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ペンギンの引退 [弦楽四重奏]


緊急じゃないけど、ま、緊急告知シリーズです。日本語文化圏の弦楽四重奏愛好家諸氏に報告。

チェコの「ペンギンQ」が、名称を変更しました。新名称は「ツェムリンスキーQ」です。

以上、昨晩、嫁さんのところにメールで通達があった事実であります。詳しくは、以下のホームページ参照。http://www.zemlinskyquartet.cz/index-eng.htm

ってわけで、殆どの方は「それがどーした」、もしくは「ネタじゃあないかぁ」と目を点にしているでしょうけど、ホントなんだからしょーがない。

彼らを初めて知ったのは、前々回のバンフ・コンクールの参加者情報を貰ったとき。「Penguin Quartet」と書いてあって、どういうわけか他の団体には出ている経歴も写真もないので、「バンフ・コンクールもなかなか洒落たじょーだんをやってくれるもんだ」と思っていた。
で、秋のバンフに出向いたら、チェコのにーちゃんたち4人がホントに出て来たので、もうビックリしましたね。「お前らぁ、いくらなんでももうちょっと名前は考えてつけなさい」と説教しようかとも。
一次予選の舞台、あのまるっきり響かぬオーディトリアムに据えられた4つの椅子に座るや、ヴィオラ君がポケットをごそごそ。弱音器でも捜しているのかと思ったら…なんと、ちっちゃなペンギンのぬいぐるみを引っ張り出し、譜面台の真ん中のステージに、ちょこんと置いたのである。
これからコンクールの最初のステージという緊張した瞬間の、余りといえば余りにマヌケな行動。果たして笑って良いのか、審査員が怒り出すのではないか、客席は一瞬、固まってしまった。ううううん。
その後のステージでも、毎回ヴィオラがペンギン君を出しては、譜面台の前に置き続けた。バンフという大会は、一次審査で最低でも4ステージは弾かねばならないという極めて変わったやり方をしている。そんなことが繰り返されるうちに、聴衆も「あいつらはペンギンを出して真ん中に置くぞ」と思い始め、まあペンギン・クァルテットだからそういうもんだろう、と不思議に感じなくなってしまった。
それにしても、ぺんぐぃん・くぁるてっと、こんな素っ頓狂なステージパーフォーマンスをやる連中はみたことないぞ。ちなみに音楽はぜんぜんまとも。なにかやらかすのではないか、という客席からのプレッシャーを感じつつ4人の前におっとりと佇むペンギン君は、あくまでも頭上を通り過ぎる音の行方をじっと見守るだけでありました。

その年の彼らは、一次予選で敗退した。もうこれでステージ上のペンギン君は見納めかなぁ、と残念に思っていたら……翌年のボルチアーニ・コンクールで、再びペンギン君に再会したのであーる。クスQとパシフィカQ、それに既にキャリアがあるアウアーQも乱入し、過去10年ほどの弦楽四重奏コンクールでも特筆すべき超高レベルの戦いを繰り広げてくれたときのことだ。そんな激戦に押っ取り刀で駆けつけたペンギン君たち、もうこちとらは「あいつらペンギン出すかぁ」とニヤニヤしながらステージ姿を見物してるわけで、舞台上でヴィオラがゴソゴソ始めた瞬間、ああぁぁぁやっとるやっとる。イタリア人の聴衆も「なんじゃ」と思ったみたいだけど、カナダのじーちゃんばーちゃんたちほど驚きはしなかったみたい。さすがイタリアです。
この段階でも、クァルテットとしてのペンギンは、まだ目に見えた成果を出せていなかった。日韓共催ワールドカップの最中に開催されたあのコンクール終了時点では、「ペンギン君+チェコ青年4名=ペンギン・クァルテット」とは、もうワールドワイドなステージで出会えないと判断せざるを得なかった。弦楽四重奏を弾くペンギンは、チェコにのみ細々と生息する珍種になるだろう、って。

時は流れ、2004年秋のバンフ・コンクール。ペンギン軍団は再び挑戦したのだ。聴衆の多くは前回と同じ。3年毎に山の中まで弦楽四重奏漬けになりにやってくる、世界でも最もコアなクァルテットおたくどもである。
舞台に登場したペンギンQは、なんと、客席の期待に反し、ペンギン君を出さなかった。
それよりももっと驚いたのは、音楽がすごおおおく良くなっていたこと。どうこう説明するのは面倒だからしないけと、もう前回とも、2年前のボルチアーニとも違う、一皮も二皮も剥けた、立派な団体になっていた。
悠々と一次審査を突破し、二次審査で弾いた「アメリカ」は、若い団体ばかりだったこの会のバンフ・コンクール(なんせ、ミュンヘン・コンクールとぶつかってしまい、ヨーロッパの主力がそっちに行ってしまった)ではダントツに熟した音楽で、聴衆は大喜び。優勝の声も聞こえるほど。もうペンギン君のオーラに守って貰う必要はないぞ。
本選進出はならなかったけど、そんな結果に、聴衆は審査員をブーイングしかねないほどだったっけ。ぬいぐるみのペンギン君がいなくても、みんなはペンギン服の4人の青年が好きだったのさ。なんせ、金髪のロン毛に白いお肌が眩しい第2ヴァイオリンは、オーランド・レゴラス・ブルームにも似た可愛いイケメン・ペンギンだもの。数十年前に若い女性だった方々は、もーうっとり!

深夜、バンフ・センターのバーで本人らに「ペンギン君はどうしたの」と尋ねたら、「彼は引退したんだ」と笑っていた。もうペンギン君に頼らなくても大丈夫、彼らはちゃんとしたプロの音楽家になった。
大阪に来れば絶対にファイナリストになれるぞ、と誘ったけど、同じ頃に地元で開催されるプラハの春コンクールに出たらもうコンクールは引退、とも言っていたっけ。実際、この初夏のプラハの春大会に彼らは出場、2位となった。優勝は、ダークホースのパヴェル・ハースQ。翌6月にボルチアーニ大会で大金星の優勝をさらう新星である。

ま、コンクールは巡り合わせ。こういうこともある。

かくてこの秋、ペンギンQはその短い歴史に幕を閉じた。皆々様、今後はツェムリンスキーQとしてお見知りおきを。ベネヴィッツ、ヘロルド、パヴェル・ハースらと並ぶチェコ有望若手団体のひとつです。
11月23日から27日まで、元ペンギンたちは、妙に重厚な新たな源氏名を担いで、カナダのトロント近郊を演奏旅行します。ご近所にお住まいでご関心の方は、連絡いただければ、細かい日程をお送りいたします。お暇なら聴いてあげてくださいな。

それにしても、この強烈でインパクトのある名前、今後もクァルテット史の囲みコラムネタとして語り継がれるだろうなぁ。
あ、どうして選りに選ってこんな名前を、ですって。誰でもそう思いますよねぇ。小生がビールジョッキ片手にペンギンたちに訊いたときには、「ともかく名前が必要で、慌てて付けて、その後、まともな名前に替えるタイミングを逸し…」とのことでした。うううん、よーするに、じょーだんから駒ですな。

ペンギンQの名は、2枚のCDにでっかく印刷されている。冒頭にジャケット写真を出したものがひとつ。もうひとつは、スークの2曲で、こっちはなかなかの出来です。今ならまだamazon.comで買えるでしょうから、後の話題に、是非ともご購入をどうぞ。

ぺんぐぅん・くぁるとぅえっと…君らにそう名乗る蛮勇はあるかっ?


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