月5日、極東の島国は昨年イースター前頃に戻ったような浮き足だった情勢になっております。

今、渋谷はオーチャードホールから撤去へのカウントダウンが始まっている葛飾オフィスに戻っている京成電車の中なのですけど、スーパースプレッダーの群れがたむろする谷底のハチ公前交差点から109、文化村通りは流石に通り抜ける蛮勇は持ち合わせない老人初心者なんで、文化村から真っ直ぐハクジュホールの横まで、人通りも絶えた道を歩き、赤坂から先は驚くほど混んできた千代田線に代々木公園駅から乗車して、町屋駅で京成電車に乗り換えた次第。

なんのかんので結局は奇妙なクリスマスからお正月をニッポンはホンシュー島で総計6週間以上も過ごすことになってしまった21世紀半ばの大巨匠天才パスカルくん、あくまでも僕は代理の伴奏ですよ、ってしゃしゃり出ない奥ゆかしさの中に、ベタベタなロマン派語法の初期ヴァーグナーぱっちもんみたいな音楽から繊細な響きを奏でるのをぼーっと眺める新年初コンサート
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貧乏人が押し寄せる天井桟敷は、ギュウギュウな列とガラガラな場所が散在する妙てけれんな状況で、高齢者も目立つ客席はマスク警察、咳マナー自警団が跋扈するピリピリ感が漂い、正直、パスカルくんのお仕事見物じゃなかったら、金払ってこんないやぁな空気の場所に来たくないなぁ、と感じてしまう。うううむ、本質的な意味での「ライヴの危機」でんな。

再びの緊急事態宣言を前に、本日午後7時前くらいの時点での新帝都の状況を、本日の新年業界関係者挨拶大会みたいだったロビーで拾った現場の裏方話やら、直接やくぺん先生が商売で関与しているところからの情報、はたまたメールなどで直接届いた連絡などから、列挙しておきましょう。なんせ状況は刻々と変化しておりますので、敢えて整理した形にはしません。現場はこんな感じなのかぁ、という雰囲気をお伝えするものと思って下さいな。あくまでも午後6時から7時の時点での話で、その後の午後9時くらいに政府や都からのアナウンスメントがあったようで、明日6日水曜日になると情勢は一変する可能性は高し。

◆東京都歴史文化財団は、どうやら基本的に現場の判断みたい。上野東京文化会館は、「現状維持で、特にまだ動きはありません」とのこと。

◆弦楽四重奏のメッカたる鶴見は、クァルテットシリーズの主催者さん曰く、今月下旬にエクのショスタコーヴィチ・シリーズが始まる予定ですが、「今日の時点で、どうしてくれということは言われていない」。

◆その隣の東神奈川は、残念ながらイッサーリスがキャンセルになり、他にもいくつかの公演が早々とオンラインになりました。夕方前には決まっていたようで、動きが早いですね。
https://kanack-hall.info/event/%e3%80%909%e6%9c%881%e6%97%a5%e7%99%ba%e5%a3%b2%e9%96%8b%e5%a7%8b%e3%80%91%e3%82%b9%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%83%b4%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%82%a4%e3%83%83%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%80%8e/

◆この週末土曜日に大植えーちゃんが案外珍しいNJPで《英雄》を振るという武蔵野市民文化会館のコンサート、やくぺん先生は前日にある後述の喋り仕事の準備もあり当日券でなんとかなるだろうと思っていたら、なんとなんと、昨日4日の時点で、まだ売り切ってはいないのにチケットの予約を停止したとのことです。ううううむ…
http://www.musashino-culture.or.jp/eventinfo/2020/11/post-1047.html
あれ、完売、になってるぞ。なんなんねん?演奏会はやる、ってことかな。

◆やくぺん先生とすれば我が事の、来る金曜日夜の新浦安駅前浦安音楽ホールでのエク・ベートーヴェン全曲演奏会第3回の前の公開リハーサルですが、午後の時点で政策担当者さんは「予定通りやる準備をしておいて下さい」とのことでありました。りょーかい!

