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ダイクのおしまいで「ハレタルアホゾラ」と叫んだモボ [閑話]

年の瀬も関係なく原稿やってる深夜、今の状況では恐らくは2005年最後のブログ原稿になりそう。で、いきなり、新しいカテゴリーを立てます。「エヌの閑話」なる、またまた訳の判らぬカテゴリー。
(後記:2006年5月27日以降、カテゴリー名を「閑話」に変更します。)

実は、「商売で書けたこと」です。

何を隠そう、この数日のたうってる原稿がそうなんだけど、これ、よーするに、東京都交響楽団主催演奏会で無料配布している月刊「都響」という冊子の連載雑文なんですね。で、この原稿、読ませてくれという人はいるのだけど、なんせその月が終われば冊子そのものがゴミになり、都響の事務所に積み上げられ、定期演奏会では「ご自由にお取り下さい」とバックナンバーが並んでる。
このような冊子に書いた原稿の権利がどうなるのか、正直、全然判りません。こんなところに勝手に再録して法律的によろしいのか、まるで知りません。都響の事務所に確認したいところだけど、なにせ年末年始でやってません。誰か、これまた著作権に詳しい方、教えてください。契約書などありません。引用している詩の断片は、もう著作権有効期限をクリアーしている筈なんですけど。

で、ともかく、独断でアップしちゃいます。一応、自分勝手に、掲載後1年以上経ったものに限ることにしましょう。それに、「演奏会の帰りの電車で暇つぶしに読むオモシロイ三題噺」という楽団主幹O氏からの無茶なリクエストに応えて生産している作文なので、都響定期演奏会を離れては意味が判らない筈なんですね。だから、当ブログに揚げられるものも、自ずと限定されますし。
基本的には、話があっちこっちに転がりまわる漫談に意図的にしているのですが、ときにはテーマ的な吸引力がありすぎて、独立したエッセイとして読めるようになってしまうこともある。普通の作文とすれば成功でも、この「エヌの閑話」とすれば失敗作、ということ。

それに、今日アップしようとしているネタは、年末の「第九」騒動の中に置かれるのが一番良い原稿なんですね。だから、ことによると、来週早々には「やっぱりアップできませんでした」と、消しちゃうかもしれません。期間限定原稿になるかも。
ま、一昔前なら、このような雑文を集めてエッセイ集が出せる可能性がなきにしもあらずでしたが、昨今の出版状況では小生のごとき三文売文業者ではとてもあり得ない。だから、まあ、良いでしょう。暇つぶしにどうぞ。連載第4回目だった以下の原稿が掲載されたのは、丁度1年前、年末第九の号でした。ダイクと一緒にショスタコーヴィチの小品も演奏されてます。ちょっと見やすいようにレイアウトと細部を変更してます。

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         エヌの閑話:《ダイクのおしまいで「ハレタルアホゾラ」と叫んだモボ》

「ハレタルアホゾラ タダヨフクモヨ コトリハウタヘリ ハヤシニモリニ…」
 以上のカタカナを黙読するうちに、「♪ミ・ミ・ファ・ソ・ソ・ファ・ミ・レ」と音符に乗せてしまった方、それどころか「…」の先まで歌えてしまった方は、その場で手を挙げてください。あ、けっこういらっしゃいますねぇ。
 ご存じ、ベートーヴェン第9交響曲ニ短調作品125は第4楽章。独唱者がいきなり立ち上がり「おお友よ、こんな響きじゃなく…」と叫んだあとに、オーケストラがおずおずと、やがて合唱を交えて堂々と歌われる、単純素朴にして猛烈にインパクトのある旋律。それこそが、こんな日本語で唄うべく用意されたメロディなのである。
 昭和一桁生まれの筆者の母親は、ベートーヴェンの第9交響曲を「ハレタルアホゾラ」と呼ぶ(彼女に言わせれば、ドヴォルザークの新世界交響曲も「トホキヤマニ」なのだけど)。どういうわけか知らぬが、所謂「年末のダイク」トレードマークたるこの旋律に、日本語歌詞、それもまるっきりオリジナルとは異なる歌詞を付けて歌える人々が、日本語文化圏に偏在している。何を隠そう、朝鮮戦争終結後に生まれ、ブルーインパルスが東京上空で五輪の輪を描いたのを目撃している筆者も、見事2番までフルコーラス歌えます。恥ずかしながら、第9交響曲演奏会の客席にいて、器楽同士が「♪ミミファソ」と探り合っている部分など、「ハレタル」、「ハレタル」と掛け合い漫才をやっているように聞こえてならない。いやはや、刷込みとはオソロシイ。

