SSブログ

時代の空気を知るということ [音楽業界]

アホな灼熱の世界大運動会騒動も、メインは何故か遙か北の島に移り、最後の花形馬術競技などは内陸は世田谷の田舎で開催されてるんだろうから、もうすっかり祭りの後の空気が漂う立秋の湾岸でありまする。

本日は、本来ならば《マイスタージンガー》で盛り上がる筈だった文化会館に知らずに来ちゃった方々に謝るために待機しているスタッフにご挨拶をし、上野の杜は旧奏楽堂に行って参りました。何度も出すけど、こんな演奏会。演奏される作曲かの簡易プロフィルをご覧あれ。
3212c079a3b86ad3ac25141e4f2eba77-730x1024.jpg
https://archives.geidai.ac.jp/4294/

本日の旧奏楽堂、なんせ今は台東区の施設ですから都が発している緊急事態に対応した一席空けのコロナ配置で
IMG_3980.jpg
結果として満席。当日券も出ない状況でありました。

中身は、1921年から23年に生まれ、1940年代に現藝大に入学、1943年から翌年に学徒動員で出征し、1945年にフィリピン、台北、霞ヶ浦などで死んだり殺されたりした若い作曲家たちが上野の杜やらで遺した作品のいくつかを演奏。同世代に同じく上野の杜に学んで生き延び、その後の日本の音楽界に大きな影響を与えた中田喜直、畑中良輔、團伊玖磨らが同じ頃に書いていた作品も披露する、というものであります。演奏したのは、藝大の後輩たち。お馴染みの顔もいくつも。

このような趣旨の演奏会ですから、普通の意味での「作品としての完成度」やら「芸術家としての個性」とかを見せびらかすものではありません。文字通りの「音で聴くアーカイヴ」としての演奏会です。企画した先生や、この類いの作品の上演では常にお声がかかる売れっ子評論家研究者さんが登壇し延々と演説をなさる、というものでもありませんでした。ともかく、目の前に遺された先輩達の楽譜をきっちり音にしてみる、という試み。そこからいろいろ感じることがあれば感じ、思うところがあれば勝手に思え、という押しつけがましさはないイベントでありました。感動やら涙やらの強要がそんじょそこらに大安売りされてる真っ只中にあって、有り難いことであります。

考えてみれば、極めて狭い期間に書かれた藝大学生の習作やら課題作品やらを纏めて聴く機会って、ありそうでない。20代に入ったばかり、プロの作曲家や演奏家として最初の訓練を終えようとする頃の習作に近い楽譜、それも世界の作曲動向などから全く隔絶された上に、今この瞬間のメディア9割をジャックしている五輪五輪報道の状態がもう何年も続いているような極めて特殊な環境で創作されている作品達です。善し悪し、好き嫌いの問題ではなく、聞こえてくるのはハッキリとしたひとつの時代の空気でありますな。

この頃の「作曲」にとって何が最大の関心だったのか、音楽を構築するとはどういうこととして捉えられていたのか、これだけ並べられると、なるほどねぇ、と思わされることが多いです。やはり作曲には旋律が重要なのか、和声というのは局面を転換するための道具なのか、そしてなにより、唯一敗戦2年後に書かれた(らしい)中田喜直作品で顕著なリズムへの関心はやはり時代の反映なのかしら、等々。

出征して上野に戻らなかった学生たちの経歴を眺めて興味深いのは、4人のうちのふたりまでもが既に西洋芸術受容の第2世代だった、という事実。世代的には生誕百年を迎えるくらい、学校は違うけど別宮貞雄、はたまたクセナキスなんぞと同年配で、ノーノやらブーレーズらとはひとつふたつ学年上、という辺りの、永遠の若者たち。

作者の人生と作品を重ねて感動やら涙やらを誘おうとする言動を行いたいなら、いくらでも可能でしょう。例えば、少なくとも本日演奏された作品を眺める限り、最もストレートに時代の空気を吸い込んだ作品を遺している鬼頭恭一という青年
https://archives.geidai.ac.jp/seichokan/kito/
この方は、敗戦が宣言される2週間前に霞ヶ浦で「秋水」のパイロット訓練中に地上での事故で死んでいる。この部隊、「秋水」が迎撃機としては使い物にならないが人間ロケットとしてなら使えると判断され、本土決戦になったら敵艦やら敵陣に突っ込んでいく文字通りの人間ロケット弾特攻を行うパイロットを養成する部隊だったのは、その辺りの話をご存じの方はご存じでしょう。いずれにせよ、目の前にあるのは「英霊として国に命を捧げる」道だけだった。

最もキラキラした才能があったようにも感じられる村野弘二なる若者
https://archives.geidai.ac.jp/seichokan/murano/
帝都では敗戦が宣言された6日後に、それを知らぬままにルソン島で自決しているという。この青年は、リヒャルト・シュトラウスの同時代オペラの譜面など眺めた上で《白狐》なるオペラを書いたのだろうか?
https://archive.geidai.ac.jp/12896
プリングスハイム指揮するマーラーやらのオーケストレーションは、ライヴで体験できていたのだろうか?

残念ながら、この演奏会で披露された音楽たちには、この若者らがルソン島のジャングルや霞ヶ浦の空でみたもの、感じたことは、込められていない。音楽家、作曲家として彼らがそこで感じていたものを、私たちに伝える方策は、もうなかった。

この若者達があと数ヶ月を生き延び、再び上野の杜に戻って来たならば、ことによれば1950年代のパリやモスクワ、ニューヨークを経験することになったかもしれない。そして、1964年五輪の行進を伴奏する壮大にして心躍る音楽を担当していたかもしれない。

そんな「あり得なかった過去」に頭をクラクラさせながら、ぼーっと古い奏楽堂を出ると、2021年の秋が立っている。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