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卒寿の《ゴルドベルク》その2 [演奏家]

企画が告知され始めた頃から「あんな広いところでチェンバロ一台なんて、ホントに大丈夫なんだろうか」とか、「道夫先生はちゃんと判って引き受けなさったのか、本人、2000席の大ホールって知らないんじゃないか」とか、様々な不安心配大丈夫かって声が飛び交ってた「福岡アクロス再オープン記念《ゴルドベルク変奏曲》三連発」最終回、キラキラ才能輝く若手スターの鍵盤操作技巧に喝采を飛ばし、良くも悪くも異才としか言いようがない曲球でビックリさせられた後を受け、いよいよ満を持してのほんまもん登場、小林道夫チェンバロ・リサイタル《ゴルドベルク変奏曲》が、昨晩、無事に開催されました。
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で、もうなんのかんの面倒なこと言わずにさっさと結論だけ記してしまえば、この演奏会、ありでした。あり、どころか、道夫先生ご本人はどうお思いになられようが、恐らくは演奏に接した皆さんは「2023年福岡アクロスの卒寿の奇跡」と語り継ぐんじゃないかしら。

ともかく、やくぺん先生含め多くの人が心配していた「聴こえるのか?」というそもそもな部分ですが、いやぁ、聴こえるんです!ホント、驚くほど聴こえました。単に物理的にどんぶり勘定な音響として聞こえるだけではなく、ちゃんと音という現象の様々な質の違いを伝えられる、という意味でであります。

平土間だけをオープンにした巨大空間、客はやはり二段鍵盤が見える下手側を中心に500名程度。アクロスのスタッフに拠れば、「300人入れば良いかな、と思ってましたが…」とのことであります。
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で、やくぺん先生ったら、最近の道夫先生のいつものやり方で第15変奏までで休憩が入る前半は、ええと、6列目だかのちょっと上手側に座る。ここ、楽器の音が生音でガンガン伝わる場所で、会場が広いもなにも、これだけ近いとまるで無問題。耳が慣れてくれば大音響にすら感じられる席でありました。道夫先生も、袖から楽器までの長い長い道のりをしっかり歩んで来られて、よっこいしょとお座りになり、おもむろに譜面整理して…っていつもの調子。今日は広いですねぇ、って笑ってるみたいな。調子も前半から、一週間前の大分よりも入りやすかったみたい。

で、後半は去る方とチケットを交換し、ぐっと後ろに座ります。って、その方の席が真ん中からちょい後ろくらいで、意外にも周囲は人がいっぱいだったんで、わざわざほぼ最後列に近い、そこより後方に座ってるのはなにかあったら直ぐに動かねばならないホールスタッフのみ、って辺りに陣取った。これまあ、もうまるっきり違う世界。物理的に聞こえるかどうかは全然問題ないのにも驚いたけど、前半のオンマイクで楽器に頭突っ込んで聴いてるような響きから一転、ホール全体の音響の中でチェンバロ一台がしっかり鳴っている。ゴルドベルク君が不眠症の伯爵だかの為に弾いてお聴かせするには、こっちの方が良いかな、って。25変奏以降のヴィルトゥオーゾ小品アンコール集みたいな部分は、ことによると近くで聴くよりもこっちの方が良かったかも。

基本的には一週間前の大分とコンセプトは変わらぬものの、空間の違いをそれなりに意識なさった演奏を終え、楽屋の道夫先生、「疲れました、もうダメですね」なんて毎度の自虐ネタでお笑いになってました。ちなみに、アクロス福岡スタッフさんに拠れば、主催側としては別の小さな会場でやることも考えたそうです。ですが、道夫先生が「ここでいいでしょ」と決断なさったとのことです。

卒寿の《ゴルドベルク》、なんだかこれが最後って感じはまるっきりないなぁ。

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卒寿の《ゴルドベルク》その1 [演奏家]

先程、大分市内iichiko総合文化センター音の泉ホールで、「小林道夫チェンバロリサイタル最終章」と題し、《ゴルドベルク変奏曲》の演奏会が行われ、金曜夜とはいえ祭日の翌日という決して良くない環境にも関わらず、平土間はほぼ満員。ゆふいん音楽祭スタッフもほぼみんな座ってる勢い。
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ゆっくりと舞台に登場した道夫先生、冒頭アリアから第15変奏までの前半45分、15分の休憩とチェンバロの調整を挟み、第16変奏から最後のアリアの繰り返しまでの50分を譜面を自分で繰りながら演奏。拍手鳴り止まぬ中、「この曲はもうアンコールが付いてるみたいなもので、やりにくいんですが…」と苦笑しつつ鍵盤の前に戻り、『アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳』からコラール《 Jesus, Meine Zuversicht》をサラリと弾いて、コロナを挟んだあしかけ7年のこの会場での「クラヴィア練習曲集」ほぼ全曲演奏という偉業が達成されました。

1月3日とされるお誕生日で90歳を迎えた道夫先生、主催者側の大分文化財団も「90歳の巨匠による実質上史上最大のチェンバロ作品演奏」などという本人が絶対に嫌がりそうな宣伝などは一切せず、幸か不幸か地元メデイアもそんな部分を話題にする気配もまるでく、淡々と、とてつもないことが成されてしまった晩でありました。

東京で半世紀の年末演奏をお聴きになっていた方はご存じのように、半分で休憩を入れ、前半は繰り返しをきっちり行う長大な演奏です。そもそもが派手さとは無縁の芸風、ましてやいかな日々練習を重ねているとはいえ腕の筋肉は衰え、「人生で初めて九十肩になりまして」などと冗談めかしながらも痛恨のキャンセルもあったご高齢。本日も、前半はどこか鍵盤の引っかかりがしっくりこない部分があったか、休憩中に楽器の調整が入ったり。とはいえ、チェンバロ一台には些か広い空間に聴衆も楽器も道夫先生も慣れてきた後半は、二段鍵盤で弦を引っ掻くチェンバロでなければ不可能な音色の変化が圧倒的な説得力を持つ演奏が展開され、特に声部が少なくなる変奏でのまるでひとりが複数のギターかハープを奏でているような強烈な音色対比、でもわざとらしさは皆無の、「時代チェンバロを豊かに響かせる」なんて少しも考えない、この撥弦楽器のホントの響きがさりげなくそこにあるような、自然な音楽が広がる。頂点の第25変奏を過ぎ、道夫先生仰る「曲にもう書かれているアンコール部分」たる《クォドリベット》までの5つの変奏での、渋さを極めた先にある闊達さったら。

