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佃例大祭への道:第1回 [新佃嶋界隈]

我が銀座東京駅から最も近い田舎佃の名物といえば、なんといっても「住吉神社例大祭」であろー。

3年に一度、佃一丁目全域を御神域へと変貌させ、佃掘から掘り返された柱に歌川広重が「名所江戸百景」の浮世絵に描いたまんまの幟が翻り、八角御輿が大川に飛び込みはたまた勇壮に人工島を練り歩く、江戸東京を代表する祭りなのであるよ。

さても、そんな例大祭まであと1年半と迫った。つまり、半分を切ったわけである。いよいよ「祭りの後」から「次の祭りの前」へとスイッチが入れ替わったわけであーる。

そんなこんなで、本日、佃三丁目町会集会所で、佃二丁目と三丁目の連合臨時町会役員会が開かれた。こんな町内壁新聞に役員会の中身を書いて良いのかどうか、実は全然判らぬ。議題に関しても、多少なりとも面倒な内容なので、世間にばらして良いのか判らぬ。情報の開示という意味では、是非とも書きたいところなんだが、どーなんじゃろか。

ええ、差し障りのない程度のことを記しますと…

皆の衆、お祭りというのはどのような組織で成されるのか、貴方はご存じかね?実は、あたしゃ、知らぬ。知らんままに、一昨年の夏は八角を担いでおった。こちらをどうぞ。
http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20050806
睦ってなんじゃ、町会との関係はどうなってるの、そもそもあたしゃ神道の神事に参加なんぞしていいの…未だに訳の判らんことばかり。

そんな奴が話に参加して良いとはちっとも思えぬのだけど、まあ、勢いでそんなことになってるのだからしかたない。
本日の次回例大祭に向けての最初の集まりは、「新佃嶋」として共通の御輿を担ぐ佃二丁目と三丁目の人工島町会住民が、祭期間中の御神輿運行を仕切っている「睦」という「お祭り現場運営任意団体」とどのような関係を持つべきか、祭りを運営する組織を町会としてどのように立て直していくか、そんなこんな、祭り運営の基本に関わる議論でありました。←だから若い連中が紀尾井ホールでモーツァルトのハイドンセットを全部弾くイベントにも行けなかったんですぅ

ま、ぶっちゃけた話、三丁目町会役員が繰り返したように、「佃例大祭という文化をいかに次世代に継承していくか」という相当に深刻な問題でもあります。お祭りは放っておけば3年に一度いきなり始まるものじゃあない。そこに住んでる連中がなんのかんのやらないと、8月の暑い第1週の週末から月曜にかけて、町内御輿は上がらないし、八角御輿が町内にやって来たときに責任を持って引き受けることすらできない。高層マンションに居住なさる勝ち組の殿上人新住民と、都会の田舎者たる地べたの旧住民の交流が、決して上手くいっているとはいえぬこの佃地区、その本質的な構造にも関わるわけだし。

さああて、この先18ヶ月後、無事に佃二丁目に八角御輿はやってくるのか。スリルとサスペンスの日々が訪れたのであるぞよ。

この新シリーズ、この先も続くか、この1回で終わりになるか。はたまたやくぺん先生が厄偏庵をたたみ、佃の路地を去って、いきなり終了となるか。乞うご期待…なんじゃろかねぇ。


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