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松原ともちゃんと道夫先生 [ゆふいん音楽祭]

京都の小さな音楽愛好家の皆様の聖地、御所南の路地のカフェ・モンタージュで、先程、小林道夫先生と我らが松原ともちゃんの歌の夕べが無事に終了しました。二晩連続の、第二夜。終演後、サインの列にニコニコ応えるともちゃんと、ほっとしたような顔で(?)見守る道夫先生。
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なんせたった50人が階段の下の地下に詰め込まれた狭い空間、文字通り「息づかいまで伝わる」場所ですから、300席とか500席のホールでのご披露とはまた違う難しさもあったでしょう。それでも、新帝都の新帝戴冠騒動とは無縁のここ古都の裏道の夜に相応しい、地味ながら素敵な夜でありました。道夫先生、いろいろとご心配をなさってる皆様も多いでしょうが、いつも通り。終演後は、「まだ弾いても大丈夫ですかね?」などといつもながらのご発言。

思えば、ゆふいん音楽祭に松原友ちゃんが登場し、一気に「ボランティアのみんなのともちゃん」の人気者になったのは2002年のことだそうな。思えばたった一度のゆふいん登場、それも前夜祭で一曲歌っただけ。あとは道夫先生の付き人というか、助手さんというか、ボランティアのみんなと同じ裏方さんだった歌の学生さんが、みんなにとっても大事な記憶とされ、思い出されている。その後、派手とは言わないけどちゃんとしたキャリアをお積みになり、今や、こうして道夫先生ときっちりと演奏会をなっている(恐らくは小澤征爾氏最後のオペラ映像収録になりそうな松本の《利口な牝狐の物語》で酒場の主人役で出演なさってますっ!)。

今回のカフェ・モンタージュへの道夫先生との登場は、こんなお土産をひっさげてでもありまする。ほれ。
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一般の発売はまだちょっと先のようですけど、あと数週間でネットでも店舗でも買えるようになるみたいですので、しばしお待ちを。

このディスク、オンラインで聴くだけではダメなビッグなおまけがついてます。なんとなんと、曲目解説を道夫先生ご本人がお書きになってるんですわ。これはもうー、買うしかないでしょ!

ちなみに、まだおおっぴらには言えない話なんですけど…帝都が灼熱地獄の世界大運動会で阿鼻叫喚の地獄絵となっている頃、遙か由布岳の麓では、久しぶりに道夫先生が音楽祭に登場なさるやもしれぬとのこと。さあ、新帝都住民よ、九州移動の準備をせよっ!!

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加藤のくにちゃんがバッハを弾くと… [演奏家]

どうやら新帝都中心は宮殿前広場では新帝戴冠祝賀式典が賑々しく取りおこなわれるらしい秋の午後、皆々様はいかがお過ごしでしょうか。数日前、こんな時期にトーキョーに居座って呆れるようにいろんなオーケストラ聴きまくってる某カナダ在住米国人同業者氏から「体悪くして日本にいるんだって、じゃあ、どっかのホールで会えるね」って連絡があり、お互いの日程を付き合わせたら、なんとまぁ、ベルリンフィル、ヴィーンフィル、コンセルトヘボウ管、フィラデルフィア管と世界各国から新帝祝賀のフェスティバルに結集しヴィオラ中心に力一杯に弾きまくる…わけでもない突拍子もない新帝都にあって(あたしが文化庁の偉い役人なら、政権党のアホな政治家の顔色見てる暇があったら、宮内庁とつるんで各音楽事務所主催者ホールに「新帝祝賀フェスティバル」の菊の御紋章押しつけて歩くけどなぁ)、そんなもんのどれにも顔を出さず、記者会見にも行かず、弱小室内楽団体やら無名作曲家、零細オーケストラ、貧乏現代音楽集団らを眺めて歩いてる酔狂な隠居爺であることが今更ながらに判明し、我が身を呆れるばかりであったのじゃわい。いやはや。

んでもて、昨晩はこれって殆ど木枯らしじゃね、と言いたくなるような風に吹かれ、新帝祝賀ヴィオラ・フェスティバル、ならぬお祭り騒ぎの準備進む馬場先門から霞ヶ関抜け、チャリンチャリンと溜池に至った次第でありました。目的は、こちら。
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右側の方ですっ。公式のサイトはこちら。
https://www.kuniko-kato.net/ja/home-j/
バッハの無伴奏弦楽器作品をマリンバ独奏で弾くという、既にディスクで世に出ていて、高い評価も受けている再現のライブでありました。こちらがディスクの紹介。
https://www.hmv.co.jp/news/article/1704060037/
ブルーローズを縦使いにし、高くしたステージの上にマリンバが置かれただけのシンプルな演奏会、中身に関しては「あああ、そういえばこの方って、床にべったり座り込んでなんかぼそぼそ呟きながら小さいけどとっても綺麗な音でなんかカンカラ叩いてるちょっと変わった打楽器さんだなぁ」という前世紀末頃、池袋の喫茶店だかで初めての彼女のCD曲解を書くための打ち合わせで初めて出会って、えええサイトウキネンに乗ってましたっけ、気がつかなかったぁ、なんて情けない会話をして笑われた頃のお姿を、久々に思い出しましたです。小さい体に髪振り乱しエネルギッシュにクセナキス叩いてたり、若い生徒達の前ですっかり先生というよりもリーダーとして音楽作りを引っ張っている逞しい近影の向こうに、インディーズで自分の曲出してますぅ、って感じの、70年代フォークの世界の隅っこにちょこんと静かにいらっしゃりそうな空気感。とりわけイ短調ソナタのアンダンテ楽章のピアニッシモから、マレット2本だけに持ち替えたアレグロへの音色の変化、ハ長調ソナタのフーガの意味を響きの中に解体変容しちゃってるような静けさなど、ああああ、小さい綺麗な音が素敵な加藤のくにちゃんだぁ、って凄く懐かしかったでありまする。