恐らくは、ご本人はまだまだやり足らないところがあるとお考えなのでしょう。卒寿の《ゴルドベルク変奏曲》、1週間後には、冗談のように広いアジアの大都市福岡はアクロスの巨大空間でもういちど鳴ります。広大な盆地の真ん中にチェンバロ引っ張り出したような場所で、どんな風に響くのやら。
https://www.acros.or.jp/events/12932.html

思えば、道夫先生が普門館近くのお宅から温泉県は由布岳の麓に転居なされてもう20年。環七の雑踏を離れ、朝霧に埋まる盆地や、九重の山並みに沈む夕日を眺めながら熟成した音が、山の向こうの大友宗麟の地で少しづつ紡がれた。それこそデトモルトみたいな田舎で巨匠の言葉を大騒ぎせずに語ることが出来、語る相手がいたなんて、冷静に考えればちょっと信じられないことです。企画を支えた関係者の皆様、本当に有り難いことでした。

全人類必聴、などと叫んだら、道夫先生に怖い顔されそうだから、敢えてそんなことは言いません。お疲れ様でした。今日はゆっくりお休みくださいませ。

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26人でべとななGOGO! [演奏家]

とりわけ若い世代には猛烈な自主規制マインドコントロールが行き届き切った21世紀20年代には絶対に発表出来ないだろう国木田独歩の小説『春の鳥』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/1057_15980.html
の舞台となった城山の下、温泉県最南端の港町佐伯に2年前に出来たさいき城山桜ホールで、オリジナル2管編成26人の楽人が演奏するベートーヴェン交響曲第7番を拝聴してまりました。指揮はお馴染み茂木大輔、オーケストラはTaketa室内オーケストラ九州であります。この話の続き。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2023-02-10
ちなみにメンバーは、当日配布のチラシみたいなピラっとした刷り物に拠れば、以下。
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おおお、福岡の方には「へえええ」と思われるお馴染みの名前、そして我が墨田区近辺の音楽ファンなら懐かしい、ってにはまだついこの前ながら、嬉しくなっちゃうような名前もあるでしょ。

竹田のアンサンブルは、本来ならば1ダースちょっとの正規メンバーから成ってます。ヴィオラの生田氏なんぞ、東京でもやたらと名前を見るスターだけど、そもそも大分の出身だそうな。基本は車に楽器積んで阿蘇外輪山手前の竹田まで通える大分や北部九州に在住の演奏家で(熊本側からはまだだけど、大分から竹田までは高速が繋がってて、小倉からずっと下ってきて大分の南から山に入ってきます)、さらに大分に縁のある方なども加わっている。今回、初の佐伯でのオーケストラ公演で、そこに墨田やら京都やら大阪やら福岡やら那覇やらから、団長の森田さんの人脈で「この人達なら目をつぶっててもベートーヴェンの7番いける」って(かどーだか知らんけど)手練れが助っ人に集められた次第。

主催者たる地元ケーブルテレビ局で団長の森田氏とクラシック番組をやってるアナウンサーさんが音大ピアノ科出身でしれっとラフマニノフのソリストやっちゃうとか、中学生の女の子たちが学校が連れてきたんじゃないみたいなのに4人も並んで聴いてるとか、竹田とか佐伯とかJR特急が停まるくらいの町にこんな立派で響きの良いホールをコロナの頃に立て続けに竣工した温泉県のトップが「文化行政」で何を考えているかとか、あれこれいろいろ興味深い切り口はあるけど、日豊本線と久大線乗り継いで延々2時間半ほどで温泉県盆地まで戻って来たこの瞬間、やっぱりもの凄く面白かったのは本日のメインとなったベートーヴェンの第7交響曲でしたわ。

この演奏会、まずは《フィガロの結婚》序曲で始まり、独奏ヴァイオリンと独奏コントラバスでオケ伴奏《チャルダッシュ》をやり、前述のアナウンサー独奏でラフマニノフ第2協奏曲第1楽章をやって、後半は上のリスト全員が参加しベートーヴェン。「のだめコンサート」をずっと指揮しているマエストロ茂木とすれば、今やオーボエよりも手慣れた演目でしょう。で、前半のモーツァルトとラフマニノフは1管編成なんだけど、ちゃんとイアィン・ファリントン(Iain Farrington)って英語圏の作曲家さんが編曲した編曲楽譜が存在しており、それを使って演奏したそうな。この方でんな。
https://www.iainfarrington.com/
へえ、Aria Editionsというところから、小編成版の《海》とかエルガーの協奏曲とか出てるんだなぁ。それどころか、YouTubeでFarringtonと調べると、なんとなんと小編成版のマーラー1番とか、はたまた9番なんてのがあるぞ。どうやら、ウニヴェルサールが天下公認みたいにシリーズで出しているやつとか、パスカルくんがル・バルコンで小編成版でやってるマーラー・チクルスの楽譜とは、どうも全然違うものみたいだなぁ。うううむ、小編成アンサンブル業界、なかなか奥深い世界が広がっているようじゃわい。

舞台の上では、茂木&森田の掛け合いで聴衆置いてきぼりの「こういう編成でもよく出来ていて、ちゃんとそれらしく鳴るんですよ」なんてオケマントークで盛り上がってました。森田さんも北米時代に小さい編成でやったとか、東欧ではこの規模できっちり働いてるローカルオケがあるとか、まあ、考えてみればボルドー歌劇場なんてあんなデッカいのにピットではコントラバス2本だかで《イエヌーファ》やってたし、ビュルツブルクの《神々の黄昏》も小編成版の楽譜があると言ってたっけ。そういう需要はあるんだから、当然、楽譜が用意されているわけでしょうねぇ。

で、後半のベートーヴェン7番は、なんせトロンボーンもピッコロも要らない2管きっちりの小さな編成で書かれてるわけですから(やっぱり7番のシンフォニーって、一般聴衆向けの陽気な大編成《セリオーソ》、って思えちゃうんだわなぁ)、弦楽器の負担さえ考えなければ全くもーまんたい。茂木さんったら、前半はギリギリのギャグかましながら楽しそうにやってた姿から一転、完全に普通の演奏会モード突入で、一切の刷り物なしだから楽章4つあることも判らず、どこ曲やってるのかしら、って中学生女子らを置き去りに、でもなんだか知らないけどスゴいからいいわ、ってノリで突っ走る。