◆もう四半世紀も現代音楽系のサロンコンサートをあちこちで主催している某プロデューサーさんから、「月末の黛ピアノ曲ばかりのコンサートはライヴ開催を断念、ネットでの開催に変更を検討中」とメール連絡が昼過ぎにありました。三密回避が困難なコンサートスペースは、換気を考えれば仕方ないでしょうねぇ。

そんなこんな、東京、神奈川、千葉のやくぺん先生に見えている現状はこんなもんです。ともかく、状況は刻々と変化しておりますので、基本、主催者の公式告知をこまめにチェックして下さいませ。

2021年も、延々とコロナ禍は続く。

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応援してはいけないレース [ご当地五輪への道]

数週間後の葛飾区民から中央区民への出戻りを記念し、まだまだしぶとくやりたがってる方がいらっしゃるような「ご当地五輪への道」カテゴリーを復活させましょうぞ。

本日、例年通り正月3日目に佃大川端の縦長屋から、京成電車に直結する最寄りの都営浅草線宝町駅まで歩き、年始のお仕事始めとゴミ出しのために葛飾巨大柿ノ木下オフィスに戻って参りました。

今年は大江戸線で運転手クラスターが出ているので利用しないという理由もあるけど、この道中で来ると、乗換無し一本で荒川放水路の彼方新開地葛飾まで来られるという利点だけではなく、新春風物詩たる讀賣新聞主催関東大学対抗箱根駅伝のゴール直前の沿線風景を見物出来るわけでありまする。

おせちも飽きてきた3日の昼過ぎ、ノコノコと大川端を出て、八丁堀を抜けて宝町まで歩くと、東京駅から有楽町に向かうJR高架線の側から銀座通りに向けて、相互館の前の交差点を曲がって日本橋、ゴールのナベツネの館讀賣新聞本社ビル前へと進むラストスパートのランナーの姿が、讀賣新聞の旗を振る何重にもなった観衆の向こうに見えたり見えなかったり。このPDFファイルの真ん中、東京メトロ京橋駅のところ。
2021-01-04 (2).pdf
ランナーさんたちは警視庁丸ノ内警察署とある辺り、405と書かれた交差点を地図の下から来て、右に曲がり、京葉線の上を走り、京橋駅の上でまた左に曲がり銀座通りへと入っていきます。

で、この写真は、2020年1月3日、ぞろそろ先頭がやってくるという頃に、人々が次々と沿道に押し寄せているところ。上のPDF地図の京橋駅の2と記された出口のちょっと左側(東側)、鞄のマークの辺りから撮影したもの。
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あたしゃ、「ああ、今年はオリンピックに向けて人がいっぱい出てるなぁ、いやはや、これが夏の終わりまで延々続くのかぁ…」と既にウンザリしながら、ランナーが来るのを待つこともなく、京橋駅から銀座線で上野に行き、昇龍で餃子買って、葛飾へ向かったのでありましたっけ。まさかその先、半年も葛飾で蟄居することになるとは思いもせずに。

さて、これが2021年1月3日のほぼ同じ時間。場所は同じですが、お判りですかね、角のローソンがなくなってる。コロナでバタバタ閉店する変わり果てた新帝都で、もうすぐやってくるランナーを待ち受ける様子。撮影場所は道を挟んだ北側、京橋駅4番出口の辺り。
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政府官報と並びニッポンの「正しい報道」の基準たる天下の讀賣グループが「沿道に来るなぁ」と叫び続け、正義感溢れる自粛警察の皆さんがネット上でパトロールしているだけあって、閑散としている、というか、お正月のサラリーマンさんがいないこの辺りのこの時間、って感じですな。え、これからマラソンだかの選手が来るんですか、うっそー、って感じ。

流石に、銀座通りを渡った、選手が左折する潰れたローソン前の角には、例年の警備員さんとはちょっと違う、「沿道で応援しないで下さい」という立て看板を持ち、同じような趣旨の文字を着込んだスタッフもたくさんいる。
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沿線に居るのはダメなら、ってか、隣のスターバックス店内には、スマホ中継眺めながら激戦が目の前にやってくるのを待ってる人達がたくさん。とはいうものの、ギュウ詰めかと思ったら、席が丁度いっぱいになるくらいなもの。店の中からも、走ってる青山学院大学のランナーサンの姿がしっかり眺められる有様。
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うううむ、天下の讀賣グループが「沿線に出るな」と二日間叫び続けた試合のクライマックスをライヴで眺める人々は、これくらいなものでありましたとさ。

