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住吉神社例大祭騒動記最終回~イエスにあらずも軛を背負い… [新佃嶋界隈]

佃島を無視するかのように明石町から晴海へと渡ってしまう陸橋の下を、月島は一之部の睦会連中が担いだ「八角」がやって来た。

月島一丁目の例祭委員長から、我が町会長へとホーリー・プリースト付きの御輿が渡され、山車を引いてるときとは違ったはっぴを羽織った新佃睦会一同がぐるりと取り囲み、一斉におひねりを投げる。町内会新米役員は、神妙な顔をし、事態の成り行きを見守っている。
その頃には、どうして我々ひ弱なオッサンらが町内で最初に「八角」担がねばならないか、何となくわかってきた。

遙か西仲通りに八角が見え始めた頃から、観光客やら警備の第9機動隊やらで騒然とし始めた東京メトロ月島駅6番出口近辺には、なにやらだだならぬ雰囲気が漂っていたのである。そー、とうとう出てらっしゃったぞ。一目で「その筋の方々」と判る一群が!

両肌脱いで入れ墨を誇示、既に出来上がっていて警官に絡み、荘厳な緊張感を無視して騒ぎ立てる。町内間の引き渡しの瞬間、聖なるポータブル・シュラインが最も無防備になる瞬間に、御輿にとりつき、あわよくば上に乗っかり、一騒動演じようというのだ。何回か前の例大祭では、睦会との間に一悶着あったそうな。

なんのためにそんなことをしたがるのやら、きっとその筋にはその筋の理屈があるのだろうが、小生にはよーわからぬ。「アサヒ芸能」でも一生懸命読むしかないのだろう。ともかく、彼らとすれば、乗っ取る御輿のグレードが高ければ高いほど、名誉になるんだろうなぁ。

堅気の町に引きずり出された「八角」なんぞ、もう格好の標的である。

まるまる2日以上山車を引っ張ったり、子供に怒鳴ったりして、なんとなく親近感が生まれてきている睦会の面々、ご想像の通り、どことなくその筋の世界に繋がる部分がなくもない。無論、ちゃんとした気質の人たちで、お祭りがメチャクチャに好きで、例大祭を誰よりも大事に思っていて、老人ばかりの町内会だけではとても運営できないこんな大規模なお祭りを一生懸命に現場で動かしてくれている「お祭りのプロ」(山車担当の方は、月曜日となる最終日は、盛んに携帯電話で納期の連絡をしながらのお勤めでした、ご苦労様です)。いろんな人がおり、あちらの世界とのグレーゾーンに近い人もいるのだろう。ま、それはそれで当然のことでしょう。

なんか書いていることがやばくなってきてるかなぁ。金にもならぬブログなんかで家に鉄砲なんぞ打ち込まれたらたまらんわなぁ。うううううん。

まあ、書き始めちゃったんだから、書きましょう。で、我ら新佃町会の代表、いかにも人畜無害の町内会のオッサンです、という揃いの浴衣で、睦さんの間にパラパラと交じる。
我らが町内会のオッサンやジイサン10名弱、ここに存在する目的はただひとつ。

「八角」が町内巡行を始める瞬間、文字通りの町内の一般市民代表として睦会に混じり聖なるポータブル・シュラインを背負い、絶対によそ者に渡さないこと。なにかあったら体を張ってでも「八角」様をお守りすること。その筋の連中が引きはがしにかかっても、絶対に御輿にとりついていること。

怒号が飛び交い、「八角」が動き出す。右に曲がり、清澄通りの手前まででいいのだ。想像以上に重いぞ。みんな右肩担ぎが好みのようで、右側を取る人が少ないらしい。人が少ないからとそっち側にまわされたものだから、重みが肩にドッシリくる。視界は数十センチ。上空を白いものが舞っては、目の前に落ちていく。お賽銭が上空を無数に飛行する。現金が雨あられと降り注ぐ中を歩くなんて、パタリロやジェイムス君ならずとも夢のような状況のはずなのに。三歩進んで二歩戻る状態が続き、かけ声がいつのまにか裏打ちリズムになって、我がオフィスの裏のガソリンスタンドがどこにあるのか見えやしない。笛が響き、肩から重みが去り、人の海にはじき出され…

