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ヴァーチャル大阪国際室内楽コンクール弦楽四重奏部門1次予選 [大阪国際室内楽コンクール]

さて、風薫る皐月15日、いよいよ第10回大阪国際室内楽コンクール&フェスタの初日となりました。ここ、コロナ禍がなかった仮想タイムラインから、参加者の熱演をお届けしましょう。本日の一次予選はベートーヴェン作品18から1曲と、クルタークとかヴェーベルンとか20世紀の小品名曲が課題曲でありまする。その前に、参加者と日程はこちら。
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で、一応、審査員の先生はこちら…って、これはいないけどね。
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まずは、今回のコロナ禍で命を落としたアマデウスQチェロ奏者マーティン・ロヴェット氏を追悼し、あいうえお順でアイオロスQにオープニング演奏を行っていただきましょう。皆様、黙祷お願いします。

ありがとうございました。コロナ渦で、皆さんも練習が出来ずさぞかし大変でしょうが、頑張って下さい。

では、ヴァーチャルオーサカ一次予選を始めます。そのままアイオロスQにヴァーチャルいずみホールに残っていただき、作品18の3です。


以下、上のエントリーシート順に登場お願いします。カオスQの皆さんなのですが、残念ながら作品18の音源が届いておりません。本選の《大フーガ》のみの参加となりそうですので、それまでお待ちを。なんせ、予選敗退はないヴァーチャル大会ですので。それにしても、この名前でホントに良いのか、あんた達っ!

続いてカリストQ。こちらも残念ながら作品18での参加がないので、昨年のバンフからハイドンの作品77の1での参加を特別に許しましょ。ほれ。なお、2次予選のドビュッシーはちゃんと音がありますので、乞うご期待。


さても、溜池では一部の皆様にお馴染みのQインテグラ、こちらも残念ながら作品18がないのですが、なんと皆様がアホ話をしている動画の後ろで流れているので、罰ゲームみたいだけど、アップしておきます。ほれ。二次以降はちゃんと参加予定。


案外疲れるなぁ、この作業。まだまだいくぞぉ。続いてはフランスから、Qアコス。やくぺん先生は知らない連中だわさ。作品18の6です。
こいつら、どういう環境に暮らしてるのか、このコロナ禍の中でライヴストリーミングとかやってるんですねぇ。この時期に本気の練習が出来てるなら、強いなぁ、この先のことを考えると。

ジュビリーQは、作品18の1の緩徐楽章で参加。きっちりした映像になってますね。


続くゾラQはカーチスの連中で、もう出来上がった奴らで、エントリーも5年前のヴェーベルンの映像。っても、これじゃロマン派ラウンド用だなぁ、ま、ファイナリストの一角ですから、これで許してあげましょうか。


これまたお馴染みのQチェルカトーレの皆さんです…がぁ、残念ながらちゃんとした音はなぜかブリテンしかないので、それは2次予選でご紹介しましょう。で、プロジェクトQに参加したときのハイドンの音がありますので、それで当ヴァーチャル大会参加を許しますっ。それにしても、石橋メモリアルは響くなぁ。


お馴染みの顔が続くぞ、いよいよ我がお嫁ちゃまの研究室で練習したりするほのQの登場じゃわ。…とはいえ、メンデルスゾーンしかないようなので、しょーがないなぁ、自己紹介してください。これ、出さない方が良いかな。冒頭、音量控えめにしないと周囲をびくりさせるかも。


最後は、これまたやくぺん先生は知らないバローデットQなんですが…残念ながらヴァーチャル大会に参加出来る資料がありませんでしたので、棄権にさせていただきます。アメリカの団体って、誰の弟子でどこの奴らなんじゃろね。いまどきFacebook上のアカウントもない団体なんて、珍しいなぁ。

というわけで参加9団体のヴァーチャルOsaka大会、以降、ラウンドが予定されていた日に2次予選以降も当無責任私設電子壁新聞上で勝手に開催させていただきます。これはマズいと思った連中は、慌ててまともな映像を収録して、こちらまで送りつけて下さいっ。

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コンサート再開に向けた一歩 [パンデミックな日々]

ほぼ1ヶ月ぶりに締め切り字数制限のある原稿を初めて、頭が全然きちんと動かず、ほぼ二日間、書いたり消したりというか、アウトライン作りをやってるだけで、なんにも進んでません。完全に1ヶ月休んだなんて、30数年ぶりじゃないかしらね。余生というか、最後の時代が始まるぞ、って盛り上がりはないもんだなぁ。

そんななか、世間はもう絶えられなくなってとうとう勝手に動き出すよ、という感じになってきていて、本日、業界内ネット上ではいつ出るのかと言われていた公益社団法人全国公立文化施設協会、所謂公文協(文化庁系です)から、「劇場、音楽堂等における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン 」が出ました。もうあちこちに出回っておりますが、当無責任電子壁新聞としましても、後の自分のメモのためにアップしておきます。こちら。
https://www.zenkoubun.jp/info/2020/pdf/0514covid_19.pdf?fbclid=IwAR1rZkgVzIBCh06qtfzhAPH04EAcfiRIoDZSnfL0N1pSSF4i5Lq2gQyWRNw
一部の地域では非常事態が解除されたそうなので、これでそういう地域は一気に動きが出てくるのでしょうねぇ。早ければこの週末、なんてのは流石に無理でしょうけど。トイレの行列整理が大変そうだなぁ。ベルリン医科大学の指針みたいな「医師からの提言」ではないので、感染防止という視点ではない感じですね。舞台上のことなどは特に言っていないし。

