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影響された方から《浜辺のアインシュタイン》を見返す試み [現代音楽]

バルセロナ空港の「パウ・カサルス」ラウンジです。別にチェロ弾いている人がいるわけでもありませんが、この街ではホールだろうがなんだろうが、やたらと付けられちゃってる名前だから、文句を言うも言わんもない。
昨日、フランクフルトからの機内でやってきた急ぎの原稿を空港で送り、市内のカタロニア音楽堂真ん前の宿に入ったら、案の定悪い予感が当たり、宿のWi-Fiがパソコンでは一切接続不可能。iPhoneもアヤシイ感じでした。で、やっとここに来て、必要な連絡作業などをしたところ。ミュンヘン往きに乗るまでの30分くらいしかないなぁ。

さても、今や京都やボルドーと並ぶ世界中から観光客が訪れる人気観光地に18時間ちょっと滞在した理由は、昨晩午後8時からカタロニア音楽堂で《浜辺のアインシュタイン》が上演されたからであります。ハッキリと「演奏会形式上演」と謳っているので、上演じゃなくて、演奏された、というのが正しいのかしら。

世に名高いフィリップ・グラスの公式ホームページに情報が欠片もないこの不思議な公演、どうしてこんなもんがあると知ったかは冗談じゃなく忘れちゃったんだけど、ともかくあると判り、このツアーの日程に強引に突っ込んだ次第。ともかく情報が無いし、いかな宵っ張りのラテン文化圏とはいえ午後8時開演となると全曲をやるとは思えない。とはいえ、終わると深夜に近くなる可能性は捨てきれず、宿も些かお高いけど会場の向かいにしたのでありました。

そんなこんなで拝聴させていただいた公演、なんと基本ノーカットで、8時に始まり終わったのは11時半。
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やり方は、「アメリカ人フォーク歌手(なのか?)スザンナ・ヴェガをナレーターに、フィリップ・グラス・アンサンブルとは無縁な世代の器楽奏者、若い合唱団が、舞踏は一切なしに多少の照明と舞台上での動きを伴って全曲を演奏する」というもの。《追分節考》とかのシアターピースとしての《浜辺のアインシュタイン》、といえば最もイメージが近いかな。

どのような上演だったのか、記し始めればキリがないし、そろそろ搭乗ゲートに行かねばならないので、先に感想だけ述べれば…なるほど、この作品によって影響を与えられた電子音を使ったロックやらの音色感や、この作品が切り開いたラップという音楽ジャンルの在り方の現状から、この楽譜を純粋に音楽として見返す、というものでありました。

舞踏が付いて、今時の言い方をすれば「インスタレーション」としか言いようがない舞台空間が展開していると余り気付かない、枠組になる部分、ストーリー性がありそうな部分、舞踏シークエンスの部分、それらの音楽的な違いがよーく判ります。ま、演奏会形式上演オペラ、ってのはそういうのが目的なわけだから、誠に以て真っ当な在り方だったわけです。

ただ、個人的に大いに不満だったのは、この作品のいちばん最後、バスの運転手さんが「愛」について語る、この作品を延々数時間聴いてきたが故にもの凄い感動が押し寄せる部分に関しては、全然ダメでした。これ、やっぱり「黒いでっかいバスバリトンが、淡々と語る」じゃなきゃダメなんですよっ!感情を込めた女声の、演技達者な方のナレーションでは、最後の最後に奇跡的に質量がエネルギーに転換し続けるエントロピーの法則がひっくり返り、人という質量の形をとるカタルシスが感じられない。

何を言ってるか判らんでしょうし、判るように説明する時間もないのでしないけど、ともかく、こういうやり方があるんだなぁ、この作品もこういう風に見返される時代になってきたのだなぁ、と思うところ多かった晩でありましたとさ。

すいません、なに言ってるか判んなくて。さて、ゲートに向かいます。

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