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テスト滞在終了 [ゆふいんだより]

石武新オフィス、一週間のテスト滞在も最終日の夕方となりました。
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なんせインターネット工事が月末まで来ないので、携帯国際ルーターしかなく、到着した晩にサイトウキネンなんぞストリーミングで眺めたものだからあっという間に容量がなくなり、おそるおそる繋げるしかなく、無責任電子壁新聞など最後の最後となってしまいました。スイマセン。

さても、本日は午前中に駅の側の司法書士さんの事務所に行き、今回のオフィス移転騒動最後のサインをして、無事に全ての法的手続きを終了。晴れて葛飾オフィスからの移転作業は完了しました(豊洲と月島からの家財&書籍資料搬入は月末ですが)。やくぺん先生ったら健康保険組合が関東地方にしかない特殊なものなので、住民票は中央区佃のまま似せざるを得ず。郵便物も、従来通りの佃でお願いします。

佃縦長屋の窓から眺める永田町は上を下への大騒動となってたようなこの一週間の滞在、テレビも新聞もなければ、ネットも禄に繋がらない場所で世間から隔絶されバタバタ、いろいろわかったりわからなかったりだけど、やはり寝室の場所は当初の構想ではマズいようと判明したし、なんとかコミュニティバスの使い方もわかったし、ま、こんなもんでしょ。

とはいえ、まだオフィス周囲の小さな飛ぶ方々とはお知り合いにはなってません。ここを縄張りにしてる百舌鳥さんは確認。
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田圃の向こうのお寺には、いつもほーほーさんが鳴いてらっしゃる。
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燕たち、田圃の主の鷺さん
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カワラヒワさん、雀たち、妙に静かなヒヨちゃん
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そしてムクの群れ。何やらヒタキ系の方が鳴いてるけど、まだわからず。

佃のセレブなブンチョウ君からの手土産はぶら下げたけど
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虫がいっぱい飛んでるし、お米もいっぱい実ってるんで、田圃の周りの電線で遊んでる雀さんたちは、まだいらっしゃらない。由布岳の麓になる観光地側の木立にはいっぱいいらっしゃるカラ類やケラ類には、まだ一切出会ってません。

機械鳥ってば、ドクターヘリが盆地に降りたり
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由布岳越えて訓練に来る大分県警「あおぞら」号は、もうお馴染み。
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日出生台の猛禽類は、陸自鷹が目達原に戻るのを眺めただけの静かな空で
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でも今、岩国のまりんこC-130がみょーなことやってるわい。
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目視は出来ず、まだまだ盆地の空の様子はわからんわ。

さて、明日の朝一の別府行き山越え路線バスで大分空港に向かい、空から親爺の墓眺めて成田へと戻り、旧葛飾オフィスを京成電車ですっ飛ばし午後には佃に戻り、二週間の新帝都滞在。オフィス移転作業、法律的には終わったとはいえ、まだまだやらにゃならんことはいっぱいじゃわい。ふううう…

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遙かバンフで弦楽四重奏祭り開催中 [弦楽四重奏]

やくぺん先生ったら温泉県の田舎の新オフィス試験滞在でてんてこ舞い、なんってもネットが繋がっていないのは決定的なんで、このネタもアップ出来たときにはもう視られなくなってるかもしれません。ゴメン、ネットは月末まで来ませんっ!

20世紀90年代初めから「レイバーデー休暇の前の最後の夏の山ごもり」が恒例になっている遙か太平洋とカナディアン・ロッキーを越えた山の中で開催されているバンフ国際弦楽四重奏コンクール、昨今の「コンクールのフェスティバル化」の流れの中で、バリー監督になってからは、本大会が開催されない年は陰祭みたいな感じのフェスティバルをやるようになった。で、当然、今、開催中でありまする。昨年来のコロナ禍は距離は違えど同じ温泉の町、別府湯布院もバンフも同じ状況。今年も基本はオンラインで開催されております。結果として、世界のどこにいてお眺められる、という利点はあるわけだが、やっぱりなぁ…

というわけで、ネット環境は携帯電話経由のみの石武オフィスではダメだけど、さあ、皆様、ご覧あれ。まだ暫くは視られる視られるみたいですね。ほれ。
https://www.banffcentre.ca/banff-centre-international-string-quartet-festival

