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ブログウォッチャー? [売文稼業]

今回の都知事選挙で興味深いのは、「ブログ」とか「ウェブ」とかいう個人壁新聞に対して、様々な形での情報操作の圧力がかかってることです。

既に、小生のこの壁新聞にも、イシハラという都知事候補の支持者と思われる方、若しくは、イシハラ氏の選挙の広報をおやりになってる広報会社関係と思われる方から、興味深い反応がいくつか来ております。1日の閲覧者がたかだが1000を越える程度の電子壁新聞まで眺めて歩くのは大変だろうなぁ、と思うけど、考えてみれば「イシハラ」と検索して、端から中を眺めていけば良いだけですから、さほど大変な仕事じゃあないのかもしれませんね。なんせ、小生も数日前まで文化庁の孫請け仕事で数百のウェブサイトを眺める、なんてことをしてましたから。それくらいは個人でやれちゃうわけですわ。

まさか個人宛てに来たメールを電子壁新聞に公開しちゃうわけにもいきませんから、ひとつの例として、数日前の当壁新聞記事に寄せられたコメントを残しておきましょう。こちらからどうぞ。コメント欄、「一音楽ファン」という方からのコメント。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/2007-03-27

面白いのは、この方が小生の駄文の趣旨をきっちり理解してらっしゃる、ということです。小生が「音楽の友」に寄せた文章は、誰がどう見てもイシハラ都知事支持と思われて当然のものであります。「他人のふんどしで相撲を取るのが上手な石原さん、偉い!」って内容ですもの。政治家としてのイシハラという人が、メディア操作に長けた人である、ということを言ってるわけですから。

今更言うまでもなく、「政治家というのはメディア操作をしているわけだし、それに長けた奴が偉くなるのだから、みんな、そのことはきちんと判った上で騙されましょーねぇ」という、21世紀の現代を生きる人間としての一般常識を述べてただけですから、まあこんなの、主張でも何でもない。道を横断するときは気を付けましょう、とか、ナマモノを食べるときは鮮度に注意しましょう、とか、そんな程度の当たり前のことですわ。

この「一音楽ファン」という方、石原氏を愛し都響をいらんと思ってらっしゃる音楽ファンで、たまたま通りすがりに小生の駄文を読んで怒ったのか?はたまた、お仕事で「イシハラ」というブログをチェックしている方のプロの作文なのかっ?きちんと趣旨を理解した上で、「この記事は石原都知事を誉めているのだから、みんな、このバカなジャーナリストとか自称する奴の情報操作にひっかかるんじゃないぞ」と主張なさってるんですもの。

文章そのものも、インターネット上に溢れる下品な言動の特徴を意図的に模倣したようなプロの同業者さっぽさも感じますし。怒って書いているように見せて、さりげなく「アサノという奴は宮城県で大赤字を出した」と反アサノ宣伝をなさるのも忘れない周到さ、今、イシハラ氏が世論操作のテーマとして中心に持ち出そうとしてることを主張なさってるのも、マニュアルがあって書いてる感じだし。

特にプロっぽいテクニックを感じさせるのは、イシハラ氏擁護に向けたたみかけてくる最後の辺り、「都の税金を使わずに都のイヴェントを開催しついでに自分の名前も売る…これって凄~く優秀な政治家なんじゃないの石原は。」というところですね。
この文章を書ける理解力がある方なら、小生が「オペラの森は都のイヴェント」であるなどと一言も言っていない、都のイベントでもないものを都のイベント風に見せるイシハラ氏の巧さを讃えている、ということはお判りの筈。だけど、敢えてそこは判っていないふりをして、このコメントを読んだ人々が「ああ、オペラの森はやっぱり都のイヴェントなんだ」と勝手に誤解しかねない書き方をしている。さらによーく眺めると、小生から今やってるような突っ込みが入ったら「俺はここで言ってるのは仮定であって、石原がオペラの森でそんなことをしているなんて一言も言っていないぞ、バカめ」と言い返せるようにもなってるでしょ。
なかなかどうして、周到なテクニックが光る文章じゃあありませんか。凄いぞ、「一音楽ファン」さんっ!

ちなみに、イシハラ氏の明らかな失政で都民税で埋め合わせることになる銀行訴訟やら、新しい銀行の失敗やらが、総額でなんぼくらいに価するもので、その額が例えばアサノ氏が宮城で出した赤字と比べてどうなのか、使い方の趣旨はどちらが意味があるのか、なんて反論をすることは極めて容易です。これ、やるべきでしょうねぇ、アサノ陣営とすれば。「赤字を出した知事」vs「自分の判断の誤りで都民税を無駄に使った知事」の対決だぁ。そこまでやって、有権者がどっちを選ぶか、なんだから。

ま、それはそれ。それにしても、昔は出版社への匿名投書でこういうものがいっぱいあって、編集者が面白がって著者に幾つかをみせてくれることもありましたけど、今ではこういう形なんだなぁ、と時代の変化に感じ入る次第でありましたとさ。

さて、本日締め切りのみどりヴェトナム原稿が全然おわってないぞ。明日のサントリーのオープンハウスには行けるのかっつ。ふううう。


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パクりじゃない! [売文稼業]

年度末、というか、3月末日締め切りの作業がたて込み、そこにもってきていろんな雑事が山積み。夜になれば若いもんや周辺住民が厄偏庵やらに押しかけ勝手に酒を飲んでは終電まで居座る、という状況が続いており、もーすっかりバカになってしまうぞ。ほれ、酔っぱらいはさっさと一丁目の佃公園の方に行ってけれ、今の季節、桜の下ならなにやっても許されるんだからね、この文化圏は。