上の写真のメンバーのような編成ですから、明らかに弦とティンパニーのバランスはいつもの「べとなな」とは大違い。いかなこの曲をこれまで無数に弾いてきているだろう猛者を集めたとはいえソプラノに比べてバスが圧倒的に声がデカくなるのはわかりきったこと。でも、結果として第1楽章の最後でグランドバスがごーわーごーわーと盛り上がってくるところとか、もの凄い大迫力になります。ティンパニーは、ホールが今時のもの凄くちゃんと鳴る空間なだけに、もうまるでコンチェルトみたいな大迫力で、一発で全オケを凌駕しそうな勢い。殆ど腕力で処理しているようなちっちゃな弦楽器チームも、これだけ小編成だと逆にダイナミックスの指定が猛烈にはっきりと見えて、まるで弦楽四重奏聴いてるみたいなやりとりが見えてきたり。いろいろと問題ありと言えばそれまで、相当に「歪んだ」演奏なのかも知れないけど、この場にいた聴衆はこの些か特殊な作品の「ノリノリ」部分に前のめりになって、最後は大盛り上がり。マエストロ茂木ったら、アンコールで出てきてどうするのかと思ったら、聴衆に向かって手拍子で参加してくださいと宣い、おもむろに「べとなな」コーダを鳴らし始め、ビックリするくらい広い客層の佐伯聴衆はノリノリで「♪てーってててててててててててて…」って手拍子バンバン、城山桜ホールは大盛り上がりに盛り上がる梅もほころぶ春間近となりましたとさ。

これ、ありじゃん。ヴェトナムやら澳門やら北米やらで沢山の聴衆に出会い、コロナ禍で敢えて温泉県の古城の町にオーケストラを造ろうなんてドンキホーテなことを始めた奴が何を考えてるか、マエストロ茂木をポディウムに得たことで、ようやくハッキリと判りました。もしかしたら、21世紀半ばはマイクロ・オーケストラの時代かっ?!

《追記》

主催者のローカルケーブルテレビ局の翌日のニュース。4分くらいからですぅ。


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小さなオケでベートーヴェンat佐伯 [演奏家]

豊後の大都会大分駅から日豊本線各駅停車でノンビリ1時間半くらいかな、お鉄の方向けに言えば宗太郎越えに向けて車窓風景が海から山に変わっていく辺り、南国宮崎に境を接した温泉県最南端の地に、豊後水道に面し回転寿司でも関アジ関鯖なんぞが並んでそうな佐伯という市がありまする。

明日土曜日から、佐伯市立の「さいき城山桜ホール」(城山と呼ばれる佐伯の城跡にある桜ホールなのか、佐伯城の山桜ホールなのか、よー判らんわい)で、「音楽ゆるり旅コンサート2023 ~全世代でクラシックを楽しむ2Days~」と題された演奏会が開催されます。
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https://sakura-hall-saiki.com/archives/event-infomation/4417

当電子壁新聞を立ち読みなさってるようなすれっからしの皆様からすれば、「九州のどっかの市のホールに九響だとか日本フィルだとかのオケが来て、休日の午後にファミリーコンサートをやるわけね、よろしーんじゃないですか、で、それがなんなの?」ってくらいの話でしょうねぇ。

ところがどっこい、このなんとも味わい深いチラシをよーく眺め、ホールの公式ページからチラシPDFに飛ぶURLをポチョっと押してご覧なさいな。なんのかんの提供される情報の最後にやっと出てきた演奏者ったら、指揮はあの元N響オーボエ名人茂木大輔氏ですわ。数年前の香港公演で最後の笛を吹いてから指揮者に転向、「のだめ」ライヴシリーズをずっと指揮しているわけだから、こういうファミリー・コンサートには格好の人材ではないかい。んで、その先に書いてあるオーケストラは…Taketa室内オーケストラ九州。

さてもさても皆の衆、このオーケストラ、ご存じかな。ぶっちゃけ、日本語文化圏1億数千万の1%程度を占めるという「クラシック音楽」愛好家の皆様の中にあっても、ご存じの方は殆どいないでありましょうねぇ。

港町佐伯から内陸へ、深い山を越えて阿蘇外輪山に至る途中に、竹田という古い町があります。滝廉太郎がその短い一生のある時期を過ごし、ほぼ最初に誕生した日本語歌曲の名曲たる《荒城の月》で歌われた城跡が残る古都ですな。我が温泉県盆地町からすれば隣の市なんだけど、キューシューという島は実質上いくつもの都市や町が険しい山で隔てられ、島が点在しているようなところがあり、非常に行き難く、生活圏としてもまるで異なっておりまする。距離的には数十キロでも、公共交通機関を使うと接続が良くても3時間はたっぷりかかってしまう場所。

そんな竹田市はJR豊肥本線の豊後竹田駅を熊本方面に出て川を渡った直ぐの沿線左手に、立派な公共ホールが竣工、なんのかんのなんのかんのあって、コロナ禍の真っ只中にそのホールを拠点として活動する民間の室内アンサンブルが誕生しました。規模は正規メンバーは12名のようで、近くの例では大村の長崎Omura室内合奏団よりも小規模な室内アンサンブルなれど、敢えて「室内オーケストラ」を名告った。温泉県としては初の常設プロオーケストラだそうな。まだ結成されて2年の若い団体、結成の経緯やらやってることなどは、こっちをご覧あれ。おお、昴21Qのヴィオラ氏などいらっしゃるではあーりませんかぁ、大分の方だったんだなぁ。
https://www.taketachamberorchestrakyushu.com/

おいおい、この編成でベートーヴェンの7番ですかぁ、とちょっとビックリでしょ。団長のコントラバス森田氏に拠れば、日曜日の演奏会はここに所謂トラで様々な顔ぶれが集まり、弦は4-4-2-2-2 、前半は1管編成で、ベートーヴェンは楽譜指示通りの管に最高音や最低音の補強がない2管編成そのまま、とのこと。とはいえ、竹田でこれまでに披露された規模の倍以上になるわけですな。なんと助っ人メンバーには、元九響の団長さんとか、かの墨田トリフォニー近辺では知る人ぞ知るブタオさんなんぞもいらっしゃるぞ。

