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只今前頭葉の肉体労働真っ最中 [売文稼業]

ああ、結局、サントリーホール最初の20年サヨナラのオープンハウスに行けなかった。数時間前は盛んに上空でヘリコプターが騒音をまき散らし、暇な日曜のニュース向け取材をしてた「隅田川沿いにどっと繰り出した桜見物の人々」にもなれていない。露地を幾つか越えれば、佃堀は春爛漫、お花見日和の午後だったというのに。

それもこれも、一昨日には終えていなければならない原稿がひとつあるから。まだ終わってません。この駄文は、もー典型的な気分転換です。

ええ、当電子壁新聞をご覧の近しい方々から屡々発される質問に、「毎日あんなに沢山、よく書けますねぇ」とか、「あれを書く時間があるのにどうして原稿が書けないの」という類のものがあります。尤もといえば、誠に尤もなお訊ねですね。

で、お返事は簡単で、「ブログ作文みたいなもんなら1日に100枚だって書けるんですよ」というだけ。

ちょっと真面目に答えてみましょうぞ。ええと、原稿にはいろいろなタイプがあります。大きく分けると、「流す原稿」と「構築する原稿」とがあるわけですよ。

で、この電子壁新聞の作文は、前者の典型です。ともかく頭に浮かんでることを、浮かんでくるスピードでキーボードに落っことしていってるだけ。人間(というか、小生)の思考のスピードは、喋っているのと同じ程度のトロさなので、だいたい1分に400字詰め原稿用紙1枚程度のものです。ま、日本語で思考なさってる皆さんは、言語化という作業をなさっている限り、だいたいこんなもんでしょう。速読の達人とか、そんな特殊な方は知りませんけどね。

このタイプの作文は、極論すれば、朝から晩まで書いてることも可能です。あるところで区切りを付け、一度画面なり紙なりにアップし、眺め返し、あちこちをシェイプアップしていく。自分自身が編集者でもあるこの電子壁新聞の場合、アップした後にいくらでも弄れる。プロの売文家業が大変なのは、原稿書き直しやら修正作業の回数が極端に限られるから。「プロの作業」=「修正無しの一発勝負の完成度の高さ」、という公式は、多分、どんな業界でも変わらないことでしょ。いつまでも修正して良いのならば、誰でも立派な作文が書けます。これホント。

さても、で、作文のタイプとして流していけば成り立つ場合は、作業にそんなに時間も労力もかかりません。書くための物理的な時間、データチェックの時間、事実確認のための様々なやり取り、そんなもんですわ。

大変なのは、もうひとつの場合。「構築する原稿」なんです。

これもいろいろな種類がある。データ処理が膨大な場合もあるし、依頼の内容そのものに無理がある場合もある(例えば、「印刷会社の社内報にイザイの無伴奏ソナタのことを面白く書け」なんて要求とかね)。さても、今やってる原稿の大変さは、なんというかなぁ、比喩的に言えば、「もの凄く膨大なトルソーから、必要なものだけを慎重に削り出し、要求された量に収める」というタイプだから。個人的には「原石削り出し」と呼んでる類の作業。

これねぇ、増やすんなら全然簡単なんです。素材を中心に、あれやこれやと流してけば良い。ところが、削る方の作業となると、正に前頭葉の肉体労働なんですな。

具体的には、暮れのみどりヴェトナム・ツアー原稿。凄く短いレポートは、今売ってる「音楽の友」に1ページ(というか、半分が写真なので半ページ)で出しました。今回の「ストリング」の記事は、2回の連載でトータル30枚。有難いことに、今の日本語媒体では最大規模の量です。これ以上は単行本になる(ちなみに、新書クラスで写真が多い場合、決定稿の分量は400字詰めで150枚から200枚程度あれば格好はつきます)。

さて、この量が多いか少ないか、なんですわ。実を申しますと、素材になるヴェトナム現地で造っていた取材メモの総量は、なんのかんので原稿用紙で150枚以上ある。みどりさんに「いつもパソコン明けてらっしゃるけど、こんな練習してるところだけで、何を書くことがあるんですか」と呆れられてました。だけどね、書くことあるんだわ、これが。練習中のハノイ音楽院は、どっち側から光が当たってるか、向かいの窓の中には何が見えるか、みどりさんが眉をしかめたのがバッハの何小節目か、小野さんが外を眺めてたときに飛んでいた鳥は鳩なのか鴎なのか…そんなこんなつまらない事実の集積で、精密な取材メモってのはもう無限に量が増えていく。自分の意見、なんてもんじゃないんです。単なる、事実の断片の集積。言語化されたデータベースです。

かくも膨大な素材を、今回は15枚に落とし込んでいく。無論、現場メモには必要ない状況の説明やら、用語解説やら、読者には判りようもない前提条件の描写やら、そういうものも入れていかねばならない。さらに、今回は「ミュージック・シェアリング」と「Midori&Friends」という2つのみどりさんが総裁になってる非営利団体の公式な見解やものの見方を踏まえ、自分なりの見解を入れていくときには「これは公式見解とは違う小生の考えである」と読者に誤解されないようにせねばならぬ。

というわけで、削り出しタイプの原稿としてはなかなかシンドイ奴なんです。

以上、愚痴はおしまい。この文章、読者対象は、佃厄偏庵周辺にたむろする数人の作文の弟子たちのみ。他の方々にはなーんの意味もない文章でありました。ちゃんちゃん。

さて、作業に戻るか。明日の朝までにホントに終わるのかしら。ふうう。前頭葉の肉体労働、再開!


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