もうひとつ。コロナ禍での劇場の運営について「緊急事態舞台芸術ネットワーク」なる組織が本日発足しました。こちら。
http://jpasn.net/
劇場法絡み、ってわけではないのでしょうが、基本は「音楽堂」ではなくて「劇場」の連絡団体のようで、所謂コンサートホールは入ってませんね。何をしていくかはともかく、問題を話し合ったりロビー活動をしたりするフォーマットは出来た、ということでしょう。

明日の朝から大阪大会の弦楽四重奏一次予選だった…などとは考えずに、本日起きた事実だけを記して、さっさともう今日は寝ましょ。

なお、アメリカ合衆国のイベント安全連盟というところが出したガイドもありますので、参考までに。こちら。
https://www.eventsafetyalliance.org/esa-reopening-guide

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言われたとおりにやってみると [パンデミックな日々]

パンデミックな日々が明けた後の為のメモ、です。

別に日本のゴールデンウィーク明けを待ってという訳じゃなかろーが、5月7日にベルリン医科大学が「オーケストラが三密を避ける条件」を発表。様々な動きが起きているのはおうちで暇してる皆様はよくご存じのことと思いますです。これ。今やオーケストラ業界内公式文書になってますな。こちら。歴史的な文書になるんじゃないかな。
https://epidemiologie.charite.de/fileadmin/user_upload/microsites/m_cc01/epidemiologie/downloads/Stellungnahme_Spielbetrieb_Orchester.pdf

日本でも、今月頭くらいから、業界の若い現場連中の間では今や日本国でいちばん偉い「専門家会議」なる御上が仰る三密回避条件でのホール再開シミュレーションの動きがありましたけど、こっちは「どんだけ客を入れられるか」という経営や採算の視点からの議論ではなく、あくまでもオーケストラ奏者の健康を守る、ということが趣旨。正に「専門家」の意見で、それをどうするかは現場の判断であろう、ということです。法的な規制ではなく、あくまでもドイツの専門家会議の提言、ということ。

さても、で、「12メートルルール」という言い方も出来つつあるそんな提言を、じゃあ真面目にやってみたらどうなるか、って団体が出てきました。んで、動画をつくってくれました。ヒルデスハイムの劇場を舞台に、TfNフィルハーモニー・ヒルデスハイムがベートーヴェンの第7交響曲を演奏してます。ハノーファーの南、ベルリンからフランクフルトに向かうICEのいちばん速い、ハノーファーを経由しない奴が、ブラウンシュヴァイクを過ぎた先でハノーファー迂回線に入り、北から降りてくるエリカ街道南下の本線に合流する駅ですね。いつも通るけど、げしゃしたことない街のひとつだなぁ。

んで、こちらです。

ま、ホントに、後の笑い話になればいいんですけど…って映像でありますなぁ。それにしても、練習もこの配置でやったのかしら?楽屋はどうしたのかしら?いやはや…

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アムステルダムの悲劇 [パンデミックな日々]

昨日、ある方からこのような事件があった、という情報をいただきました。現地で5月9日付の報道です。
https://www.trouw.nl/verdieping/die-ene-passion-die-wel-doorging-met-rampzalige-gevolgen~b4ced33e/?fbclid=IwAR2LgWRVaPmuHgREGoiiowhy3QNfhVRuLcYkENrPvTbWdeOew8WldiukaOQ
https://www.br-klassik.de/aktuell/news-kritik/chor-amsterdam-corona-tote-nach-konzert-concertgebouw-100.html
下のバイエルン放送の記事は上の記事から引っ張って来たみたいで、メインの記事はオランダ語。これは困ると仰る方もいらっしゃるでしょうから、一応、中身を要約しておきますと…

☆オランダ全土でホールの閉館が命じられる直前、3月8日に、コンセルトヘボウでアムステルダム混成合唱団がイースター前恒例の《ヨハネ受難曲》の演奏を行った。前日に狭い会場で練習も行われていた。

☆130名の合唱団のうち、102名が新コロナ・ヴィルスに感染した。メンバー1名とその家族3名の総計4名が亡くなった。1000人ほどの聴衆からは感染者は出ていないようである。

ということです。オランダ在住の若いジャーナリストさんに拠れば、この媒体はオランダ国内で4,5番手くらいの大手で、他のメイジャー媒体も記事を出しているそうなので、いい加減な記事ではないであろうとのこと。

日本でも岐阜の可児町で合唱団から感染が広がり、亡くなった方もいるという話がありました。時期としては、びわ湖ホールで《神々の黄昏》のGPを拝見しながら、ここに居る人から感染者が出ませんように、と祈っていた頃の話ですな。こういう話が「パンデミックのときの悲劇」としてきちんと取材がなされて客観的に伝えられるようになるには、まだまだ時間がかかりそうな。

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シュトゥットガルトの《ボリス》を視る [現代音楽]

本来ならばそろそろ大阪に移動し、関西はもうすっかり初夏じゃないか、などと悪態をついている筈だった皐月も半ば、新帝都は川向こうの新開地葛飾ももう夏の空気が漂い、風呂掃除をしてもなかなか乾かない季節となって参りました。今週は、大阪のコンクールが始まった気持ちになって最後の作文仕事に専念するべぇ、と心に決めていたのだけど、「コロナに負けるな大放送」のシュトゥットガルト歌劇場が去る週末から今週いっぱい、日本時間だと15日金曜日深夜まで、とてつもない舞台をネット上で観せてくださるというので、ともかく朝からきっちりそいつを眺める日となってしまいました。かなり面倒なものなので、まるまる一日仕事になってしまいましたです。

とにもかくにも、こちらでございます。
https://www.staatsoper-stuttgart.de/en/schedule/opera-despite-corona/
なんだ、《ボリス・ゴドゥノフ》じゃないの。そんなの、数週間前にはミュンヘンの我らがアベそーりも登場する舞台をやってたし、YouTubeで探せばアバドからゲルギエフから、長い版も短い版もどっちも全曲映像よりどりみどり、今週限定映像だからってそんなに焦って眺める必要もない泰西名曲じゃない…なんて思うでしょ。

