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急告:別府アルゲリッチ音楽祭中止 [音楽業界]

急告です。5月6日午後1時に別府アルゲリッチ音楽祭事務局からメールが来ました。まだホームページなどは更新されていないようですが、報道関係者向けとはいえコンフィデンシャルなことではないので、急いで内容をコピペします。やくぺん先生は22日の大分いいちこホールの室内楽を天井桟敷から眺める予定でしたが、状況が読めないので宿飛行機は手配しておりませんでした。やはり、というか…うううむ。

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報道各社の皆様へ
平素より弊財団の活動に温かいご支援とご協力を賜り、誠にありがとうございます。

◆【謹告】第22回別府アルゲリッチ音楽祭 開催中止のお知らせ
第22回別府アルゲリッチ音楽祭については、アルゲリッチ総監督の入国をはじめとして、感染対策を徹底するなどの対策を取りながら開催できるように準備を進めてまいりましたが、大分県内における新型コロナウイルス変異株の感染拡大を受けて、2021年5月8日から6月22日に開催を予定しておりました第22回音楽祭の全公演について、中止させていただくことになりました。5月14日の東京公演につきましても、緊急事態宣言が延長されるとの報道を受け、お客様、アーティスト、関係者の安全安心を総合的に判断して中止とさせていただきます。
昨年に続き、今年も開催が叶わず、音楽祭を心待ちにされていた皆さまには、大変なご迷惑おかけいたしますことを心からお詫び申しあげますと共に、事情をご賢察いただき、ご了承賜りますよう謹んでお願い申し上げます。
 また、ご支援いただいておりますご寄附、ご協賛の皆さま、そして、開催に向けて準備等ご協力を賜りました関係者の皆さまにも厚く御礼申し上げますとともに、謹んでお詫び申しあげます。
音楽祭の中止に伴いまして、今年の音楽祭チケットをご購入いただきました皆さまには、払い戻しをさせていただくことにいたします。払い戻しの方法については、後日当財団ホームページ等にてお知らせをさせていただきます。お手元のチケットは大切に保管いただきますようお願いいたします。

 第22回音楽祭の報道、取材をご検討いただいておりました皆様には追ってご連絡させていただきます。
 なにとぞご理解いただきますようお願い申し上げます。 

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 公益財団法人アルゲリッチ芸術振興財団
 〒874-0903
 大分県別府市野口原3030-1しいきアルゲリッチハウス
 TEL:0977-27-2299 FAX:0977-27-2301
 Argerich Arts Foundation
 Shiiki presents Argerich’s Haus
 Noguchibaru 3030-1, Beppu-shi Oita-ken
 MAIL: info@argerich-mf.jp
 URL: https://www.argerich-mf.jp
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薫風香る相模湖より [たびの空]

一昨日から、爽やかな薫風香る相模国は北の外れ、武蔵と甲斐の国に挟まれた飛び地のような相模湖の畔の相模湖交流センターに通っておりました。少しでも家庭内でのコロナ感染リスクを減らすため、東京湾岸は選手村ほど近い佃大川端からの通勤は避け、八王子駅南口のビジネスホテルに連泊特別価格6600円也で宿泊。そこからでも高尾乗り換え含め三駅西の相模湖駅まで有に30分はかかり、330円也もするものの、湾岸からバス代+JR代金で片道1370円也もかかることを考えれば、これはどう考えても泊まっちゃった方が安いわい。ホントは相模湖駅近辺にしたかったのだが、なんせ20数名もの打楽器奏者や関係者が周囲の宿に泊まっており、もう空きがない。演奏家さん優先ですから、こればかりは仕方ない。

取材対象はこういうもの。
https://www.e-sagamihara.com/news/news-2427/
現状では表の媒体がどのように取り上げるかきっちりとは決まっておらず、ひとつハッキリしているのは相模湖でのセッションを経た6月の目黒パーシモンホールでの本番とのセットで記事にする、ということくらい。だから、中身に関してはこんな無責任個人電子壁新聞に気楽に書くわけにいかないのでありまするがぁ…この若手演奏家のためのプロジェクト、参加者個々人のSNSやらでの告知や情報拡散も21世紀20年代の情報伝達の真っ当なあり方として積極的に展開しているようなので、紙世代で校閲校正者が別にいないと「原稿」が「記事」になったとは感じられない旧世代の爺としましても、少しだけ参加してもよろしいのかな、ってね。とはいえ、毎度ながらきちんとした表記事ではありませんので、ま、どーでも良いこと中心に、いつもの如くにダラダラと、ってね。