へえぇ、ケレマンQ、ちゃんとやってるんだなぁ。あの馬鹿みたいに若いチェロはどうなったのかしら。ま、ここは「社長の団体」だから、なんとでもなるんだろーが。ヴィアノQとアムラン、なんてのはバランス大丈夫かぁ、と心配になりますな。

さあ、貴方もバンフからの弦楽四重奏曲で、お部屋に新鮮なカナディアン・ロッキーの空気で満たして下さいな。あたしゃ、盆地のもう秋の湿った空気で十部だけどさ。

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石武オフィス開設 [売文稼業]

2021年9月3日、大分県由布市湯布院町に「石武オフィス」を仮開設いたしました。
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過去10数年、「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする当無責任私設電子壁新聞を立ち読みなさってる酔狂な皆々様におきましては薄々ご存じの通り、当電子壁新聞が何故かいきなりPMFプロフェッショナル弦楽四重奏コースをやってた札幌で開設された0年代半ば頃は、佃二丁目の路地に庵が、窓を開ければ紙飛行機か糸電話で連絡が出来る向かいのマンションにオフィスがあった。以降、オフィスだった部屋が大家さんの息子が住むことになったと追い立てられ、庵と一緒になるような別の路地の長屋へと同じ町内でリヤカーで引っ越し。311の秋に葛飾で一人暮らしとなっていた父親が没し、その遺言で、無人となってしまう葛飾の実家に数十年ぶりに住民票を移さねばならなくなり、なんのかんのなんのかんので同じ佃二丁目内ながら「お嫁ちゃまの家族が暮らす縦長屋」と「柿の巨木がある元親の実家のオフィス」との二重生活になった。葛飾オフィスの方をどうするか、いろいろと家庭内で話をしている真っ最中にコロナ禍が勃発。ぶっちゃけ、フリーのやくぺん先生はモロにコロナの影響で収入激減、葛飾の家の固定費支払いすら困難な状況となる。かくて、成田空港へ降下する旅客機を見上げる千葉の親の墓の前で手を合わせ、葛飾を離れることを決意したのが昨年のサンクスギビングの頃。去る3月末には、涙なみだで巨大柿の木とシジュウカラさんやメジロン夫妻にバイバイし葛飾の地を去る。以降の半年ほど、佃縦長屋で嫁のご家族の居候状態で蟄居しつつつ、月島と豊洲の倉庫に収めた家財を含め最終的なオフィス移転先を探す作業を続けぇ…

いろいろ縁あって、ここ温泉県は別府の奥座敷、観光地としてそこそこは知られる湯布院町の観光地からは反対側に、恐らくは終の棲家となるであろう庵を結ぶことになった次第だっくだっく。
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とはいえ、お嫁ちゃまの上野での任期があと5年ありますので、ベートーヴェン没後200年で盛り上がる年までは、新帝都と温泉県の奥座敷の二重生活になることになります。幸か不幸かコロナ前に「世界のメイジャー室内楽コンクール全てに顔を出す」という現役生活からの引退を表明しておりましたので、新帝都などで顔を合わせる皆々様とすれば、日本列島を離れてる間が温泉県滞在になった、というくらいの感じになるだけでありましょうが。

連絡先などは、これまでと変わりません。月末までネットの工事が入らず、暫くは携帯小型ルーターがライフラインとなってしまいますので、10日に大川端に戻るまでは大きなデータは送らないで下さいな。

ちなみに、「石武(いしたけ)」とは合併で巨大になってしまった湯布院町内のある地域を示すローカルな呼称で、現在は公式な地名としては用いられておらず、Googleマップなどで検索しても出てきません。悪しからず。

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土着派VSライヴエレクトロニクス [現代音楽]

正直、この1年半のコロナ禍のニッポン列島で、最も活発にいつも通りの活動が続いているのが所謂「現代音楽」の世界であることに異論のある方は少ないことでありましょうぞ。

それはそれで非常に有り難いし、正に「現代音楽」は時代を反映して鳴り続けるものだというだけのことなんだろうけど、それでも予定されていた演奏会が延期延期で、この秋のシーズンに持ち越されたイベントも数知れず。かくて、このような困ったことが起きてしまったぞ、というお話。

来る9月16日、渋谷は新しく作り替えられた谷間を覆う無駄に巨大な歩道橋の向こうは渋谷区のモダンコミセン、大和田さくらホールで、こんな演奏会があります。
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https://3scdjrl.shopselect.net/items/50682701