うううん、どうも最近、物事に対する関心が爺くさくて困るなぁ。ま、しょーがないけどさ。

そんなこんなの時間が過ぎ、それにしてもこの会場でああいう繊細な響きの差がよくまあ聴こえるものだなぁ、とあらためて当日刷り物を眺めるに、一番最後に
transcribed and performed by kuniko
sound design by yuji saga
とちっちゃく書いてある。このサウンドデザインってなんじゃらほい、とスタッフさんに尋ねると、なるほど、この演奏会、もちろんライブでありますが、音響的な補正が行われているそうです。ほれ、と指さされた方を眺めると、確かにいちばんうしろにこうこう方々が控えていた。
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なにをどういう風にやっているか、立ち話で説明は受けたのですけど、正直、やくぺん先生にはほっとんどわーかりませーん。ゴメン。でもともかく、ディスクでの演奏を聞き込んできた方々に可能な限りそのイメージを崩さないような、空間全体としての音作りをしたとのこと。

なるほどねぇ、これが21世紀10年代終わりの「ライヴ」のあり方なんだなぁ。

先頃のアムステルダムでの《光》サイクルでも感じたのですが、ともかくライブでの音響補正は文字通りの日進月歩。人が音楽を聴く環境がオーディオルームという閉ざされた特別空間ではないのが当たり前になってきている状況に合わせ、ライブのあり方も変わっていって当然なわけだしさ。

どんな状況になっても、加藤のくにちゃんはそこらにペタンと座り込み、その辺にあった棒で周りを叩いて、あ、綺麗な音がするな、ほら、こんなにちっちゃい音だけど…ってしてる。それは全然変わってないし、その密やかな素敵な音がみんなにも聴こえるようにするのは、当然といえば当然のこと。

多分、あたしゃ、ディスクでは聴かないだろうけどさ。

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あらためてメンバー交代について [弦楽四重奏]

昨日は鶴見でドーリックQを拝聴させていただきましたです。ううん、10年代前半くらいには、やくぺん先生は「今、若手で聴く価値があるのはこいつらだけだ」と断言していた団体だけに、いろいろ考えさせられることが多かった公演でありましたです。以下、結論のないグダグダした駄文ですので、読んでも時間の無駄になるだけですから、もうここで止めるよう忠告いたしまする。

今や21世紀10年代後半の関東首都圏に於ける弦楽四重奏の聖地と呼ばれるサルビアホールなる余りに特殊なヴェニュ、シーズンともなれば2週間に1回くらいは世界のいきの良いクァルテットが聴ける響きの良すぎる特殊な空間となっていることは、今更説明など必要なないでありましょうぞ。

さても、昨日のドーリックQを含むこの先月から今月にかけての3回分のチラシが、こちら。
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渋い、と仰られる方もいらしゃるかもしれないけど、やくぺん先生にはきら星に見えますねぇ。なんせ、1991年ロンドン大会でメニューイン翁が絶賛し優勝したヴィーハンQ、大阪で優勝しその足でレッジョに乗り込んで前回大阪優勝のベネヴィッツQと死闘を繰り広げ余りにキャラが強すぎて一部の審査員から嫌われて連覇はならず2位となったドーリックQ、そして言わずと知れた大阪第2回の覇者ヘンシェルQ、ですから。正直、これらの団体が「みんなが知ってる現役バリバリ最高峰レベルの団体」と人々に認識していただけない現状は、ひとえにあたくしら関係者の力が足りないからでありまして、大いに反省せねばならないとは思っておりまする。ハイ、すいませんです。

ま、それはそれとして(ちっとも、それはそれ、じゃないんだけど…)、このチラシに並ぶメンバーの顔を眺めるに、うううん…と腕を組んで考え込ざるを得ないのも事実でありまする。

なんせ、ご覧のように、ヴィーハンQのチェロとしてにっこり微笑んでるのは、かのプラジャークQのチェロ君その人。ブリテン島にーちゃん4人だったドーリックQも、なんと半分がフランス系と中国系の女性。ヘンシェルQもお馴染みだった顔ぶれの中に、太ったおにーちゃんがいる。つまり、それぞれに20余年と10数年という時間の長さの違いはあれど、各団体を世に出したコンクールのときと同じ顔ぶれで会社を運営しているところはひとつもなし。ひとりくらいは代わっているのが当たり前、ってのが現実なのであーる。

職業上、やくぺん先生は原則として「弦楽四重奏団は団体としての人格が基本で、メンバー交代は当然である」という立場を取らせていただいておりまする。だってさ、一応、弦楽四重奏が団体を名乗る限り、演奏メンバーとは別に音楽監督がいるオーストラリアQみたいな極端な例はともかくとして、本来論ずるべきは個々の奏者ではない。つまり、プチオーケストラでありまする。ベルリンフィルとかN響とかいっもう年がら年中メンバーは入れ替わっているわけだし、エキストラ奏者だって常にいっぱいいるわけだし、10年もすれば団員は4分の1くらいは入れ替わってしまうもの。弦楽四重奏団もそういうもんと思うべし、ってこと。善し悪しではなく、ひとつの立場。クァルテットの側も名乗る以上はそういうもんだと腹を据えて欲しい、という淡い希望を込めて、でありまするが。