ええ、ともかくイベントそのものでありますが、過去5年に渡って続いてきている打楽器奏者加藤訓子さんが主催する若手プロ打楽器奏者のためのワークショップであります。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-08-17
いわゆる「教育プログラム」という括りにしてしまって良いのか、ちょっと微妙なところがあるのですが、ま、要はサントリー室内楽アカデミーとかと同じ、学校は卒業して音楽家として最低限のプロの技量は身に付けたくらいの世代の若い奏者が、ストラスブール・パーカッション・グループがストラスブールの劇場で舞踏作品として上演するためにクセナキスが6人打楽器奏者の作品として書いた《プレアデス》というウルトラ難曲を素材に、演奏ばかりか楽曲分析、必要とされる楽器作りまでがっつり勉強していく、というもの。参加者はホントに学校を出たばかりの若者から、留学も終えてオペラシティの「B→C」への出演も決まっているクラスの方まで様々です。

どのようにして運営しているか、楽器の割り振りはどうやっているか、等々は、ここでは敢えて触れません。ともかく、5年間の累計参加者は50名にもなるとのこと。最終的に18人のチームがまるまるふたつ出来るくらいの数の若者が関わっているそうな。日本の若手打楽器奏者人口がどれくらいなのか知らんが、そうとうな割合になってるんじゃないかしらね。

で、初日は録音セッション。この作品のひとつの難関となっている「ジクセン」なる金属打楽器を楽譜の指定に従って手作りしズラリと並べたアンサンブルを、加藤さんが指揮台から指導
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このセッションでは実質的に加藤さんが指揮をなさったんだけど、目黒パーシモンホールでは指揮無しでやる予定だそうな。

2日目は、まずは朝の10時から一般の皆様向けワークショップ。100年前の時代物マリンバを子供とお父さんが叩いたり
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参加する若者達がロビコンで一曲づつ披露したり、選抜メンバーのホールでのリサイタルがあったり、最後には元マリンバ奏者だったというソプラノ歌手丸山里佳が4人打楽器を従える権代《リベラ・メ》を披露する演奏会があったり。
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この写真じゃ判らないと思いますが、権代氏が学生時代に書いたというこの作品、マーラーハンマーが3つも出てきてドッカーンと打ち鳴らされたりするとんでもないもので、これが聴けただけでも遙々相模湖まで通っただけのことはあったと思わされたでありまする。

最終日は連休最後の曇り空、午前中には一昨日に収録したセッションを若者達が初めてスピーカーを通して聴くセッションがあり、本職は録音プロデューサーの館長さんに叱られたり褒められたり、なかなか興味深い時間を過ごし、午後にはホールで《プレアデス》の本番。最後はご苦労様でした、と加藤訓子さんがお得意の多重録音でのライヒを披露し耳のご褒美。かくて打楽器の日々は無事に終了。

無事に、とはいえ蔓延防止措置がとられる神奈川県相模原市ですから、センターは実質上の休館。客席に座る聴衆も関係者やプレス、それに参加者のご家族やら良く知った方のみの、実質上のクローズドになってしまうのは時節柄致し方なかったことでありましょう。それでも交流センター名物のダムカレーが供される食堂はやっていて、ほれ、これが相模湖ダムカレーじゃわい。
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金500円也、って学食値段。ただ、良くも悪くも関係者のみだったからか、はたまた背景に広がる皐月の新緑と麗しき湖の風景故か、東京都心部のピリピリした感じはありようがなく、食堂内はちょっと大丈夫かと思っちゃうくらいのノンビリさでありました。

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目が潰れそうなクセナキスのスコアを収めたパッドから視線を上げれば、湖を臨むホールの周辺は、夏の初めの産めや増やせやの小さな飛ぶ方々で溢れかえってら。駅舎から交流センターまでの道中は、あらゆるところで燕が子育て用のご自宅造成中。頭の上を低く飛んでは、あちこちの軒先に突っ込んでく。
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ギシギシ、ジジジと歌い合う燕らの声の中に、澄んだ素敵な雄叫びを挙げているのは、見目麗しい青光りのイソヒヨ男子でちゅるるぴぃー!
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んでもて、お相手の地味っこ美女ったら、駅のホームで遊んでら。
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若者の打楽器の響きも静まり、遠き甲斐の国の山の彼方に日が暮れようとする頃、駅前の電柱はムクならぬハクセキレイさんの集合住宅になってます。
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そして、春に浮かれる小さな飛ぶ方々の上を渡っていくは、多摩から相模の空の真の支配者、駐留軍は横田ベースのヘラクレス大王だったとさ。
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かくて、若者達の打楽器の日々は目黒は柿の木坂へと続く。
https://www.persimmon.or.jp/series/20210317153046.html
無事に1ヶ月後が迎えられますように…誰に祈れば良いのやら。

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仕事場も祭もない初夏へ [新佃嶋界隈]

