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オーセンティックなテープ作品再生 [現代音楽]

この数年、ある意味で聴衆の「分断」を先取りしたかのようなターゲットをはっきり絞った演奏会をいろいろと展開している日本フィルさんが、20代から30代の普段は生オーケストラやクラシック音楽を聴かない層をメインの聴衆とする演奏会を昨晩開催しました。会場はトーキョー五輪競技開催中はエリート関係者の宿泊施設となっていたホテルの真ん中で、絶対に近寄らないようにすべき地域のひとつだった溜池はサントリーホール。なにやら一部若者のカリスマ・オピニオンリーダー(インフルエンサーという言葉がどーもダメな老人なのじゃ)らしい落合陽一、そー、わしら老人世代には、世界の裏社会を全て知り尽くしモサドもCIAも手玉に取る実はこの人がゴルゴ13なのではないかと言われた世界を股にかけるジャーナリスト落合信彦…の息子さんですわ、その落合息子がプロデュースしシーズンに一度か二度開催され、今回で6回目となる「コンサートホールで演奏するフルオーケストラをインスタレーション作品として観せる」という言い方が最も正確なイベントでありまする。なんせ、開演前のホール前広場はこんなん。
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あの雀やセキレイや周辺住民の子どもらが遊ぶ噴水に、巨大なモノリスっぽいもんが立てられ、デジタル映像美術品となってます。ブルーローズでは、ある世代以下にはカッコいいと感じられるらしいモノクロで落合氏が撮影した過去のコンサートの写真が展示され、インスタ世代に対応しここは全て撮影OK、どんどんアップしてね。その代わり、コンサートはダメですから、って。

コンサートそのものがどんなものだったかは、ま、「落合陽一、日本フィル、サントリーホール」とでも検索すれば、いくらでも出てくるでしょう。プロデューサー氏の難しそうなご発言などは、こちらを眺めていただけば良いのかな。
https://japanphil.or.jp/concert/24672
仰ることがどーあれ、とにもかくにも、ラヴェル編曲の《展覧会の絵》を演奏するにはギリギリくらいの編成で、Pブロック潰した仮設のスクリーンにデジタル映像が投影され、映像の変化にライヴのオーケストラが合わせるんだか合わせないんだか、という演奏が繰り広げられたわけでありまする。

この演奏会、様々な方向に向けて聴衆を広げていくという意味ではそれなりに成功してるみたい。客席には普段の頭の白いご隠居が目立つ日本フィル演奏会とはまるで違い、こざっぱりした真面目そうできちんとした若い人たちがたくさん座っておりましたです。

さても、やくぺん先生とすれば、この演奏会の最大の関心は、1曲目に披露されると告知されていた黛敏郎作曲《オリンピック・カンパノロジー》でありました。どういう作品かを記し始めると長くなるので、適当に作品名でググってください。こういう曲。下の映像の12分くらいからです。

要は、1964年に内幸町NHKの電子音楽スタジオで製作されたテープ音楽なわけで、昨晩はどいういう意図かは知らんが、夢よもう一度で無残な失敗に終わった二度目の東京五輪の直後に溜池はサントリーホールの大ホールでこいつを響き渡らせたわけですな。

テープ音楽なんだから、裏のどっかに繋いでぶら下がってるスピーカーから流せばいいだけじゃないか、と思われるやもしれませんねぇ。ま、そうだといえばそうなんですけど、初期テープ音楽を「演奏会」という形で再生演奏するのって、案外と面倒なことなんですわ。なんせ、テクノロジーが日進月歩の世界、数年前のフォーマットがもう古くなってるのが当たり前の世界です。遙か半世紀以上前のテープがあったところで、それを今のコンサートホールに響かせてくれといわれても、そうそう簡単ではない。演奏会のチームには毎回同じメンバーらしく、音響の専門家さんがコーディネーターとして名前が挙がっているので、それなりにきちんとした配慮はあるのであろー、どーなることやら。

で、客席に座ると、真っ暗でオーケストラもいない空間に、いかにも黛《カンパノロジー》シリーズのひとつらしい、様々な鐘のライヴの響きのリミックスとコラージュが鳴り渡るのでありまする…がぁ、ううううむ、なんか不思議な響き。巨大なホール全体に昔のカセットテープの音を鳴らしているみたいな、不思議な懐かしさ。

このような作業をするとき、普通は専門の音響さん(アンサンブル・アンテルコンテンポラン以降の今の常識では、音響さんは指揮者にも匹敵する重要なアンサンブルのメンバーで、アーティストのひとり扱いです)がオリジナルテープを吟味し、演奏する空間の中でそこに納められた情報をどのように再構築するかを考え、それを実現する最大限の努力をするようになってます。昨年秋の秋吉台でのクセナキス《ペルセフォネ》も、去る初夏の目黒パーシモンホールでの《ヒビキ・ハナ・マ》も、大変な努力と労力を経た「オリジナルテープ音楽の現代の会場での再現」だった。テープ音楽のコンサートとしての再現って、普通の楽譜を楽器で音にするのと同じくらいの手間暇がかかるのですわ。

休憩時に日本フィルの関係者さんに尋ねたところ、昨日の演奏は良くも悪くも「NHKの棚にあったテープを借りてきて、サントリーホールの音響システム室でスピーカーに繋いだ」というものだったそうな(無論、必要な処理はいろいろしたのでしょうが)。演奏するための条件として、中身には一切手を付けないことが要求されたという。結果として、あの不思議な巨大なモノラル録音の響きがホール全体を満たすことになったとのこと。

なるほど、これこそ正に、「電子音楽のオーセンティックな再現」だわな。

テクノロジーに縛られて音楽の表現が変わっていくのは、バッハ以前の古い時代の弦楽器であれ、ベートーヴェンやフンメルの頃のピアノの発展であれ、20世紀の金管楽器の発展改良であれ、はたまた20世紀後半の電子音楽であれ、みな同じ。「ゲンダイオンガク」も半世紀を超える厚みのある世界となり、その再現のオーセンティシティが大きな問題になり、議論される時代になったのであるなぁ、と半世紀前の高度3キロ上空に描かれた秋の五輪の輪を懐かしく想い出す夏の終わりの晩でありましたとさ。

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