                               ※

 で、緊急メールアンケートを敢行した。質問事項は
「①みなさんの周囲に、ベートーヴェン交響曲第9番を『晴れたる青空』と呼ぶ人がいるでしょうか?いらっしゃる場合、どのくらいの世代の方でしょうか?②実際に、このような歌詞で人々が第9交響曲終楽章の合唱部分を唄っているのを聴いたことがありますか?」
 パソコンに記憶された知人友人仕事関係者アドレスから無作為に抽出。日本語文化圏外で育った方は除外し、30名ほどに発信した質問メールのうち、回答数は約半数。せっかくだから到着順に抜粋列挙してみる。皆様、御協力感謝致しますです。
「①会社の横の席に座っている、齢47歳の編集長は知っているそうです。②編集長曰く、『コンサートでは聴いたことがないが、学校でそう歌わされた』。(30代教育雑誌編集者)」
「①ん~、そういう人はいません。②あります。が、ちゃんとした第九コンサートではないですね。合唱の発表会だったかな。(40代作家)」
「①そう呼んでクラシックファンに白い目でみられたことがある。②矢野顕子がかなり前のアルバムで『ヨ・ロ・コ・ビ』という題名で歌っていた。(40代音楽関係文筆業)」
「①無回答、②山田洋次監督の映画で(「男はつらいよ」のどれか?)、第九をこう歌っていたシーンの記憶があるのですが。(40代映画監督)」
「①いません。②聞き覚えがあるので、テレビか何かで観たことはあると思います。生ではないです。(20代芸術NPO職員)」
「①小学校かそこいらで、そういう風に歌わされた経験があります。ちなみに当時の音楽教師は学校一嫌われていました。(私も嫌いでした。)②前回答参照。(30代美術キューレーター)」
「①いません。②演奏会としては記憶にないし、この後なんと続くかも記憶にないのですが、全然聞いたこともないわけではないです。中学あたりで合唱曲として知っていたのかな。(40代民間音楽ホールディレクター)」
「①いないけど、聞いたことはあります。かなり上の世代ですよね。②ない。日本語で歌ったのを聴いたことがないので。ただ、一人で歌っている人はいたかもしれない。でないと、聞いたことがあるはずないし。第九の楽譜に、堀内敬三訳の歌詞がついたものがあったような。(40代某音楽雑誌編集長)」
「①その世代までには行き着きませんね。②日本人の合唱による第九は生で聴いたことも聴く気にもなりません。(30代地方文化財団プロパー職員音楽ホール企画制作担当者)」
「①身近にはいません。②実演ではありませんが、何かの映像で見たような気がします。武田鉄矢とかが出演していた第九を歌うアマ合唱を描いた映画では、歌詞は日本語でしたっけ?(30代大学講師マルクス経済学者)」
「①私よりも上の世代だったと思います。『ほらあの曲…晴れたる青空、ってやつ』という文脈が多かったような気がします。②聴いてはいません。(50代音楽プロデューサー)」
 なんだか調査対象が偏っている気がしないでもないが、芸術音楽関係者のほぼ全員が「自分より上の世代はそう歌っていた」と思っているようだ。歌詞についても、「自分で歌ったことはないが、なんとなく知っている」みたい。きちんと調査するには60代以上の調査が不可欠だ。高校生以下の世代はどうなのだろう。