日本の室内楽ファンの皆様がメンバー交代に極め敏感であるという現象は、ぶっちゃけ、ワールド・スタンダードからすればかなり特殊です。これまた善し悪しではなく、現実としてそう。

そもそもニッポン列島拠点の団体の場合、弦楽四重奏のメンバー交代というのは起きる必然的な理由が殆どない。だって、メンバー交代が起きる最大の理由は、ぶっちゃけ、収入と生活の問題。日本の弦楽四重奏は、音楽的にやれると思った連中が実質手弁当で集まり、持ち出しで年に数回の演奏会を行うのが実情。そんなこと、当電子壁新聞を立ち読みなさっているようなすれっからしの皆様なら、口には出さなくてもご存じなことでありましょう。
上手くいっている方はオーケストラとか学校の先生とか定期収入を確保する、上手くいっていない方はスタジオとか臨時編成オケとか、まあ、いろんな方法で稼いでくる。で、弦楽四重奏はそんなつらい音楽家人生の魂の泉、純粋な情熱をぶつける特別な場所である。そうであれば、これは解散もメンバー交代もない。やりたいときにその団体の名前で集まれば良い。←批判している訳ではなく、そういうものだ、というだけのことです。

ひなみに世界の若手団体が米国合衆国を目指すのは、「弦楽四重奏として学校が4人を雇う」レジデンシィのシステムが1980年代終わり頃にはっきりと確立し(誰がそんな制度を作ったかも判ってますが)、それがいろんなレベルで存在しているから。結果、弦楽四重奏として完璧に生活が保障されるポストがいくつか存在いている。存在しているからです。これもトランプ政権になってからはちょっと危なくなってきているところがあるが、ま、まだそれなりに続いている。

もとい、そういう米国型システムとはまた別に、ワールドワイドなメイジャーレーベルが録音をばらまく形でプロモーションをし、年間に70回とかのきちんとギャラが出る本番を重ねることで弦楽四重奏で喰っている数少ない旧来型のメイジャー常設団体というものは、ホントのこと言うと今や世界にどれだけの数あるかわからないけど、その代償にとんでもない生活を強いられる。「年がら年中同じ奴らと顔つき合わせ、嫁や子供よりも一緒にいるので、もういい加減に嫌になってくる」とか、「年間に4ヶ月から半年くらい家を空けていて、まともに家屋や子供と付き合うことが出来ない」とか、人としての生活の問題(今風に言えば、「ブラック企業」ということ)が常に起きてくる。
常設弦楽四重奏団という言葉が「決まったメンバーでやる弦楽四重奏団」という意味で、それが稼ぎの中心にあるわけでないなら、こんなブラックな生活を敢えてする必要などない。好きでやってるのだから、音楽的な違いが出てきて集まって一緒にやるのが苦痛になったら、もうやらなきゃいいだけのこと。

以上、あくまでも一般論でありまして、プロムジカとかマリカルとかはどうなんだ、ハレーだって随分交代したじゃなか、と言われれば…ま、それぞれが興味深い別の話になるので、今はしません。それは老後の楽しみに…って、もう老後じゃんかぁ!

もといもとい。実は今、サントリーホールの前の吹き曝しのテーブルで木枯らしと呼ぶにはまだちょっと早いんだろうが十分に冷たい風に晒されており、もういい加減にこんなどーでもいい与太話を止めたいので、ながあああああい前置きの結論に飛び込むとぉ…

どうも、21世紀の10年代も終わりの今日この頃、「常設弦楽四重奏のメンバー交代」の意味がちょっと違ってきてるのかなぁ、と感じさせられるんですわ。

ぶっちゃけ、メンバー交代が極めて難しい団体が増えてきているような。良くも悪くも「この4人のメンバーじゃないとやれない」という芸風を結成初期段階から表に打ち出し、「団体としての個性」を最初から売り物にする連中が目立ってきた。その扉を開いたのがエベーヌQで、ちょっとキャラは違うけどドーリックQは正にそういう団体。その後、ヴィジョンQとか、いろいろ出てきている。

弦楽四重奏の団体としての個性なんぞ、20年やってやっと嫌でも出てきてしまうもの。「個性的であろう」と思って作ろうとしても、上手くいくものではない。かつて何度も大物プロデューサーが弦楽四重奏団を作ろうとしてことごとく失敗しているのは、理由がないわけではない。それがちょっと違ってきたのかしら、と思わんでもない。どうしうそうなのか、理由はいろいろあるんでしょうが。

要は、「どーリックのメンバー交代は、まだしばらく結果が出てくるのに時間がかかりそうだなぁ」と思った、というだけのことです。ヴィーハンQやヘンシェルQのような「メンバー交代」のあり方とは対極にあるわねぇ、ってこと。

それだけを言うために、なんでこんなにだらだら綴るんねんっ、アホだぞ、この書き手は。

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21世紀20年代で最も安心して推薦できる《リング》サイクル [音楽業界]

パウントニー演出のシカゴの《リング》、とうとう来るイースター頃にサイクルで上演され、チケットの予約が始まりましたぁ。
https://www.lyricopera.org/ring?fbclid=IwAR3jzCMickkHQvN6bKunZVBgAQQI4E1f4c6XpdAvZMtE-bLck7gvIFQlXzE

