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幼年期の終わり [音楽業界]

雑事が溜まりに溜まり、昨日はCMGファイナル・コンサートが鳴り終わるや葛飾セーフハウス厄偏舎に吹っ飛んで戻らねばならず、今もガスメーター工事屋さんが来るのを待ちながら書いているです。なんせ今週末から羽田発でフランクフルトに向かいNYから戻ってくるまで3週間、黒くて小さくてしぶとい生命力を誇る連中が跋扈しかねない時期にこの新開地の庵を留守にせざるを得ないので、そのためのいろんな準備をしておかないとマズい。いやはや、であります。

さても、昨日終わった溜池の初夏の室内楽祭りでありますが、これって、「室内楽アカデミー年度修了祭」でもあるわけです。昨日は2010年秋に始まったこの「堤先生の室内楽私塾」の2クール目の卒業演奏会でもあった。

5月の終わりから6月が「卒業式の季節」になるという感覚は、日本の学校制度や予算年とはちょっとずれるからなかなか感覚的に分かりづらいかもしれません。とはいえ、クラシック音楽の世界では「シーズンオフが始まり夏のセミナーや音楽祭が始まる前の時期」で、結果として日本を目指しオーケストラや室内楽団が殺到する頃なので、愛好家諸氏におきましても、なんとなく落ち着かない時期だな、とはお感じなのではないでしょうかね。

室内楽アカデミーという私塾、勿論、サントリー芸術財団というサントリーホールを運営する組織がやってるわけで、別に修了したところで偉そうなディプロマが出るわけでもなければ御上公認の肩書が取れるわけでもない。サントリーホールというヴェニュが「営利私企業たるサントリー広報部の運営するメセナの象徴」から「公益財団が運営す劇場法に規定されたところの音楽堂」へと本質的な在り方を転換していく中、極めて戦略的な存在として設置されたわけです。

その事実は時系列にしてみれば明らか。以下。

※2007年9月、堤剛桐朋学園学長がサントリーホール館長に就任。
※2009年秋の民主党政権成立、「新しい公共」が提唱され、長く水面下で議論が続いていた「劇場法」制定への機運が高まる。内閣参与となった平田オリザらが主導し、演劇・舞踏界を中心に議論が活発化する。演劇らに比べれば行政からの援助が比較的行き届いていた音楽業界は、議論に乗り遅れ気味となる。
※2009年9月、サントリーの芸術分野社会貢献が「サントリー芸術財団」に一本化される。
※2010年10月、室内楽アカデミー第1期スタート。
※2011年4月、公益財団法人サントリー芸術財団が運営する「サントリーホール」が文化庁「劇場・音楽堂等活性化事業」に採択される。
※2012年1月に招集された第180回国会で「劇場、音楽堂の活性化に関する法律」成立、同年6月実施。
※2012年6月、室内楽アカデミー第1期修了。
※2012年10月、室内楽アカデミー第2期スタート。

上の年譜には、堤館長就任以降、サントリーホールが財団化に向け新たなスタッフを集めていくプロセスは敢えて記しておりません。

勿論、サントリー芸術財団には、1990年代始めからずっとやってきているオペラ・アカデミーもあれば、今や東京の夏の終わりの風物詩になっている現代音楽フェスティバルもある。天保山は撤退したにしても、六本木に美術館がありアーツ系ポスターなんかをいっぱい持ってる。そういう中で、「サントリーホール」という器楽コンサートを行う空間としての特性を生かし(オペラ・アカデミーの設立は新国立劇場オープンより古く、発足当時は極めて意味がありました)、音楽堂として創造的な場所であるために、「音楽学校大学院を修了したくらいの若いプロの演奏家のための室内楽勉強塾」を選んだのは、いろいろな意味で極めて賢い選択だったと言えるでありましょう。結果的に、このオペラと室内楽の両アカデミーの存在がサントリーホールが文化庁からの「劇場・音楽堂等活性化事業」に採択される大きな要因となっているであろうことは明らか。ちなみに、東京の民間音楽ホールで他にこの事業に採択されているのは、湾岸地区での地域活動を明快に打ち出したNPOが運営する第一生命ホールだけです。