ところがどっこい、これ、なかなか一筋縄ではいかんもんなんですよ。なにしろ、ご覧のようにタイトルはこんなん。
BORIS from Modest Mussorgski/Sergej Newski
Sergej Newski Secondhand-Zeit (Auftragskomposition der Staatsoper Stuttgart) nach Texten aus dem gleichnamigen Buch von Swetlana Alexijewitsch

プーシキンとも書いてないし、版もどっちを使っているかここには記してない。なんせ両版では長さが全然違いますから、改訂版でやるならそう書いておいてくれないと、終演後の飯屋の予約とか出来ません。シュトゥットガルト駅前通りの中華料理屋くらいしかやってないぞ、長い版が終わった後だと。で、サイトの別のところに行くと、「1869年版に拠る」とちゃんと書いてあるのに、あれぇ、YouTubeの映像を流し始めると、3時間12分41秒なんて改訂版の長さになってるじゃん。

世界がコロナ騒動で滅茶苦茶になる直前、2月の終わりにシュトゥットガルトの劇場の委嘱でベルリン在住のロシア人作曲家セルゲイ・ネフスキーが作曲、世界初演された舞台を収録したものです。本来なら、今頃もレパートリーとして上演されていたプレミア舞台であります。

どういう作品かといえば、「ムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》の短い方の初稿版に、ネフスキーが2015年ノーベル文学賞を史上初のドキュメンタリー作家として獲得したアレクシェーヴィッチのソ連民衆を描いた『セカンドハンドの時代』からの場面を挟み込んだハイブリッド創作」です。この原作、流石にノーベル賞作家だけあって、ちゃんと岩波から日本語訳も出てるんだ。
https://www.iwanami.co.jp/book/b266311.html

察しの良い方なら、なるほどプーシキン原作のロシアの民衆が主役となる作品に20世紀のソ連民衆の声を挟み込んで現代向けにアップデートした作品か、とお判りになるでしょう。正に、そういうものです。ちなみにネフスキー作品はリコルディから出版されていて、1時間ほどの独立した作品として上演も可能とのこと。こちら。ここで必要な情報は全部ゲット出来ます。
https://www.ricordi.com/en-US/News/2020/02/Newski-Seconhand-Zeit.aspx
なんと、このリコルディのサイト、ちっちゃいけど総譜が全部見られます。最近、こういうの多いですよねぇ、藤倉さんなんかも出版社の公式サイトで総譜が見られたりするし。ま、勿論これで演奏に使うのは無理ですけど、どんな楽器が鳴っていてどういう歌わせ方をしているかくらいは判る。

ざっと一度眺めただけですが、作りとしては、冒頭に序曲のようネフスキーの無伴奏合唱の導入があり、2時間程の長さの初稿版に従い話が展開。皇帝讃歌の場面などはちゃんとそれと判るようにあります。
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そのあと、修道院の場面の前になにやら女が喋り出し、ソ連の歴史が語られ始める。
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オーケストレーションは、ロマン派オペラのオーケストラを無理なく使ってますので、それほど違和感はありません。で、リトアニア国境の旅籠屋の前にも新作を挿入、さっき登場したナレーターが旅籠屋のおばちゃんになる。偽ドミトリー逮捕寸前のところなどにも、挿入があります。で、幕が一度下りる。
後半、クレムリンの場面の最初や、ボリスの狂気のところにも短く新作挿入。初稿版ですから偽ドミトリーがポーランドで画策する場面は一切なく、その代わり、英語字幕ではthe Activist、the Homelessとされる民衆の場面が入る。赤の広場になり、白痴が惨殺されて挿入部分へ。ボリスの死の場面は、新作挿入部のテキストが最も直接的にプーシキンの歴史譚と重なります。ピーメンのアリアの前に「ユダヤ人が自分らで穴を掘らされ、そこに飛び込まされて殺される、その中にロシア人の奥さんがいて、お前は死ななくていいとされるけど、自分は家族と一緒に死ぬと真っ先に飛び込んだ」というソ連の暗黒を語る場面が挿入される(この演出では、集まっている歴代ロシアの政治家達の前で語られます)。初稿版ですから、ボリスの死の後に偽ドミトリーのモスクワ侵攻の場面はなく、これまで出てきた様々な登場人物の大アンサンブルで20世紀ソ連を生きた人々の声がフーガとなり(《ファルスタッフ》みたい、とは言わないけど、あんな感じ)、最後は白痴役だった男が「人に善い悪いはなく、人は人なのだ」と呟き、女の「私たちはどこかに行くことが出来るのか」というモノローグに終わる。

このような「既存の作品に注釈を付けるわけでもないくらいの微妙な距離で新作を挟み込む」というやり方、ヨーロッパの21世紀の創作ではなかなか人気があるというか、珍しくないやり方で、音楽では日本で紹介されたものでは、たしかケント・ナガノだっけかが、NHKホールで《ドイツ・レクイエム》の間にリームの作品を挟む、というのをやったことがあるような気がするぞ。建築では、古い歴史的建築の周りを現代の建築で囲ってしまう、というのは、例えばライプツィヒのゲヴァントハウスの隣の教会とか、バルセロナ音楽堂とか、東京でも丸ノ内にその類似品はありますから、なんとなくどんな感じの創作かはお判りになるでしょ。

ま、こんな説明になってない説明じゃ全然判らん、とお思いかも知れませんけど、ともかく金曜日までは視られますから、ご関心のある方はご覧あれ。一日まるまる付き合う価値はある、これが今のヨーロッパの評価の高い劇場の新作だ、ってのが良く判ります。パンデミックな日々に感謝、とは言わないけどさ。

