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卒業写真 [弦楽四重奏]

たった今、パシフィカQが晴海を離れ、成田に向かいました。結果としてホンの10日間の滞在だったけど、広島と名古屋に一泊で演奏旅行に出た以外はずっと晴海埠頭とトリトンスクエアの間の宿に滞在し、第一生命ホールの練習場で練習し、大川向こうのあちこちに出張っていたのだから、文字通りの「アーティスト・イン・レジデンス」でした。

一昨年の初来日では、富山は高岡でミニレジデンシィをしている最中にシミンが急性盲腸になり、慌てて大川向こうの聖路加病院まで担ぎ込まれ、結局、明治学院大学でのカーター全曲が中止になった。そのリベンジに自腹で一番安い航空券捜し同年年末に来日、会場は晴海のアート提供NPOトリトン・アーツ・ネットワーク(TAN)が頭下げ第一生命ホールを貸して貰い、結果として日本では世界のどこよりも音響的に良い条件でカーター・サイクルが行われたわけでした。
「パシフィカが来るときはなんかあるぞ」というジンクスは今回もしっかり守られ、来日がシカゴの雪嵐で2日も延びたのは前述の通り。今日も、「おい、シカゴはまた雪だって」とザワザワしていたのだが、無事に午後7時半成田発シカゴ行きアメリカン航空は飛ぶようです。良かった良かった。

さても、月島と晴海島の間の運河沿いにも彼岸桜が咲き揃い、花の蜜を吸ったメジロたちが狂喜乱舞する如月末の午後は、パシフィカQの卒業の日でもありました。

パシフィカQは、世代的にはロータスQやクァルテット・エクセルシオなどとほぼ同じです。小生が初めて連中の名前を聞いたのは、確か、グァルネリQのチェリスト、ダヴィッド・ソイヤー氏のマンハッタンのアパートだったと思う。最近出て来たなかなか有望な連中、という中で挙げられていた。で、何年のことだったか、あのアルテミスQが東京Q以来数十年ぶりに優勝したミュンヘン国際コンクールでは、パシフィカQは参加者名簿に出ていたのだけど、キャンセルしていた(さっき本人らに確認したら、その通り、とのこと)。聴けなくて残念だったなぁ。そのときのアルテミスQについては、当壁新聞の過去記事に当時の記事引用があります。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20050811

始めて出会ったのは、2000年だかのメルボルン・コンクール。そのときはヴィオラがオーストラリア人で、地元メディアがやたらと注目していた。第2ヴァイオリンは、今はダイダロスQに座ってるキューヤンでした(やっぱりこの業界は半径30センチくらいのところで動いてる)。エクと一緒に2次予選までは行ったが、ファイナルまでは届かなかった。そういえば、あのときもメンデルスゾーン弾いてたなぁ。案外長期的にレパートリーを作ってるもんだ、うん。

で、現メンバーになり、2002年のパオロ・ボルチアーニ・コンクールに出てきた。ワールドカップ・コリア・ジャパンの真っ最中に行われたこの大会、後の語り種になるほどレベルが高く、ファイナルは年長のアウアーQを含め、パシフィカ、クス、どれが勝ってもまるっきり問題ない、という状況。優勝者コンサートをSQWで行うために現地に出張っていたTANのディレクターも、良い意味で頭を抱えてしまった。んで、結果発表待ちの暑い暑いオペラハウス前の階段で、「カーターを全曲やるんだ」など、とても信じられないことを宣ってるこの連中、よーし、結果がどうあれ晴海に連れて来ちゃうぞ、と決意していたそうです。結果、パシフィカが2位でクスが優勝。両団体ともSQWで紹介し、現在の若手最前線のレベルの高さに関係者をビックリさせたのは皆様ご存じの通り。

さても、そんなこんなで総計3回付き合ったパシフィカQとTANですが、次回の来日からは日本アーティストが彼らのマネージメントを行います。TANと喧嘩をして分かれる、というのではありません。