そんなこんなで、きちんとした日付がまるで記憶にないんだが、数日前に「モストリー・クラシック」なる雑誌の最新号を眼にし、腰が抜けそうになったです。

タブロイドペーパーから立派なグラビア雑誌になり、一頃は廃刊かと思われたが、今や一転、「日本に於ける付加価値の高いセレブ系勝ち組向けちょっとお洒落な音楽情報誌」を目指す編集になっておるこの月刊誌、近しい方には常々はっきり申しておりますが、音楽ジャーナリスト渡辺和氏はこの媒体に原稿書いてません。2002年の春に、ひとつゴタゴタがあり、この媒体には書かない、と決めました。
恐らくは、今の編集部の方々は何があったかまるで知らないでしょうし、ことによると当時の編集部の連中も小生がなんで怒ってるのか知らないままだったでしょう。
事故や衝突は、齟齬があったことが明らかになり、こりゃまずい、と反省するなり、ああいう奴はもう使わないようにしよう、と決めるなり、リアクションがあるから意味がある。でも、恐らくは、そんなもんはなーんにもなかった。小生が勝手に「あそこには書かない」と決意し、向こうも依頼する理由がないので頼まない(「モストリー・クラシック」という冊子は、創設者のT初代編集長という突拍子もない謎の会社員が追われてから、取材記事系は全部内部のサンケイ新聞系記者がやるのが基本になってるので、評論家ではない小生には関係ない)。相互のきちんとした話し合いや理解の努力なく、一方的に思い合ってるだけ。あべそーりの戦争認識みたいなもんですわ。

もとい。何を言いたいかと申しますと、今月の「モストリー・クラシック」の特集が、「美術と音楽の関係」とかいうもの。なんとなんと、内容はまんま、様々なミュージック・イン・ミュージアムの紹介なんですわ。これ。http://mostly.sankei.co.jp/topic/index.html

で、中心になってるのが、倉敷の大原美術館、それから「東京のオペラの森」なんぞ。つまり、あたしがフジテレビ・アート・ネットに連載してる「ミュージック・イン・ミュージアム」のラインナップとまんま。そこまでならともかく、倉敷なんぞは中身まで殆どまんまいっしょ。
小生の原稿はウェブマガジンですので、こちらからどうぞ。直接リンクは出来ないようになってますので、ホームページから入ってください。Artというところの一番下、「ミュージック・イン・ミュージアム」と言うところを押してください。今月から表紙が変わって、以前のようになにもない画面をスクロールして小生の原稿まで辿り着く、という面倒さがなくなりました。良かった良かった。
http://www.fujitv.co.jp/events/art-net/index3.html

事情は簡単に推察できる。対応してくれた倉敷の広報担当者さん、恐らく、ギャラリー・コンサートの取材など、かつてされた経験がなかった。それが、去年の秋から立て続けに2軒あった。まず、小生が11月3日の上海Qで出かけたときにかなり喋っている。創業者孫の大原れいこさんが仕掛ける元同僚故萩元プロデューサーのメモリアル・コンサート宣伝がミエミエの「モストリー・クラシック」取材が直後にあれば、同じ内容を喋っても、広報関係者とすれば当然でしょう。小生の媒体「フジテレビ・アートネット」としても、シカゴ美術館が4月にヨーヨーのシルクロード・プロジェクトをやる前にシカゴの記事を出したかったり、国立新美術館がオープンする前に六本木の記事を出したかったり、いろいろと掲載の都合があり、特に急ぎではない倉敷が遅れに遅れていた。結果として、同じ時期に凄く似たような記事になった。
恐らくはそんな事情でしょうな。

上野のフェスティバルの方は、そもそもが美術と意図的に絡めたやり方だったので、同じようなことを考えながら記事を纏めるに決まってる。ま、こっちは仕方ない。それに、小生の方は掲載がまだ次の次ぎ、随分と先だしね。

というわけで、要は、「モストリー・クラシックをお読みになり、フジテレビ・アートネットの昨日更新された倉敷の記事もお読みになった読者の皆様、取材をやって、記事を書いたのは、小生の方が先です。小生はモストリーさんがこんな特集をやるなど、まるっきり知りませんでした。知ってたらもうちょっと違う形で書いたでしょう。」って内部事情を、この個人運営電子壁新聞に記しておかねば売文業者として気が済まぬ、というだけのことです。パクリと思われたら嫌ですからね。まあ、小生の記事のバックナンバーを眺めれば、パクリと思う奴はおらんじゃろが。

なお、「フジテレビ・アートネット」は、当然ながら、フジサンケイグループのフジテレビがやってる公式ホームページ内のサイトです。同じサンケイグループの媒体、イシハラ知事翼賛媒体としても知られる産経新聞の挟み込みから諸般の事情で大出世した「モストリー・クラシック」とは、経営的には姉妹関係にあるはず。だけど、両者の編集上の関連性は一切無いみたいです。台場と大手町の間には、深くてひろおぃ河がある。春爛漫の厄偏庵は、丁度両者の真ん中にある。
あ、お台場・大手町間を往来するなら、レインボー・ブリッジまわるより、佃抜けて、晴海抜けて、晴海大橋から土壌汚染の豊洲抜けて、旧ジュリアナ東京前を抜けた方が全然早いですよ。

さあ、明日締め切りの原稿手つかず。町会費とりたてあと3軒。がんばろー。春じゃ春じゃ。


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春は来たけど…なにもない [新佃嶋界隈]

大川河口の砂溜まりが小島になった元佃を除けば、ここ新佃月島晴海界隈は、明治初めにやっと埋め立てが始まった元祖湾岸である。
あ、言うまでもないけど、銀座や日比谷も太田道灌時代の埋め立て地ですから、ま、我々湾岸住民が「江戸=東京」として認識している九段の坂やら三宅坂、赤坂よりも東の平らな場所は、どこもみんな湾岸地帯。今やこけおどしポストモダン・ゴシックのツインタワー聳える内藤新宿なんぞ、甲州街道の最初の宿場町、あんなとこ東京じゃないぞ。逗子(やくぺん先生が後幼少の砌に夏の避暑地として過ごした大田舎じゃ)なんぞに住み、たまに浄水場跡地に出勤して、「宮城の人は帰って欲しいね」なんてしゃーしゃーと仰る現都知事さん、悪いが、銀座の文壇バーよりも東に来たことないあんたを、あたしゃ東京人とは思ってません。湘南人のあんたに、それを言う資格はないですよ。
それを言うなら、都知事はせめて日本橋生まれじゃなきゃねぇ。♪ほんだらほだらかほーいほい~、あ、こりゃまた失礼いたしましたっ!

