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まだ路地なのか [新佃嶋界隈]

東京駅銀座から最も近い田舎町、桜もなければ壕割りもない我が佃二丁目近辺が、今やプチバブルの真っ盛りであることはずっとお伝えしている通り。佃大通りと佃仲通りの交差点の横、やたらと米の量が多い弁当屋さんが昨年暮れに店終いし、あれよあれよと毎度お馴染みプチマンションになる。それより一足先にどっさり潰された佃大通り入りっ端は「キムの家」並びの豪華看板建築群、夏が過ぎ秋が過ぎ、そんな季節があったか分からぬうちにどうやら冬も過ぎ、おっと、プチマンションへと変貌しました。
路地が消え、「キムの家」に行くのに表をぐるっとまわるのにも慣れ、そうこうするうちに、清澄通りに面し露地の出口を塞ぐように建っていた牛乳屋さんと料理屋さんまでバタバタ解体され、スッカラカンの更地になり、春の雨に水溜まり晒してら。この記事の巨大トマソンも、もうありません。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20061125

入り口も抜け口がない路地は、路地じゃあない。3軒ほどの低層民家がベタベタ並び、向かい合って建ってるだけ。

文化庁の孫請け仕事をともかくここまで、と早朝に終え、月末までに2本ある原稿の調べ物なんぞも兼ねて桜の花びらより人の頭数の方が絶対に多い上野の山まで、春の日やちゃらりちゃらりとチャリを駆り、戻ってくると、看板建築群と路地を潰して建ったプチマンションの覆いが取れ、入居が始まってる。へえ、1階は駐車場なのかな、って覗き込めば、おやまあ、こんなでんねん。

マンションの1階部分の真ん中が、スッコンと抜けられるようになってる。向こうには清澄通りまで路地の名残が続いてます。この記事の下の写真と同じ場所。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20060516昨年5月の段階では、路地の奥は赤褐色の3階建て看板建築で塞がれてた。これでもかと盛り上げたランチ天丼定食出してた半端な店もなくなり、今はバス通りが覗ける。

さても、これって、路地、なんじゃろか。

車寄せ 突き抜け立てば 路地の上


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