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魚津の交流館支援の声が報道される [こしのくに音楽祭]

魚津からの続報です。このような報道が地元であったそうです。
学びの森交流館キジ 5.8北日本新聞[5960].pdf

新たな展開があったというよりも、「交流館は地域にとって貴重な資産なのである」という声が外野から挙がっている、という内容。こういうときに、金沢に影響力がある池辺先生が発言なさるのは、地元にとっても有り難いことなのでありましょう。これが前の報告。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-04-17

なお、この情報アップの直前に既に魚津の市長選も市議会選挙も終わり、村椿市長は再選なさいました。
https://seijiyama.jp/article/news/el20200420-56.html

なにせ、今やかのサントリーホールだって貸しホール収入ゼロなのに森ビルに賃料を払わねばならない苦境、地方の文化施設のひとつなど小さな問題といわれればそれまでですが、状況がみんな大変になってしまった今こそが知恵の働かせどころという考え方もある。今、何が出来るわけでもないのだけど、ともかく、注目はしていきましょう。富山なら、魚津の立派なホールでのピアノ録音などならそろそろ再開出来るのかしら。

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三密回避でやれるイベントといえば… [パンデミックな日々]

久しぶりに佃の縦長屋から新帝都のニッポン支配中心地を眺めてます。大川は観光船皆無、空も静かな初夏の週末。大川端にランナーがいっぱい出てるのは相変わらずだけど。

このパンデミックな日々も二ヶ月にもなると、そろそろ緊急避難的に行われていたあれやこれやもネタ切れになってきたようで、出口が見えない中にも「現状で何が出来るか」が模索され始めている皐月の初旬でありました。で、どうやら電網上に仮設された我が業界では、「三密を避けてコンサートを開催するとしたらうちのヴェニュはどーなるか」のシミュレーションがちょっとした流行になっているようでありまするな。先週末にベルリンフィルが無料無観客ライヴでフィルハーモニー大ホールから「三密回避コンサートはこうやれ」みたいなデモンストレーションでマーラー4番室内楽版なんて妙なもんを世界に向けてライヴ配信したのに刺激されたか、今週末は昨晩にブランデンブルク門越えて反対のリンデン・オパーの舞台上で、お馴染みの顔も並ぶシュターツ・カペレが舞台いっぱいに広く散らばってアイネクやら《ジークフリート牧歌》やらを演奏し世界に中継。
https://www.3sat.de/kultur/musik/gedenkkonzert-kriegsende-110.html
こういうメイジャーが団体が業界世論を作っていくのを目の前に見せつけられるような動きになってら。それにしても、どっちかというと、この演奏会に至るまでのすったもんだのメイキング映像を作って欲しいなぁ。どうやって練習したのかしら。

ある意味で「現状打開の仕方をうちらの業界に提言する」系のイベントというか映像を眺め、その周囲で巻き起こる議論を眺めているに、正直、なにやらとても違和感を感じざるを得ない。なんでじゃろね、と考えるに、ま、話は簡単。あたくしめが座っている普段の演奏会のうち、かなりのものがこんな三密回避コンサートと同じ状況じゃん。句点の前に(苦笑)と記したくなるけど、事実だもん。

例えば、席数が300から500くらいで会場使用料が半日使っても数万円、なんて区民ホールは東京にいくらでもあります。そういうところで開催される若手現代作曲家の個展とかの場合、舞台上には面倒な打楽器やらが密集するものの、客席は知り合いお友達関係者ばかりで数十人、なんてのは普通です。100人も入っていると「すげええ入ってるじゃん」なんて思える。

それから、200人から300人くらいの会場で行われる若手団体の室内楽演奏会も、聴衆は数十人なんてのは珍しくない。ってか、それが普通。一列誰も居ないので、好き勝手なところに座れて、なんとも気持ちいいぞ。

究極のガラガラ演奏会で超メイジャーなものといえば、なんといっても国際コンクール予選ラウンドの午前中のセッションでありましょう。もちろん、バンフとかメルボルンとかの盛り上がった地元聴衆が開場前からロビーに詰めかける例外はありますけど、ロンドンもミュンヘンARDも、はたまたレッジョもボルドーも、そして幸か不幸か我らが大阪も、世界に冠たるメイジャー国際室内楽コンクールの一次予選、はたまた二次予選の客席は、正直、閑散としております。恐らくはどれも三密条件を軽くクリアーしているんじゃないかしら。

今や伝説となってるアメリカ文化センターが会場だったアルテミスQが東京Q以来の優勝を果たしたミュンヘンARDコンクールの一次予選、確かツェムリンスキーの1番かなんかをやったような記憶があるのだが、客席にはパルム御大以下の審査員を除けば、聴衆は20人くらいしかいなかったような。会場が中央駅北西端のバイエルン放送スタジオに移ってからは、もうちょっとは入るようになった感じはあるけど。街の真ん中のオペラハウスを無料開放するレッジョ大会も、予選レベルでは開放された平土間に座る聴衆は、うちらプレスが陣取るボックスから眺めるに、勘定できるくらいのものでした。大阪も立派ないずみホールにたっぷり空間を取って座れます。

いつもなら、主催側とすれば「どうやって予選から聴衆を入れるか」に頭を捻る残念な状況なのでありまするが、これって正に「常日頃から三密が避けられ、それでもなんのかんの成り立っている」コンサートではありませぬか。いや、冗談で言っているのではなく、大真面目で申しております。マジ。

つまり、冷静に状況を鑑みるに、ホール運営側スタッフのことなどを全てクリアー出来るなら、流石に持ち出し前提のマイナーな現代音楽や室内楽の演奏会はともかく、コンクールはやれる条件のいくつかがクリアーされ始めているのではあるまいかっ。あくまでも空理空論として、ですけど。