「アサノ氏が東京人じゃないから」なんて仰ってる貴方、東京にはホントの東京人なんていないんですからね。せいせいがたかが数百年前の海の上に、どっかから流れ着いた風来坊の末裔。みんなみんな、田舎者。

もとい。んで、新開地の新佃地域は、人工島の中央軸に走る清澄通りを中心に、碁盤の目のように通りが走り、露地が付く。まるでマンハッタンのよう(ブロードウェイのような斜め筋はありません、江戸東京でああいう筋があるのは労音会館がある三崎町くらいでしょ)。この島そのものが、築地居留地の向かいに北東から南西に向け大川を運河にするように埋め立てられてる。

おかげで、朝から午前中にかけては、高層マンションに挟まれた露地にも、日が射します。いっぱいに射します。

佃2丁目の数少ない桜は、そんな露地にいきなり咲いてる。人造の地面に植わってるんじゃない。そう、露地の玄関先でお馴染みの、あの鉢の中から生えている。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20060401ほれ。

大川が割れて豊洲に向かう運河の縁はともかく、我が町内で最も見事な桜は、大京マンションが見おろす露地の中に咲いています。ってか、まだ咲き始めたばかり。ビル風が強烈に吹き下ろすけど、午前中の光をタップリ浴び、どんどん蕾が膨らんで…

春が来たけどなにもない。だから若いもんよ、もうすぐ巡り来る都知事選投票日にして仏陀生誕記念日にして、はたまたイースターにして、ついでにうちの嫁さんの誕生日たる目出度き日、何かプレゼントをしてくれようというなら、厄偏庵の前にも鉢もってきて、サクランボの種をひとつ落としといてくれんかのぉ。
そいつが枝となり花をつける頃、風来坊やくぺん夫婦の庵がまだこの島にあるか、何の保証もない。でも、樹になりかけておれば、お隣の魚河岸ご隠居あにいに託すこともできよーて。


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まだ路地なのか [新佃嶋界隈]

東京駅銀座から最も近い田舎町、桜もなければ壕割りもない我が佃二丁目近辺が、今やプチバブルの真っ盛りであることはずっとお伝えしている通り。佃大通りと佃仲通りの交差点の横、やたらと米の量が多い弁当屋さんが昨年暮れに店終いし、あれよあれよと毎度お馴染みプチマンションになる。それより一足先にどっさり潰された佃大通り入りっ端は「キムの家」並びの豪華看板建築群、夏が過ぎ秋が過ぎ、そんな季節があったか分からぬうちにどうやら冬も過ぎ、おっと、プチマンションへと変貌しました。
路地が消え、「キムの家」に行くのに表をぐるっとまわるのにも慣れ、そうこうするうちに、清澄通りに面し露地の出口を塞ぐように建っていた牛乳屋さんと料理屋さんまでバタバタ解体され、スッカラカンの更地になり、春の雨に水溜まり晒してら。この記事の巨大トマソンも、もうありません。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20061125

入り口も抜け口がない路地は、路地じゃあない。3軒ほどの低層民家がベタベタ並び、向かい合って建ってるだけ。

文化庁の孫請け仕事をともかくここまで、と早朝に終え、月末までに2本ある原稿の調べ物なんぞも兼ねて桜の花びらより人の頭数の方が絶対に多い上野の山まで、春の日やちゃらりちゃらりとチャリを駆り、戻ってくると、看板建築群と路地を潰して建ったプチマンションの覆いが取れ、入居が始まってる。へえ、1階は駐車場なのかな、って覗き込めば、おやまあ、こんなでんねん。

マンションの1階部分の真ん中が、スッコンと抜けられるようになってる。向こうには清澄通りまで路地の名残が続いてます。この記事の下の写真と同じ場所。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20060516昨年5月の段階では、路地の奥は赤褐色の3階建て看板建築で塞がれてた。これでもかと盛り上げたランチ天丼定食出してた半端な店もなくなり、今はバス通りが覗ける。

さても、これって、路地、なんじゃろか。

車寄せ 突き抜け立てば 路地の上


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広報上手のイシハラさんに騙されないために [音楽業界]

地獄のような日々が続き、電子壁新聞どころではなくなってる。町会仕事も出来てない。月末締め切り原稿2本、出来てない。ヤバイぞっつ。

さても、ヤバイのは小生だけじゃない。都民もヤバイよ。ええ、この壁新聞、基本的に政治欄はありません(なんせ、取材ができませんからね)。とはいえ、能登地震で富山はどうなってるかしら、と心配になりちらっと眺めたCS民間局ニュースにたまたま写った現イシハラ都知事の発言やら、都知事候補中で唯一の広告代理店入れてのメディア戦術(イシハラ事務所は億単位の広報費を使ってるのかしら、こういうのって選挙関係の情報公開法できっちり調べられるはずでしょーに、政治ジャーナリストの方、誰かやってちょ)やら、おおおお、このオッサンはこうやって人を騙すのね、というのがミエミエの手法を眺めてると腹が立ってきますね。

