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熱狂の日々が遺したもの [音楽業界]

キューシュー島温泉県盆地から眺めると、ソウルよりも上海よりも遠い場所に思えるニッポンはホンシュー島の昔話。

コロナ禍が世界を覆うまで、ニッポン国で「ゴールデンウィーク」と呼ばれ勤め人が一斉に連休を取る時期、国家中枢エンペラー宮殿横にかつてシティホールが重厚なモダニズム様式の姿を晒していた場所に陣取った巨大イベント会場では、無駄に広く、巨大ホールから小規模集会室に至るまでやたらと数と種類があるシーズンオフのレンタル空間を利用し、「ラ・フォル・ジュルネ」というおフランスはナントでるねまるなる辣腕ピアノ系プロデューサーが開拓した「音楽の移動遊園地」としか言い様がないイベントを輸入、賑々しく開催しては何十万人の客を集めたと豪語しておりましたとさ。

思えば、当無責任私設電子壁新聞がいきなり設立されたのは、この音楽祭の最初の回が悲惨な結果で終わった数週間くらい後。第1回目のオープニング当日を、スタッフなんぞが期待して迎え、全然客が入らず、関係者の顔がだんだんと曇ってくるのをずっと眺めていた実況中継は、残念ながら記録としては残っておりませぬ。ホントに悲惨でしたからねぇ、初回は。

んで、これらが「ホントにこれ、来年も続けるんですかぁ…」状態だった初期の記事。あの頃はまだSNSもweblogくらいしかなく、皆さん、それなりに真面目に書き込みなどもなさってくださってたんですねぇ。業界では公共文化施設に導入される「指定管理」が大問題となっていた頃なんですなぁ。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2005-12-16
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2005-09-08
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2005-08-20
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2005-08-16

やくぺん先生は、初回の最初の公演前から現場で眺めた経験から、「あああ、ここには関わらない方が良い」と思い、以降、我が同業者達が次々と広報宣伝に駆り出され、イベントが巨大化し、地域も拡散していくのを、まるっきり他人事で眺めていた。なにしろそれまではクラシック音楽業界シーズンオフだった時期で、銀座東地区までを含めた鉄砲洲稲荷例大祭にぶつけるように隣町で新しい祭りを始めるのにマカロンもって挨拶のひとつ来なかったという失礼極まりないフランス人連中。そんな奴の跋扈を許してたまるものか、って佃住民の納得のいかなさがあったことは敢えて否定しないでおこーかいな。

そんなわけで、記者会見にも行かず、知り合い友人がステージにいても招待券すらいただくつもりはなく必要なら自腹を切り、単なる聴衆のひとりとして眺めていたお祭りが、いよいよホントに幕を閉じることになった。公式に「もうやりません」とは言っていないが(言いっこない、ってに)、「地域の祭り」という意味では、こんなイベントに姿を変えるようでありまする。
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https://t.pia.jp/pia/events/marunouchi-musicfes/
https://www.t-i-forum.co.jp/mt_images/2022_marunouchimusicfes.pdf

なるほど、るねまる御大の世界制覇の野望、10数年の年月と世界パンデミックといくつかの戦争を経て、こういう形でローカライズされたのか。

この「拠点制圧短期集中全兵力投入型」イベント、当初の懐疑的な眼から「あれは行けるんじゃないか」という感じに業界内空気が変化した頃から、先頃お亡くなりになった最先端に鼻が利きちょっと斜に構えた見方が出来る某プロデューサーさんが仙台を舞台に「せんくら」なるイベントで初のローカル化を試み(本人も影響をはっきりと認めていたそうな)、それ以降も当初の目論見通りに「ラ・フォル・ジュルネ」そのものがびわ湖、金沢、鳥栖などへと展開。仙台の成功を見た自治体が類似イベントに次々と乗り出し、木曽福島や由布院などの地元愛好家主導に中央のマネージャーが金にならんけどお手伝いする、って市民規模とは質量共にまるで異なる行政や大企業グループが差配する巨大地域イベントの「音楽祭」となり、所謂クラシックをネタにした都市型音楽フェスへと変貌することになる。

17年の年を経て、プロデューサーご本人や、マネージメントを担当し会社あり方を演奏家マネージャー業からイベント業へと変化させてしまった老舗音楽事務所二代目社長が目指していた野望たる「未来の巨大マーケットたる上海やら澳門やらへの進出」こそ成らなかったものの、るねまる氏が撒いた種はニッポン列島各地にはしっかりと根付いてしまった。ホントにそれで良かったのか、功罪はこれから大学のアートマネージメント科などで論じられることになるのでしょう。

個人的には、「最初はベートーヴェンやモーツァルトがテーマだけど、るねまる氏の最終的野望はテーマを現代音楽とすること」なーんて初期に耳にしていた心躍る話は、嘘かホントか知らんけど、実現しないままに終わってしまった。《光》の「日曜日」なんかをやるには最高のセッティングだっただけに、それが最大の残念でありまするな。

コロナ禍以降「ライヴ」の意味や価値は大きく変化し、はたまた「クラシック音楽」という言葉の内容や意味も20世紀までとは違うものになっていく。「ニッポンの熱狂の日々」は、歴史としてどう後世に評価されるのか。少なくとも、「それまではドイツに比べ低い評価だったフランス系クラシック奏者や受容のあり方が、ニッポンでも広く認められるようになった」ということだけは確実でありましょう。

さらば、「ラ・フォル・ジュルネ」!ありがとう、とは、敢えて言いません。

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