三密を避けてコンクールを開催する条件をつらつら考えるに…

★そもそも予選レベルでは演奏を聴いて貰うのは国際コンクールでも10名ほどの審査員だけで良い。聴衆は出演者関係者、プレス、ある程度以上の額のお金を払ってもどうしても聴きたい数十人の聴衆に離れて貰い、オーディトリアム内部にはトータルで50名程度に抑える。結果として起きることは、現在のパンデミック下でない通常の開催状況とそう違わない。

★審査員の採点は会議ではなく純粋に点数積み上げ式にして、密閉空間での審査員による議論は行わない。これも、今回はそういう規定にします、と決めればそれでOK。

★スタッフワークは限りなく少なくし、ある程度時間をたっぷり取り、転換は参加者が自分で行う。控え室はひとりひとつにする。審査員は直接隣接の宿舎から会場に入って貰う。

★多数の聴衆が期待される本選は、会場の条件は基本的に予選と同じに、スポンサー関係者なども数を絞る。聴衆賞はネットでライヴ中継し、ネット投票とする。

てなわけで、やれるじゃん、国際コンクール。

最大の問題は、参加者及び審査員が会場に来られるのかと、練習をどうするのか、ですね。国際大会の場合はそれが最大のネックだけど、逆に考えれば、今やれるのはローカル大会だけなんだから、と割り切るなら、それはそれでありでしょうし。どうしても国際大会にしたいなら、世界コンクール連盟と交渉して「今回は外国からの審査員の〇〇先生と××先生と△△先生は、特例としてインターネットのライヴ中継を利用しての審査参加となります」ということでクリアーさせて貰う(OKいただくにはハードル高そうだけど…)。

果たしてそこまでして大会を開くべきなのか、本気で考え始めたら「アホいわんといてーな」で一蹴でしょうけど、演奏会制作テクニック的には出来ないことではない。宗次ホール弦楽四重奏コンクールだったら、全然問題なくやれるんじゃないかしら。

なんのことはない、「死んだ子の歳を数える話:大阪国際室内楽コンクール編」というタイトルにすべきだった駄文になってしまった。ふううう…コロナがなければ、来る金曜日午前10時半くらいのいずみホールで、弦楽四重奏一次予選で第10回大阪国際室内楽コンクール&フェスタが賑々しく始まっておりました。なお、蛇足ながら、同時期に浜松で開催される予定だった世界コンクール連盟総会は12月に延期となっております。ま、こっちは延期は簡単と言えば簡単ですからねぇ。
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shise/koho/koho/hodohappyo/2020/4/documents/2020041501.pdf

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歴史的映像の眺め方 [パンデミックな日々]

226アベ自粛要請に始まったコロナ騒動、3月お彼岸に桜が咲く上野の山に三日通ったことで「これは俺は罹患したと思うべきである」と判断し、高齢者と小さな飛ぶ方々がいらっしゃる佃の狭い縦長屋から避難、葛飾オフィスに本格的に自主隔離する生活が始まってから早まる二ヶ月。21世紀の歴史に恐らくは第二次世界大戦以来の世界同時大パニックとして記され、社会が根本的に変化したときとして未来の世界史では教えられることになるであろうこのパンデミックがなければ、来週からはまるまる2週間大阪は大阪城を眺める宿舎暮らし。今頃はもうそろそろ、ミュンヘンやモントリオールやボストンやニューヨークやレッジョ・エミリアやボルドーやトンヨンやらからあの人この人がニッポン列島に集まり始め、大阪に入る前にちょっとトーキョーに寄るんで付き合ってよ、とか連日連夜酷いことになっていたでありましょう。ふうううう…

ま、それはもう現実には存在しない幻のタイムラインになってしまった。幸か不幸か、やくぺん先生とすれば一昨年の「世界の主要室内楽コンクールは全て眺めて歩く」第一線生活からの引退宣言をし、ミュンヘンARDもバンフも行かず、今年も大阪は地元開催となれば正に隠居爺の仕事のしどころ、レッジョは暑いから止めて、その後は哈爾浜のローカル大会をちょろっと眺めに行くくらいにしておこーか、という予定が、強制的に本格的な隠居状態にさせられてしまったわけでありまする。

30代から40代後半くらいでこんな状況に立ち至っていたら、果たしてどうなっていたやら。ちょっと想像が付かないですけど、ま、我が業界の若い力のある人たちが電網上でいろいろやっていたり、三密禁止という新しい課題にどうやって本気で対応するかネット会議で頭を捻っていたりするのを眺めるに、人間、追い込まれればなんとでもするものだと微笑ましく(などと言ってはいけないのだろーが)思う次第でありまする。ぐぁんばってくれたまえ、現役バリバリの業界関係者たちよっ!

とはいえこの老体、「締め切りが近づかないとスイッチが入らない」という悪い習慣が身についてしまっており、今、手元にある唯一の締め切りが設定された原稿が今月末くらいなので、ゴールデンウィークはそっちは手つかず。親父が没し葛飾の家を渡されて佃の裏路地にあった兎小屋オフィスを移転して以来やったことがない風呂場掃除、キッチン水回り掃除、換気扇掃除、はたまたトイレ掃除などを始めてしまい、こういう作業は頭を使わない引き籠もりにはピッタリな上に運動にもなるわけで、ほーほーさんと遊びながらオフィスぴかぴか大作戦はどんどん進行。その間に、パンデミック下の世界の劇場やメイジャーオーケストラが、今こそ税金を投入してやってきたアートオーガニゼーションが世間の役に立つべき時であるとばかりに、膨大なアルヒーフ音源や映像を世界に向けて期間限定公開してくれているので、いつのまにやら「起きて、ゴミを出して、限定放送の舞台を鑑賞して、あちこち掃除洗濯してると日が暮れる」という日々のお籠もりパターンが定着しつつあるこの数週間でありまする。パンデミック初期には演奏家さんや編集者さんと延々と長い電話やらの連絡や相談事などもあったが、連休前くらいからもうそういう状況もなくなってきた。話をする相手は、朝のゴミ出しと柿ノ木下お掃除のときの、お隣やお向かいの奥さんくらい。

