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神様はいないけどブラームスはいっぱいの月 [演奏家]

神様が出雲に集まってる間に、いつの間にかニッポンの島々にもやたらと外国から音楽家の皆さんが押し寄せる状況になり、未だ鎖国状態が解けぬわしら庶民はどこへやら、連日著名ピアニストさんやら長老指揮者が溜池やら池袋やらの舞台上に戻ってきているらしー今日この頃、皆々様はいかがお過ごしでありましょーかぁ。

住民票は諸事情で東京湾岸に置かねばならぬもの、既に気持ちは半分温泉県民になってるやくぺん先生ったら、そんな新帝都の秋空をシン・ゴジラ視点から他人事の様に眺めつつ、あーそーなんだぁ、としか思えぬ。なんか、ホントに内田光子やらツィンメルマンやら、関心がなくなってしまったなぁ、ましてやショパン・コンクールをや、ってご隠居気分。とはいえまだまだ年金生活など出来ない我が身、魂に鞭打って出かける演奏会場、この神無月はどういうわけか「ブラームスのヴァイオリンとピアノの二重奏」強化月間になってしまったぞ。


まず先陣を切るは、思えば去る1月のイザベラ・ファウスト以来の「外国人著名ソリスト」の二重奏、かの「カヴァコスなんて誰も知らない」って、現藝大准教授さんの手になる捨て身のキャッチコピーも懐かしいカザルスホールでの文字通り誰も客がいないデビュー演奏会から幾年月、今やニッポンはともかくヨーロッパ、とりわけドイツ語圏では最も売れっ子ヴァイオリニストとなってしまったレオニダス・カヴァコスによる、「ブラームスのヴァイオリンとピアノの為のソナタ3曲+アンコールFAEソナタからスケルツォ楽章」という定番中の定番、ど真ん中もど真ん中な演奏会でありまする。

久しぶりにいっぱいに見える客席、周囲には同業者さんの顔が溢れ、楽器を背負った若い音楽家もたくさん。おお、向こうから手を振っているのは某弦楽四重奏団のヴィオラ奏者くんではないかい。こんなとこじゃじゃなく、ステージの上から手を振って欲しいぞ。うん。

先頃のマスタークラスでガッツリとレッスンを受けたというピアノの萩原女史の旦那さんが、譜めくりという超特等席でのレッスンを受けながらのデュオ。最初の1番のソナタは、ピアノのバランスにあれぇと思わされ、このような大ホールでの二重奏なんて数年ぶりで、すっかりこっちの耳がおかしくなってしまったかと己の老化に呆れていたら、休憩時に某長老ローカル主催者さんがやっぱり同じご意見だったので、ちょっと気分を楽にした次第。

なによりも「デカいホールで、でっかい音できっちりピアニッシモを響かせる」という20世紀スタイルの大スター二重奏演奏会を21世紀も20年代の今に聴かせていただいた、貴重な経験でありました。勉強になったという意味では、ブラームスというか、ロマン派作品の重音ってのはバッハのそれとはまるっきり質も意味も違うんだなぁ、という当たり前の事実をしっかり音で聴かせてくれたこと。批評家ごっこをすれば、「重音の多彩な音色感が魅了する」って言い方になるんだろうけどね。


あらためてギャラの高いスターさんとはどういうものなのか見せつけられ、遙か温泉県に向かい、新オフィスからのこのこ出かけた大分での我らが川本いねこさんの演奏会、無論、ここで披露されるのはヴァイオリンではなくヴィオラで、コロナ下のエリザベートで見事入賞し世間の話題となったピアノのウルトラ技巧派阪田知樹氏との二重奏。披露して下さるのは、ブラームスのヴィオラ・ソナタ第2番でありまする。

いやぁ、これはもう、川本さんと一緒に阪田氏のパワーと能力にただただ口をポカンと開く、って音楽。いねこさん終演後に曰く、「この曲ってピアノが凄く大変で、チャラチャラっとやっちゃうことが多いんだけど、ここまでちゃんと弾いてくれるともうビックリ」。とりわけ終楽章は、晩年のブラームスの諦観なんて俗説はどこへ、まるで巨大シンフォニー終楽章の如くに盛り上がるハイパーデュオが展開されたのであったぁ。この曲って実はこんなんだったんだぁ、と腰を抜かしてる間もなく、続いて《イタリアのハロルド》が披露されちゃったんで、ちょっと勿体なかったけど。

それにしてもこの阪田さんというピアニスト、翌日の別府ではあれだけの狭い空間であれだけのでっかい楽器を使い、fffでも全く煩くならない、高音域の音量が全く落ちない、という信じがたい超絶技巧を聴かせてくれて、ああああこういう無茶な編曲ものをちゃんとした音楽として綺麗な音で聴かせてくれる新しい才能が出てきたなぁ、と感無量でありました。時代はまた、ひとつ変わる。


そんでもて神無月ブラームスのヴァイオリン二重奏強化月間、最後を飾るのは、昨晩の秋深まるハクジュホールで披露された渡辺玲子さんと江口玲さんのレクチャー付き、ヴィオラ・ソナタ第1番の作曲者自身に拠るヴァイオリン・ソナタ版、って珍品。いねこさんはヴィオラだったとはいえ、これでブラームスが書いたヴァイオリンとピアノのための二重奏楽譜は全て網羅ということになった次第。

これがまぁ、ぶっちゃけ、大学レジデントアーティストの先生が自分の興味で好きに喋って、おっとちょっと手加減しなきゃ、と言いながらもなんのかんの言いたいこと言ってる、という内容。なんせブラームスの正規のヴァイオリンとピアノのソナタに関しては隅から隅まで判った人が、殆ど眺めたことないブラームス最晩年のヴァイオリンの為の楽譜を前にいろいろ思ったことを喋るわけですわ。こういうのって、まずありそうでない。無論、クラリネットやらヴィオラの為の楽譜をほぼまんま弾くわけで、音域が低いことに関してはまあ、誰でも判ります。第3楽章トリオの書き直しとかも、聴けば判るといえば判る。

それより面白いのは、転調に関する議論とか、調性の拡大というか不安定化の試みとか、ブラームスも時代なりにいろいろあったんだなぁ、とあらためて思わされます、って話ですな。いやぁ、勉強になりました。


かくて、ブラームスがヴァイオリンに書いた二重奏ソナタ楽章を、わずか10日弱の間に全部聴かせていただくという、なんとも希有なる体験をさせていただいた神無月も恙なく過ぎる。コロナ禍まだまだ続くニッポン列島だって、案外と心豊かになれる場所ではありませんかい。

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