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「九州交響楽団」はキューシューのオーケストラではないのか? [音楽業界]

7週間のアジア&キューシュー島放浪を終え、大村海上空港から新帝都は六郷河口空港に戻ります。新帝都滞在は4週間、その間に神戸、金沢日帰りがあるけど、ソウル弾丸1泊は無理そう。

さても、日本フィルの49年目の九州1周ツアーに同行し、思うところ考えるところ、教えられるところが多々あったわけでありますが、「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとし「表の作文では書けないことを書きます」の当電子壁新聞でしか記せない、大きな疑問があらためて浮上したわけでありました。

単刀直入に言うと、「どうやら九州交響楽団というのは福岡のオーケストラであって、九州のオーケストラではないらしい」という事実(?)であります。

少なくともこのツアー同行でやくぺん先生が出会い、話をしたような「日本フィル愛好家」の方々は、皆が皆、口を揃えて「子どもの頃から、冬のこの頃には日本フィルが来るものと思っていた」と仰る。どうして「日本フィル」なのか、良く知らんけど、ともかく来るのが当たり前だった、と仰る。

んで、そういう方に「でも、九州交響楽団ってのがあるでしょ」と尋ねると、間髪を入れず「あれは福岡のオーケストラだから」ってさ。

へええ、少なくとも関東の東夷とすれば、「九州交響楽団」=「九州を代表するプロオーケストラ」であって、キューシュー島各地の人々は「おらがオケ」と思ってるだろう、と勝手に信じ込んでたわけでありますよ。

ある鹿児島出身で今は福岡に住んでいらっしゃる音楽関係者の方によれば、九州交響楽団が自分でリスクを取る自主公演として鹿児島で演奏会を開催するのは、数週間後に小泉監督退任記念のコンサートで《運命》《田園》が始めてじゃないか、とのこと。
2_創立70周年記念_鹿児島公演_ちらし_1204-03.jpg
http://kyukyo.or.jp/cms/14611
九響さんはときに来ることがあっても、スポンサー付きの子どものためのコンサートとかで、定期演奏会クラスの演目で九州をツアーしてまわったりなんてしませんよ、ってさ。

うううむ…

確かに、付け焼き刃のインチキ九州住民とすれば、福岡県内の田主丸さわやかホール(ギャグじゃないよ!)やら、佐賀平野の長崎寄りの武雄温泉なんぞでは九響公演の告知を見るし、熊本でもなんか見たような気がするものの、大分で定期をやるとか、宮崎のフェスティバルにレジデンシィで出るとか、そういう空気はまるでないですわなぁ。

そういうもんなんでしょうかね?で、そうだとしたら、なんでやねん?

無論、日本フィルのツアーが始まった1975年頃には岸邊先生がオランダから戻って首都圏関西圏のオーケストラではなく敢えて九響コンマスに就任、日本フィルの九州ツアーと同じ年の夏に始まったゆふいん音楽祭の最初は、「星空の下での九響合奏団」でした。新幹線が博多まで延伸したこの年、大陸本土進出の軍事拠点だった久留米大牟田熊本などが工業地帯として没落していく一方、敗戦後は半島への窓口としてのポジションを失っていた九州北部地区が中央直結のキューシュー島窓口として発展し、筑豊で誕生した麻生帝国の帝都となっていくプロセスの中で、「九州交響楽団」はそのプロ楽団としての歴史を重ねてきたわけでありましょうがぁ…「九州を代表するプロ楽団として九州全体に音楽を広げる」みたいな動きはなかったのかしら?「アウトリーチ」という言葉が日本語でそのままに使われるようになったのは90年代半ば前、地域創造が出来て、文化庁だけではなく自治省も「地域文化」というものを意識するようになり、オーケストラのミッションステートメントに「地域活動」が謳われるようになるのも、世紀の終わり頃から。ちょっとまだ時代がそうはなっていなかったのか?

次にやるかもしれない大きな仕事の根底に、この疑問が口に出せないままに、ごろりと寝転がっている。

だれか、「やくぺんくん、あんたは相変わらず物を知らぬなぁ、それはね…」と、答え一発明快なご回答をいただけませんかねぇ。よろしくお願いします。

あ、空港ゲート前、隣に小山さんが来てしまったわい!借りてきたアヒルをしなければだっく。

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