日本にこのくらいの規模の小編成プロアンサンブルがどれくらいの数あるか、今や非売品となってしまっている「演奏年鑑」なんぞ眺めれば判るだろうが、余り中央で話題になることはない。多くの音楽ファンが「プロ団体はない」と信じ込んでいるような場所にも、案外とそれなりに存在しております。やくぺん先生がこの竹田での動きを面白いと思っているのは、立ち上がったタイミングが自分が生活拠点を移したときで場所も近いということだけでなく、やはり団長の森田氏の考えてるプロ「オケ」の動かし方そのものがとても興味深いからでありまする。

だってね、これは極めて誤解されそうな言い方になるんだけどぉ、「あああ、これって、ヴェトナムで本名さんがやってきたことや、ミヤンマーでゆうちゃんがやろうとしていたことだわなぁ、規模は違うとしても」って感じちゃうわけですよ。森田氏がこれまで大きな楽器を弾いてきた場所は、ベルリンやらパリやらミュンヘンやらヴィーンやらロンドンやらペテルスブルクやらニューヨークではない。ニッポン語文化圏の「クラシック音楽」西洋本場物ヒェラルキー構造の中では、アジアや北米の辺境と思われるような場所ばかり。そういう場所で、音楽に対する接し方もホントにいろいろな人達の前で音楽をやってきた。そこで起きていたいろんなことから思い、考え、感じたことを、ニッポンという辺境の中央たる東京やら関西圏を全く考慮せず、いきなり竹田という場所でやってみようとしている。

ポップスとか演歌だってありのこの団体の2年間の「オケ」活動の中でも、小編成版で指揮者付き《新世界》全楽章とか、このアンサンブルのオリジナル編成でやれるラインベルガーのノネットとか、普通の意味でクラシック音楽コンサートの王道たるレパートリーを真っ正面から取り上げ、竹田の些か立派過ぎるホールでちゃんと聴かせてきた。その延長で、山越えた佐伯まで出てきて茂木さんという手練れをポディウムに立て、いよいよベートーヴェン第7番という勝負に出た。ロンドン・シンフォニエッタでもなければ、オーストラリア室内管でもなければ、アンサンブル・ノマドでもなければ、神戸室内管でも、はたまた大村室内合奏団でもない。この団体しかやったことない、前人未踏の道を歩もうとし始めている。

というわけで、やくぺん先生ったら、日曜は朝からチャリチャリと温泉県盆地駅まで向かい、JRノコノコ3時間弱、押っ取り刀で拝聴に駆けつける次第。さても、どんなことになるのやら。その前に、土曜日は小倉で48回目の日本フィル九州ツアーが始まるんで、まずはそっちに行かにゃならんのだけどさ。

如月九州東海道、うらうらと言うにはまだちょっと早い瀬戸内西外れから豊後水道を、2週間で何度眺めることになるやら。

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香港に就職… [演奏家]

香港シンフォニエッタさんから新しいリリースが来ました。Web版もアップされているようなので、ご覧あれ。こちら。
https://hksl.org/press_release/hong-kong-sinfonietta-appoints-german-conductor-christoph-poppen-as-music-director-from-april-2023/

要は、本日付の緊急報で、「2023年4月から香港シンフォニエッタ音楽監督にクリトフ・ポッペンが就任します」ということ。

正直、ちょっと驚きました。ひとつは、音楽業界の常識からすれば随分と急だなぁ、ということ。普通に考えれば、音楽監督就任って少なくとも2シーズン位前から準備されるものです。ポッペン氏は、この団体にはもうずっと客演していて、イップ氏がもう数シーズン前から監督のタイトルは返上しているので、実質上監督空位になっていた。まあ、端から見れば「え、まだポッペンさんじゃなかったの」という感じなんで、人事そのものはビックリではない。つまり、監督としてのタイトルを貰う2ヶ月前に発表になる、というタイミングが不思議なんですね。これはどういうことなんだろうなぁ。

ま、いろいろと勝手な憶測はしちゃうところですけど、なんであれミュンヘンのポッペン氏が今、敢えて香港のポジションを獲った、というのは興味深いところです。思えば、ニューヨークのポジションは早々に手放したヤープ氏も香港フィル監督というタイトルはまだ維持しているわけだし、香港情勢は「安定」と判断しているということなんでしょうかねぇ。

ニッポンではテレビのチャンネルを捻れば「台湾有事」やら「中国軍の侵攻」やら叫ばれる今日この頃、みんな「香港民主化」は忘れちゃったのかぁ。思えば、今を去ることもうぐるっと干支も一回りした12年前の2011年、大震災&原発事故直後に日本フィルさんが香港芸術節出演のためにラザレフ御大と彼の地に向かい、シンセン近くの新開地の中学にアウトリーチに行ったりしたっけ。あのとき、学校で弦楽四重奏を聴いていた真面目そうな子どもたちは、今、正に香港民主化運動で闘ったり、あるいは昔の仲間を通報したり逮捕したりする現場の側に入っていたり、いろんな人生を歩んでいるのでありましょう。

ポッペン氏としても、ケルビーニQでフィッシャー=ディスカウ息子なんかとやってたのは遙か昔、ミュンヘンARDコンクールを「普通に優勝者が出るまともな大会」へと大改革したのももう20年も前のこと。アジア各地で指揮者や教師として大活躍する勢いで、香港の音楽界に何を与えてくれるのか。

…っても、やっぱり今月半ばに予定していた芸術節のエスメQ公演、やくぺん先生は見物を断念しますです。ま、九州でもいろいろありますもんで。次にランタオ空港に着地するのは、いつのことになるのやら。

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ひとりの指揮者と四十数年 [演奏家]

今回、春節休暇期間を温泉県盆地ではなく新帝都で過ごしている理由は、町内観光地や駅、バスセンター、スーパーマーケットに溢れるアジア圏観光客さんたちを避けるためではなく、一昨日の都響マデトヤ交響曲第2番と、昨日のNJP道義自伝オペラを見物するためでありました。スイマセン日本フィルさん、伊福部行けなくて…

