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ヴァーチャル五輪の島 [ご当地五輪への道]

広島と長崎の原爆忌の間、鎮魂の夏がコロナの秋へとかわっていく台風崩れの空の下、足かけ15年のご当地五輪騒動が幕を閉じた…ようです。

そもそも、内陸は目白の徳永さん門前町の零細企業東京出張所みたいになってたむやみとデカい貸家を離れたやくぺん先生んちが、東京湾岸部入口東京駅銀座から最も近い田舎佃へと庵を移したのは21世紀の初めのこと。お堀端GHQから晴海再開発地区に移転してくる第一生命ホールが、区の文化財団すら存在しない都心部過疎地人口10万を切っていた中央区の晴海豊海月島佃地区をターゲットに、音楽を中心とするNPOのアーツ・オーガニゼーションとして活動することになり、今はがっこのせんせーに隠居してるお嫁ちゃまが起ち上げディレクターとしてそこに関わることになったから。

オープン当初は遙か池袋から月島まで有楽町線で出て、開通したての大江戸線に一駅乗り変えて通っていたのだが、地域密着の活動をするためにはもう一歩地元に踏み込む必要がある、それならいっそ住民になってしまえ、ってことになり、それなりにコミュニティがあり、マンションとは違って人が勝手に入ってこられて、その気になれば家の前で宴会だって出来るよーな、佃二丁目の路地の長屋に移り住んだわけでありました。お隣の魚河岸ご隠居に誘われ、やくぺん先生も町会に入り、なんのかんのやらにゃならなくなったわけでありまする。

都心部への人口回帰の先駆けとなる動きで、三井不動産らの高層マンションの足下となった佃二丁目は天上人と地べた民の間の「分断」が顕著になりつつあり、この地域を守る住吉大社のお祭りでもいろいろトラブルがあったり、それはそれでいろんなことがあったわけだがぁ、ろくにコンビニすらないそんな湾岸入口の田舎町にオリンピック騒動が降って沸いたのは2006年の夏の終わりくらいだったかしら。

内藤新宿の都庁にすらまともにやってこない湘南OBの都知事さん、あの人が銀座から東に来るのは年に一度の東京マラソンの日だけと悪口言われてたんだけど、その都知事さんが何を血迷ったか、都内に遺された最後の広大な空き地、中央区民とすれば年に一度の東京湾大華火大会見物の見物場所でしかなかった晴海客船ターミナル横にメインスタジアムをぶっ建て、そこから東の幻の都市博跡地ですらもない湾岸地区に競技場を集中させる「コンパクト五輪」なんぞを行うと言い始めた。

かくて、ご当地五輪へのながああああああい迷走が始まったのでありましたぁ。

ご存じのように、2016年誘致を目指したこの「ご当地五輪への道」はあえなく頓挫。これで騒動は終わったと思ったら、内藤新宿の高層ビルにいらっしゃる方々は懲りずにまだ話を続け、千駄ヶ谷の64年スタジアムを建て替えメインスタジアムにする計画を画策。とはいえ企画の半分は2016年晴海五輪の焼き直しで、コンパクトな湾岸五輪は東西に広すぎるトーキョー全域に広がる焦点の絞れぬイベントとなり、ご当地には晴海トリトン南の旧晴海国際見本市会場跡地は選手村になることになった。

へえ、まあ、選手村なら、試合が終わった世界中の選手達が月島西仲通に繰り出してもんじゃ喰って、佃月島の路地に入り込んで一緒にレバカツで酒飲みながら騒いだりすることになるのかぁ、地域の祭りとしてはメインスタジアムが出来るよりも良いんじゃないの、楽しそうで、ホントにやれるならねぇ…

んだども、そういうことは、全く起きなかった。そう、見事な程のスカだった。

正直、この「ご当地五輪」、恐らくは後の歴史に「ヴァーチャルで開催された最初の大規模国際大会」として記録されることになるのでしょう。つまり、「東京でやろうが札幌でやろうが、はたまた湾岸でやろうが調布でやろうが、全くどーでも良かった」ということ。

先月頭くらいから盛んに走り始めたトヨタの水素やら電池で動く五輪専用車たち、スタッフや選手を一生懸命運びご当地周辺で動き回ってたけど
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全国から動員された地方警察や軍隊が軍事基地か原発かという感じでがっちり施設を取り囲み、物見遊山の人々は湾岸には全くやってこなかった。選手や関係者も、メディア連中も、西仲通に来ることはなかった。「オリンピック」という名を冠した巨大テーパマーク状態になる筈だった晴海大橋や豊洲大橋から向こうの湾岸地区に、東京駅や門仲方面から連日万単位の人々が押し寄せ、やくぺん先生の生活圏の道路は常に大渋滞、人で溢れる…なんてことはまるでなかった。

膨大な経費をかけた常設のスポーツ専用スタジオが灼熱の人気の無い湾岸にズラリと並び、出演者は晴海の一角に押し込められ自由に動けず、大手メディアが独占し膨大な量の放送だけが行われた、ニッポンのメディア総力を挙げたヴァーチャル・イベントは華々しく行われ、湾岸住民が無料で見物出来たのは
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銀座上空で見事に五色の煙を引っ張ったけど千駄ヶ谷上空での五輪の輪現出には無残な失敗を晒したブルーインパルスの負け戦のみ。

ま、そんな歴史に残る珍事、都民1人あたり11万円拠出した身体性の欠片もない肉体の祭りが、たまたまご当地で行われてしまい、眞佃嶋界隈もホントの祭り休んでそれに付き合わされてしまった。五輪専用車と関係者運搬バス
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各地から動員された兵隊や警察、上空を舞う地方県警ヘリたち
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大江戸線や有楽町線のボランティア姿の人々を除けば、やくぺん先生がライヴで眺めたのは、選手村の灯りと、高速道路から眺める水泳
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それにカヌー競技場の閑散とした遠景のみ。バスから見たとき、実際に試合やってたらしいんだけど…

地元民とすれば、ヴァーチャル空間をテレビやパソコン、携帯端末画面に現出するための立ち入り禁止スタジオがご近所に仮設されただけだった真夏の湾岸の17日。

かくて、「ご当地五輪への道」カテゴリー、一巻の終わり。あとの祭りは、ま、「新佃嶋界隈」カテゴリーになるかな。

虚しさを 覚える間もなく 往く祭り

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