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個人の熱意・国の意地 [演奏家]

東京新聞のWeb版に挙がっている記事です。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2012071802000116.html
いつ、どこで、このインタビューがあったのか、どういう形でこのコメントが取られたのかよくわからないし、新聞の記事の常として1時間喋ってテープ起こしで原稿用紙50枚あっても紙面に反映されるのは原稿用紙で2枚分くらい(つまり、新聞記事というのはそれほど記者の拾い上げる力が重要なんですが)なんでしょうから、黒沼ユリ子さんの意図は2割程度しか伝わっていないと考えるべき内容でしょう。

それでも、非常に興味深い記事です。特に、「国際的なソリスト活動後、一九七〇年代にメキシコ移住、多くの若い才能を育ててきた物語はよく知られるが、最盛期百二十人を超えた生徒数もここ数年二十人ほどに減少していた。 冷戦終結で国家の保護を失った旧東欧の一線演奏家が音楽教育の場を求めて大量に移住してきたことや、近隣のベネズエラを参考に政府が全国に青少年オーケストラを育成し、無料で音楽に接する機会を設けたことが主な原因だ。」という部分は面白い。黒沼さんがここを強調したのか、それとも記者さんが特に重要だと思ったのか、よく判らないのが残念だけど。

ベネズエラのエル・システマという「放っておいたら麻薬の売人になったりするしかない貧民層の子供らに楽器を与え、国がオーケストラを作る」という文字通りの教育プログラム、21世紀に入ってからは「文化」が国策として成功した例として大いに持ち上げられ、シモン・ボリバル管弦楽団やそこから生まれる指揮者や音楽家らは、今や戦後の日本や昨今に韓国中国らに代わり、ベネズエラの大事な輸出品となってる。国が文化をやる成功例として、世界中のあちこちの学校や自治体、国などがこぞって輸入している。

その一方で、黒沼さんのように資財をはたいて行っていた民間の似たような動きがやりにくくなっているという。考えてみれば当然と言えば当然なんだろうけど、エル・システマの影響力の大きさが引き起こすこういうネガティブな面はまるで伝えられることがないので、あらためてへええええと思わされる。

日本でも、1980年代の終わりからじゃんじゃん税収があがる自治体が様々な形で「文化」を行うようになった。大阪で問題になった大阪センチュリー管弦楽団なども、正にバブル時期のそんな景気の良さで出来上がってきたものだった。でも、その結果、自治体が文化なんかをやる前から地道にやっていた地方の小規模音楽事務所とか、音楽愛好団体が、ほぼ壊滅状態になってしまったわけです。だって、市がやると採算無視でいくらでも安く出来るわけで、市民もそれに慣れてしまえば高い民間のものなんかに行かないですから。

関東圏在住の音楽愛好家さんならば、武蔵野市民文化会館の例でお判りでしょう。武蔵野市はバブルの終わり頃にあのホールを建て、市の文化振興財団が運営するようになった。市長は「なにをやってもいいから、満員にしろ」と仰った。で、激安商法を始め、結果としてどんな演目でも自動的に切符を買ってくれる聴衆を抱え込んだ。その結果、三鷹など周囲の自治体は、武蔵野が1000円でやってる出し物は同じ値段にしないとやれないし、価格競争をやるととんでもないことになるのは目に見えているので、文化政策では違う方向性を出さざるを得なくなった。また、武蔵野市で市民文化会館が出来る前からサロンコンサートなどをやっていた民間の団体は、実質上なくなってしまった。

ひとたびそういう状況が出来上がると、公共から金がなくなって文化が出来なくなった場合、そこには不毛の地が広がることになる。秋田なんかが典型例ですねぇ。

構造的には似たようなことが南米でも起きているのだなぁ。国が意地になって頑張れば頑張るほど、民間や個人はやっていけなくなる。

黒沼さんには、もう充分やりました、ご苦労様でした、と言えるけど。まあ、ベネズエラだって永遠に今の独裁政権が続くわけではないわけだしなぁ。

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