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広報上手のイシハラさんに騙されないために [音楽業界]

地獄のような日々が続き、電子壁新聞どころではなくなってる。町会仕事も出来てない。月末締め切り原稿2本、出来てない。ヤバイぞっつ。

さても、ヤバイのは小生だけじゃない。都民もヤバイよ。ええ、この壁新聞、基本的に政治欄はありません(なんせ、取材ができませんからね)。とはいえ、能登地震で富山はどうなってるかしら、と心配になりちらっと眺めたCS民間局ニュースにたまたま写った現イシハラ都知事の発言やら、都知事候補中で唯一の広告代理店入れてのメディア戦術(イシハラ事務所は億単位の広報費を使ってるのかしら、こういうのって選挙関係の情報公開法できっちり調べられるはずでしょーに、政治ジャーナリストの方、誰かやってちょ)やら、おおおお、このオッサンはこうやって人を騙すのね、というのがミエミエの手法を眺めてると腹が立ってきますね。

このイシハラという人を小生が気にくわないのは、「自分がやってもいないことを、まるで自分がやったかのように誤解させる」というテクニックをあちこちで用いることですな。
現職なんだから、「あれもやったこれもやった」と言い立てれば、なんとなくそう思っちゃう人が多いのはある意味仕方ない。それにしても、横田民間空港化を言い立て、結局なにも出来なかったのに、自分がなにもしてない横田空域のホンのちょっとの返還を「横田が帰ってきたでしょ」なんて、自分の手柄みたいに不安神経症のめぱちくりしながらしゃーしゃーと仰るのは、いくら成田エクスプレスを走らせた運輸大臣(イシハラ氏の政治家としてのたった二つの功績は、成田空港直結鉄道を走らせたことと、「大江戸線」という痛快なほど馬鹿馬鹿しい名前を都営新線に付けたこと)としても余りにも酷すぎる。
新宿歌舞伎町浄化は、本来は都知事じゃなくて新宿区長のやるべき仕事(よーするに、自分の配下の最大の暴力組織たる警察を動かした、ということ。警察の内部犯罪を暴こうとして県知事にいられなくなったアサノ氏と正反対)。それに、成果があったところで、この食わせものオヤジの任期中は目白と佃にしか住んでないし、歌舞伎町なんてアヤシイ場所に出入りする気など毛頭無い健全な都民たる小生には、「そんな区長クラスがやる仕事でつぶしてる暇があるなら、豊洲の土壌汚染の処理をしろ」としか言えん。
いやはや、こいつ、人殺しで現行犯逮捕されても「俺は絶対やってない」と言い張るタイプだぞ。
この人の周囲の世論形成作業をしている広報のプロたちは、本人のそんな精神的な欠陥を上手に使ってる。冷静に見れば失政だらけなのに、なんだか「実行力がある」と突拍子もない誤解を相手が勝手にするようにし向ける。小生の周囲の音楽プロデューサーなんぞでも、こういうやり方をしてポジションを取って偉くなる奴はいっぱいいるなぁ。ま、同じ商売だわな。

ええと、小生が取材を自分で行っていることで、ひとつ皆様が誤解なさってそうなことがあるんで、記しておきます。かなり多くの方が、「東京のオペラの森」やら「ラ・フォル・ジュルネ」は、東京都が金を出してやってる、イシハラ都知事がやってる、と勝手に思いこんでらっしゃるようだ(後者を都のイベントだと誤解なさってる人は、案外たくさんいますよ、国際フォーラム広報さん!)。だけど、全くそうじゃありません。両方とも民間がやってることです。東京都は「金を使わない形で協力し、美味しいところだけいただいている」というのが実態。

2004年の秋、この「東京のオペラの森」というイベントが始まったとき、たまたま都響の存続騒動というものが起きていて、多くの音楽ファンは「あれはオザワとイシハラが結託した都響潰しだ」と勝手に思いこんで、とっても冷ややかだった。で、小生はなんだかよくわからんので、ともかく取材させろ、と御茶ノ水神保町にある「オペラの森」事務所に行き、取材して、原稿書いたです。「東京のオペラの森」というイベントがどういう構造でやられているのか、恐らく、活字メディアで出た唯一のレポートだったでしょう。まあ、毎度ながら、なーんの影響力もなかったですけどね。