ってなぁ、ライヴで眺めるな、ってんなら、別にオリンピックとやらを無理にトーキョーでやらんでもいいじゃないの…としか思えぬ、何度も五輪に騙され続けた湾岸地域住民なのでありましたとさ。

大スポンサーの讀賣グループがなにをお考えか知らぬが、周囲の殆どの地元民は、もうオリンピックここでホントにやるとは思ってないけどねぇ。いやはや…

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2020年回顧のために [売文稼業]

お正月の困ったことは、日程がワープしてるみたいに気付くとなんにもしない日が続いてしまうことでありましてぇ…まだ先だと思っていた締め切りが目の前にあったりする。

緊急事態宣言が再び出るのでは、学校の入試はどうなる、今月3回もある喋り仕事はどうなる、などなどアヤシい空気が流れる正月2日。気付くとなんと、もう締め切りが目の前にある「2020年回顧」原稿があってぇ、午後からいろいろオフィスじゃなくても出来る準備などをしているわけでありまする。

そんななか、春になるとあちこちの大学大学院からで出てきそうなコロナ期の状況を纏める論文を指導している方と話をし、いろいろ思うことがあったです。

2021年になり、事態が収まっていようがいまいが、コロナ禍時代の議論が様々にされるようになるでありましょう。そろそろ共通認識としてのタイムラインもなんとなく確定してきている感はある。となると、なによりも必要なメディアの仕事は、「時期区分及びその名称」の確定なのではないかい。

一昔、二昔前はNHKとか三大紙とかが使っている言葉やら認識やらに合わせればいい、という気楽な考えがあり、ぶっちゃけ、それが大手メディアの大事な仕事でもあった。だけど、グーテンベルクの印刷技術発明以来の情報革命の真っ只中にいて、コロナ禍がそれに猛烈な後押しをしちゃっている昨今、誰が決めてくれるか判らなくなってきている。

ま、そーゆー愚痴はともかく、「コロナ時代の記述の仕方の基本時代区分」の名称を確定しようではありませぬか。なんせ、この時期に関しては、「御上の決定」によって明快な時代区分が可能な珍しい時期なんですから。無論、「1945年8月15日」にしても、「終戦」と呼ぶか「敗戦」と呼ぶか、はたまた「解放記念日」と呼ぶか、いやミズーリ艦上での降伏調印が正しい敗戦の日だとか、樺太では戦闘やってたとか、いろいろ文句を言う人はいるだろうけど、ここがひとつの区切りとしても問題ないでしょ、ってくらいのこと。

例えば、ある若い研究者さんの論文に従えば

◆混乱期:2020年初頭から緊急事態発令まで

◆ロックダウン期:緊急事態発令から段階的な解除まで

◆再開模索期:段階的な解除から年末まで

ということになる。

日本語文化圏での議論なら、全土に緊急事態が発令された時期を「ロックダウン期」とし、一種の「戦時中」みたいな認識で捉え議論するのは、まあ、概ね誰からも文句は出ないでありましょう。問題は、我が業界に限れば、「ロックダウン期」よりも前の「混乱期」の半ばとされる2月26日が「開戦の日」と認識せざるを得ない状況であること。そのズレをどうするか…

要は、「戦中」を真珠湾攻撃からと認識すると、爆弾三勇士の上海事件やら重慶爆撃やらは戦争の外になってしまう。だけど、明らかにそこから戦争は始まってる、みたいなズレでんな。

というわけで、某年鑑の2020年回顧、締め切りまであと数日。初荷お仕事、ぐぁんばってやりましょか。

[追記]

ある方から、「日本政府の緊急事態宣言は法的な拘束力がない要請に過ぎず、国民が勝手にしたがっただけなので、法的な拘束力がある欧米のロックダウンとは異なる。だから、日本の場合は『全国緊急事態宣言発令期』とかにした方が後の誤解がないのではないか」という意見をいただきました。確かに二度目の緊急事態宣言を前にすると、仰る通りだなぁ、と思いますね。

なんであれ、情報が蛸壺化するソーシャルメディア時代、共通の認識を持つように努力しないとドンドン他人に伝わらない言葉が一人歩きする傾向が顕著ですので、なんとかしないと。

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謹賀新年のご報告 [新佃嶋界隈]

謹賀新年
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新年快乐
Happy New Year!
Frohes Neues Jahr!
Bonne année!