このような、まあ率直に言えば「ニッポン土着派」とも呼ぶべき20世紀レパートリーを集中的に取り上げている団体に、今時の人気指揮者が登場。集客を心配することはないのだろうけど、やっぱりちょっとは心配になる演目ではありますね。特に、音もあるにはあるが名ばかり有名な山田耕筰のピアノ五重奏曲は、一度はライヴで聴いてみたいわなぁ。

なら、四の五の言わずにきっちりコロナ対策して出かけりゃいいじゃないか、と思われるでしょーがぁ、困ったことに、この日は荻窪でこんな演奏会もあるですわ。
https://www.last.fm/ja/event/4592091+%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%8F%BE%E9%9F%B3%E8%A8%88%E7%94%BB%2315%E3%80%9C%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B35%EF%BC%9A%E6%9C%89%E9%A6%AC%E7%B4%94%E5%AF%BF2+%E3%80%9C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E6%AD%A9%E3%81%BF

うううむ、これはまた、上述の演奏会とは違った意味で、20世紀ニッポンの音楽史にちょっとでも関心がある方ならば聴いておかねばならぬと思う演奏会でしょ。これまた名ばかり高い、オノ・ヨーコ夫人(まだ、夫人だったんだろうなぁ)と帰国直後の若き一柳先生が現代芸術の聖地草月ホールで鳴らした最初期ライヴ・エレクトロニクス作品の再演ですから、もうこれは絶対に聞き逃せない。

ともにニッポン20世紀音楽史の第一歩を刻んだ有名曲、どうして選りに選って同じ日にやらにゃならんのよ。もう、天を仰いでミューザの神にヨブの如く断固抗議せねばならんではないかいっ。

さあ、貴方はどっち?

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戦後のオペラから見返した《ルル》2幕版上演 [現代音楽]

1930年代の作品だけど、意図的に「現代音楽」カテゴリーにします。

昨日、新宿文化センターに於いて先週土曜日から3回の公演が行われた二期会制作新演出《ルル》の上演が、無事に全て終了いたしました。
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コロナ禍で1年と1ヶ月上演が遅れたこのプロダクション、やくぺん先生としましてはまだコロナが武漢と横浜岸壁のクルーズ船の中で起きてる異世界の話題だった頃に、指揮者マキシム・パスカル氏に金沢でインタビューし、数ヶ月後の公演に向けた前パブ原稿を表の媒体に出していた訳でありますが、あれよあれよと世界がおかしなことになり、記事として全く宣伝広報効果は無いものになってしまい、非常に申し訳なく感じていた次第。誰がどう考えてもあたしのせいじゃないのは判ってても、やっぱりなんだかねぇ、ゴメンナサイ、と言いたくなってしまうのでありますよ。

そんなわけで、指揮者演出家2週間の隔離でがっつり仕込まれたプロダクション、他人事とも思えず、しっかりとお布施はらって(でも、貧乏なんで天井桟敷から)2度も見物させていただいたわけでありまする。ホントはもうひとつのキャストも拝聴させていただくべきだったのですけど、なんせ松本やらEIC祭りやらがある緊急事態宣言下とは思えぬトーキョー首都圏でありました故、同一キャストの2回拝聴だけになってしまったです。

さても、この新プロダクション、どう控えめに評価しても、昨年のコロナ禍始まってからニッポン列島で制作されたフルサイズ歌劇プロダクションの中で、ほぼ唯一と言っていい「ワールド・スタンダードでまともに議論出来る演出」だったことは誰の目にも明らかでありましょう。ローカルな国立劇場の新作初演とか新制作はそれなりにあったこの18ヶ月、そこそこ評価すべき舞台や作品もあったでしょうけど、1937年の初演以来世界各地で出され続けている定評ある作品の上演史で取り上げ議論される価値がある演出が出された、なんてのはこの舞台だけなんじゃないかしら。要は、Opernweltが取り上げるとか、フランクフルトアルゲマインにシュトッケンシュミットが批評を書くとか、南ドイツ新聞にヨアヒム・カイザーが批評を出すとか(歳がバレるなぁ…)、そういうレベルの「世界的」な評価に値する舞台だった、ということ。