今月くらいから収入はほぼゼロになるも、固定費(なんせ納税の月だし、それなりにあるんだわなぁ)と食費以外に出費もない、こういうのが「隠居生活」というものなのであろーか。

あ、柿の木の上を広島行きのちっちゃな737が羽田新離陸ルートで荒川放水路上空を上り、大きく横田空域上空へと左に曲がっていきます。朝のこの時間に、羽田離陸の西行き本州上空縦断ルート便が1時間に2本くらいしかないって、どこのローカル空港なんじゃ。

そんな日々の中で、結局、少しは頭を使うことで何をしているかと言えば、普段は右から左に消費している膨大な情報の中にあって、未消化なままに放置され気になっていたものや、やらねばいけないと思いつつも時間があるときにと「積ん読」になってる面倒くさく時間のかかりそうなものを、気が向くままに少しづつでも処理していく作業。オフィスのキッチン周りなどを掃除しながら、パソコンとスピーカー持ち込んで、貯め込んでしまった面倒な現代オペラやらのソフトを見物したり、普段は必要なところを「ああそうなってるのね」と拾い視するだけで済ませてる映像資料を、ちゃんと全体のコンテクストの中で眺めたり。

恥ずかしながら、ベリオ版の《トゥーランドット》補筆部分を全幕の中で初めて見物するとか、話はなんとなく知ってるし音も耳にしたことはあるけど劇場でかかっていても絶対に金払って観ない(おお、今日はこの演目なら劇場に行かずにお休み日に出来る、と思っちゃう)ようなロマン派国民楽派系のオペラ、具体的には《売られた花嫁》だとか《イーゴリ公》だとか、キッチン掃除しながらだらだら流して「へええ、この音楽って、こういう風に使われていたのかぁ」などと今更ながらにお勉強したり。

※※※

いいかげんに閑話休題…って、この先も閑話なんだけどね。

そんな中で、昨日、たまたまYouTube上には意外なほど歴史的に貴重な映像が転がっていると知り、面白半分にいろいろ漁ってみたら、興味深いことが見えてきた。どうも、我々が常識的に知っている「戦後の重要な舞台の映像」ってのは、いかにもありそうなものがなかったり、その反対に、まさかこんな映像がこんなところに転がってるんだぁ、と驚かされたり。それこそ皆様がパソコンの前に座っていくらでも時間が潰せる娯楽なんで、何があったかのリストを作るなどという野暮はいたしません。それに、アップされているなどという情報が流れた瞬間に、権利をちゃんと所有している人やら団体やら会社が消去を願うでしょうから、ホントにその瞬間の情報みたいだし。

とはいえ、やくぺん先生的に非常にありがたかった映像資料がありましたので、敢えてこんな無責任電子壁新聞だからこそ記しておきます。こちら。直接の動画貼り付けはしません。
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https://www.youtube.com/watch?v=TCme745Mhms&t=1660s
そー、かの、1983年11月、パリ・ガルニエのピットはみ出し左右の舞台に近いbox潰しまくって打楽器やらオンドマルトノやら並べてなんとか収まった《アッシジの聖フランチェスコ》世界初演の舞台全曲映像でありまする。

3週間前という、この世界がパンデミック立て籠もり状態になってからのアップ。Angel Parsifalという方が世界のどこに住んでる何者なのかも全然判らない。ただ、アップしている映像音声のラインナップを眺めるに、ドイツ語圏ヨーロッパに住んでいる歴史的なオペラ録音の愛好家かマニアさん、はたまたヴァーグナー研究者の方みたいですな。あまり映像が残っているとは思えない時代のバイロイトとか、とてつもなく凄いもんがリストにあります。《モーセとアロン》なんかはあるけど、現代音楽系というわけではない。
https://www.youtube.com/user/angelparsifal/videos

この方、どういう風の吹き回しか、やくぺん先生としては猛烈に懐かしいマドリッドのアリーナでのカンブルラン御大《アッシジの聖フランチェスコ》の全曲も一緒にアップしてくれてた。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-07-05
おそらく、本気になれば、あなたはだーれ、なんて連絡も簡単にできちゃうんだろうなぁ、なんか、どっかで顔を合わせてるような人だったらやだなぁ。知り合いの知り合いの知り合い、くらいではありそうな。

このメシアのの4時間越えの大作、83年の世界初演以降、初演時の全曲映像は存在するとは聞くものの、全部を目にしたことはありませんでした。世界初演後に小澤氏が抜粋版をレパートリーにしてボストンとかベルリンとか東京とかでやってまわっていた頃があり、東京カテドラルでのオラトリオ・シリーズとして抜粋日本初演をやったときだか、メシアンも来日し外堀のアテネ・フランセでレクチャーとオープンディスカッションがあって、その際に初演時の全曲映像が上映されるという話があったのだが、結局、なぜか映像はでないことになった。
それ以降、「らい者の喜びの踊り」とか一部は眺めることはあっても、全曲は今に至るまで幻の映像だった。当然、公式な商業パッケージなどにはなってはいない。メシアンって、シェーンベルクみたいに公式な研究センターがあったりするわけじゃないんで、どこかがちゃんと保管してあるというのも聞かない。パリ・オペラ座にはアルヒーフとしてあるんでしょうが、バスチーユのどっかに行けば視られるというもんでもないみたいだし。