庶民とすれば実質上の鎖国が続き、昨年はやくぺん先生もなんと30年ぶりに一歩も外に出なかった東洋隅っこの列島も、数時間前から無事に2021年でありまする。新たな年に用事のありそうなあの人この人の顔を浮かべ、ありったけご挨拶を記してみるものの、「新年」って感覚だって中華圏とかイスラム圏とは全然違うし、欧州言語圏だって今日がお休みなだけだし…ま、それはそれ。

多摩県最東部の秘境に庵を結んでいたやくぺん先生んちが一念発起帝都に戻り、諸事情に拠り今世紀の頭に中央区佃地区に移ってくるまで、根津、目白と数年に一度の転居を繰り返していた。大川端は佃に来てからは、伝統の佃の祭を支える佃2丁目町会に関わるまでの深い付き合いとなり、結果としていちばん長く住み着いている場所になっております。

2021年春、そんな状況が、恐らくは19年ぶりに変化します。久々の、そして恐らくは人生最後の、激動の年になります。とはいえ、この10年間見慣れた上の風景が、生活圏からなくなるわけではありませんが。

大震災の秋に佃の路地の長屋からこの大川端の縦長屋に諸事情に拠り寝床を移し、さらに全く時を同じくして正月に訪れるくらいだった葛飾の親の家を諸事情に拠り引き受けねばならぬことになった。数年後にはオフィスとなっていた佃の長屋を諸事情に拠り引き払い、樹齢半世紀に迫る巨大柿の木聳える葛飾の旧親の家をオフィスとすることになった。

以降、10年代の半ばから後半、晴れて葛飾区民となって納税も立石の葛飾税務署、佃との二重生活が始まった。そして数年前に「世界中のメイジャー室内楽コンクールを全てみて歩く」という生活からの引退を宣言。そうこうするうちに医療機械を抱えて歩かねばならぬ持病が発覚、仕事も生活も本格的に変えて隠居爺としての生き方を考えねばいけんなぁ、とダラダラしてたら、昨年春節以降のコロナの世界に突入。結果として、家庭内隔離の場所として葛飾オフィスに実質上半年以上の一人暮らしをすることになる。

そこからは世間の皆様同様、世界を襲っているコロナ禍の生活でなんのかんのなんのかんの。で、秋の終わり頃に、大きな決断をせざるを得ないこととなりました。

2021年春、葛飾オフィスを放棄します。

どこにオフィスを移動するか、既に選考に入っております。数週間前に、こんな記事をアップしたのも、それが理由です。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-12-03
なんせこのコロナ禍、実際に候補地現場に行ってあれこれ調べるという動きそのものが難しい。でも、葛飾オフィスを引き渡す日はがっつり決まってる…ってのが2021年元旦時点での状況でありまする。

ひとつハッキリしているのは、春節明け頃には数年ぶりに住民票を葛飾から佃に戻すこと。オフィス移転先がどこになるにせよ、加入している国保が東京都の団体なんで、住所は暫くは都内にしておかねばなりませんけど。

コロナ騒動前までは、いずれは佃を引き払ってお嫁ちゃまの学校にも京成電車一本で通いやすい葛飾に蟄居、どうやら荷風みたいに葛飾近辺で死ぬことになりそうだなぁ、と思って「葛飾慕情」なんてしていたカテゴリー名なんだけど、わずか数年で「マンハッタン無宿」同様に使われないカテゴリー入りしそう。まさか葛飾の方を捨てる、という選択になるとはなぁ。

そんなこんな、大激動の年になるのは必至のやくぺん先生の2021年。とはいえ、お嫁ちゃまの学校が退官まであと6年ありますので、まだ暫くは「新佃嶋界隈」は続くことになるんじゃないかな。恐らくは、当無責任電子壁新聞に新しいカテゴリーが出来そう。

みなみなさま、まだ暫くは、よろしくお願いします。あ、まだ柿の木は引き取り手、ありません。

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