とにもかくにも、昨日午後、賑々しくも目出度くもすみだトリフォニーホールに満員の聴衆を集め、井上道義(ほぼ)自伝オペラ作品が無事に初日を終えたわけでありまする。
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https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2022-10-24
同業者さんの顔もそれなりに見えたので、一晩経って朝起きて、あっちこっちのSNSやらに感想が溢れかえっているだろうと思ったら案外そうでもなく、やっぱりみんな「さてもどうしたもんか」と困ってるのかな、と苦笑を禁じ得ないのでありまする。ま、そりゃそーだろーねぇ、ホントに商売でなんか書かされなくて良かった。当「感想になってない感想にすらなりそうもない感想」は、俺はもうweblogに書いちゃったからダメです、と編集者さん封じの先手でもあるわけでして。

んで、もう全く率直に「感想になってない感想にもならない感想」をあっさり記せば…「ああああ、指揮者さんってのはホントに特殊な生命体なんだなぁ」に尽きまする。
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NJPさんは昨年秋からカーテンコールの写真撮影がOKになったとはいえ、まさかカーテンコールでここまでアピールする奴がいるとは思ってなかったでしょうねぇ。

本人もなんども仰っているように、この「作品」は、指揮者井上道義氏の頭の中で響いている様々な音のコラージュというか、引用というか、ひとつの方向に向けた総まとめというか、そんな「創作」。全ての再現芸術は永遠の二次創作だ、という箴言を引っ張り出すまでもなく、その意味では正しくもの凄く素直で、王道の「創作」行為でありますな。で、その中身は、まあなんというか、私小説というジャンルがあるのを下敷きに喩えれば「私オペラ」というか「私音楽劇」です。似たものを敢えて探せば、リヒャルト・シュトラウスの《インテルメッツォ》とか、くらいかしら。ホントは「シュトックハウゼン《光の木曜日》みたいなもの」と言いたいところだが、そんな例を出してを「はぁ?」と呆れられてオシマイになりそうなんで…

要は、己の出生の秘密とその事実を知った己の葛藤を「音楽劇」という形に昇華させたもの、です。そうであることはもう数ヶ月前というか、数年前の構想時点から判っていたわけで、そこまで個人的な内容をこんな大がかりな舞台にしちゃったわけで…だからこの作品の創作物としての最大のポイントは、どういう作品かとか、どんな音楽かとか、貴方がそれで感動したかとか、そんなことではない。こういうことをやっちゃった井上ミッチーという人がいる、それを目撃し、瞠目する、ってのに尽きる。

なんせね、音楽的にいちばん充実しているのが2幕最後の「艦砲射撃で傷ついた父親を助けてくれるように、母親が上陸してきた米軍医療兵に懇願し、(観ようによっては)女性としての魅力を最大限に利用して夫を助けて貰い、壮大なバレエシークエンスで二人は男女として結ばれ、主人公が生命を得る」という場面。いやぁ、こんな無責任私設電子壁新聞とはいえ、記していても、流石にこりゃヤバいだろと感じざるを得ないシーンでありまする。その後に、数ヶ月前の記者会見での粗筋説明ではなかったもっとハッキリした言葉での絵解きみたいな短い朗読シーンも加えられたりしており、暗示や仄めかしではなく誰が観てもあのバレエが何だったか判るようになっていた。

ううううむ、これをやっちゃうのが「芸術家」なんだなぁ。

70年代終わり頃に1年の休養開けでハーフ顔の長髪から丸刈りにしたお姿で登場し、就任したNJP監督としてクセナキス《ノモスγ》の鮮烈な演奏を聴かされたときが最初の大インパクトで、以降40数年、カザルスホールのハイドン交響曲全曲自分で振るなんて企画持ち込み起ち上げたけどシカゴ響から朝比奈さんキャンセルの代役頼まれそっちにいっちゃう騒動(佐渡氏東京デビューはこの為だったんじゃないかしら)やら、自分で踊っちゃうコンサートオペラやら、最近では大阪フェスティバルホールでの天下の大植&佐渡をカメオ出演させちゃったバーンスタイン《ミサ》やらあれこれあれこれ、なんのかんの凄いもんからトンデモなものまで、この人のやることを遠くから眺めて来た。そういえば、誰も言わないけど、昨年8月の名古屋の《ユーロペラ3&4》にも、しらっと客席にいらっしゃらなかったっけか。

個人的にも、西伊豆の生アヒルがガーガー歩いてるご自宅行ったり、朝っぱらの空港ラウンジでバッタリお遇いしてこれから北朝鮮に第九を振りに行くといわれ冗談と思ったり(マジで、ギャグだと信じてました…)、指揮者さんという職業の方とは可能な限り距離を取りたいやくぺん先生外の人としてはMAXなくらいに「よく知らん人」ではない程度では接してきた。このオペラだか音楽劇だかの話も、西伊豆のお宅で初めて聞いたような。

ともかく、そうそう、俺はこういう人と同じ時間を生きてきたのだよなぁ、と思い続けた2時間半でありました。正直、そういう引っかかりがない方には、このステージが「作品」としてどういうインパクトがあったか、よーわからんです。後に残るかなんて、ご本人は一切考えてないんだろうし。

もの凄く勝手なことを言えば、この素材をみちよし氏というアーティストを越え再演する価値がある普遍的な「作品」として遺すつもりなら、NJPの関係者たる久石譲さんと共同作曲して音楽が薄い部分を加筆し、ジブリで今は亡き高畑勲監督で2時間弱くらいのアニメーション作品にする、ってのが最も理想的なやり方なんだろうなぁ…なんて絶対に不可能な妄想に耽ったり。「昭和」という時代をシンボリックに扱いたいオペラ演出家などが出てきたら、素材として発見される可能性はあるかもしれないだろーが。

関係者の皆様、お疲れ様でした。

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旧正月限定:フィラデルフィアから謹賀新年 [演奏家]

コロナ前くらいからジワジワと立ち上がり始めていた大陸の情報の壁が、この数年でがっちり固まったとはいえ、それでも14億の数は侮れず、昨日くらいからメールやFacebook上には「兎年新年御目出度う」が溢れる春節元旦の朝、新帝都は真冬のガッツリ晴れた空、皆々様、初日の出を如何にお迎えでありましたでございましょうかぁ。

そんなところに、意外にも西の大陸ではなく遙か太平の海越え、ロッキー山脈どころかアパラチア山脈さえ越えた大西洋岸、河原の空港脇ではミサゴ君がせっせと造られるかつての巨大工業都市フィラデルフィアから、こんな謹賀新年お年玉が届きました。