というわけで、その原稿の必要部分を抜粋再録して今日はオシマイ(赤が入る前の原稿しか手元にないので、もしかしたら「音楽の友」誌に掲載された原稿は細部が違ってるかも)。繰り返します、イシハラ都知事及び東京都は「東京のオペラの森」というイベントに、その財布から金を出してはいません。東京文化会館を1ヶ月優先的に借り切る、などの利便を払うところに東京都が関わっておりますから、「俺も関係あるぞ」と仰るのはご自由ですが、その辺り、騙されないでくださいね。
なお、同業者の林田直樹氏の電子壁新聞でも、そのことは触れてあります。ご覧あれ。こちら。3月22日の記事の最後のあたり。http://blog.livedoor.jp/naoh123/

                           ※※

             「東京オペラの森」開幕~21世紀自治体文化事業の実験

 2005年3月、上野東京文化会館を舞台に、「東京のオペラの森」が開催される。小澤征爾を音楽監督に、演出、衣装から装置、照明まで全て新制作の「エレクトラ」公演をメインに、管弦楽演奏会や歌曲リサイタルまで、リヒャルト・シュトラウスの世界を総合的に描き出すフェスティバルである。

◆大江戸御上の思惑と旦那衆の矜持
 と書くと、「同時期に都民芸術フェスティバルでオペラやオーケストラに税金を使う東京都が、どうして別の音楽イベントをするの?」と素朴な疑問も浮かぼう。先の記者発表で小澤監督の隣に石原都知事まで並べば、一部の音楽ファンばかりかジャーナリストまでもが「すわ知事の肝入りで都が行うイベントか」と早合点したのも無理はない。
 練習が始まる2月中旬から都財団が管理する東京文化会館を1ヶ月間ほぼ貸し切る(会場使用料は都に払う)のだから、行政が大いに関わっているのは事実だ。だが、「東京のオペラの森」に都民の税金は一切用いられない。運営費はチケット収入と企業協賛金のみ。財政危機で都営美術館博物館や東京都交響楽団など自前文化団体の運営見直に迫られている東京都が、新たなイベントに予算を割けるわけがなかろう。それに、自治体文化活動とは最良の意味でのローカルイベントたるべきで、いかなスター知事でもワールドワイドな催しに税金を投入するには都民の議論が必要なはず(芸術の質とローカル性は別物で、例えばサイトウキネン・フェスティバルにも殆ど報道されない地域イベントとしての側面もある)。都側からすれば「施設利用や広報面で民間の実行委員会と協力することで、懐を痛めずに東京ローカルを越えた芸術イベントに参加できる」のだから、話に乗らない方がどうかしている。知事がニコニコ顔なのも当然だ。
 プロの文化官僚を育成していない日本では、官民協力とは「官が金と場所を提供し民がアイデアと人を提供する」のが常識だった。今回のイベントが新たな民活文化事業の実験となるのか、見守りたい。それにしても、自治体を「御上」でなく「市民が上手に利用するサービス業者」と発想するなど、いかにも元祖民の国アメリカ合衆国で音楽監督業を勤め上げたオザワらしい。
 誤解を恐れずに言えば、「東京のオペラの森」の仕組みは、近代市民社会のオペラハウス以前、オペラなる演芸の原初的形態に近いのである。富豪が集まり、自分らがお気に入りの芸人のための歌劇場を競って建てた、17世紀イタリアでの初期オペラの構造だ。江戸東京で例を捜せば、旦那衆がお気に入りの芸人のために建てた新橋演舞場のあり方か。
 小澤征爾という芸術家と共に人生を過ごし、ここまで来た世代がいる。小澤の海外での苦闘を己のそれと重ね、その成功を我が事のように喜んだ人々だ。今や大企業のトップに立った東京の企業エクゼクティブが、自分らが思い入れる芸術家に芸の仕上げの場を用意するためメセナ協議会を通し資金協賛し、役人を動かす。エスタブリッシュメントとなったオザワしか知らぬ世代には理解不能かもしれないけど、「オペラの森」を支えるのは、マーケティングという名の無慈悲な消費の理論とは無縁な、21世紀版大江戸旦那衆の矜持なのだ。(以下略)
                                   (初出2004年『音楽の友』12月号)


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