上のURLで案内をご覧になればお判りになりますように、このパウントニー演出、今世紀になっていろいろやられたテクノロジーや舞台技術の進歩を巧みに取り込み、「なんかこれ、観たことあるぞぉ」って擬視感満載なんだけど、でもそれがちゃんと上手い具合に舞台の流れの中に収まっているのでつるっと観られる舞台になってます。…ても、《ヴァルキューレ》だけ眺めて言ってるんだけどさ。わ、当電子壁新聞になんか書いたと思って調べたら、どーでもいい幕間飯の話しかしてないじゃないかぁ。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2017-11-30

ヴァーグナーを煩いこと言わずに眺めたいという方も、ヨーロッパのムジーク・テアター系演出を眺めて突っ込みたいマニアの皆さんや評論家諸氏も、必ずや「まあ、これならいいんでないかい」と満足出来るであろうバランスの良さ。流石に巨匠と呼ばれる演出家さんのお仕事でありまする。ホント、ブンカコッカたるニッポン国のナショナル・シアターに欲しいのは、こういうレベルの舞台なんですけどねぇ。

今や太平洋を越えるフライトなど想像も付かない体になってしまった病気持ち隠居爺のやくぺん先生には、遙か別世界の話と思うしかないけど、お金と暇がある方は是非どうぞ。通し券はアッという間になくなっちゃうんじゃないかなぁ。マジ、あのメトの舞台装置のハッタリだけで実質上の「演出」あってなきが如き舞台に大枚叩けるお金持ちなら、迷わずシカゴに向かうべしっ!

…別にリリック・オペラからなんぼかもらってるわけじゃありませんから、ご安心を。

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ダネルQの台北トリオロジー完結 [弦楽四重奏]

いよいよ明日11月7日から、ダネルQの台北での大プロジェクト、3年がかりの「ベートーヴェン+ショスタコーヴィチ+ヴァインベルク弦楽四重奏全曲演奏会」の最終ラウンドが始まります。こちら。
https://www.artsticket.com.tw/CKSCC2005/Product/Product00/ProductsDetailsPage.aspx?ProductID=rotyiUrPteSrgsEuOl0Xew
https://www.facebook.com/events/381572899463400/

今時は公式告知がFacebookにもあるんですねぇ、変化を感じることよ。ま、それはそれとして、演目は以下。

11月7日
M. Weinberg: Sonata for Violin & Piano No. 4, Op. 39
L. v. Beethoven: String Trio No. 3 in G major, Op. 9 No. 1
D. Shostakovich: Piano Quintet in g minor, Op. 57

11月8日
L. v. Beethoven: String Quartet No. 3 in D major, Op. 18 No. 3
M. Weinberg: String Quartet No. 1 in C major, Op. 2/141
D. Shostakovich: String Quartet No. 1 in C major, Op. 49
M. Weinberg: String Quartet No. 2, Op. 3/145

11月9日
L. v. Beethoven: String Quartet No. 6 in B-flat major, Op. 18 No. 6
D. Shostakovich: String Quartet No. 6 in G Major, Op. 101
M. Weinberg: String Quartet No. 6 in e minor, Op. 35

11月10日
M. Weinberg: String Quartet No. 9 in f-sharp minor, Op. 80
D. Shostakovich: String Quartet No. 12 in D-flat major, Op. 133
L. v. Beethoven: String Quartet No. 9 in C major, Op. 59 No. 3

11月11日
D. Shostakovich: 2 Pieces for String Quartet (Elegy and Polka)
M. Weinberg: String Quartet No. 14, Op. 122
L. v. Beethoven: String Quartet No. 13 in B-flat major, Op. 130 & 133 "Grosse Fuge"

11月12日
L. v. Beethoven: String Quartet No. 16 in F major, Op. 135
M. Weinberg: String Quartet No. 17, Op. 146
D. Shostakovich: String Quartet No. 15 in e-flat minor, Op. 144

なんせ3年間総計17回だかの演奏会、弦楽四重奏曲の数はベートーヴェンは16曲、ショスタコーヴィチ15曲、ヴァインベルクは17曲なので、毎回各作曲家1曲づつという綺麗な割り振りは出来ない。んで、あれこれ頭を捻って、今回のようなまとめ方になったわけですな。ピアニストを出してくる、という手があったかぁ。

やくぺん先生、最初の年の一回は聴けたものの
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2017-06-20
昨年はミラノでのクルターク新作オペラの世界初演などがあり、ダメ。今年は今日くらいに出て明日から張り付くつもりだったが、夏の終わりの病人認定で国外に出るお許しが出るか判らず、早々と諦めざるを得ませんでした。時間とお金がある方は、今からでも遅くないから、是非、台北までお出かけ下さいませ。値段、連絡先なんぞはこちら。

票價 500.800.1200・1600・2000
兩廳院之友9折 購買十張以上85折
其他相關購票折扣 請洽鵬博藝術 (02) 2941-2155 0920-255-972
購票詳細資料請看兩廳院售票網http://www.artsticket.com.tw/ ibon

なお、台北のリベンジはアムステルダムで、ってことで、12月8日のヴァインベルク100年目のお誕生日はムジークヘボウで12月6日から3日間でダネルQが弦楽四重奏曲全曲を演奏仕切る「ヴァインベルク・マラソン」に参加、やくぺん先生もダネルQの皆々様と一緒に日米開戦記念日ならぬヴァインベルク生誕祭を賑々しくお祝いすることにしましたです。
https://www.muziekgebouw.nl/agenda/themas/188/Weinberg_Marathon/
ヴァインベルク100年祭、ホントに盛り上がってないのはニッポン国ばかりだなぁ。いやはや。