ここから行けるのかな。
https://www.facebook.com/pcmsconcerts/videos/876828023651320
これが曲目解説。有り難いですねぇ、こういうの。
https://www.pcmsconcerts.org/wp-content/uploads/2023/01/012023_Man_Huang_ProgramNotes.pdf?fbclid=IwAR34K4zRCAIc-8Z0SDFVtX0OhPZvLnsLeiuO8W97urjAHfHDXkxHmr6io4g

20世紀最後の10年半ばくらいのミュンヘンARDヴィオラで優勝(かな?まだポッペンの大改革前だから、優勝じゃなく最高位だったかしら)、ボロメオQメンバーとして日本各地でツアーも行ったハン・シンユンが奏でるリゲティのハンガリー草原の歌、まるで遙かロシアを越えた大陸東の響きのように旧正月を祝って下さいます。って、まだフィラデルフィアは大晦日だけどさ。

今やシカゴ響を筆頭に北米オーケストラは「アメリカン・アジアン管弦楽団」と皮肉を言われるくらい中国系奏者で溢れてる。21世紀の0年代終わりくらいから行われていたNYPの「旧正月コンサート」もすっかり年間プログラムに収まる定番イベントになってしまい、ロン・ユー先生はマンハッタンでは著名指揮者のひとりでありまする。今年は1月末みたい。ほれ。
https://nyphil.org/concerts-tickets/2223/lunar-new-year

シンユンは台湾だけど、ブレンターノQのヴィオラ氏を旦那さんにしてからボストンからマンハッタンに移り(後任が元淵さんだったわけですな)、もうお子さんも大学生くらいにはなったんじゃないか。数年前からまた活発な活動をなさっていて、昨年は上野にコンクールの審査員さんとしてやってきて、スタッフとして一緒にツアーしたうちのお嫁ちゃまと久々の再会でコロナ禍構わずハグハグなさってたりして。

この映像、ニッポン&半島南時間の春節元旦午前10時前の段階でライヴで流れてますけど、旧正月連休中は無料配信されているとのこと。いよっ、太っ腹だぜフィラデルフィア室内楽協会だぴょん!

昨日の上野公園はこんなイベントも開催されており
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https://meiweisichuan.jp/ueno2023
今日明日は銀座も大賑わいかな。遙か温泉県盆地観光地も人で溢れてそうな寒い新春。

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2年目の「おんがくのアーテイスト・イン・レジデンス」 [演奏家]

昨年1月に大分市内のいいちこ文化センターが主催し開催された「おんがくのアーティスト・イン・レジデンス」というイベント、その第2回目が行われております。
https://emo.or.jp/event/5291/
大分県各地出身の演奏家、ヴァイオリンは大分、ヴィオラは杵築、チェロは日田、ピアノは別府、という4人の若手から中堅の奏者が大分市中心部に聳える県立文化センターを拠点に、昨年はそれぞれの故郷にアウトリーチを行い、大分のジュニア・オケの指導をし、最後は県庁所在地のメイン会場音楽ホールと隣の美術館で演奏会を行う、というやり方。コロナ禍で学校アウトリーチなどが絶えてなかったところに久しぶりに訪れた先輩やらに、行く先々で大いに盛り上がった次第でありました。やくぺん先生も、いつもは国東半島先っぽ空港から由布岳裏盆地までのバス車窓で眺めるばかりの杵築を初めて訪れ、名門杵築高校のブラスバンド部員がかつての部長が立派なヴィオラ奏者となって凱旋するのを大喜びで迎えるのを見物したものでありました。

試験的にともかくやってみた、というイベントだったようですけど、それなりに反響があったらしく、無事に今年も第2回を行うことになった。今年は演奏家の皆さんの都合で日程が短く、期間もお正月の松の内からとなったため、アウトリーチはやって欲しいという要望があったけれどちょっと時期的に無理。で、やり方を全く変更し、「ジュニア・オケ出身で大分で活動する若い弦楽器奏者と、大分出身プロ4人組先輩が、一緒にヴィヴァルディ《四季》を深読みし、ソロはヴァイオリンの交代で弾く」というセミナー型のイベントとなった次第。

本日は、既に始まっているホールでの練習を一般に無料公開する、という日となったのであります。
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中身は、100人ほどもいる客席の人々を全く気にせずに、舞台上のリーダー水谷氏が中心となって、ヴィヴァルディの楽譜をどんどん読み込んでみよう、というもの。判んない人がいようと別に気にせず、音楽作ってるところをともかく見せちゃいます、です。

ここで起きていることと、月曜日の昼前と昼過ぎに起きる本番の間がどうなるか、その違いを楽しんでくれ、なんて言っても相当に無理があるでしょう。でも、じゃあ、その説明をしましょうか、というトーキョーなんぞの尖った企画なんかがやってるようなお節介をやるわけでもない。

これが、今回の大分でやってみている「演奏家が住み込んでみる」というやり方です。ま、お暇だったらどうぞ。ちなみに、それだけじゃなくて、リーダー先輩4人組のためにピアノ担当(《四季》ではっチェンバロ担当)の別府出身渡邊智道氏が作曲した新作ピアノ四重奏曲も世界初演される、なんてトンデモなオマケがありますよ。

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「飛び恥」問題と演奏家のローカル化 [演奏家]

昨年のクリスマス頃のネタなんだけど、今、ある方と新年ご挨拶チャットが結構マジな話になってしまい、そこでいろいろ思うことがあったもので、忘れないうちに自分のメモとしてアップしておきます。

数週間前に、東京都交響楽団からこういう公式リリースがありました。
https://www.tmso.or.jp/j/news/20539/
いずれ消えてしまうでしょうから、後のために必要な部分はコピペしておきます。演奏会予定をキャンセルしてきた演奏家さんのお言葉部分。

★★★

予定されていた日本でのコンサートをキャンセルし、関係者や聴衆を失望させてしまうことを非常に残念に思います。 それでも私は、持続可能なツアーの新しい方法を示すため、演奏活動のために航空機を利用することをやめる決心をしました。アーティストでありながら気候や美しい地球を守ることも可能だとは思いますが、そのためには私たちが引き起こしているダメージを認識する必要があります。 私は模範として、私たちが引き起こしている破壊と汚染を好転させ、子供たちと将来の世代の未来を保証できるようにしたいと考えています。
ご理解いただきありがとうございます。
アリーナ・ポゴストキーナ