このイシハラという人を小生が気にくわないのは、「自分がやってもいないことを、まるで自分がやったかのように誤解させる」というテクニックをあちこちで用いることですな。
現職なんだから、「あれもやったこれもやった」と言い立てれば、なんとなくそう思っちゃう人が多いのはある意味仕方ない。それにしても、横田民間空港化を言い立て、結局なにも出来なかったのに、自分がなにもしてない横田空域のホンのちょっとの返還を「横田が帰ってきたでしょ」なんて、自分の手柄みたいに不安神経症のめぱちくりしながらしゃーしゃーと仰るのは、いくら成田エクスプレスを走らせた運輸大臣(イシハラ氏の政治家としてのたった二つの功績は、成田空港直結鉄道を走らせたことと、「大江戸線」という痛快なほど馬鹿馬鹿しい名前を都営新線に付けたこと)としても余りにも酷すぎる。
新宿歌舞伎町浄化は、本来は都知事じゃなくて新宿区長のやるべき仕事(よーするに、自分の配下の最大の暴力組織たる警察を動かした、ということ。警察の内部犯罪を暴こうとして県知事にいられなくなったアサノ氏と正反対)。それに、成果があったところで、この食わせものオヤジの任期中は目白と佃にしか住んでないし、歌舞伎町なんてアヤシイ場所に出入りする気など毛頭無い健全な都民たる小生には、「そんな区長クラスがやる仕事でつぶしてる暇があるなら、豊洲の土壌汚染の処理をしろ」としか言えん。
いやはや、こいつ、人殺しで現行犯逮捕されても「俺は絶対やってない」と言い張るタイプだぞ。
この人の周囲の世論形成作業をしている広報のプロたちは、本人のそんな精神的な欠陥を上手に使ってる。冷静に見れば失政だらけなのに、なんだか「実行力がある」と突拍子もない誤解を相手が勝手にするようにし向ける。小生の周囲の音楽プロデューサーなんぞでも、こういうやり方をしてポジションを取って偉くなる奴はいっぱいいるなぁ。ま、同じ商売だわな。

ええと、小生が取材を自分で行っていることで、ひとつ皆様が誤解なさってそうなことがあるんで、記しておきます。かなり多くの方が、「東京のオペラの森」やら「ラ・フォル・ジュルネ」は、東京都が金を出してやってる、イシハラ都知事がやってる、と勝手に思いこんでらっしゃるようだ(後者を都のイベントだと誤解なさってる人は、案外たくさんいますよ、国際フォーラム広報さん!)。だけど、全くそうじゃありません。両方とも民間がやってることです。東京都は「金を使わない形で協力し、美味しいところだけいただいている」というのが実態。

2004年の秋、この「東京のオペラの森」というイベントが始まったとき、たまたま都響の存続騒動というものが起きていて、多くの音楽ファンは「あれはオザワとイシハラが結託した都響潰しだ」と勝手に思いこんで、とっても冷ややかだった。で、小生はなんだかよくわからんので、ともかく取材させろ、と御茶ノ水神保町にある「オペラの森」事務所に行き、取材して、原稿書いたです。「東京のオペラの森」というイベントがどういう構造でやられているのか、恐らく、活字メディアで出た唯一のレポートだったでしょう。まあ、毎度ながら、なーんの影響力もなかったですけどね。

というわけで、その原稿の必要部分を抜粋再録して今日はオシマイ(赤が入る前の原稿しか手元にないので、もしかしたら「音楽の友」誌に掲載された原稿は細部が違ってるかも)。繰り返します、イシハラ都知事及び東京都は「東京のオペラの森」というイベントに、その財布から金を出してはいません。東京文化会館を1ヶ月優先的に借り切る、などの利便を払うところに東京都が関わっておりますから、「俺も関係あるぞ」と仰るのはご自由ですが、その辺り、騙されないでくださいね。
なお、同業者の林田直樹氏の電子壁新聞でも、そのことは触れてあります。ご覧あれ。こちら。3月22日の記事の最後のあたり。http://blog.livedoor.jp/naoh123/

                           ※※

             「東京オペラの森」開幕~21世紀自治体文化事業の実験

 2005年3月、上野東京文化会館を舞台に、「東京のオペラの森」が開催される。小澤征爾を音楽監督に、演出、衣装から装置、照明まで全て新制作の「エレクトラ」公演をメインに、管弦楽演奏会や歌曲リサイタルまで、リヒャルト・シュトラウスの世界を総合的に描き出すフェスティバルである。