このアカデミー、中身は相当に違うものの、発想としてはカーネギーホール主催でアレクサンダー・シュナイダーが開催していた「クリスマス・ストリング・セミナー」が出発点にあり、ぶっちゃけ、それを真似た第一生命ホールでの「アドヴェント・セミナー」なんぞを経由し、ブルーローズ活性化を兼ねた通年設置の私塾となった。そこにサントリーホールのカーネギーホールとの関係なども絡んできて、カーネギーホールが展開する教育プログラムやマンハッタン北やクィーンズ、ブルックリンなどへのアーティスト派遣アウトリーチをお手本にするという名目もつけられ、そんなトリトンさん風の機能もこのアカデミーが担うことなった。

若く有能なアーティストの溜まりをホールが確保することで、アイデアさえあればいろんな展開が可能になってきた訳であります。社会との関わりの全てがアカデミーでのお勉強、ってこと。


最初はこんな面倒な話を書くつもりはなかったのだが、ガスメーター工事屋さんがいつまでも来ないのでダラダラと記してしまった。今、工事の方がやっと来てくれたので、慌てて話を纏めます。

かくて昨日、20名弱の2期生がキュッヒル御大との共演を手土産に、ブルーローズから巣立っていったわけであります。塾のスタッフならば「彼らは卒業しました」でオシマイなわけだけど、やくぺん先生の場合にはこれからこそが、これらの音楽家達を眺めていかねばならぬとき。なんせ一種の「高等職業訓練所」みたいな役まわりのアカデミーですあから、音楽大学みたいに弾ければ良い、上手なら良い、というだけでは話が始まらない。ここでは室内楽合奏の技術を学んだだけではなく、室内楽に必須のメンバー維持管理のための人間関係の作り方、ホールスタッフや地方主催や行政現場文化担当の人々との付き合い方など、いろんなものを学ばねばならなかった。

その結果、俺はやっぱり室内楽には向かないとオーケストラへの就職を本気で考える奴がいるかもしれない。志を同じく出来そうな新たな仲間の発見もあれば、学生時代から今まで一緒に室内楽をやってきた仲間との決別もあるでしょう。その意味で、エリート育成ではない、悩んで貰うための塾だった。そして、いよいよもう悩んでばかりもいられない、モラトリアムの終わりに放り出されたわけです。

彼ら彼女らがどんな風に「自分らの」室内楽をやっていくのか。この先がいよいよ本番。

アカデミーそのものとしても、2期4年が終わり、創生期が終わりつつある。どうやら音楽業界的に「サントリーさんはある程度本気でやるらしい」と思われ始めたみたい。音楽学校としても、室内楽としてのエリート教育はあるものの、研究科やディプロマを終える世代になってやっとまともに室内楽をやろうという気になった連中はいくらでもいる。そういう奴らを面倒見てもらう場所としてここが使えるかも、と考える策略家の先生も出て来たようだ。お陰で、CMG期間中に行われた第3期オーディションにはかなりの数の応募者が集まり、スタッフ関係者は嬉しい悲鳴というか、頭を抱えるというか、どうするじゃい、ってことになってるとか。

なんせ、もの凄く高いレベルの野望を抱いた新たな教頭先生2人がイェール大学から着任するわけで、そりゃね、ちょっと大変なことになるかもね。

2年間、若しくは4年間、アカデミー・フェローの皆様、お疲れ様でした。やくぺん先生としましては、今後の皆さんの姿を追いかけることこそが本業だと思っております。これからも宜しくお願いしますです。当面、オフィスから持ってったCDなんぞ、無くさないようにちゃんと持っててね。卒業記念であげる、とは言いません!

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