I am very sorry to cancel the planned concerts in Japan and disappoint my colleagues and my audience. Nevertheless, I have decided to take the decision to stop flying for my work, to show a new way of sustainable touring. I believe that it is possible that we take care of the climate and our beautiful earth while being artists, but we need to become aware of the damage that we are causing. I wish to lead as an example, so we can turn around the destruction and pollution that we are causing, to ensure a future for our children and the future generations.
Thank you for your understanding.
Alina Pogostkina

★★★

やくぺん先生的には「あれ、だんじゅーろーさんと室内楽やってた人だっけ」という感じで、今時のソリストに殆ど関心が無い隠居っぷりなんだけど、公式サイトを眺めると
http://www.alinapogostkina.de/#biographie
ま、普通の意味で「ドイツ拠点に世界で活躍する」ってタイプの方だったわけですな。

上述のご発言を眺めれば、まあ普通の方なら「じゃあ、昔みたいに船で3ヶ月かけてくればいいじゃん」とか無責任なことを思ってしまうわけだが、公式ページもコロナ前から更新がないようなんで、もしかしたらハリソン・パロットとのマネージメント契約を含め、全部の生活を変えてしまったのかしら、と思わんでもない。とはいえ、Web上でこの数ヶ月の日程などを検索するに、エルプフィルハーモニーに出て、その後にザルツに行って、って調子なんで、どうやらDBやOBBはしっかりご利用になっているようじゃ。車での移動かな、それとも。

欧州演奏家の「飛び恥」問題、昨年秋から久しぶりに出かけた欧州で出会う連中と演奏会後の楽屋とか、一緒に駅まで移動したりする地下鉄の中で立ち話をしたりすると、演奏家の活動にかなり大きな影響を与えているようです。欧州の演奏会ですから終演は10時過ぎになるわけだが、楽屋で話しようとすると「ゴメン、これから列車で帰る、終電が出てしまうんで」ってさっさと駅にいっちゃったり、逆にいつまでも楽屋で生徒と話してるんでどーするのかと思ったら、「ここからザルツまで帰る夜行がないんで、1泊して明日朝4時起きで、なんとか昼までに戻らないとレッスンがあるんだよ」とか、えええ飛行機使えばいいじゃん、と思ってしまうような話を何度も耳にした。

なんせ、ウクライナ戦争が引き起こしたエネルギー危機は、ロシアのエネルギー企業に頼っていたドイツなんぞは直撃なわけだし、原発大国フランスなんぞはさっさと脱化石エネルギーということで、実質上国内航空路線廃止に走っている。コロナの間に欧州短距離空路は航空会社の倒産なども相次ぎそもそも足が減っていたところにこの御上の方針で、今やかつては空路が当たり前だったパリ・フランクフルトとかフランクフルト・ベルリンとか、ミュンヘン・ベルリンとか、鉄道移動が基本。飛んでる飛行機はAFとかLHとかでも大陸間長距離路線の乗り継ぎ便で仕方なくやってる、って感じ。だって、パリ・フランクフルトがA319とかA220なんて、737-800や321ですらないんですから。ベルリンの壁崩壊直後、JALがほんのちょっとだけシェーネフェルト乗り入れで成田ベルリン便をやってた頃、フランクフルトからベルリンまででっかいジャンボが数人の客を乗せてヒョイッと離陸してた、なんて大昔の伝説か笑い話ですな、今や。

当然、結果的に鉄道は猛烈な混雑っぷりで、昨年秋にやくぺん先生が10日間欧州乗り放題パスで動き回っていたときも、「ベルリン東発インターラーケン行き」とか「ハンブルグ・アルトナ発ヴィーン行き」なんて長っ走りがベースのICEネットワークなんぞあ、これまでも遅れが当たり前だったのが輪をかけて酷いことになってる。駅も大混雑で、ユーロスター乗り継ぎのあるブリュッセル南駅では「置き引きに気をつけて下さい」と盛んに繰り返してました。フランクフルトからパリへのICEは、マイン河を渡る始発辺りでは案外空いてるじゃないかという車内だったのが、ミュンヘンやらヴィーンからの乗り継ぎ客が入ってくるマンハイムからトーキョーの朝の通勤列車ばりのギュウ詰めになり、ザールブリュッケンで下車しようとしたら荷物の上に他人様の荷物が山積みで、これは下車出来るかパニックになりそうになったり。ちなみにザールブリュッケンの後は2時間以上ノンストップで終点パリ東駅到着だった。

車での移動はどうなっているのか、懐かしの学生と貧乏人専用みたいな長距離バスはどうなってるのか、判らない事はいっぱいあるものの、ともかくやくぺん先生がせまああいせまああい視野で眺めただけでも、これは大変だぞ、って感が漂っている秋の欧州でありましたです。

実際、先月には某弦楽四重奏団のヴィオラさんがシュトゥットガルトからハンブルクだかに向かう車内で楽器を持って行かれ、現時点でも戻って来たという報はない。やくぺん先生はせいぜいがルーター盗られたくらいだから、背負子全部持って行かれなくて良かったとラッキーに思うべきなんでしょうねぇ。「ヨーロッパ スリ置き引きは 通行税」という懐かしき官公庁宣伝文句っぽい格言を想い出す今日この頃です。

「飛び恥」でもう日本までは行けませんという方には、ああそうですか、新しい演奏家人生を探して下さいな、でオシマイなんだけど、欧州内移動はなさっているようなんで、この滅茶苦茶な移動を頑張ってやっているのか、それとも車で移動しちゃっているのか、どうしてるんだろーなぁ、なんて無責任な心配もしてしまうわけですね。考えみれば、欧州には昔から地味にローカルな活動しかしていない凄いレベルの演奏家なんていくらでもいて、たまたまプロデューサーやマネージャーや、場合によっては熱心なファンがそんな人を「発見」し、「こんな凄い人がヨーロッパに隠れていた」なんて騒がれてスターになる例は過去にも珍しいわけではないし。