TANという団体には、NPOとしての定款があります。出資者はその趣旨に賛同し、お金(活動資金)を積んでるわけですね。興行収入で運営する営利企業ではありません。で、その定款の大きな柱は、「地域に音楽芸術を提供する」と「若い芸術家の支援をする」なんですね。SQWというシリーズは、このNPOのアーティスティックな根幹を支える部分ではあるけれど、NPOとしてあくまでもこの定款の中で活動することを理事会からも常に求められているわけです(つまり、SQWディレクターは常に理事会からの批判に晒され針のムシロ状態、シリーズに意義があるとお思いの室内楽ファンは、奥様やお友達を同行して、早急に集客を倍にしてやってください!)。
ですから、その演奏家がどんなに素晴らしく、どんなに将来性があろうと、いや、将来性があればあるほど、このNPOから巣立っていって貰わねばならない。
なんども繰り返しているけど、パシフィカQは「世界を狙う」団体です。そのためには、日本というマーケットもきちんと視野にいれねばならない。最初の数回、彼らの力を紹介する段階では、東京湾岸のローカルな文化提供NPOが彼らをハンドリングすることも出来るけれど、日本全国での興行としての展開は出来ない。今回の来日での所謂地方公演も、コミュニティベースの活動をしている地方公共主催者か、極めて質は高いがあくまでもローカルな地方室内楽愛好団体が演奏先で、普通の意味でフルプライスのギャラを取れる相手ではありません。NPO同士の連帯みたいなもんです。

勿論、そのような形での音楽のあり方を生涯求めていく演奏家たちもいます。というか、それが殆どです。良し悪しの問題ではない、パシフィカQは、そうではなく、簡単に言えば、メイジャーな道を選んでいるわけですね。そのために、彼らは猛烈に練習しているわけだし、いろいろなものを犠牲にしている。そうしてまでも、彼らは世界一の常設弦楽四重奏を目指そうとしている。

我々裏方は、彼らのそんな音楽家としての生涯を賭けた選択を尊重し、手伝わねばならない。

だから、彼らは、この晴海の場所から卒業していく。晴海のローカルNPOのスタッフも、サポーターも、聴衆も、そんな彼らを喜んで送り出してやらねばならない。寂しい、なんてことはない。だって、来年6月に予定される彼らの次回の来日を差配してくれるのは、マイスキーやゴールウェイや、ブーニンを扱ってるマネージャー。室内楽なら、長くバルトークQやボロディンQを手がけ、キュッヒルQを面倒見ている。梶本やジャパンアーツなどメイジャーな音楽事務所がイベント企画会社となり、腹を据えて長期的に若いクァルテットを育てるマネージメント会社ではなくなった今(梶本で実質単身アルテミスの面倒を見ていた熱血担当者が辞めてしまい、この団体のこの先の日本での展開戦略や来日予定がまるで判らぬ)、メイジャーな団体として関係を築くなら、最善の選択でしょう。ホントに喜ばしい限りです。ちなみに日本アーティストは、パヴェル・ハースQも面倒見てくれることになってます。こういう事務所。http://www.nipponartists.jp/main/main.htm

というわけで、みんなで卒業記念写真。晴海の地に長逗留するのも、これが最後だろうし。あ、アウトリーチ担当スタッフのSさん、下向て泣きそうな写真でゴメン。忙しかったので1枚しか撮ってない。

さあ、シカゴに戻ったら、来月はいよいよエリオット・カーターの録音が待ってるそうです。某レコード会社から、まずは1番と5番が出るそうな。詳細は、発表できるようになったら、この私設電子壁新聞でお伝えしましょう。

パシフィカQに幸あれ。TANのスタッフは湾岸の肥料となる。でも、君たちは、トップをねらえ!君たちならできる!そしてまたいつの日か、このNPOが存続し、君たちを育む栄誉を担えたシリーズがまだ奇跡的に続いているならば、東京湾岸の小学生やお爺ちゃんのところに帰っておいで。


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