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どうして遙かキューシュー島で… [音楽業界]

数日前に大きな噴火があったという桜島、昨日からはいつものように鹿児島市内からは右の隅っこ辺りから煙が上がっている毎度ながらの状態みたい。
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たびの空の温泉県田舎者には、よーわからんけどさ。

第49回目を迎える日本フィル九州ツアーも、キューシュー島首府たる麻生福岡帝国から始まり反時計回りに移動、最南端となる昨日の鹿児島公演で折り返し、裏九州たる日向灘側を北上、最後は久大本線長崎本線沿いに突っ切り千秋楽の佐世保に至ります。やくぺん先生ったら、コロナ禍に引退宣言をし拠点を温泉県大分の盆地に移した縁もあり、一昨年の再開以来近場の九州島北部地域は眺めさせていただいてたんだけど、今年は演奏旅行も本格再開。引退宣言撤回したこともあり、もうこうなったらいちど全部付き合うか、ってなわけでぇ、全9公演追いかけている次第。

そもそもやくぺん先生、新日本フィルさんとは本拠地をすみだトリフォニーに移したときから13年間当日プロ執筆担当をしたり、佃からチャリチャリ行けてその頃の拠点たる佃と葛飾の真ん中にある錦糸町というがホームベースだったしたこともあり、いろいろご縁があったものの、ある時期から遙か東京の西に拠点を移した日本フィルさんとは…1980年代初めかなぁ、渡辺あけさんが復帰し、最後のシベリウス・チクルスを定期でやったとき(DENONが「世界で初めてのデジタル録音によるシベリウス全集」と煽ってボックスレコード作ったときでんな)に会員になったことがあるくらい。お仕事としても殆どしたことがなかった。

ところがどっこい、なんのかんので2011年3月の香港藝術節に日本フィルが出演するのに同行することになり
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-03-15
リーマンショック後のオーケストラ存続の危機に金融業界から乗り込んで手腕を発揮していた今の理事長さんたる平井氏が「オーケストラの運営の話にも珍しく興味を持ってる書き手」と思ってくれちゃったこともあり、オーケストラ団員やらからではなくそっち方面からの付き合いとなって、あとはなんのかんの。もうその頃はNJPの曲解仕事は青澤のたかあきら氏なんぞ若い人に渡していたし、そもそも「オーケストラ」というものには商売として付き合うつもりはない、ってか、敬遠してきたけど、まあこれもなにかの流れなんじゃろなぁ、と大植えーちゃんとの韓国ツアーに付き合ってまだピカピカのロッテホールの大盛り上がりを眺めたりもしたり。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2018-11-02

そんなこんなで、今、桜島眺めるの宿で宮崎への移動の準備をしているところなのであーる。

この日本フィルツアー、日本フィル4月の下野定期当日プログラムに「マエストロ下野故郷九州を駆ける(仮)」てな原稿を入れるのが直接のお仕事でありまするがぁ、勿論、裏の流れがある。ぶっちゃけ、『ゆふいん音楽祭~35年の夏』なる拙著と同じ関心なんですわ。その地域拡大版、かな。

コンサートホールにいらして音楽を聴くのを楽しみになさっているほぼ全てのファンにしてみればどーでも良いことなんじゃろが、このツアー、世界を見渡しても極めて特殊、というか、誠におかしなやり方をしているのでありまする。

当たり前のオーケストラ地方公演は、地方の音楽事務所やら労音や音協、民音などの鑑賞団体、最近では地方公共団体が税金で運営している文化財団、教育スポーツ財団、ホールの指定管理者、などが主催者。そこが何千万円だかでオーケストラ公演を買って、そこが責任をもってチケットを売ります。オーケストラ側には原則、リスクはありません。ま、個人のサロンでお金持ちがポケットマネーで出来る額ではありませんから、資本主義社会で生きる以上、当然といえば当然ですね。

ところがどっこい、この日本フィル九州ツアー、主催者は「●●日本フィルを聴く会」とか「××日本フィル実行委員会」とか、要は映画やアニメ制作なんかではお馴染みの「実行委員会」が主催者となっている。組織として法人格はどうなってるか知らんけど、あくまでも任意団体で、NPOやら社団法人ではありません。無論、公益財団法人なんてガッツリした組織であるわけはない。毎年の学祭やら町の神社のお祭りなんかを運営するテンポラリーな任意団体みたいなものが九州の特急が停まるくらいの各都市に存在し、そこが共同で連続する日程の演奏会を作って主催者となり、各地の公共ホールなどを借り、年に1度だけ日本フィルを遙か杉並から招聘、日本フィルも共催となって自分らのリスクでツアーを行う、というものであります。ま、お判りになる方はお判りになると思うけど、つまるところ「ゆふいん音楽祭」実行委員会と同じやり方、ローカルな年に一度のお祭りですわ。