いろんなところに社会の無茶が出ているコロナ後&ウクライナ戦時下の欧州、この動きがもう一歩進んで、「私はもう基本、地元でしか演奏活動しません」という宣言をする「国際的な著名演奏家」などが出てくるところまで来るのだろうか。プラドから出ないと宣言したカザルスとは意味が違うものの、ある意味でグールドが生演奏会拒否宣言したみたいに地元から動かない宣言でもする奴が出てくれば、これはこれでまたひとつ世界が違う方向に進むのかもしれないなぁ。ま、コロナで開拓されたWebで繋がったりしていることが前提になるだろうから、そのネットワークを維持管理する人の移動エネルギーはどうなる、貴方の演奏を聴くために移動してくる人はどうなる、って話になるんだろうけど、またそれは次の話。

新帝都大川端半分、温泉県盆地半分の生活になったやくぺん先生とすれば、「田舎に演奏家が定住する」という話はまるで他人事ではありません。コロナでハッキリ見えてきたそんな動きと、欧州大流行の「飛び恥」なんかが繋がって、なにか大きな業界の変化が見えてくるのか…うううん、どうも全然話が繋がらん感しかないなぁ。ニッポン列島では公共交通としての鉄道はドンドン廃止の方向が加速するばかりだし…

ともかく、明日から温泉県へ飛ぶ恥なあたくしめ。もうすぐ新帝都中枢には、究極のエコたる足で進むぞ駅伝チームらが戻ってくる三が日の昼なのであったとさ。

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いつの間にか年末年始は《ゴルドベルク変奏曲》 [演奏家]

どういう訳か知らないけど、ダイクや《メサイア》、はたまた《ヘンゼルとグレーテル》やら《くるみ割り人形》にも匹敵する(?)ニッポン列島の新しい季節の風景として、音楽の父たる大バッハの《ゴルドベルク変奏曲》が師走新年に定着しつつある…のであろーかっ?

なにせ昨年までは、世界に類例のない「年末に小林道夫のチェンバロで《ゴルドベルク変奏曲》」というもの凄く地味な長寿イベントが半世紀も続き、結局、昨年末は道夫先生体調不良でやれなかったけど今年の夏の終わりに開催され、目出度く故小尾さんの夢も完結したのであった。

会場を上野から津田ホールに移し、津田ホール亡き後はまた上野に出戻りしつつ続いた知る人ぞ知る風物詩もとうとうなくなってしまったのかぁ、と残念がる暇も無く、昨年暮れにはこんなイベントが地味ぃにローカルぅに始まっていたのでありまする。
https://www.gauche-music.com/single-post/%E8%81%96%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%81%AE%E6%BC%94%E5%A5%8F%E4%BC%9A
エクのチェロ大友パパを中心に、千葉の山の中で展開する音楽院の講師の面々、おひとりはサントリー室内楽アカデミー1期生でかつてのソレイユQメンバーたる人気者ヴィオラさんなどが加わるクリスマス・コンサートで、メインに弦楽三重奏版《ゴルドベルク変奏曲》が披露されたわけでありまする。

んで、この演奏会ったらなかなか好評で、今年もやろうということになった。昨年は日が暮れてから始まったんだけど、二度目は「クリスマスイブの午後、夕暮れ前から関東地方の日が暮れるまで」という聖夜っぽい薄暮の時間にちょっとシフトさせ、演目も大友パパのバッハは3番、フルート独奏はC.P.E.バッハとあらため、同じメンバーでの演奏会が同じ会場で開かれたのでありました。
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今や千葉といえば我がメイン空港のある親しみ深い土地、やくぺん先生ったらいつもいろいろお世話になってる主催者さんのスーパーままさんへの純粋な愛から(えっへん!)、今年もボランティアでへっぽこカメラマンを勤めるべく、大川端から延々と地下鉄乗り継ぎ元祖御隠居永井荷風翁終焉の地で京成電車に乗り換え、京成千葉駅前あらため京成千葉の向こうは千葉中央へ。ちーば県民の誇りたる巨大インフラ都市型モノレールの下を潜って、かつての立派な銀行フロアを今風に保存した広さにしてラズモフスキー伯爵邸ホールくらいの空間に参上したのであった。控え室の最上階から眺めるクリスマスイブのちーば市南。
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遙か向こうは常夏の竜宮城じゃ。

インチキカメラマン仕事は、シン・メインカメラの慣れない短いレンズの扱いに敢え無く失敗し、惨憺たる結果に終わってしまって皆々様に合わせる顔もないのでありまするが、聴衆の善男善女お座りになる平土間を見下ろすカメラマン席回廊部分から聴く聖なる夕方のながぁい(っても、かなり繰り返しはカットして1時間くらいかな)変奏曲
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さああやっと終わるぞぉおつかれさまぁ、ってクオドリヴェットが楽しげに響き、ぐるうっとまわって最初の妙なるアリアが戻ってくる頃には、今年も極めつけに碌でもない年だったけど、それでもやっぱり勝手におわってしまうんだよねぇ、なんて思ったり。

果たしてこの1年で何度聴いた記憶にないこの音楽、大分県立図書館のロビーとか、真夏の文化会館とか、あちこちの空気を想い出したり出さなかったり、いろんな思いを運んだリ運ばなかったりしながら、年が暮れていく。ダイクよりもハレルヤコーラスよりも、爺の年の瀬には余程ピッタリする音楽なのかもなぁ。

なーんて「オシマイ」気分なんだが、来年、ってか、来月になれば、新帝都は大曲でこんなのもありまする。
https://www.toppanhall.com/concert/detail/202301111900.html
うーむ、いかにもニッポンはトーキョーでヨーロッパ最先端の香りを感じれる場所っぽいメンツでありまするな。やくぺん先生、この頃は遙か温泉県盆地なんで拝聴できないけどさ、こっちがあるからいいもんねぇ。
https://emo.or.jp/event/4250/
https://emo.or.jp/event/5292/

そして、極めつけというか、ううううむ、は福岡帝国中央に聳えるこちら。
https://www.acros.or.jp/news/2054.html

やっぱり、いつまでたってもグルグル廻って終わらない今時大流行のタイムリープ感溢れる曲だけに、オシマイの年末でも、始まりの新年でも、まるっきり違和感ないってことなのかしら。

なんであれ、こんな面倒くさい曲がこんなに何度も流れ、人々が聴きたいと思ってホールへとやってくるニッポン列島、来年もノンビリ平和でありますよーに。←今年がノンビリ平和だったか、と突っ込まないで下さいなぁ…

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