◆大江戸御上の思惑と旦那衆の矜持
 と書くと、「同時期に都民芸術フェスティバルでオペラやオーケストラに税金を使う東京都が、どうして別の音楽イベントをするの?」と素朴な疑問も浮かぼう。先の記者発表で小澤監督の隣に石原都知事まで並べば、一部の音楽ファンばかりかジャーナリストまでもが「すわ知事の肝入りで都が行うイベントか」と早合点したのも無理はない。
 練習が始まる2月中旬から都財団が管理する東京文化会館を1ヶ月間ほぼ貸し切る(会場使用料は都に払う)のだから、行政が大いに関わっているのは事実だ。だが、「東京のオペラの森」に都民の税金は一切用いられない。運営費はチケット収入と企業協賛金のみ。財政危機で都営美術館博物館や東京都交響楽団など自前文化団体の運営見直に迫られている東京都が、新たなイベントに予算を割けるわけがなかろう。それに、自治体文化活動とは最良の意味でのローカルイベントたるべきで、いかなスター知事でもワールドワイドな催しに税金を投入するには都民の議論が必要なはず(芸術の質とローカル性は別物で、例えばサイトウキネン・フェスティバルにも殆ど報道されない地域イベントとしての側面もある)。都側からすれば「施設利用や広報面で民間の実行委員会と協力することで、懐を痛めずに東京ローカルを越えた芸術イベントに参加できる」のだから、話に乗らない方がどうかしている。知事がニコニコ顔なのも当然だ。
 プロの文化官僚を育成していない日本では、官民協力とは「官が金と場所を提供し民がアイデアと人を提供する」のが常識だった。今回のイベントが新たな民活文化事業の実験となるのか、見守りたい。それにしても、自治体を「御上」でなく「市民が上手に利用するサービス業者」と発想するなど、いかにも元祖民の国アメリカ合衆国で音楽監督業を勤め上げたオザワらしい。
 誤解を恐れずに言えば、「東京のオペラの森」の仕組みは、近代市民社会のオペラハウス以前、オペラなる演芸の原初的形態に近いのである。富豪が集まり、自分らがお気に入りの芸人のための歌劇場を競って建てた、17世紀イタリアでの初期オペラの構造だ。江戸東京で例を捜せば、旦那衆がお気に入りの芸人のために建てた新橋演舞場のあり方か。
 小澤征爾という芸術家と共に人生を過ごし、ここまで来た世代がいる。小澤の海外での苦闘を己のそれと重ね、その成功を我が事のように喜んだ人々だ。今や大企業のトップに立った東京の企業エクゼクティブが、自分らが思い入れる芸術家に芸の仕上げの場を用意するためメセナ協議会を通し資金協賛し、役人を動かす。エスタブリッシュメントとなったオザワしか知らぬ世代には理解不能かもしれないけど、「オペラの森」を支えるのは、マーケティングという名の無慈悲な消費の理論とは無縁な、21世紀版大江戸旦那衆の矜持なのだ。(以下略)
                                   (初出2004年『音楽の友』12月号)


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携帯電話に出ないのは無礼 [音楽業界]

先程まで、晴海の第一生命ホールで年に1度の企画「育児支援コンサート」の客席におりました。このホールを拠点とするNPOの名物企画で、一言で言えば「前半は子供は別の部屋で年齢別のコンサート、親はホールでホントのコンサート。後半は親子が一緒にホールで豪華メンバーによる巨大絵本読み合わせ」というものです。こんな演奏会。http://blog.goo.ne.jp/shink_2006/e/ca4f7c746712ccf754e0d34a962ced22
つまり、後半はコンサート会場の半分は3歳から7歳くらいまでの子供になる。静かにしてろ、なんて怒る奴の方がどーにかしてるよーな状況であります。勿論、チェリビダッケのチューニングを固唾を呑んで見守る2000人の聴衆の静寂、なんてもんはあり得ません。あっちこっちでいろんな音がしている。でも、佐久間さん以下のオイロス・アンサンブルは、そんな中にも流れる空気を読みながら演奏します。正にプロですな。

さても、このところ連日あちこちから個人メールはいただくは、演奏会場でご意見はいただくは、もー吉田純子記者大ヒットの「キレる客」論議、さっきの子供と親の楽しそうな時間を見物していて、またひとついらんことを思い出しました。

まずはこの写真をご覧あれ。

どっかの会場の演奏会前風景、とお思いでしょうね。ええ、実はこれは、正真正銘、演奏の真っ最中なんです。場所はホーチミン市音楽院大ホール。昨年暮れのこと。ステージではミドリさんバンドが演奏してる。会場の後ろの方の空気です。この写真そのものは、遅刻した人が入ってきてるところだったと思うんだけど。かなり明るく弄ってあります。

ヴェトナムはマナーが悪い、なんてことを言いたいんじゃない。このヴェトナムの状況において、「チラシが煩い」なんて怒っても、誰からも相手にされようがない。なんか妙な人がひとりで怒ってる、と思われるだけでしょう。「人が集まるところでどう振る舞うか」という、社会の基本部分が違うんだろー。

だってね、あなた、日本でもどこでも、「携帯電話はお切り下さい」って言いますよね、コンサート会場では。ところがヴェトナムでは、そんなこと言わない。
それどころか、演奏会の最中に携帯電話がかかってきたら、隣の人をのけて通路に出て、電話に応えながら客席の後ろまで行き、外に出る。で、電話を終えたら、また何事もなかったかのように自分の席に戻ってくる。どうやらこれが普通で、周囲の人も特に嫌だとも思っていないみたい。「電話がかかってきたら出ないのは失礼ですからね」って感じでした。

小生がヴェトナムのお客さんと携帯電話のあり方について議論したわけではありません。客席にいらした在ヴェトナム邦人の方になんとなく尋ねたら、ここはそうなんだ、と情けなさそうな顔をなさってただけです。小生のたった2回しかないヴェトナムでのホールでのコンサートで全てがそうだ、なんて断言するわけにはいかないけど…どーもこれは、そーらしーぞ。

どうしてそうなのか、恐らくはこの文化では「コンサートというのはPAを使ってデカイ音を出すもので、大事なことはデカイ音で言うものだ」という常識があるからのような気がする。ま、ホントののところはよく判らぬ。ヴェトナム在住の方、その辺り、なんかご教授下さいな。

とにもかくにも、「キレる人」問題の基本にある「他人の発する音に対する許容量」は、「これが常識だ」という落としどころを発見するのはなかなか困難だ、という一例でありました。

さて、地獄のように働きます。佃から晴海にかけ、運河の辺りはまだ桜なんぞない春の雨。


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嫁さんと一緒に演奏会きはったらどーや [音楽業界]