昨年1月のパスカル氏とインタビューした時点でもう指揮者として演出プランはすっかり入っており、「チェルハ補筆3幕版でも、最近流行の別の作曲家の手に拠る補筆版でもなく、あくまでもベルクが書いた音楽だけを用いた2幕版で上演する」と仰ってました。結果として、ご覧になった方はご存じのように、チェルハ版出現以前の、ベームやらがやってたような上演方法に戻したもので演じられたわけです。2幕が終わった後で、《ルル交響曲》の最後のふたつの楽章、ヴィーデキントの書いたチンドン屋音楽みたいなもののヴァリエーションから、最後にルルが殺されソプラノが「ルル、私の天使…」と歌うところまでを舞台の演技付きで聴かせる、ってやり方ですな。

それだけ知ると、チェルハ版批判がトレンドな昨今らしく、ベルクが書いた音符だけ鳴らすオーセンティックな純血主義的な上演かいな、とお思いになるでしょう。ところがどっこい、この演出、「1930年代のオリジナルに戻す」なんて簡単なもんじゃない。ぶっちゃけ、シュトックハウゼン以降の「戦後のオペラ」を知り抜いた奴らが、あらためてベルクの譜面や指示を眺めた結果出てきたプロダクションなんですわ。

話し出せば新書一冊くらいのことは直ぐに言えそうな、いくらでも突っ込める素材に溢れた舞台だったんで、こんな個人経営無責任壁新聞にどうこう記しても仕方ないながら、見物後のメモとして、忘れないうちにポイントだけ拾っておきます。論点ははっきりしていて、要点は2つ。

要点Ⅰ:最後の《ルル交響曲》後半2楽章を含めた全体3幕のそれぞれに「ルル」が素顔を顕すような歌唱部分をひとつづつ配している

第1幕第2場で、画家の家でモデルとなっていたルル(と、呼んでおきますが)のところにシェーン博士が乗り込み、修羅場になる。そこでルルが吐露する部分
”Wenn ich einem Menschen auf dieser Welt angehöre, gehöre ich Ihnen.
Ohne Sie wäre ich - ich, will nicht sagen, wo.
Sie haben mich bei der Hand genommen, mir zu essen gegeben, mich kleiden lassen,
als ich Ihnen die Uhr stehlen wollte. - Glauben Sie, das vergisst sich?
Wer ausser Ihnen auf der ganzen Welt hat je etwas für mich übrig gehabt?”

今、オフィス引っ越しの真っ最中で《ルル》の総譜が豊洲倉庫に入っていて引っ張り出せないので、Web上にあるリブレット対訳サイトの助けを借りて引っ張り出してます。なお、この箇所がどこだったから、なんせ商売作文の予定はなくメモなども取らずにボーッと聴いてたので、授業で生徒さんにオペラをガンガン観せてらっしゃる東京理科大K先生に確認し教えていただきました。ありがとうございます。

この部分、ベルクは「in ganz verändertem Ton」と記している。この二期会演出は、なんと驚くなかれ、この部分を舞台上のルル役歌手ではなく、別の歌手が楽屋裏から電子的に変容させ、舞台全体に響くスピーカーを通した音響で歌ったのであります(ですよね、違ってたら教えてね)。これはもう、客席で腰を抜かさんばかりの驚きでした。土曜日に聴いたときは我が耳を疑い、声を挙げそうになりました。そもそもこの演出、1幕2場から3場は猛烈に良く出来ていて、こんなに整理されて何をやってるか判る舞台は、やくぺん先生が実際に劇場で眺めた両手の指くらいの数のこの作品上演の中にあっても、観たことありません。

2幕は、言うまでもなく、シェーンを殺す前の「ルルの歌」があり、これはもう今更どうこう言うこともない全体のひとつの頂点。まともにルル役の歌手さんが歌います。短銃の扱いが巧みだったけど、そういう細かいことは言い出せばキリがないんで、それはそれ。

そして最後にもう一度腰を抜かしそうになったのが、最後の最後。3幕版なら、ルルを殺した切り裂きジャック(=シェーン)が、行きがけの駄賃とばかりに人生の更正を誓ったゲシュヴィッツを殺して行き、ゲシュヴィッツが息も絶え絶えに漏らす、全曲でも最も聴衆の耳に残る「ルル、私の天使…」ってとこ(《ヴォツェック》の子供の「ホップホップ、ホップホップ」と並ぶ、ベルク得意の最後の一発芸ですわ)。この歌が、バックステージから劇場全体に響くスピーカーを通し歪められた響きで鳴り渡る。んで、こりゃなんじゃ、とビックリしてオーディトリアムを出ると、ロビーにこんなものが張ってある。
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なるほどぉ…