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自由が丘で音楽祭 [音楽業界]

マイカテゴリーに「コンサートスペースにいこう」ってのを作ったような気がしていたんだけど、ないなぁ。ま、「音楽業界」で問題ないんだけどさ。

昨日、微妙な曇り空になってしまった文化の日の目出度い休日に、はるばる東京湾岸からバス乗り継いで(東京駅南口丸ビル向かいから、等々力営業所行きという新帝都を南西にひた走る東急の長距離路線バスが出ているのじゃ!)、「自由が丘クラシック音楽祭」なるプチイベントに伺わせていただきました。
https://www.jiyugaoka-cmf.com/
この公式サイトをご覧になればお判りになりますように、住宅地の真ん中のスタジオくらいのコンサートスペースを備えたお宅(ってか、お宅兼事務所)を会場に、個人がコンサートスペースで開催するプチ・フェスティバルであります。っても、プログラムには何故かしっかり協賛企業なども並んでおり、出演者名も含め、少なくとも100人クラスのキャパがある会場で行われるローカル・フェスティバルには思えてしまうんですけどねぇ。

電車だと自由が丘とか九品仏とかから歩きなさいということなんだけど、まさかのバスでアクセスしたやくぺん先生ったら、新帝都中央駅から日比谷公会堂を眺め、総務省の横で曲がり、東京タワーを仰いで、明治学院大学の手前で目黒通りに入り、権野助坂下って、広大な世田谷の西端にやっと到達。産業経済大学前なんて馴染みのないところでバスを降り、多摩川の方に向けてなだらかに波打つ丘を下って横道に入ると、おやまぁ、こんなことになっとるわい。
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住宅地の中の一軒家、一階はどうやら建築事務所のオフィスになっていて、上がコンサートスペースらしい。ロビーも何もないようで、奥のアパートにアプローチする私道(なんだろうなぁ)で受付をしますです。
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待ってるところもないので、こんな整理券をいただき
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人の流れをなんとなく眺めながら、周囲のお宅にご迷惑をかけないように静かにしてる。やがて番号を呼ばれ、二階に昇れば、ピアノが据えられ上には一席分の回廊が巡らされた十畳くらいのスペースに40席くらいがギュウギュウに詰め込まれている。ここが会場であります。

そうねぇ、基本四角いだけの空間で、感じはムジカーザをもうひとまわり狭くしたくらいかしら。随分昔だけど、トロントからバスで2時間くらい行った「トロントのつくば」とも言うべきキッチナー・ウォータルーという大学街の音楽協会にダイダロスQの演奏会を聴きに行ったら、会場は明らかに引退した大学の先生のお宅で、まさかそんなところが会場とは思わずに延々と迷ったことがあった。あのお宅を思わせるなぁ。要は、北米の地方音楽協会なら、これくらいの場所で開催されることは珍しくはない、ってこと。カントゥスQの大島さんは、こういう場所は慣れたもんで、とりたてて驚かないんじゃないかしら。

こういうコンサートスペースでの演奏会は、どういう方が主催なさっているかでキャラクターが全て決まるわけだが、ここはこういう方です。読めるかなぁ
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ミューザ川崎の設計をなさった方だそうな。ま、いろんな意味で納得しますね。

某神楽坂の専門誌で『コンサートスペースにいこう』という連載をしている頃なら、確実に取り上げていた場所でありましょう。あの連載後、こういうプライベートな100席以下くらいの場所でのコンサートも随分と表に出てくるようになっているので、当無責任電子壁新聞を立ち読みなさってるような酔狂な皆様なら、今更どうこう言うこともないでありましょう。ただ、この規模で、このラインナップで、しっかりスポンサーなど取ってやっているって、どういう風なことになってるのか、いろいろと判らないこともある。ま、それはそれ。いろいろなやり方があるんだろうなぁ、ぐぁんばっって下さいませ、で十分でありましょう。

中身については、ラインナップをご覧になった通り。久しぶりのカントゥスQは、お得意の米国20世紀の響きを日も暮れたブンカの日の世田谷に響かせる。若きエリオット・カーターの上品な叙情が、フォンテーヌブローの森から霧のブリーカー街を抜け、自由が丘の秋の夕べの風の冷たさの中に溶けていく
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この広さと距離感で最もフィットするのは、東フィルの若く逞しきヴィオラのドン、須田女史が無伴奏で楽器と戦うヒンデミットの乾いた雄叫びであったのは、当然でありましょうが。

世田谷は鎮守の森の向こうの隠れ家的なプチ音楽祭、来年もモルゴアの荒井さんなどの出演で開催されるとのこと。ご関心の向きは、近くなったら情報に気をつけていて下さい。なんせ公式には各演奏会35席、こういうコンサートスペースでのイベントって、あっという間に席などなくなっちゃいますからね。

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伝統的現代音楽お勉強の秋 [現代音楽]

新帝君臨するニッポン国、秋ともなれば何やら知らねどブンカブンカといきなり声高になり、ましてやブンカ(や、そこをどうやら統括していらっしゃるらしい官庁)が世間を賑わす大騒動を次々と引き起こして下さる今年、正にブンカの年でありましょうぞっ。

