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昭和饒舌体もどきパルシファル [音楽業界]

二期会さんがストラスブールの劇場と提携して出した夏の盛りの《パルシファル》を、貧乏人らしからぬ大枚€100くらいはたき、3階右3列目という素晴らしい席で拝見してまいったのであーる。
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思えば2019年12月にアムステルダムの運河沿いの劇場で眺めた《ヴァルキューレ》以来の、「あああ、欧州の千席少しくらいの規模の劇場で出るヴァーグナーを眺めたなぁ」という気分になっておりまする。以上オシマイ…

ってなわけにもいかんだろうから、毎度ながらの感想になってない感想。

そもそもこの演出、「ICEでライン越えて40分走ればカールスルーエ、1時間半でバーゼルやらマンハイム、シュトゥットガルトやフランクフルトだって2時間かからない」という、《パルシファル》の上演だったらそれこそ毎年ガチ保守本流ヴァグネリアンが集う今や世界で唯一のマンハイムの戦後バイロイト様式を意地で維持する60余年の伝統演出から、原発事故から環境破壊から男だらけの社会批判からキリスト教義否定からなんでもありの今時演出まで、ありとあらゆるビックリトンデモ舞台を見慣れている聴衆共が集まってくる場所での新演出であります。となれば演出家の最大の仕事は、激戦区《パルシファル》新演出プレミアに”Operanwelt”やらの「斬新な演出」を見飽きた評論家にはるばるライン西まで来て貰い、すれっからしの客共には終演後にビール飲みながら口から泡を吹かせる意味探索演出家罵倒の楽しい時間を提供する、ってところにあったのでありましょう。

つまり、そんな素敵な、いくらでも中身を突っ込める素材を用いたまるっきり中身のない演出だった、ということ。ロビーで悪い人から伝え聞くに、演出家さん本人は「パルシファルくんの成長物語」と仰っているそうなゴリゴリ。ま、そういう発言も含めて膨大に掘り投げたチャフのひとつなんでしょーし。あ、批判や皮肉ではなく、褒めてるんですよ、うん。

ともかく「意味」を指し示す道具が無数に用意されていて、そのどれに引っかかっても見る側が勝手に自分なりの「意味」を作ろうと思えば作れるようになっている。冒頭の鏡の前のヘルツェライデお母さんから始まって、ずっと出てくる子供パルシファル、モンサバート城でありクリングゾルの城でもある博物館…等々、書き出せはキリがない。それぞれにいくらでも「象徴」や「意味」を読み取って下さい、と次から次へと饒舌に繰り出され、真面目に眺めているともう頭はクラクラになっちゃう。

で、1幕の後半が始まって先王が生きるミイラみたいになって出てくる辺りから、すれっからしの聴衆は「あああ、これはもうどうにでも取って良いのだ」と気づいて、あとは気楽に素敵な音楽に浸れる、という仕組みですな。

つまり、演出家が深い意味やら政治的社会的な意図なりを一切言わないために、意図的に用いる饒舌なものいい、ということ。

なるほどねぇ、こういう舞台がトーキョーでも観られる今日この頃になったんだなぁ。

思えば、全く時を同じくして、作品としても似たもの同士の《ペレアスとメリザンド》を初台で出していて、それがどうやら「過剰な情報を繰り出して全て夢の世界にする」というテクニックを駆使しているという。という、というのはなんのことはない、この舞台のトレイラーやらエクスでの評判を小耳に挟むに、初台の巨大空間で舞台の意図やらをきちんと判るためには€100程度の席ではとても無理、最低でも€200は出さないとフラストレーションが溜まりイライラするだけの演出である、と判断して、貧乏人のやくぺん先生は見物を断念せざるを得なかった。だって商売で作文せねばならんわけではない単なる娯楽、ドーネーションが必要な民間の団体ならともかく、わしらの税金でやってる国立劇場に€200なんてとても払えませんからねぇ、残念ながら。

てなわけで、久しぶりの鎖国前ヨーロッパ€50くらいのそこそこ貧乏人席でのヴァーグナー見物気分に浸れたので、ま、よしとしましょか。今時の讀響さんとは思えぬ三幕のホルンさんの派手な事故はともかくとして…あちゃあああ。

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