というわけで、ともかく責任は全うしたわけでありますね。
その後、「八角」は無事に町内を巡行。最後のちょっと前、佃大通りの弁当屋タンポポから鳥屋の前のブロックは町内会担当ということで、「花の乙女たち」までもがかり出されて担いでいる。無論、救護班のポーチと花笠を必至の形相で小生に渡した嫁さんも、しっかり張り付いておりました。おおお、我が妻よ、あんたはそんなにお祭り好きだったのかぁ。おおおおおお。

宵闇が迫る頃、「八角」は無事に元佃に渡され、町内会役員も無事にシニアセンターの集会所で一本締めをし、新佃町会の例大祭大騒動は幕を閉じたのであーる。住吉さんでは深夜まで神事が行われていたようだが、それはそれ。もう町のコミュニティの問題ではありません。
三百六十年の例大祭、新佃町会の被害は、佃ガーデン近くのお菓子配給所で子供御輿が転倒し、鳳凰がひとつ欠けてしまっただけに止まった。人的被害はなし。よかったよかった。

ありがたみが判らぬまま、あれよあれよと「八角」を背負わされ、ひとつだけ理解しました。
御輿というのは、猛烈に直接的な神々との接触なのであるなぁ。
判断力を失った高揚感の中で、猛烈に重く持ちにくいものを担ぐことが価値になり、その結果ヘトヘトになり、翌日になっても肩は軽度の打撲傷状態。支配されることの喜び、すすんで肉体に傷が付けられることで神を再確認するマゾヒズム。己を叩いて神を思い出す。

十字架を牽いたイエスの姿が嫌でも思い出されるけど…考えるネタが多すぎ、頭が全然まとまらぬ。もうこれでお終いにしましょう。

あ、やっぱりもうひとつだけ。戦後が還暦を迎える今年、佃の例大祭は大阪から移されて360年の記念の年だった。ということは、300年の例大祭は1945年の8月6日頃だったはず。米軍は佃地区には一発も焼夷弾を降らせていない。
あの夏にも、こんな祭りがあったのかしら。
「八角」は、この規模の御輿にしては左右が短いそうな。町内会長曰く、「昔は佃は通りがホントに狭くてね、こんなもんしかなかった。だから、この御輿は幅が狭いの。2丁目のはずれの辺りの道がむやみに広いのは、戦争中に延焼防止のために家を潰して広げたからだよ」。

もう一丁目の幟は降りている。大川を渡ったところでは、この週末の深川の祭りの準備が始まっている。夏は続く。

住吉神社例大祭騒動記2005年版、これにて一巻のお終い。なにせお祭りの次ぎに引っ越しが好きな我が家、3年後に続きがある保証なんてどこにもありません。



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協美

おはつでございます。
佃の祭りが終わってからもう半年も経つのですが、偶然ここを通りすがり、あの祭りが懐かしく思いコメントを残していきます。そう、自分も新佃でお神輿を担がせて頂いてました。ではでは!
by 協美 (2006-02-06 14:22) 

Yakupen

先日の佃住吉神社の節分の際も、八角御輿はいつもの収納所に収まり、まるで工芸品かなにかのようにおすまし顔でした。動いていないときの御輿というのは、他人行儀で不思議なものです。町内御輿みたいに、蔵に収まってしまった方がすっきりするような。

このブログ、気楽な地元ネタで時折町内のこと、東京の元祖田舎(佃は下町というよりも、都心の田舎という方が正しいのでしょう)の風景など、ノンビリ書くこともありますので、お暇なら是非どうぞ。

また雪が落ちてきそうな佃の空です。
by Yakupen (2006-02-06 16:05) 

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