年度末、26日締め切りの文化庁下請け仕事にミスを発見し、ほぼ全部データチェックという地獄が発生。電子壁新聞どころではない。んで、ほんとに一言だけ。朝日新聞東京文化部吉田純子記者の記事http://www.asahi.com/culture/music/TKY200703160235.htmlが発表されて以降、なにやら異様に世間が盛り上がってる「キレる客」論議で感じること。

少し前に、日本語文化圏を代表するクラシック音楽ポータルサイト、飯尾氏のCLASSICAで、「演奏会にひとりでいきますか」というアンケートというか、調査があった。正直、そんな設問の設定そのものに、かなりビックリしたです。
だって、演奏会って、本来はひとりで行くようなもんではない。嫁さんやら彼女やらと連れ立っていくのが基本で、ひとりで行くのは特殊事情、というのが小生の基本的認識だったもん。それに、いきゃあ誰か絶対に知った顔がいるもんだしね。
「そんな考えの奴がおかしい」と貴方がおっしゃろーと、小生が育ってきた過去30年近くの環境がそうだったのだから、文句を言われても困る。特に、嫁さんがこの業界に本格的に入って演奏会などに行けなくなるまでは(クラシック音楽業界の裏方は、貧乏な上に夜は業務時間なので、殆ど演奏会など行けません!)、ひとりで行くのは一部の室内楽くらいであって、オペラやらオーケストラのような聴衆の数が多い類のコンサートは、まず余程のことがない限り、嫁さん(になる前の「あたしのかのじょ」)と一緒である。うん。
ミラノ・スカラ座が最初に民音で来たときなど、上野広小路の松坂屋の脇に徹夜してNHKホールの3階補助席の「オテロ」の切符を買い、当時のやくぺん先生のかのじょ(=今の嫁さん)は栄養失調で倒れました。これ、じょーだんじゃや誇張じゃありません!それでも2人で聴かないと意味がない。おかげで四半世紀以上の時を経た今でも、「ドミンゴとカップチルリのオテロとイアーゴごっこ」がふーふで出来る、♪ふぁちょねった、ふぁちょねったぁああああぁ!

ちなみに、所謂クラシック音楽の本場と信じられるヨーロッパはともかく(ウィグモアホールなど、ひとりでリートを聴きに来ているおばあちゃんなど、結構いるような気がしますね)、北米の都市では、ひとりで来てるのはご隠居の一部くらいですね。それも、会場に来るとご隠居仲間がいるから、結果的には演奏会場ではひとりではない。チケットからホールの規模、主催者の財政見通しまで、すべて聴衆は2人で来ることが基本になってる(欧米文化圏でのチケットが日本より安く設定されるのは、そもそも2枚でのセット販売が基本単位だからですよ、ご存じでしたか)。だから、例えば集客が悪くてディレクターが常にボードからの批判の矢面に立たされている晴海のSQWシリーズだって、あれがNYだったら毎回ほぼ満員、ということなんですわ。ま、都市の規模などを考えれば、それくらいが妥当な線でしょうねぇ。
ひとりの客、というのが目立つのは、例えばリンカーンセンター・チェンバーミュージック・ソサエティのアリス・タリー・ホールでの公演とかくらいかしら。金曜夜の公演で、ガラガラの1階後ろの方で着飾った2人がペッティングまがいのことを始め、後ろに座っているひとりで来てるオバチャンが、それこそぶち切れそうになって肩を振るわせてる、なんて姿を目撃したことがあります(ショーソンのクァルテットとピアノ、ヴァイオリンのためのコンソートが典雅に流れる中を、オバチャンはついにそんなバカップルを後席からひっぱたき始めました)。まあ、その類の客どもはだいたいが前半でいなくなりますから、そんなに心配することはない。どっかのベッドルームにしけ込むまでの金曜の夜の一連の流れの前菜としてお洒落な室内楽が選ばれたんでしょうねぇ。いやはや、微笑ましいこってす。

もとい。なんであれ、演奏会場の騒音が許せずにキレそうになってる貴方、是非とも次回は奥さんか彼女といらっしゃい。だって、一緒に空間を共有することを前提にしている相手がいれば、まずは貴方が会場で感じたストレスやプレッシャーは、直接一緒に来てるパートナーに伝わる。嫁ならば、「ああ、うちの宿六はまた苛ついてるわ、ちょっとたしなめなきゃ、こういう場所なんだから」と、膝をトントン叩いてくれたり、「あんた、気持ちは判るけど、騒いじゃダメよ」と突っついたりするでしょ。かのじょやらかれしだったら、「相手に格好悪いことはできんぞ」と、大人の顔をせざるを得なくなるし。
なによりも、終演後に息せき切って「あのオッサン、バカかあああ、あいつを殺してやれ」と思いっきり騒ぎ立てても(呆れられるだろうが)文句は言わん相手がいるんですからね。そもそもどの家だって、ふーふの会話の8割までは、「他所様には絶対に口が裂けても言えない、他人の人格無視、人権否定、差別感覚丸出しのオソロシーまでの罵詈雑言」でしょ。←え、違う、って…

演奏会場でキレてる貴方。真面目にアドヴァイスします。今度は嫁さんか彼女を連れてらっしゃい。

夫婦揃ってキレてる客がいたら、それはそれでコワイなぁ…うううん


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緊急要請:英文サイトを持つ音楽関係者様へ [音楽業界]

猛烈に緊急なお願いです。

日本及び世界の日本語文化圏の、芸術音楽(現代音楽、エスニック音楽、日本伝統音楽含む)及びオペラ公演のプレゼンター、カンパニーなどで、自分らの活動を紹介する英文サイト(韓国語、中国語、フランス語、などでもOK)をお持ちの方にお願いです。