                               ※

 帝都東京に爆弾の雨が降るよりもっと前の頃、モダンボーイという人々がいたそうな。モダンボーイ、即ち、モボ。話によれば、御幸通りの柳の下やら、数寄屋橋を越えた新聞社街の向こうの丸ビルの裏あたりに、大量に生息していたらしい。
「トランペット、サキソホン、コルネット、バンジョ、ギタルラ、ピアノ、大太鼓などの楽器で、ジャズを大量生産する二グロ・バンド…
妾、くたびれちゃったの。お酒呑まない?ああら、ボオイさん、一寸。…何にするの。え、じゃ、アニゼット、ふたあつ。
メガホンの中から、シャンパンのように、ほとばしる、楽器よりも一層金属化したニグロの肉声。それは唄であるか、それとも響きであるか。
A・I・U・E・OH!
A・I・U・E・OH! OH! OH! OH! (岩佐東一郎「COCKTAILS」より)」
 昭和初期の銀座で、アメリカから入って大流行するカクテルを素材に、キラキラした多彩なイメージを散乱させる幻想的散文詩。ショスタコーヴィチの「ジャズ組曲」でも鳴り出しそうだ。流行がいくつもぐるりとまわり、ダサイ過去がいつの間にかハイパーモダンになる今日この頃、こんな響きにしびれちゃう若者だっているんじゃないかしら。
 ジャズの熱狂に始まり、酔いがドンドン深まって、いつのまにか都会の闇の幻想に溶け込んでしまうこんな散文詩を遺したのは、岩佐東一郎という詩人である。正直、マイナー作家だ。Amazon.comで検索しても、神保町の大小売店の在庫一覧リストを調べても、ひとつとして著作はない。ある紹介文によれば、「堀口大學の影響を受けて、洗練されたウィットとユーモアにあふれたモダンな作風を確立したが、戦後は社会に対する庶民的アイロニーを詠う詩風をも加味した(海野弘編「モダン東京案内」より)」そうな。典型的な戦前のモボ作家である。
 ショスタコーヴィチよりひとつ年上で、同じ年に没した岩佐なる詩人は、もしかしたら、「ソヴィエトロシアの歴史を音で描いた」ショスタコーヴィチと同様に、「帝国から焼け野原、そして戦後民主主義への歴史を散文詩で描いた」作家と言えるかもしれない。たまたま同じ時代に生きただけで、ジャンルも、環境も、歴史的評価もまるで違う2人を並べても、何の意味もないと仰いますか。だけど、それがどんな大きさの才能であれ、芸術家は否が応でも時代を反映するカナリアなのだ。誠実であれば、嫌でもそうなる。
 岩佐東一郎が遺した韻文で、恐らく最も人口に膾炙している作品の最初の節を引用しておこう。日本帝国が滅びてから2年、連合国占領下日本で発表されている。題して、「よろこびの歌」。おお、新生平和国家の青空高く、民衆の歓喜の声が響き渡る!まるで、偉大なる指導者スターリンを賛美する「森の歌」のように。
「晴れたる青空 ただよう雲よ/小鳥は歌えり 林に森に/こころはほがらか よろこびみちて/見かわすわれらの 明るきえ顔」

(月刊「都響」2004年12月号から改訂再録)

 


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Yakupen

正月明けに、都響楽団主幹O氏から連絡がありました。
「初出の出典を明示していただければOK。それよりも,もっと都響をアピールしてくださいな。頼みますよ!」
とのことです。おおお、アピールせにゃならんのか。大変だぞ、そりゃ。なんにせよ、掲載月が過ぎたものについては、アップできそうな内容の場合は気が向いたらアップしましょう。ま、全部アップしたところで1ダースちょっとしかないわけですけど。
それに、冷静に眺めると、都響の演奏会を離れた独自の読み物になってるのは、案外少ないなぁ。ま、それが目的の作文だから、そうなって当然だわなぁ。
by Yakupen (2006-01-08 18:53) 

月島四丁目編集者

よかったですね。
実は都協の定期は行ったことがないので,機会を見つけたいなあと思っているところです。
ラヴェル好きなので,それがかかるといいんだけれども。
それにしても,中央区「謹賀新年」張り紙をめぐる「一銭にもならない」レポートは非常におもしろいです(ちなみにウチの會社では「銭」というルートでの換算は,まだ存在しています。はあぁ。)。でも,こうしたことを一つ一つ調べるジャーナリストは,信頼できます。と,編集者は考えます。「一銭にもならない」とは失礼かもしれませんが,でも編集者が信頼できる点はそこなのですねえ。
それでは,明日は滋賀ですか。こちらにも「一銭にもならない」ような企画があって,「おもしろそう」と考えて,今週高岡入りのために予定を組んでいます。
by 月島四丁目編集者 (2006-01-09 00:37) 

Yakupen

S編集者様、今年もよろしくお願いします。なんか「金になること」やりましょーおおお!指定管理者は、どうしたら商売に出来るかなぁ。

で、エヌの閑話、アップできそうなのはふたつみっつ、という感じですが、そのうち、ブログ原稿書いている暇もないほど忙しいときにアップします。ええ、このブログのような原稿は、もういくらでもかけるのに、商売原稿はたった3枚でも2日も3日もかかることがあるのが不思議ですねぇ。

大川沿い張り紙特集、来年は嫁と共に壮大な策略を企てています。乞うご期待。
by Yakupen (2006-01-09 01:34) 

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