そんなやり方には、利点もあれば、当然、問題点も多々ある。「誰もやらないことには訳がある」という有名すぎる格言そのまま、このような実行委員会連合形式でのオーケストラ招聘が他に例がない、少なくとも半世紀近く続いているなんてところは世界にも他にないのには、挙げていけばキリがないほどの理由があるわけですな。アートマネージメント専攻の学部生やら博士前期課程の諸君、さあ、明日までにその理由を最低3点挙げるレポートをやくぺん先生のところに出してくるよーにっ!優秀者には温泉県1泊無料宿泊を提供しよーではないかっ。「北海道、東北、中国四国で行われていた同様の地方ボランティア実行委員会主催形式の演奏旅行は全て無くなったのに、何故九州でだけ続いているのか?」に明快な答えを出せたら、生涯フリー宿泊を保証いたしますじゃ。

もといもとい。なんせ始まったのは1975年、初期の実行委員の核となったのはその2年前に日本フィルを解散したフジテレビに対し法定争議を行う旧組合を支援する放送労連だった、という経緯からお判り、正に『炎の第5楽章』の世界でありますわ。労音が支援、と思ってらっしゃる方も多いようですが、労音とは別組織で、もっと「職場内同好会」っぽいもんだったようです。

Z世代以降の若いニッポン国民には想像を絶することかもしれませんけど、遵法闘争スト権ストで「組合は日本国民の敵」という印象操作を完成させつつあった1970年代前半から半ばのニッポン社会にあって、未だに「マスコミ」は資本や国家権力の敵。テレビアナウンサーが政治家になるときは、野党からの立候補が当たり前。90年代以降「楽しくなければテレビじゃない」になってからの与党自民党を支える勢力としての大手マスコミ(今時のSNS言葉を使えば「マスゴミ」でんな)となる以前の、遙かな昔話なのじゃよ、若い衆。

事の経緯はどうあれ、時流れて日本フィルの争議は和解し、「裏切り者のオザワ一派が出ていった後のオケを救ってくれた創設者の渡邊あけさん」なんてまた別の神話でカバーアップされ、今や現場ではそれすらも忘れられつつある2024年の春節今日この頃。ゆふいん音楽祭とほぼ同じ、ってか、全く同じ時期に始まったイベントの半世紀をどう評価し、未来に繋げていくか、はたまた繋げる必要なんてないのか?人生最後の10数年をキューシュー島ベースに過ごすことになりそうなやくぺん先生とすれば、お世話になる土地への税金みたいなものとして、眺めていくべきなんじゃろなぁ…ってことなのでありますわ。

こういうイベントの空気は、実は演奏会の会場だけでは全然判らない。ゆふいん音楽祭でいろんなものがぶっちゃけ見えるのが、演奏家と実行委員らが入り乱れ本音飛びまくる連夜の酒席だったように、終演後の交流会を眺めるしかない。ところが、コロナ禍で中止欠番になった2021年以降、インキネン来日不可能で代打若手で切り抜けた22年、広上指揮でまわったとはいえまだまだ恐る恐るの感は否めなかった2023年と、終演後の無礼講交流会は開催されておりませんでした。カーチュンでまわる予定という来年の50年記念ツアーを前に、やっとホントの雰囲気を眺めるチャンスが至ったわけで、これは付き合わないわけにいかんでありましょう。昨晩の鹿児島は宝山ホールから徒歩数分、やっと到着したマエストロに盛り上がる交流会、この先、何時まで続いたんやら…
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ま、この取材を日本フィルさんの仕切り以外の形でどうまとめ、どう出していくのか、なーんにも考えてないんだけどさ。

今、霧島の山麓を抜け都城に到着。ここからはまた、別の世界が広がる。キューシュー島はひとつの島じゃなく、山で隔てられた離島の集まりみたいなものじゃからのぅ。

さて、電池があるうちに、昨日の取材メモを整理するか。なんせJR九州さん、車内に電源があるのはシンカンセンだけですから、ふうううう…

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