現在、文化庁関連団体の依頼で、小生はそれらのサイトの網羅作業を行っております。御上の下請け仕事です。おおまかな輪郭は捉えているのですが、大事なものが落ちている可能性がある。つきましては、皆様の側から「おれのところはちゃんと英文でサイトあるぞ」という情報が欲しいのです。

小生の個人メールアドレス(プロフィル、というところを押してください)、もしくはこのコメント欄に情報をお寄せいただければ幸いです。残念ながら、報告いただいても報酬はありません。逆に「御上に俺の出している情報を知られてたまるか」という方も、コッソリその旨報告してください。知らんぷりして削除しますから。

以上、よろしくお願いします。音楽ジャーナリスト渡辺和氏からやくぺん先生への依頼をそのまま貼り付けた文章でありました。あ、締め切り、25日です。よろしく。

追記:数人の方からお返事をいただきました。有り難う御座います。地獄のような淡々とした仕事を続けております。それにしても、英文のウェブサイトの内容評価を☆でしろ、ってキツイ仕事じゃ。

追記の追記:様々な別の仕事に挟まれつつ、淡々と作業を進めております。日本のアマオケで英文サイトを持っている団体が殆どないようなのです。新響とダスビダーニャ、東京外大オケ以外のアマオケで、英文サイトをお持ちで、文化庁に教えてやりたいと思う方は、連絡下さい。


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大阪滞在4時間 [たびの空]

我が田舎町佃から一番近いJR駅のひとつが、東京駅であーる。本日、大阪国際室内楽コンクール&フェスタの記者発表会で大阪まで日帰りをする羽目になったのであるが、こういう「新幹線に乗ってる時間の方が難波で商売してる時間よりも長い」なんて弥次さん喜多さんには言い訳の立たないような状況に於いて、一番困るのは佃厄偏庵から駅までの道の選択なのだ。

無論、今日のように湾岸地区は雨の気配がない春めいた日なら、チャリチャリ行くのが一番よろしーに決まっとる。だが、ここで困るのじゃ。あなた、ご存じでしょうか、自転車で15分の駅近隣圏に次々と高層アパートが起ち上がり、周囲の人口がこの数年で3割近くも増加しているくせに、自転車置き場がまるでないJR駅がある!さほど地域住民への環境整備が遅れたJRの駅とは、何を隠そう、そー、天下の「美しい国ニッポン」が Central Station、かの壮麗なる3階建て赤煉瓦(の反対の、空襲で焼け出された諸々のビル廃材で八重洲堀を埋め立てた側に駐輪したいのですけど)、東京駅なのでありまする!

上野駅には、かつてのエンペラー御用達専用口の直ぐ下に、有料自転車置き場がある。池袋だって、東武の下にある。でも、なぜか、東京駅には自転車置き場がない。新宿や渋谷は知らぬ。どーであれ、東京駅には、正規の有料自転車置き場が設置されておりませぬ。

さても、今、さかんに行っている東京駅八重洲口近辺再開発で、自転車置き場は出来るのだろーか。JR東日本の英断を期待したいところであります。うん。さても、本日の昼に記者会見で滞在してたグランビアの真下、JR西日本大阪駅は、自転車置き場があるのかしら。

                             ※

文化庁の下請け仕事がヤバイことになってるなぁ、と危惧しつつ新大阪駅ホームで頭の上を通過するQ400の前輪状態を確認してると、某編集者から電話。おっと、ちょっと待ってね、と、到着した今や珍しい500系長っ走り「のぞみ」に慌てて駆け込み、デッキで携帯を拾い続けます。遙か都内某所からの声に言うよう、「スイマセン、明日の午前中、カール・ライスターのインタビュー、某所で。なんとかなりませんか!」

どんなに忙しかろうが来る仕事は断れぬフリーの身、はいはい、と己の首を絞めるような返事をし、何度乗ってもB757のエコノミークラスにいるようにしか感じられぬ「500系のぞみ」窓側の強引な湾曲にへり付きながら、往路で纏めたメモを復路で原稿に仕上げいっちょあがり。それにしても、どーして新幹線の中って、パソコン開いてる人が少ないんでしょか。アセラでもICEでも、はたまた香港空港特急でも、みんなもっと仕事してますよ。ニッポンのビジネスマンよ、必死に働けええええ、新幹線車内はビールの香り漂うお茶の間じゃあないぞおお!
おっと、皆の衆、これが世間で話題の栗東近辺じゃ。今にも滑走路を離陸しそうなスピードから、どんより曇る夕空の下、ビニールハウスの向こう、立派なマンション群を見はるかせば、その間にはあの「さきら」が埋もれておるはず。

指定管理者騒動で一躍日本中に名を知らしめた「栗東さきら」、今もこんな話題を提供してくれてるそうな。なんだかなぁ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070317-00000002-kyt-l25

JR東日本区域にまるで立ち入らず東京大阪往復を無事終え(東京駅八重洲口側からアプローチすると、そんな不思議なことが出来ます)、臨海部往きの都バスに走り込み、佃厄偏庵に戻れば、ぴーたか光る固定電話の留守番に入りし天の声ひとつ。「町会費のとり纏めがまだですよ。今月いっぱいだけど、ちゃんとやってくださいね、やくぺん君」。おおおおお、こんな電子壁新聞に時間潰してる暇なんぞありゃせん桜開花の春の宵。いやはやぁ。


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あんさんキレてるなら自分で演奏会作ったらどーや [音楽業界]

数日前の朝日新聞吉田純子記者の「聴衆がキレる、それも昔から馴染みの聴衆がキレる」という記事http://www.asahi.com/culture/music/TKY200703160235.htmlは、どうやらあちこちでいろいろな興味深い反応を引き起こしているよーであるなぁ。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20070316

