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Let your indulgence set me free… [現代音楽]

以下は、FBに記した内容と基本的には同じです。自分のレファランスのためにこちらにも貼り付けておきます。あしからず。

メトでのアデスの「テンペスト」千秋楽が終わりました。世間では大好評ということのようだが、うううん、正直、これだけ有名でみんながいろいろ考えている作品のオペラ化は難しいなぁ、と思ったです。
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やはり決定的なのは、かのプロスペローのエピローグの台詞がないこと。メトのプロモーションヴィデオをYoutubeで眺めて、スカラ座の舞台を舞台上に組む、という基本構想をルパージュが喋ってるのを知った瞬間、ああ、なるほど、「ミラノに無事に戻り死の床かなんかにあるプロスペローが、島での日々を回想して語る」みたいな枠組みにして、最後は客席に向けてバリトンの主人公があのプロローグの言葉を歌い、文字通りの客席からの拍手を貰って大団円とする為なんだろうなぁ、どんな感動的な音楽が付けられるのかなぁ…なんて勝手に想像してた。そしたら、見事にスカでした。

ルパージュさんねぇ、演出家として曲がり角に来てるんじゃないかしら。思い返せば、松本で「ファウストの刧罰」をなぜか字幕投影席から眺めたときの衝撃。おおお、こんな手があったのかぁ、舞台を垂直に用いる演出なんてこれまで観たことないぞぉ、なんて腰を抜かしたのも遙かな昔になってしまった。その後、あのプロダクションがパリに売れて、さらにはメトにも売れて、映像にも収録され世界中に配信され、結果としてルパージュという演出家の出世作となった。そのお陰でメトの新しいリングのプロダクションを任されるわけですから。演出家が売れっ子になっていく様子を目の当たりにする、興味深い例でありました。これだけでもサイトウキネンというフェスティバルをやってくれたことを有り難いと思うです。はい。蛇足ながら、「ライオンキング」のオリジナルコンセプトになった「オディップス」も、舞台はパリオペラ座の倉庫に眠っているという。ホントなのかしら。もう一度観てみたいなぁ。

で、音楽の方ですが…そうですねぇ、果たして後に残る作品になるのか、ブリテンの「夏の世の夢」みたいな地位を得られるのか、ちょっと微妙。

そもそも、これまでいろんな大作曲家が試みてうまくいっていない、若しくはまともにシェイクスピアの「あらし」としての舞台化は諦めてきた素材。「誰もやらないには訳がある」という有名な格言を今更持ち出すこともあるまいが、やっぱり理由はあるよねぇ、これは難しい素材だわ、と思わせてくれた舞台でした。よーするに、「デビルマン」の実写映画化が難しいとか、今やってる神山監督の「009」の「神々の闘い」編への決着の付け方はこの監督兼脚本家さんとすればこうなるだろうしそれなりの力業だとは納得しつつも今ひとつ腑に落ちんとか、そういうのと全く同じです。

ぶっちゃけ、この話、それこそパーセル時代から作曲家を魅了したように、もの凄くたくさんの音楽が入る余地がある。ってか、音楽劇用の台本なのは誰の目にも明らか。でもそれは、凄く手の込んだ伴奏音楽が必要、ってことで、オペラでなければならない、ってことではない。なにせ、普通の意味での演劇(そしてなにより、19世紀的な意味でのオペラ)としてのドラマツルギーとはまるで無縁に話が進み、カタストロフがなく、いきなり「許し」という御印籠が出てお終い。アデスと仕事をした台本作家さんは、恋するミランダの姿の前にプロスペローは自分の復讐心を無意味に感じて…と聴衆が思うように仕掛けていることは明らかなんだけどさ。それだったら、「ぶれいぶ・ざ・にゅーわーるど!」をもっと大事に扱ってよ。

そんなこと、台本作家さんとアデスが最初に悩んだことで、全部判った上でああいう形にしているんでしょうから、それはそういう解釈なんだ、ってことなんでしょう。でもやっぱり、「テンペスト」というか、日本語の小田島訳「あらし」というか、そういうもんで普通に慣れ親しんだ者とすれば、この話のポイントは、もの凄く理不尽にいきなり「許し」がやってきちゃうことをどう解釈するか、にあるわけでさぁ…

ま、古典中の古典を相手にし、真っ向勝負をしたアデスの作曲家としての力とか、メトのプロダクション能力には敬意を表すべきです。ティペットもベリオも敗北必至の強行突破は避け、絡め手でオペラ化したわけですし。たしか、ベートーヴェンもやろうとして諦めたんじゃなかったっけ。ピアノソナタの「テンペスト」よりも、作品131辺りが、この作品の内容により近い気がするなぁ。

ま、ぐだぐだいうよりも、ご関心の向きはメト・ライブで皆様も眺めてみて下さい、って放り投げます。あたしゃ、おそらく、映画館はパスです。その時間があったら、新エヴァちゃん見物に行きますです、はい。

