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ロストロさんに尋ねられなかったこと [演奏家]

NJP事務局で、作曲家レンツの開くと炬燵上板よりも広いスコアをなんとか広げながら曲解作業をし、さても連休前最後の金曜午後、編集者やら事務所からジャンジャン連絡があるじゃろと事務局を出ようとすると、ロストロポーヴィチの伝記映画のポスターが貼ってある。広報のS氏に、「ロストロさん、大丈夫なの」と尋ねたら、「退院したんでしょ」と、まだ持ち堪えそうだ、って雰囲気。

で、緑も濃くなった深川の木場公演の横抜けてちゃりちゃり戻ってきて、あまりの眠さにちょっと寝て起き、パソコンを立てたら、「ロストロポーヴィチ没」というニュースが踊ってました。http://www.asahi.com/culture/update/0427/TKY200704270298.html

あ、とうとう尋ね損なっちゃった、あのこと。

我々のような商売をしている者にとって、人が没するとは、単に「悲しい」とか「寂しい」とかじゃあない。「悔しい」なんです。
あまりにも非情な物言いだけど、ジャーナリストとか研究者とかにとって「人」とは「一次情報のデータベース」。ある人が没するとは、数多くの歴史的な事実や逸話、その人以外には意味があるものとして評価できない価値が、永遠に失われること。ロストロさんのようなソ連に於ける芸術の歴史、権力の下での芸術家の生き方、はたまた作曲の先生であり後には同僚の音楽家だったショスタコーヴィチがこの楽譜のこの部分についてどう考えていたかの細かい情報、そんなものの総体が、もうアクセスできないデータになった、ということ。
無論、露地の奥に住んでる83歳の爺ちゃんの死でも、ロストロさんの死でも、データが失われる、という意味では価値は等しい。とはいえ…

昨年11月末から12月始め、ロストロさんはNJPを指揮するために、最期の来日をなさいました。日本での最期の公演となったショスタコーヴィチの10番なんぞの演奏会、小生は当日夜の切符は「せんせ、どーしてもロストロさんを聴いておきたいわ、切符くれへんくれへん、あたし聴いたことないねん(←関西弁)」と北千住のI嬢に迫られ、まあ、何度も聴いたことがある小生よりも、一度も聴いたことがない若い人が聴く方が意味があるだろうなぁ、と敢えて毟り取られました。で、しょうがないから昼間に練習に潜り込んだ。
そのとき、ひとつ、考えていることがあった。サントリーホールの指揮者控え室はホントの下手袖横にあり、練習などでも案外指揮者さんとはち合わせることがある。で、まかり間違えてそんなチャンスがあれば、この写真をお見せして、意見をうかがえないかしら。その写真とは、これ。ここだけの開示ですから、絶対にコピー、転写などしないでくださいな。

http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20061101で紹介したミニチュアスコアの表紙を捲ったところに記されている文字です。
丁度その頃に八王子カサド・コンクールの付帯事業として開催中だった「カサド展」のため、玉川大学カサド資料調査を行ったとき、未整理の楽譜の山から出てきたショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番のミニチュアスコアがありました。その隅っこに、こんなサインが入っていた。
はて、これはカサドが冷戦下のソ連を訪れたとき、直接ショスタコーヴィチから渡されたものなのだろうか、この手書き文字はショスタコーヴィチの直筆なんだろうか。ショスタコ研究者のH女史によれば、当時はそんな簡単にミニチュアスコアが手にはいるはずなく、ショスタコの直筆ということはあり得ないのではないか、とのこと。で、結局、「カサド展」には展示しませんでした。
ショスタコの直筆鑑定って、誰なら出来るだろうか。そうだそうだ、この曲を献呈されている御本人が東京に来てるじゃないの、その人に尋ねてみるのが一番はやかろーに。それに、冷戦下でのカサドのソ連公演実現には、カサドを敬愛していたというロストロ氏の関与があったというし。

残念ながら、その日は練習後に伝記映画のためのインタビューを同業者Transblue君がやるとのことで(あのダンディ君が無性に緊張していたのが面白かった)、どうやら立ち話もできそうにない。体調もそんなによろしくないという。じゃあ、ちょっと無理だなぁ、ちょこちょこっと話が出来るだけで良かったんだけど、そういうわけにもいかぬようだ。また次の機会にでもいたしましょ。お忙しい方だもんね。「カサド展」開催中なら無理も言ったろうが、数日前に展示会も終わって、もしもロストロさんに実物が見たいと言われても現物は玉川学園に前日だかに戻っちゃったタイミングだったし。

でもね、もう、そんな機会は永久になくなっちゃった。

また、多くのことを語らないまま、ひとつの情報データベースが活動を終えました。幸いなことに、この方の語った言葉は多いし、遺した音も多い。それで充分、ということなんでしょうね、神様。

ロストロポーヴィチさん、長い間、お疲れ様でした。追悼の言葉は、いろんな人が綴ってくれるでしょ。仕事で何度か直接付き合いのあった嫁ちゃんも、なんか書いてくれるかな。とてつもない人生に通りすがったしがない売文業者として小生が言えるのは、これだけ。


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