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春は来たけど…なにもない [新佃嶋界隈]

大川河口の砂溜まりが小島になった元佃を除けば、ここ新佃月島晴海界隈は、明治初めにやっと埋め立てが始まった元祖湾岸である。
あ、言うまでもないけど、銀座や日比谷も太田道灌時代の埋め立て地ですから、ま、我々湾岸住民が「江戸=東京」として認識している九段の坂やら三宅坂、赤坂よりも東の平らな場所は、どこもみんな湾岸地帯。今やこけおどしポストモダン・ゴシックのツインタワー聳える内藤新宿なんぞ、甲州街道の最初の宿場町、あんなとこ東京じゃないぞ。逗子(やくぺん先生が後幼少の砌に夏の避暑地として過ごした大田舎じゃ)なんぞに住み、たまに浄水場跡地に出勤して、「宮城の人は帰って欲しいね」なんてしゃーしゃーと仰る現都知事さん、悪いが、銀座の文壇バーよりも東に来たことないあんたを、あたしゃ東京人とは思ってません。湘南人のあんたに、それを言う資格はないですよ。
それを言うなら、都知事はせめて日本橋生まれじゃなきゃねぇ。♪ほんだらほだらかほーいほい~、あ、こりゃまた失礼いたしましたっ!

「アサノ氏が東京人じゃないから」なんて仰ってる貴方、東京にはホントの東京人なんていないんですからね。せいせいがたかが数百年前の海の上に、どっかから流れ着いた風来坊の末裔。みんなみんな、田舎者。

もとい。んで、新開地の新佃地域は、人工島の中央軸に走る清澄通りを中心に、碁盤の目のように通りが走り、露地が付く。まるでマンハッタンのよう(ブロードウェイのような斜め筋はありません、江戸東京でああいう筋があるのは労音会館がある三崎町くらいでしょ)。この島そのものが、築地居留地の向かいに北東から南西に向け大川を運河にするように埋め立てられてる。

おかげで、朝から午前中にかけては、高層マンションに挟まれた露地にも、日が射します。いっぱいに射します。

佃2丁目の数少ない桜は、そんな露地にいきなり咲いてる。人造の地面に植わってるんじゃない。そう、露地の玄関先でお馴染みの、あの鉢の中から生えている。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20060401ほれ。

大川が割れて豊洲に向かう運河の縁はともかく、我が町内で最も見事な桜は、大京マンションが見おろす露地の中に咲いています。ってか、まだ咲き始めたばかり。ビル風が強烈に吹き下ろすけど、午前中の光をタップリ浴び、どんどん蕾が膨らんで…

春が来たけどなにもない。だから若いもんよ、もうすぐ巡り来る都知事選投票日にして仏陀生誕記念日にして、はたまたイースターにして、ついでにうちの嫁さんの誕生日たる目出度き日、何かプレゼントをしてくれようというなら、厄偏庵の前にも鉢もってきて、サクランボの種をひとつ落としといてくれんかのぉ。
そいつが枝となり花をつける頃、風来坊やくぺん夫婦の庵がまだこの島にあるか、何の保証もない。でも、樹になりかけておれば、お隣の魚河岸ご隠居あにいに託すこともできよーて。


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