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どうやって「聴衆参加」と「鑑賞」を両立させるか [現代音楽]

この非常事態のお盆休みの真っ只中、明日から東京芸術劇場で東京都歴史文化財団主催「サラダ音楽祭」が開催されます。
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そのメインイベントのひとつ、レオナルド・エヴァース作曲の子供のためのモノオペラ《Gold!》のGPを拝聴させていただきましたです。こちら。
https://www.geigeki.jp/performance/concert230/c230-4/
作品のデータに関心がある方は、こちらのブーシー&ホークスさんの公式ページをご覧になった方が面倒はないでしょ。
https://www.boosey.com/cr/music/Leonard-Evers-Gold/100640

東京芸術劇場という今の東京公立劇場で最も積極的に「演劇」をテーマとしているヴェニュは、上に乗っかっているコンサートホールはあるものの、所謂「オペラ劇場」は存在していない。で、結果として、コンサートオペラというか、オペラの演奏会形式というか、直球ではない絡め手の捻り玉であれやこれやと興味深い「オペラ上演」を試みてくれている。また、前衛の時代は遙か半世紀も昔、電子音楽を含めた今時の「アクセスしやすいコワくない現代音楽」をいろんな形で提示する試みにも積極的に取り組んでいる主催者であることは、皆様よーくご存じでありましょうぞ。同じ東京都歴史文化財団が運営する上野東京文化会館との棲み分けなど、端から眺めていると良く判らんことも多々あるけど、ま、それはそれ。

さても、何の予備知識もなく接した作品でありますが、昨シーズンのネザランド・オペラでも上演があったり、ベルリン・ドイツ・オペラでもやられたり、欧州オペラ劇場では定番の子供向け作品として定着しつつあるとのこと。ふううん、なにがそんなに立派なのやら、という興味本位で本来のターゲットたるよい子のお友達やそのお母さん、はたまた関係者ご親戚などなどの後ろの方に、ひっそりちんまり座らせていただいたわけでありまする。無論、演出が久々の東京登場の我らが菅尾友氏、という要素も大きかったわけですけど。

で、1時間弱の本編を拝見させていただき、この作品がよく出来ていると評価される理由は、とても良く判りました。なーるほどね、って感じ。皮肉っぽく言えば、作品について褒めるのはとても簡単、非常にポイントがはっきりした作品でありました。

正直、やくぺん先生は「自前の歌手や演奏家を抱えた劇場がきちんとある文化圏での子供のためのオペラ作品」などというものをガキの頃に眺めて育ったような立派な背景は持ち合わせておりません。ヨーロッパの公共が運営する劇場には子供向け小規模オペラが年に数本出るシリーズが用意されているのは承知しているものの、そういうもんをわざわざ眺めることもまずありません。小澤氏がヴィーンやってた頃の《子供のための魔笛》なんてのは映像を眺めたことはありますけど、幸か不幸か、そういう舞台にライヴで接したことはない。《ブルンジバル》とか、ヘンツェの《ピノキオ》だっけ、他にもブリテンとかメノッティとか、そんな著名作家の定番作品はいくつか観たことあるくらい。

だから、この1985年生まれのオランダ人おにーちゃんの作品が、「子供のためのオペラ」としてどう評価されるべきか、判断など全く出来ませんです。

そんな無責任発言しか出来んアホなやくぺん先生ですら、あああ、と思わされたのは、この作品の客席に座る子供たちの巻き込む仕掛けの巧みさでありました。

前世紀の終わり頃に「アウトリーチ」という言葉というか、概念というか、活動というか、そんなもんが盛んに言われるようになり、今世紀に入るとそれが「聴衆参加」から「ワークショップ」へと展開していった。もの凄く乱暴に言えば、「単に聴いている、鑑賞しているだけじゃダメで、自分がなんか一緒にやったような気にさせてナンボ」ってこと。それが良いかどうかはともかく、今や音楽を弾きました、音楽を広めました、だけじゃ、評価委員会のコワい先生や助成財団の偉い方々は頸を縦に振ってくれない。音楽は「自分が積極的になんかする」ツールであってやっと評価される、という傾向がはっきりあります。

その意味で、この作品はそんな2010年代の風潮をはっきりと反映させている。なんせ、最初に主人公というか、ひとりでお父さんを除く全部の役をやるソプラノさんが出てきて、「僕がこうやったら、みんなで波の音をやってみよう」と呼びかけ、客席の子供たちが体を動かして波の音を創り出す練習をし始めるんですから。このプロモーション映像の2分20秒辺りを眺めてちょ。
https://youtu.be/JlIWgWOdORM

こんな風に、子供たちが舞台上の打楽器奏者と一緒に「願いを叶える謎の魚が住む海」を音で表現する箇所が、総計で6回くらいだったか自然に組み込まれている。バタバタ体を動かす一種のボディーパーカッションとなって表現するのだけど、その同じ波の表現が、物語の進展に従い微妙に、あるいははっきりと、異なっていなければならないんですわ。要は、子供たちは「助けてあげたので(なのかな、その辺りはあまりハッキリ描いていない)願いを叶えてくれることになった不思議な魚の気持ちを、象徴的に示す海の表情の変化」を、自分らの体全体で作る音楽として表現せねばならない。つまり、ちゃんとお話を聞いてないと聴衆参加部分にきっちり参加は出来ない、ということ。

なるほどねぇ。最初は昨今流行の「ワークショップ・リーダー」のお姉さんが主人公になって子供たちを弄っていく作品なのかと思いながら眺めていたら、なんのなんの、きちんと「物語の鑑賞」をしていないと上手くは反応出来ないようになってるじゃないの。へえええええ、こりゃすごいわ。

てなわけで、時代が求める作品はちゃんと出てくるものであるなぁ、と感服しながら、人の欲望の不毛さを描いた(のか?)子供向け《兵士の物語》ともいえなくもない物語を見物したわけでありましたとさ。

そうそう、もうひとつ興味深かったのは、この規模ならば常識的には伴奏はピアノ一台なんだけど、この作品では男性打楽器奏者がひとりで伴奏していること(無論、打楽器はいっぱい並んでるし、鍵盤ハーモニカも弾くし、お父さん役として演技もします)。上述のように子供の参加部分は「全身ボディパーカッション」という打楽器ですから、これまたなるほどね、って大いに納得。

子供のためのオペラとして、こういうレベルのものがあるのかぁ、と勉強になりますので、そっち関係に関心がある方には是非…と言いたいところだが、なんせ緊急事態下の一席空けの客席、明日明後日ともとっくに売り切れだそうな。またの機会もありそうとの噂も聞きますので、チャンスがあればご覧あれ。

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