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ヴァーグナーで何を喰らうか [音楽業界]

なんとか無事に湾岸に戻ってきたは良いが、目の前にやることが山積みで、もう何をやって良いのか判らぬ。アホじゃ、完全にアホじゃ。どうやって引っ越しなんてやれるんじゃ。

とか言いながら、延々と初台の客席3階一番後ろの列の隅っこに5時間以上座って参りました。日本国の洋楽受容、大友宗麟はともかく明治政府の上からの社会改革以降130余年、その頃に遙かばばぁりあの地の文化や経済を総結集してでっちあげられた夢想家の壮大なステージ上の法螺話が、今やこの水準で日本国の「国立劇場」で提示出来るようになったなど、誠に喜ばしい限り。もう涙が出そうです。世界主要国首都の歌劇場が有するリング舞台に一歩も引けを取らないばかりか、「トーキョー・リング」として当たり前に議論されるものを持っている事実ひとつを以てして、あたくしゃあ、この劇場に投入した金と、エネルギーと、才能を無駄とは申しません。こんな馬鹿なことをするために、必要な決断を要所要所で行って下さった関係者の皆様には、心から感謝する次第です。

冗談でも皮肉でもなく言うのですけど、「その国のナショナル・シアターがワールドスタンダードで語れるリング・サイクルを持っている」とは、「その国の軍隊が核兵器を持っている」のと同じほどのインパクトが(一部の人には)ある。例え演出家が雇われ外国人だろうが、そんなこと構わぬ。これだけのものを運営する総合的な底力がある、ということなんだから。ほれほれ、そこの都知事さんや府知事さんよ、ナショナル・シアターで燃え上がるブリュンヒルデの岩山の前で見事にふるわれたヴォータンの槍の力たるや、世界中に薄く広く散らばる「文化」の重大さが判る人々に与える潜在的破壊力からすれば、一個空母機動部隊にも匹敵するんだよ。これホント。あたしゃ、この「リング・サイクル」があることだけを以て、日本国の存在を許しますよ。うん。

ま、それはそれ。そんなだいじょーだん(大上段、大冗談?)な議論はどうあれ、ヴァーグナーは長い。ひたすら、長い。「ヴァルキューレ」なんて、「意見の違う相手を必死に説得する交渉プロセス」ばかりが描かれる異常な舞台を4時間も見物させられる。で、当然、腹が減る。

で、どうやって見物人どもに飯を喰わせるかが、劇場や主査者にとって頭が痛いところになるのであーる。

我らがナショナル・シアターは、全ヴァーグナー作品中でも一番気楽に聴ける1幕が6時15分くらいに終わったところで、45分の休みを取ることにしました。
さても、やくぺん先生はどーしたかといえば、3階上手一番後ろの列から飛び出ると、劇場の池を臨む喫煙所空間を突破し、オペラシティ側に出る。エクセルシオール・カフェとみずほ銀行の間の円形空間を抜け、そのまま街区北東の山手通りと甲州街道交差点へ。ほれ、その向こうに「吉野屋」がオレンジ色に光っておる。広い交差点を駆け、カウンターに座った時点で6時20分。「牛丼並、あ、それから、生卵と、お新香つけてくださいな」って叫び、待つこと3分。その間に、やくぺん先生と同じ道筋を辿った同胞が6名ほど流れ込み、「牛丼!」、「焼肉定食!」などどてんでに声を上げておるぞ。

かくて、470円也(3ポンド、4ユーロ、5ドル!)の飯を済ませると6時30分ちょっと過ぎ。余裕の笑みを浮かべ、エクセルシオール・カフェで「こーひー、ちいさいの」と230円也のカフェイン入り液体を購入、妙に暗い階段を上り、レセプショニスト様に半券を示し、テラスで内藤新宿の風に吹かれつつ、だれか知った顔がおらぬかと階下を鷹揚に眺めるのでありました。

うううん、これが「ヴァーグナー見物」に良い夕飯かは判らぬが、これくらいのものを掻き込んでおかねば、この先の夫婦げんか、親子げんか、さらには姉妹げんかの連続はとてもじゃないが見物し切れぬ。見渡せば、周囲では手製弁当を持ち込んで喰ってる奴とか、デパ地下弁当やら、握り飯やら、貧乏人共がてんでにヴァーグナー・ディナーに勤しんでおります。まるで暗視カメラ映像じゃ、ほれ、お判りかな。
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かつてやくぺん先生が経験した最高のヴァーグナー・ディナーといえば、NJP定期演奏会で朝比奈隆御大が演奏会形式でリングをやったときの、上野での飯であろーぞ。あれも「ヴァルキューレ」だったか、1幕を終え、嫁さんと走り上野の坂をおり、当時はまだアメ横センターにあった「昇竜3号店」に駆け込む。今もある1号店や2号店に比べると、いつでも空いていた(やはり、瞬く間に撤収と相成った)。で、なにも言わずにあの昇竜の餃子ご飯セットをむしゃむしゃ喰らって400円(くらいだったかな)。で、また慌てて坂を上ってくる。腹具合といい、前頭葉への刺激と良い、ちょう度良い「日本のヴァーグナー飯」であった。

劇場の周りに適当な幕間飯屋まで見つけられれば、ニッポン文化国家はホントにチャチャチャ、なんだけどさ。

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Gemini

トーキョー・リングの特徴はヴォータンが岩山の前で槍をふるわないところにあると思いますね。その前の場面から転換があるときに離れていくワルキューレの側に槍を投げてしまってる。あの時点で彼はもう力を失ったという解釈なんでしょうかネ~。(でも「ジークフリート」ではまた槍を持っていたような・・・)
by Gemini (2009-04-12 04:51) 

Yakupen

Geminiさん、見事な突っ込み、有り難う御座います(笑)。

今回の音楽面では、小生がいちばん「おおおお」と思ったのは、それこそ槍を投げ出してから、ブリュンヒルデを寝かしつけ、ローゲを召還するまでの間奏部分のテンポとダイナミックスでした。ゆっくりした弱音中心でヴォータンパパの心情を綿々と描くのは、舞台なしの演奏会形式ではどんな棒振りさんでも不可能だろうなぁ、説得力がなくなるだろうなぁ、と思わされた次第。

やっぱり「ジークフリート」の3幕でしっかりヴォータンの契約のトネリコの槍が無知なる英雄に鍛え直されたノートゥングによって真っ二つにされる必要はあるわけで(そういう意味では、トーキョー・リングはまったく読み替えを行っていない正統派の演出でしたよねぇ)、強引に意味を考えてあげれば、「権力者じゃなくてパパとしてのヴォータン」をハッキリさせたかったからなんでしょう。それに、あれだけアホみたいにでっかく「我が槍を恐るる者この先立ち入り禁止」と書いてくれるわけですから、やっぱり槍は大事なんでしょ。

日本のヴォータンが槍を持たないのは、核兵器廃絶への意欲の証なのであーる、なんてね。
by Yakupen (2009-04-12 09:22) 

おとみ

おひさしぶりです。
新しく国が立てた小屋はしばらく足を運んでいませんでしたが、メシ事情は変わらないのですね。
「被災難民給食所」のごとき渋谷の文化的総合施設内ホールも困ったものですが、この大きな「小屋」はそれよりしんどい。テーブル代わりに階段の手すりにグラス置いてた人がいたっけなあ。かっこいいより危なっかしい。
やはりそういうところは上野駅前のオペラ小屋にかなわないのかねえ。
あははの与太でした。ではまた。
by おとみ (2009-04-14 12:36) 

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