以下、全くどーでもいい駄文です。暇つぶしにもなりませんから。

葛飾オフィスを撤収して1ヶ月、風薫る皐月となりましたです。オフィスがなくなって直後の4月始めには、「いろいろあったオフィスの移転先探しもやっと決着が付いたか」と夢のような丸1日ほどを過ごしたものの、急転直下暗転、話がまた振り出しに戻ってしまった。それからは大いに凹みつつも、「東京春音楽祭」が頑張ってくださったお陰で、ほぼ連日どこかの演奏会場に行かねばならないまるでコロナ禍が終わったかの如き状況が2週間ほど続いて、再び気力を振り絞りオフィス探し作業再開どころではなく、連休もやってくるしどーするべーかと思案しているうちに、またまた緊急事態とやらで…

起きているすべてのことに意味があるのであろー、と初夏のような南風に吹かれつつ、足下に「くれないのくれないの」と寄ってくる大川端のドバやら雀たちに佃のセレブなブンチョウくんの食い残しを落としてやりながら、ボーッと午後のコロナ禍緊急事態新帝都を眺める夕方なのであったドバドバ…
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思えば大震災で佃路地裏の地べた長屋のCDや本棚が倒壊しかかった年の秋、「この家を有効に使ってくれ」という遺言を遺して父親が急逝した正にその日にお嫁の家族を佃の縦長屋に迎えることになり、佃地べたの路地と縦長屋、葛飾と寝る場所が三カ所もある無駄といえば無駄な生活が数年続く。流石にこれはコストがかかりすぎると、今世紀頭に諸般の事情でこの地に庵を結ばねばならなくなって目白から移って以来の佃の地べた長屋を捨てることにし、単身赴任状態で住所を中央区から葛飾に移し、佃二丁目町会からも完全に足を洗ったのが2015年の4月のこと。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2015-04-16

それからまるまる6年、佃から巨大柿の木の麓のオフィスに通勤する生活だったのが、昨年冬の終わりからは新型コロナウィルスの家庭内感染を避けるためにやくぺん先生だけが実質葛飾に住み込む自主隔離を敢行、シジュウカラさんやらヒヨちゃんやら、はたまたメジロン夫妻やらほーほーさんらを友とする隠遁生活を送る事となる。コロナ禍は止まず、夏以降は仕事が無く収入激減、秋になるとそれなりの規模の一軒家を維持するだけの固定費支出すらままならない状況に追い込まれ、昨年の父親の10回目の命日には小雨降る中を千葉の成田アプローチ下の墓で手を合わせ、家を処分するという有効な使い方をさせていただくことを許していただく。んで、決断をするや、あれよあれよと話が動き、この3月末までには葛飾を撤収せねばならないことになって…

てなわけで、4月の1日にはこの半世紀、世界の何処に動くにもポケットやら背負子の奥のどこかには入っていた「実家の鍵」がなくなって、妙にスースーする感じになりながら中央区民に復帰。とはいえ、同じ佃二丁目とはいえ三度目の住所は路地ではなく縦長屋の一部屋へと様変わり、とうとうやくぺん先生も地べた民から天上人になったのであーる。

なんせこの町会、地べた民と天上人の間には微妙な、ってか、ハッキリした格差(なのかなぁ、町会では億単位の土地を動かす話ばかりだったから、地べた民の方が圧倒的にほんまもんの金持ちで、縦長屋住民は勤め人か隠居投資家の小金持ちにしか思んのじゃが…)があり、ぶっちゃけ、住所は同じ町内でも、まるでコミュニティが異なります。より正確には、天上人には地べた民的な意味での地域コミュニティは存在していません。話をすれば長いものの、にょきにょきと大川端に縦長屋群が伸びてから既に20余年にもなろうというのに、1000世帯以上の新興住民を前にこんなこのような張り紙を出さねばならないという事実が、いろいろと複雑な事情を物語っているとお判りでありましょうぞ。
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なんせね、一丁目元佃にだって、お祭りが嫌で遙か西のニュータウンに引っ越しちゃう若い世代も居る、という話でしたから。お祭りマニア、お祭りが忘れられない旧住民の臨時参加をあてにしないとやれない「伝統文化」状況は、まだかわっていないようじゃ。縦長屋の街神輿は、やっぱり出せないままなのか。

そんな住吉さんの事情は事情として、選手村まで3キロ、今年も御上に翻弄され、例大祭は2度目の延期なのでありまする。勿論、向かいの鉄砲図稲荷も、その裏番組の有楽町の音楽祭りも、5月連休の例大祭はやっぱり昨年に続きお休みです。
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かくて、オフィスも祭りも無い夏がやってくる。明後日からは昨年の9月以来の現地付近泊まり込みフェスティバル・コンクール取材があるものの、その先は大川端に座って霞ヶ関やら永田町やらを眺めても、どうなるのやらまるで判らぬ。選手村の方からも、ゴーストタウンの空気が流れてくるばかり。

「五月が来た、五月が来た、
 一年経ってまた五月が来た。」

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