小生の所にも、個人アドレスにいろいろと業界関係者の本音などが来ております。無論、公開なんぞしません。ひとつだけ面白い意見を記しておくと、ある関西出身の評論家氏からのメールで、「関西はそもそもマナーが悪いし、京都にはみんなが知ってるフライングブラボーオヤジがいる。東京では例の事件以降、確かにフライングブラボーマンが撲滅された」という暴力団容認とも取られかねないもーれつに危険な意見でありますな。うううん、なるほど、これが安倍政権を出現させた時代の雰囲気なのか。

で、面白いのは、「キレて何が悪い」という発言がかなりある、それも所謂匿名掲示板などには多いらしい、ということ。「らしい」というのは、匿名掲示板みたいな「他人様のストレスのゴミ捨て場」(それはそれで世の中での存在意義はあると思いますよ、うん、いつの世にも愚痴を言う場所というのは存在していたわけで、それが電子壁新聞になって世間に出ちゃってるだけのこと)をわざわざ漁ってる暇はないのであたしゃ眺めておらん、どなたかさまの個人電子壁新聞のご意見にそういう分析があったから無責任に引用しているだけ、ということ。悪しからず。こちらの方。書き手のお名前が判らぬので、「こちらの方」としか言えない。どうも名古屋圏の方みたいですな。http://dsch1906.exblog.jp/

さても、で、「キレて何が悪い」というご意見の方に、ひとつだけ、ぎょーかいの人間として「言ってはならないこと」(=お客様を挑発するようなこと)を言います。吉田記者の分析、キレて何が悪い派の方からすれば「いかにもアカヒらしい俺様を上から見おろしたような発言」がもう一歩進めば、主催者の側、特にクレームが面倒だと思うような主催者なら、「じゃあ、そういう面倒な客を相手にした演奏会はやめよう、どうせそんなうるさい客は多くても数十人なんだから、そいつらがいなくても成り立つような演奏会をやろうぜ」ということになりかねないんですよ。極めて合理的な帰結ですね。

実際にそのような極端な方向性が出てきているか、幸か不幸か、小生には判らない。でも、どっちのタイプの聴衆を取るか、という二者択一はあちこちで始まっています。これは事実(具体的には、「ラ・フォル・ジュルネ」という環境を作っちゃえば、子供がウロチョロして目障りだ、煩い、って怒鳴る人はいないでしょ)。無論、主催者の中には、「キレるような人たちこそがきちんとホントにお代を払ってくださる大事なのだ」という真っ当な考えをする人も沢山いますよ。ご安心を。

で、いきなり猛烈に前向きな結論です。

「俺がキレて何が悪い」とお思いの皆様、みんなで集まって音楽協会を結成しなさい。自分が主催者になって、音楽に集中できないタイプの客は絶対に入れず、静寂の中で音楽に浸る環境を自分らでつくればいいのです。

「俺が聴きたいのはオーケストラとかオペラだ」と仰るそこの君、帰っちゃわずに、やくぺん先生のヨタ話をもうちょっと聴き給え。

そんなおっきな音楽は、貴方が聴く必要などありません。貴方がコンサートであって欲しいような静寂な環境は、そんな大衆動員が前提になるような大規模ステージでは不可能なんですよ。諦めなさい。
でも、引きこもれ、といってるのではない。引きこもったら、引きこもりの君を資本主義の悪辣な人たちが寄って集って食い物にしようとします。コワイよぉ、これは。引きこもり対象産業は、今や日本経済を支えつつあるんだからね。お引きこもり様は神様です、なんだから。
だから、そんな悪辣な商人の食い物なんぞにならず、音楽協会を作って、室内楽を聴きなさい。貴方が求めるものは、ベートーヴェンの室内楽にこそある!これは嘘じゃない!まずは、本日お彼岸の午後3時、晴海のプレアデスQのベートーヴェン全曲演奏会の第1回に来てみたまえ。でね、この規模の音楽なら、自分らだけでプロデュースする可能性もあると判って欲しい。
実際、プレアデスQは去る日曜日に町田のサロンで弾いてます。ここ。http://www.artspace-oh.com/あそこなら、絶対に紙袋をグチャグチャやったり、カリカリ音を立ててなんか書いたりする奴はおらん。貴方が一緒に聴いて安心な人しかいない。最高の環境だよ。自分で仲間を集め、そんな環境を作ればいい。引きこもるよりよっぽど良いぞ。

考えてみれば、一昔前までの室内楽の演奏会なんて、みんなそんな雰囲気だったでしょ。小生は流石に現役では接していないが、プロムジカQがお堀端の第一生命ホールでやった邦人初のベートーヴェンチクルスなんぞ、真っ暗い中にスポットライトだけを当て、暗譜で、猛烈な集中力と他人を排除するようなピリピリした空気の中で敢行されていたといいます。そんな雰囲気こそ俺が求めるクラシックのコンサート、と思うならば、それを自分らでもう一度造り上げれば良い。そうやって素晴らしい地方主催者が、ルンデの鈴木さんや鵠沼のH先生みたいな方が、また出来ていくこともあり得る。

なんと、意外にも、猛烈に建設的な意見になってしまった。以上、キレやすい貴方を読者対象とした、朝日新聞以上にえらそーな作文でした。えっへん!さあ、怒りのコメントをドンドン下さいな。はしから抹殺してあげるから!

                            ※

急に真面目になります。このアホな挑発作文を読んで、冗談じゃなく、「おし、じゃ、俺が絶対に静寂しか許さぬ演奏会をつくったろじゃないか」と思ったけど、演奏会を作るにはどうしたら良いかが判らず困ったなら、小生の個人アドレスに連絡下さい。どうやったら小さな演奏会が作れるか、御指南いたします。ボランティアでお教えします。繰り返しますが、これ、大真面目な発言。


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