だから、でもないのだろうが、どいうわけかこのブンカの日連休に、狭い狭いゲンダイオンガク業界でも新帝都で大きな催し、ってか、お勉強会がじみぃになされているのでありまする。ひとつは、そのキャパシティの適切さと何でもやらせてくれる会場側の太っ腹さから、すっかり東京東の「ゲンダイオンガク」の中心地となりつつある両国に引っ越した門天ホールで、こんなん。
http://www.monten.jp/EP3
特に明日ブンカの日は、「今や再生などが面倒なことになっていて実質演奏が不可能になりつつある初期テープ音楽とピアノのアンサンブル」という、懐かしくも麗しいゲンダイオンガクの伝統を今に伝えようという貴重なことをやってくれる。このテーマ、本気で論じ始めると極めて興味深い「メディア論」で、昨今のレコードやらカセットテープのリバイバルとも関係なくもないのだろーなー、と妄想せざるを得ないのだが、ま、それはそれ。

もうひとつは、伝統と格式の南青山は高橋是清公園周辺、かつてのとんがりブンカの発信地のひとつだった「ドイツ文化会館&草月会館&カナダ大使館」の一角で行われている「ベルリン・東京 実験音楽ミィーティング」なるイベント。昨日は、この関係者のみ一見さんお断りみたいな、地味というか、超蛸壺なイベントの中でも最も広く世間に開かれた「ヴチコヴァ無伴奏ヴァイオリン演奏会」なるものをご紹介しました。これマジ、(演奏会を開催する意義という意味で)今年の神楽坂コンサートベストテンに入れてもええんでないか、と思わされる立派なものでありました。

そんなわけで、本日も溜池の超メイジャー大ホールでラザレフ御大がグラズノフの短調交響曲なんて珍なるものをやっていただけるので拝聴させていただき、聴衆の9割がお目当てであろう後半の《火の鳥》全曲をパスって、だらだらと休日の米大使館宿舎脇から新帝都の超高級住宅街を抜けて、新帝のお住まい裏まで参ったわけでありました。

昨日ご紹介した作品を手がけたベルリン在住のアーティストさんがディレクターをなさっている、これまた伝統のゲンダイオンガクを今に伝えるいかにもブンカの日に相応しいフェスティバル、最大のポイントは演奏会じゃなくて、セミナーであるのはお判りでありましょう。ベルリンで活動する「即興演奏」の大家を集め、どうしてこんなもんに関心を抱いたかはともかく、日本の若いアーティストさんやアーティストを夢見る学生さんやらにセミナーを行い、人間関係をつくっていただき、こういうもんを本気で教えてくれている学校があるドイツに留学するにはどうしたらいいか、どこに先生がいるか、資金はどうしたら良いか、などなどの情報交換をする場所なのであります。一見さんお断り(ってか、いてもしょーがない)世界でありまする。

この類いのネタに関心がない方には「即興演奏の勉強ってなんじゃ?」とお思いでしょうねぇ。いや、その通りで、「即興演奏」なんだから己が感性の赴くままに好き勝手なことをやればいんじゃろ、と思いでしょうねぇ。正にその通りなんだろうが、どうもそういうもんでもない。「即興」という言葉の意味が違うんですわ。

ここでセミナーが開催され、その道の大家が存在し、勉強の仕方や先生や学校までちゃんとある「即興」とは、誤解を恐れずに言えば、「普通の意味での楽譜に書き下ろして記すのが極めて難しい特殊な奏法での再現」という意味です。で、先程行われた「即興演奏コンサート」とは、「特定の奏法に秀でた巨匠級のアーティストが、それぞれが個人様式として確立した奏法を持ち寄り、指揮者や譜面なしでアンサンブルを作り上げる」というもの。同じ演奏の再現は二度はあり得ないという意味での「即興演奏」であります。

まずは、やくぺん先生がグラズノフのどロマンティックな世界にちょっと辟易としていた頃、極めて多彩な声の表現のカリスマ巨匠ウテ・ヴァッサーマンがワークショップをやり、日本の参加者を鍛えてました。こんなんやる方。
https://www.youtube.com/watch?v=ZvYTJDUlzQE
即興演奏の冒頭には、ヴァッサーマン女史率いる先程勉強した皆さんのアンサンブルが、様々な声の表現を聴かせてくれる。ヴァッサーマンは実質的に指揮者で、彼女が特殊声楽マシンとなった参加者さんたちにキューを出し、その場で先程学んだ声の使い方を様々に披露する。ま、確かに譜面もなく、再現不可能なアンサンブル、即興でしかないのだが、決して「好き勝手に感性の赴くままにやっている」というわけではなく、ちゃんと周囲や前後のやってることを聴いて繋げていく究極の自発的なアンサンブルなわけですわ。

この「即興コンサート」、そんなような再現がそれから延々と1時間半くらい続きます。次に登場したのはベイルート生まれのトランペットを基本にする即興の大家で、トランペットというモノをあれこれいじり回し、いろんなことをする。垂直に立てたラッパ口にプラスチックのお皿乗っけて、そこにいろんな物を入れて振動させて音を出したり、とか、懐かしの「騒音系」としか言い様がない極めてダダイズムっぽいもんをやってくれる。ターンテーブルをいじるDJさんたちが登場し、足立ディレクターも加わるトリオのパーフォーマンスは、耳も聾せんばかりの騒音の中で叫んだりわめいたり。
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さらにはヴチコヴァ女史がDJさんと共演し、最後は声、ヴァイオリン、コントラバス、DJというベルリンからの実験音楽の巨匠たちの即興アンサンブルで盛り上がる、というもの。いやぁ、音圧に抗するだけで十分に疲れたぁ。