前述のようにチェルハ版アペンディックス第3幕総譜が豊洲倉庫にあって調べられないんだけど、これ、チェルハ版ではゲシュヴィッツ役が断末魔の演技をしながら歌うように指定されているところ。でも考えてみたら、ベルクの《ルル交響曲》では「ルルの歌」の歌手が歌う他にやりようがなく書いてある。オペラ総譜じゃないんだから、当然、役者名指定なんでありません。

へええええ、と思った瞬間、頭が真っ白になるような事実に、今更ながらに気付くのでありますよ。だってね、特に3幕版が定着した90年代以降の「これはゲシュヴィッツが歌うんだよねぇ」という常識を忘れちょっと考えれば、ゲシュヴィッツって、ルルのことをルルと呼ぶことはなかった筈!作品全体の中でルルを「ルル」と呼んでいたのは、ジゴルヒだけ。ジゴルヒが殺されながらこの歌を歌うのなら理解が出来るが、ゲシュヴィッツはそもそも「ルル」なんて名前すら知らないじゃないのさ。

いやあ、何十年もこの作品に触れてきて、そんなことも今まで気付いていなかった俺は、もう馬鹿だアホだ、間抜けだぁ、と情けなさに頭を抱えてしまったのでありますよ。いやはや…

じゃあ、チェルハ先生やユニヴェルサール出版はどうなるんだ、という議論が起きてくるのは致し方ないところで、当然、そういう議論もあるのでしょう。なんであれ、この二期会演出では、ここを「ルルの魂の歌」とし、更に1幕2場のルルのクレドのような部分の響きに、誰にも判るように加工された響きで対応させた。そんなモダンな仕掛けを使い、ヴィーデキント&ベルクの台本の意味を、極めて明快に浮き出させたわけです。

音楽的には、このように電子的な声のエンハンスでキャラクターの違いを示すのは、それこそシュトックハウゼン以降の「現代オペラ」では普通に行われるやり方です。日本では、コロナ前に芸劇でセミステージ上演された藤倉大《ソラリス》で、ソラリスの海に関わる声が電子的にエンハンスされたものにされていたのはご記憶の方も多いでしょう。オーケストラに電子音を加えた編成を前提にしているル・バルコンで《光》を筆頭に現代オペラを山ほど上演しているパスカル氏とすれば、全く日常茶飯のやり方。何の抵抗もないでしょう。ただ今回は、エレクトリシャンにチーム仕事がきっちり出来る専門家が欲しかったなぁ、ホントは。ま、それはそれ。

要点Ⅱ:ルルが歌手とパントマイムの2人1役で演じられる

これはもう、舞台をご覧になった方には説明不要。この演出では、ルルはふたり一役で登場しています。1幕と2幕では歌手が殆どで、舞踏のルルは起きていることをボーッと眺めていたり、やる気なさそうにしてたり。何のために居るの、と思った方が殆どでしょうねぇ。で、3幕に相当する部分になると、歌手は一切歌わずメインはダンサーになります。無論、繰り返しになりますが、最後の3幕版ではゲシュヴィッツに振られたところも、ルル役歌手さんは聴いているだけです。

このやり方、古くはワイル&ブレヒトの《7つの大罪》という《ルル》とほぼ同時代の作品で最初にはっきりと試みられてますし、パスカル氏の繋がりで言えば、《光の木曜日》のミカエル、エヴァ、ルシファーの「3人1役」アンサンブル、はたまた《火曜日》や《水曜日》の「器楽と歌手の2人1役」を連想するなと言われても無理。実際、数日前に立ち話した折、パスカル氏は「ベルクのスコアは音楽の指示だけでなく、シュトックハウゼン同様に舞台の上の動きがきっちり書き込まれてるんだよねぇ」と仰ってましたっけ。

以上、もう長くなったんで止めるけど、「《ルル》2幕版を、戦後のオペラ創作を知り抜いた世代が21世紀の視点から見返した上演」という上演史的にも極めて重要なプロダクションだった。関係者の皆様、ありがとうございます。お疲れ様でした。

不思議なのは、これがヨーロッパの尖った地方都市劇場との共同制作になってないという事実。ううううむ、なんなんだろうなぁ。

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