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コメント 8

ほ

紙芝居の「ゴティックメード」も観に行ってやんなさい。
ついでに協会の会合で衣装コンセプトデザイナーにナガノを推しちゃいなさい。
by ほ (2012-11-19 15:31) 

ほ

ルパージュは映像とサーカスが基本ですから。
大昔ルパージュが演出したナイマンの「ミラノの公女」は影絵とパントマイムだったけど。ナイマンの方は"魔法の杖ポッキリ"も入ってました。
by ほ (2012-11-19 16:09) 

Yakupen

ほ様

確かにそうなんでしょうけど、そういうところから出発して基本的な演出の力を付けていく、という演出家さんもいっぱいいるわけで、やっぱり伸びてない、ってことなんじゃないかなぁ。例えばポネルなんかも、最初は装置家だからとても綺麗な舞台は作るが演出家としてはまるで駄目、と盛んに批判されながらもあそこまで来たわけですからねぇ。

今ヨーロッパで大人気のあのスペインの舞踏集団さんにも、似たようなものを感じるのですよねえ。日本では成功した舞台しか話題にされないけど、スカラで眺めた「タンホイザー」は正に踊りと映像でとんでもないことになってる酷いもんでした。流石にあれは、パッケージ化されませんね。

まあ、こういう風に演出家の成長や成長しなさが観られるのも、日本が世界のマーケットの一部に取り込まれ始めているからなんでしょう。それはそれで有り難いこってす。勉強する方の人は大変でしょうけど。

by Yakupen (2012-11-19 17:54) 

ほ

 どうも日本でもオペラ専門外演出家で有望なのは大抵振り付け出身な人が多いすしね。今「蝶々x」やってる人も振り付け出身だし。・・オペラの身体演技とダンス系統は相性が良いのか? ただ、これもそこから作品解釈の先に進めるか否かで本当に面白い演出家になるかが分かれてきますけど・・・。
 余談
何か「テンペスト」ゲネプロ動画あったので観ましたけど、その限りでは「劇場」の扱いは昔の「ヴェルサイユの幽霊」の方が深かったかも(まぁあちらは作品自体が「劇場」のせいもあるけど)。
最近では某ステハイムがドリフ+新感線みたいなクセルクセスをやらかしてるし。
by ほ (2012-11-19 18:40) 

Yakupen

ほ様

ってことは、今の期待は、昨年の北京にも持って行った某新潟の舞踏集団監督さん、ってことでしょうかね。もうちょっと世間で大きく扱われるだろうと思ったら、やっぱり完全東京無視の舞台はメディア関係者も無視する、ってことなのかしら。

by Yakupen (2012-11-19 22:58) 

ほ

「テンペスト」は合唱は仮面付けてパチモン(「劇場」の虚構)感出して、第二幕(かそれ以前から)「劇場」の崩壊が始まっててエリアルの「これで満足でしょ?」で「劇場」の亀裂から外界の光が入ってプロスペロの苦い顔を直撃。その後「劇場」はどんどん解体、キャリバンのアリアの時にはジャングルと海しか残ってない・・・となったら個人的には思ったっすよ。
by ほ (2012-11-20 17:56) 

ほ

>やっぱり完全東京無視の舞台はメディア関係者も無視
えー;それほど無視では無かった気が。ただ、手兵の踊り手は動かせても「青髯公」ではまだ歌手まで動かせなかった感じはしました。まあこれからでしょうね(多分;)。ダンス関係ではカオスの人の「傲罰」とか田中民の「ポポイ」とか成功(?)例もあるし、アンテナ張ってる人は観に行って記憶している・・と思います(あんまり自信無いけど;)。あと日本の古典芸能関係の人も注目株かしら。ENOで「天路歴程」演出しているヨシ笈田も元々はそっち関係の人ですし。かといって現代演劇畑が立場弱いかというと、かつて毎年クリスマスに女装して歌ってた白井晃なんかは着々と実績をあげてる感じですな。
by ほ (2012-11-20 18:40) 

Yakupen

ほ様

残念ながら、「青ひげ」は音楽業界的には小生がどんなに騒いでも、音楽マスコミは乗ってくれませんでしたね。フィレンツェでの上演も、音楽マスコミはどこも取り上げてないし。いやはや。なんせ音楽業界はたこつぼですから、演劇のことなんて知らないし、演劇の方も「オペラ」になっちゃうとねぇ。蜷川氏が「オランダ人」やって何も出来なかったとか、懐かしいなぁ。天下の吉田秀和御大が黒テント系演出で二期会がやった「ヴォツェック」に、この評論家さんのキャリアの中でも最大クラスの頓珍漢な批評を出したこともあるし。

by Yakupen (2012-11-20 21:17) 

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