こう記すと、相変わらずのダダイズム、騒音音楽、バウハウス、はたまた60年代前衛系ハプニングまだやってるのか、とあきれ顔の方も少なからずいらっしゃるでありましょう。前衛の時代が終わり半世紀、こういう様々なもんは時間の中で淘汰され、生き残ったものは、今や20世紀後半以降に開拓された表現のひとつの表現のあり方として教えたり教わったりするものになっている。前述のように「即興」とはいえ、譜面に書かれたものを再現するのと質的に何が違うわけではなく、再現が出来ないという違いがあるだけ(譜面に書かれたって、ホントは再現など出来ないのはこの時代を経てきた人々ならよーくご理解なさってるでしょうけど)。

ヴァッサーマン女史のやってることなど、そーねー、あああキャシー・バーベリアンみたいだ、て思う方は多いでしょうし、今時の「現代オペラ」では完全にひとつの表現法になってるもので、これにある程度の時間に配置されたストーリーがあったり(なかったり)して再現可能性が保証されれば、所謂「オペラハウス」が実験劇場でやる新作でござい(シーズン終わりのベルリン・ドイツ・オペラがシリーズで出してるような)と言われれば、そのままああそうですか、と納得しそう。トランペットさんの即興演奏なども、《光》チクルスの中でミヒャエルがこういう風にやるシーンがあるのです、なんて言われれば信じちゃいそう。

つまり、完全に今の「ゲンダイオンガク」語法として広く世間に認められている類いのものなんでありますね。それぞれのやり方はきっちりあるが、余りに相互の方法論が違うので、こういう異種間格闘技みたいなセッションも成り立ち得る。そのぶつかり合い方、ぶつけ方を議論することも可能になる。

パーフォーマンスのレベルがここまで高いと(正直、DJというジャンルは良く判らないけど…)なるほどねぇ、こういう世界がしっかり広がっているのだなぁ、と納得さざるを得ぬものばかりでありました。ついでに、「21世紀に最も重要な楽器って、アップルコンピューターとスピーカーシステムなんだなぁ」と間抜けなところに感嘆したりして。

かくてブンカの日の週末は、全く世の役に立たぬ(=アート)喧噪の中にくれていくのであった。こういう「ブンカ」が堂々とやってられて、こういうもんをやりたいなんて突拍子もないアホなことを考えちゃった世界中の若者を受け入れてくれるベルリンでいて欲しいものであります。トーキョーってば…ま、これで良いんじゃないの、としか言いようがないわな。

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世界でひとりしか演奏できない作品 [現代音楽]

夏の終わり頃に病人認定され、当面は遠くにいけない体になったお陰で、ホントに久しぶりにトーキョーという場所で開催されるいろいろな演奏会やらイベントを眺めるようになり、まるで20世紀終わり頃に戻ったみたいだなぁ、なんてノンビリ感じる隠居初心者でありまする。なんでまだ年金貰えないのか、納得いかんぞぉ!

最大の変化は、このところご無沙汰気味だった小規模な、敢えてぶっちゃけた言い方をすれば「マイナー」とか「インディズ」と表現するのが最も相応しい「ゲンダイオンガク」系の演奏会や新作オペラに足を運ぶ機会が増えたことでしょう。まあ、余りにしっかりと確立した蛸壺業界だけに、今更横から眺めて何を言ったところで何が変わるわけでもないし、蛸壺に入ってない方々には全く関心がない、室内楽やら弦楽四重奏以上に関心がないせまああああああああああぃ特殊なジャンルなんでねぇ。

とはいえ、そんな狭く特殊なジャンルでも、ってか、狭く特殊なジャンルだからこそ、内部にはしっかりとヒェラルキーみたいなもんがあって、メイジャーとマイナーはハッキリしている。昨晩は50代から60代くらいのいろんな地道な活動をなさってる作曲家さん達が集まって弦楽四重奏の新作を発表するという地味ぃな演奏会に参上し
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演奏していた千葉期待のチェロ奏者Iくんから「なんで来たんですか」みたいな顔をされたり(作品は、「ああ、これ緩徐楽章はアンコールとかに使えるじゃん」という曲がひとつあって、作曲者さんの経歴をみると、それなりになるほどね、と思わされる方だったりして)。んで、本日は「ゲンダイオンガク」とカタカナ書きの差別用語で語られる類いの、正統派メイジャー系演奏会に行って参りました。場所も正統派メイジャー系、ああ堂々のゲーテ・インスティテュート、ましてやかつて黒い服着た髪の長い美女がむさ苦しいアーティスト系怪しげな親父と連れだって集まった(←この偏見発言についてこられる方は、オッサン認定ですっ!)ゲンダイオンガクの巣窟たる草月会館の裏手。今は新帝がお住まいになる御所の南なんで、高橋是清邸宅跡なんぞで日暮れ過ぎにコンビニの肉まん食ってると職質されちゃう場所なんだけどさ。

そんなこんなで、見物に参ったのはこの演奏会、ってか、シリーズ。
https://www.goethe.de/ins/jp/ja/sta/tok/ver.cfm?fuseaction=events.detail&event_id=21648741
ゲンダイオンガクの演奏、即興にも方法があって、やり方をみんなで議論して…って、今も残るダルムシュタット国際現代音楽祭の伝統、ってイベントです。
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実際、先程の無伴奏ヴァイオリン(正しくは「ヴァイオリンとエレクトロニクスの二重奏」ですけど)演奏会で作品が披露された作曲家の中にも、30代から40代くらいの人で「ダルムシュタットで学ぶ」って懐かしいというか、「ちゃと東大出ました」みたいな経歴が記されている方もおりましたです。