かくて昨日、風薫る五月の爽やかな陽気の中、引き籠もりの窓開け放ち、巨大柿の木の下にほーほーさんや雀たち、はたまた子育て中のシジュウカラご夫婦もやってこられるようにちょっとご飯を出してやり、思えば35年近くやってなかった宿題みたいな4時間の映像を、がっつり見物させていただきましたです。

音そのものは、当時DGばかりだった小澤氏が珍しくもフランスのレーベルから出て驚いた極めてローカルっぽいCDが80年代終わりくらいからあり、フランス語しかないリブレットに悪戦苦闘した懐かしい思い出がある。今はいくらでも音もあるし、映像だって当電子壁新聞で舞台を紹介したメッツマッハー様の演奏のBlu-rayがあるし(なんか、案外関わりのある指揮者さんばかりの名前が出てくるなぁ)
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2008-06-29
良くも悪くも、どんなもんかみんなある程度は判ってる。カテドラルの1列目真ん中にお嫁ちゃま(まだお嫁じゃなかったと思うが)と座り、なんと目の前にどかんとメシアン御大がお座りになられ、アホみたいにでかい総譜開いてずっとめくっていらしたあのときから、時は流れ、小澤のおっさんもじいさんだし、こっちもじいさん初心者だし、NJPであのときに乗ってた団員さんにテレワークでパブリカやってみた方はいるのやら。

映像は懐かしのVHSの酷い画像で、音もモコモコ。鳥の大合奏など、とてもじゃないがこれだけ聴いても判りません。初演のライヴCDで脳内補正しないとちょっと無理。なによりもこの映像、いちばんの聴き所のフランチェスコの鳥への説教の部分で、トラッキングが乱れて完全に映像が落ちてしまう瞬間があります。その後の、鳥たちの大合奏という器楽的には最大の聴かせどころでも、40代後半のいちばん力があった頃の小澤氏の映像が乱れたり。

どういうところから出てきた映像なのか判らないけど、ああああこのクオリティしか遺ってないんじゃちゃんと世に出ないのも仕方ないなぁ、と思わせてくれるものではあります。演出も今どきの(この話になってない作品、ザルツ再演のセラーズ御大も困ったんでしょうねぇ)なんのかんの面倒なことをやってるもんじゃなく、良くも悪くも「活人画」タブロー。とはいえ、「聖痕」の場面で、天使が扉を叩くのと同じ大音響でフランチェスコの手足にイエスが十字架で受けた傷が刻まれる瞬間に、傷口が赤く光るようになっていたのは初めて知った。そんなこんな、ああ、そうなってたのね、と思わされるところはいくつもありました。

それよりもなによりも、ホントに我が人生のいくつかある究極の「積ん読」が、このコロナ・パンデミックが与えてくれた時間のおかげで思わずやっと片づけられたのは、有り難かったです。

その一方で、80年代半ばくらいに、最初にこの映像で接していなくて良かったかもね、とも思えた。こういう「歴史的映像」って、ある程度以上判ってからじゃないと、扱いが難しいところがある。これだけを眺めても、恐らく殆どなにも判らない。この作品全曲をライヴで半ダースくらいは聴いてきて、舞台の練習から付き合ったこともあり、その上で根っこにカテドラルでの猛烈なインパクトを与えられた実演がある。そんなかなり特殊な状況でないと、こういう映像からいろいろ学ぶのは難しいでありましょう。

もうひとつ、昔から眺めてみたいありそうでない映像が、シェロー演出これまたパリの《ルル》チェルハ補筆三幕版世界初演なんですが…流石にこれはYouTube上にもめっからない。映像は存在するという話は昔から聞くのですが、ちゃんとしたものが簡単に出てこない理由はなんなのかしら。

それにしてもなんのことはない、今のお籠もりで次から次へと映像やら再生音に接している状況は、やはり「ライヴ」の代用品でしかない、って言ってることになるじゃないかぁ。そんなことはないぞ、という作品が、きっとこの2ヶ月の間に世界のどこかの画面の上に生まれているのであろう、と信じたい。

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アールQの映像 [弦楽四重奏]

とんでもない映像があることを知りました。こちら。
https://www.criticalpast.com/video/65675022217_Benny-Goodman_Japanese-musicians_record-spinning_Mozart-Quintet
歴史的な映像を商業放送用に販売する会社のようで、上のサイトは「こういう映像を売りますよ」というページ。ここから無料で鑑賞しても$300弱課金されるというわけではありませんので、ご安心を。なんか、YouTubeに転載もされてるようだが、そういうのはOKなのかなぁ。商業放送用に権利関係をクリアーにしてくれている値段、ということなのかしら。いずれにせよ、これを流したところで俊達先生のDCのご遺族になんぼか入る、というもんではなさそうなんだけど。

ご覧になってお判りのように、渡辺あけさんがセカンドに入っていた頃、ごく短い時間だけの初期アールQの映像です。これがヴァイオリニストとしては最後の演奏だったそうで、その後は柴田南雄夫人に交代しましたから、猛烈に貴重。っても、後期アールQの動画だってまるで視たことないけどさ。

ここにはデータがきちんとありませんが、拙著『黒沼俊夫と日本の弦楽四重奏団』の資料データを眺めると(まあ、使い難いデータページのレイアウトだこと)、1957年1月17日、主催は文化放送で、日本青年館が会場の筈。クレジットが産経時事なのは、発足直後でまだ定期演奏会は始まっていない日本フィルという背景を考えれば当然ですけど、こういう映像収録もあったのは知らなかった。もう数年前から売っていたようです。いやはや、とんでもない時代なったなぁ…