このジャンルといえば、もうなんといっても圧倒的的にアーヴィン御大の存在が光り輝いているわけでして、実際、ディロンの無伴奏曲など、もう誰が聞いても「これはアーヴィンに頼まれて書いたな」としか思いようがない。そんな中で純粋に作品として面白かったのは、オーストラリア国籍の中国系作曲家らしいリザ・リムという方の《蘇頌の星図》という曲。今時常識となった様々なヴァイオリンの特殊奏法、特にグリッサンド系の奏法と伝統奏法のバランスが絶妙で、それなりに音楽に形があって楽しめるもんでした。考えてみたら、中国系作曲家さんでこの類いの現代ヴィルトゥオーゾ系無伴奏ヴァイオリン曲って、聴いたことなかったかも。胡弓を筆頭にグリッサンドや平均律音程と無縁の単線音楽の膨大な広がりがある文化圏からは、まだまだこのジャンル、新しい響きの発見がありそうな気がしますね。

もうひとつ、すっかりお年を召された感じの松平先生が70年代終わりに書いた《アキュミュレーションズ》なるヴァイオリンと電子音の共演作品は、一発アイデアだといえばそれまでだけど、面白かった。要は正に題まんまの「ライヴ・エレクトロニクス」で、無伴奏ヴァイオリンを演奏するのを拾い、30秒遅らせたその演奏録音を次々と重ねていく、というもの。ものすごい濃密な響きになって、いやぁ、ある意味バブル期っぽいゴージャスな響きになるんですわ。これ、ライヴで聴かないとわかんないだろうなぁ。

そして本日のメインイベントは、最後に置かれた足立智美というヴィデオアート系の作曲家さんの《甘い16才・日本 ビリアナ・ヴチコヴァのための》という作品でした。この作品を説明し始めるとなかなか面倒で、だけどその作品が生まれる経緯そのものが作品というところもあり、説明しないわけにはいかんのだがぁ…

本日の演奏者たるヴチコヴァという40代後半くらいのブルガリア出身のヴァイオリニストさん、今でこそゲーテ・インスティトゥートでソロ演奏会があって100人くらいの音大作曲家学生やら作曲家さんやら現代音楽関係者、愛好家がやってくるドイツの伝統現代物の専門家として知られているわけだが、バブル時代のニッポンではお茶の間にまで知られた存在だったのでありまする。なんとこの方、15才のソフィアだかで学ぶ学生時代に、明治ブルガリアヨーグルト・プレミアムのテレビコマーシャルに出演し、超絶美少女がパガニーニ弾いてブルガリアヨーグルトを美味しくいただくお姿が日本中に流されていたのでありますよ。このYouTubeに落ちていた1988年懐かしのCF集の最初に出てくる奴です。このお嬢さんが、今は立派なおばさまになっている。
https://www.youtube.com/watch?v=ExvLcsH2W9c

で、この作品、ヴァイオリニストさんが引っ込んで、なんとこの白いブラウスに着替え、髪の毛を後ろに結んで登場する。おもむろにヴァイオリンにピックアップマイクを付けて、タブレットを手に、たどたどしい日本語で「私は15才のときに学校に日本の広告会社の人が来て、オーディションがあって、コマーシャルに出ました」という経緯を話し始めます。で、このCFが後ろのスクリーンに流される。それから、日本でそのコマーシャルフィルムを見て、自分は作曲家になろうと思った同世代の子が語っている内容を、ヴァイオリニストさんが語る。なんと大人になってベルリンに来たら、あの彼女がゲンダイオンガク業界にいてビックリ、って。んで、そこからが本編といえば本編で、コマーシャルフィルムをあれこれ加工した映像作品(映像だけではなく、音楽やナレーションもそのまま加工している)に、30年後の元超絶美少女、今は美人のおばさまヴァイオリニストがライヴの演奏を重ねていく「ライヴ・エレクトロニクス」作品となっていく。

ま、話だけきくと、これまたアイデア一発もんだろうとしか思えないのだが、なんとなんと、ここで起きてくる「時間のズレ」とか「断片化された過去と現代の響き合い」みたいなものが、ものすごい叙情性を醸し出すんですなぁ。一種の私小説みたいな、なんか小説なら今時の芥川賞なんかで喜ばれそうなもんだぞぉ、ってね。無論、その時代を生きていた人たちには、あの頃の自分は…なんて爺くさいこっぱずかしくて他人様には言えないようなあれやこれやの記憶も重ね合ってくるし、ましてやここはかつて「ゲンダイオンガク」を聴きに通ったドイツ文化会館であり新草月ホール、向こうにはたくさんのカナダの現代音楽を聴かせてもらったカナダ大使館だってあるじゃあないかい…

音楽というアートを叙情的にしたかったら時間を操れ、という鉄則をあらためて見せつけられたような、考えようによってはヴィデオアート作品の王道が展開したのでありました。

この作品、最大の問題は…これだけのインパクトを与えるには演奏者がヴチコヴァ女史以外にはあり得ない、ってことなだけどねぇ。ま、それはそれで良いのかな、永遠の再現性を求めているわけじゃなのだし。

高橋是清公園界隈、21世紀の10年代が終わろうとする秋も、まだまだ面白い。まさか近辺に弦楽器専門雑誌の編集部が出来ようとは思ってもみなかったけどさ。

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