っても、また別のこういうソースもあり
https://www.youtube.com/watch?v=ldE-5Ny3m28
こっちは1月12日から15日にサンケイホールでの収録となっている。背景なんぞを視ると、どうも昔の日本青年館には思えない。「いらっしゃいガラ」みたいなものが別にあったのかなぁ。

「直前に一緒に演奏したボストン響の弦楽四重奏より良かった」とグッドマン御大がご満足だったというこの硬質な演奏、無論、ブロダス・アールという日本戦後室内楽の隠れた(としか言い様がないなぁ、現状では)偉人の存在故に可能になったとはいえ、あるハーピストを巡るソイヤーとのさや当てがなければ傷心のアール氏がニュー・ミュージックQを解散して遙か太平洋の彼方の敗戦国にやってくることなどなかったわけだし、そうなっていなければライバルのジュリアードQのその後の立ち位置もなかったでしょうから、戦後の弦楽四重奏演奏史が根本的に違うものになっていた可能性もあるわけで、いろんな意味で凄い歴史的な貴重映像でありまする。

やっぱり、『ブロダス・アール伝』は、やくぺん先生の最期の仕事としてちゃんとやるべきなんだろなぁ。アメリカ合衆国がこんなに遠くなるとは思ってもいなかったけど、ことによると今は葛飾に座ったオンラインでも、こんな風にそれなりに資料が漁れるのかもしれないんだし。

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コンクールはどうする? [音楽業界]

これは「パンデミックな日々」ではなく、やっぱり「音楽業界」カテゴリーでしょうなぁ。

さてもゴールデンウィークも終わり、今日からはオフィス内お掃除三昧の日々もいいかげんに終えて、今月は1本しかない締め切り原稿をやるべぇ、なんせその先は一切お仕事なしなんだから、とパソコンの前に座っても、向かいの町工場は始まる様子もないぞ。パンデミック自粛でも螺旋需要は顕在のようでずっと作業をしているのにいよいよ小規模製造業まで…と思ったら、今日がゴールデンウィーク最終日らしい。何の日なんじゃ、今日は?

ま、それはそれ。で、パンデミック列島がどうあれ、まだまだパンデミック下の世界のあちこちから送りつけられる連絡案内などを繰っていると、こういう案内がありました。
https://www.schoenfeldcompetition.com/

哈爾浜のやたらと立派なホールが主催している室内楽系のコンクール、どういうわけか中国の大会とは思えない名前が付いている。これまではなにやら世界のメイジャー大会とぶつかるような日程だったが、今年は本来なら15日から始まる大阪国際室内楽コンクール、その前には浜松で開催予定だった世界コンクール連盟総会、そして6月にはイタリアは今や世界パンデミックの大中心たるエミリア・ロマーニャ州の真ん中で開催されるボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクールと、全てがなくなってしまって、当然、この哈爾浜大会もなくなるだろうと思っていたら、なんだかやるような空気だぞ。第一線引退を宣言したとはいえ、大阪はべったり貼り付く予定だったやくぺん先生、当初は第一線を退いたからこそ、レッジョなんぞメイジャーなとこには行かずに(課題曲が細川新作、という猛烈な誘惑があるのだが……)、手近な哈爾浜なんぞをチョロッと素知らぬ顔で眺めてくるか、と考えていたんですけど…

そもそも、今のニッポン国の世界に類例のない「検査しません」体制では、世界中がコロナ明けになっても、「日本だけは行ってはいけません、日本からの入国だけは規制します」という状況になること必至。現政権、コロナ騒動を良いことにいよいよ宿望のニッポン実質上鎖国体制に持って行きたいのであろうとしか思えぬ状況ですから、7月に哈爾浜に一週間くらい行ってきます、なんて出来るのやら。春秋航空の哈爾浜便が復活しているのか、日本パスポートの旅行者は全員が空港で2週間隔離、なんてされることもあり得るだろうしなぁ。

ちなみに、同じ頃に予定されていた第14回養父チェロは、数週間前に中止が告知されてます。
http://vivahall.sakura.ne.jp/cello/vivacello.html

ともかく、開催は7月下旬という中国東北部は一年で最も暑い頃、申し込みは5月15日までとなってますね。今の中国の情勢なら、このタイミングでの開催はOKと事務局が判断しているのか。とはいえ、審査員のカントロフやノラス先生が出てこられるのか、国際大会と言う以上、ある程度の数以上の外国人審査員がいないとダメでしょうし(まあ、全部中国の審査員でやっても「国際」と言いかねないのは、アメリカと中国の「国際」感覚を鑑みればあり得るけど)。

なお、今年は弦楽四重奏とピアノが予定されているミュンヘンARD大会も、応募締め切りを延長して5月15日が締め切りとなってます。
https://www.br.de/ard-music-competition/conditions-participation/ard-music-competition-participation100.html
こっちは9月の頭だけど、ミュンヘン大会が終わると始まる(ってか、ミュンヘンARDコンクールが慌ててその前に終える、という方が正しいのだろうが)オクトーバー・フェストは既に中止が発表されてますから、どーなることやら。

とにもかくにも、今年は大阪、レッジョ、ミュンヘンと弦楽四重奏のメイジャー大会が3つ続く予定が、このままでは全部ダメになりそう。独奏大会の大物、ショパン・コンクールはとっくに来年への延期を発表してます。そもそも練習をしようとしたら「三密」必至のジャンルで、テレワークで微妙なアンサンブルの練習はやりようがない。指揮者がいればなんとか格好は付かなくもないオーケストラとは違いますから、ジャンル全体のレベルの低下が心配される昨今、いつ開けるとも判らぬパンデミックの日々、コンクールなんてまだまだ先の話。テレワーク・コンクールの方が先に始まっちゃいそーだなぁ。ふううう…

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