SSブログ

シュトゥットガルトでライヴのベートーヴェン交響曲チクルス! [音楽業界]

去る13日土曜日、シュトゥットガルトのリーダーハレで、読響でもお馴染みのコルネリウス・マイスター指揮するシュトゥットガルト歌劇場管弦楽団が、ベートーヴェンの交響曲チクルスをスタートしています。ただし、最後の第九はまだ予定されていません。リリースをまんま貼り付けます。

Konzert-Programm in der Liederhalle

Nach fast drei Monaten ohne musikalische Live-Erlebnisse spielen wir endlich wieder für Sie! In der Liederhalle erleben Sie im Juni und Juli Kammer- und Liedprogramme, Familienkonzerte, und anlässlich des Beethovenjahrs sogar ein Zyklus mit allen seiner chorlosen Sinfonien Nr. 1 bis 8 in großer Besetzung. Die ersten Konzerte waren im Nu ausverkauft, jetzt haben wir neue Termine dieses außergewöhnlichen Beethoven-Zyklus angesetzt – schon ab diesem Samstag! Wir freuen uns, Sie bald wieder begrüßen zu dürfen – in sicherem Abstand, und doch ganz nah dran

Beethoven-Zyklus
Sinfonien Nr. 1 bis Nr. 8
bis 24. Juli 2020 im Beethovensaal der Liederhalle

って、なんてことないローカル・ニュース、シュトゥットガルトでも放送オケが今や飛ぶ鳥を落とす勢いのクルレンツィス新社長でやるなら世界中のマニアが色めき立つだろうに…って、幸か不幸か今はそんな時ではない。地元のオケが、地元のシェフで、ちゃんと地元のホールで、ライヴでお客さんを入れてベートーヴェンの交響曲を演奏するという事実そのものが、世界的なニュースになる非常時なのであーる。詳細はこちら。
https://www.staatsoper-stuttgart.de/konzerte-im-sommer/
切符は極東の島国からでも買えるけど、羽田やら成田からフランクフルト空港まで行けるかは保証の限りにあらず。

13日の最初の演奏会で撮影された写真を眺めるに、客席数は凄く少ないようで、演奏会は毎日2回が基本(《英雄》なんかは1回だけなんですねぇ、あ、もう売り切れてるなぁ。ホルンの演奏に規制があるわけじゃあるまいし)。週末中心に、毎回1曲づつで7月24日まで。セット券はないようです。ま、この類いの「1曲だけで3000円」って演奏会、21世紀に入ってからはもうすっかり定着してますから、違和感はないですね。それに、2番とか4番、8番を1曲だけって、弾く側も聴く側もいつものメインの曲のオマケじゃなくもの凄く大事にするだろうから、曲のためにもとっても良いことだなぁ。第九は7月の半ばくらいの情勢をみて、劇場の外で野外演奏会でやるんじゃないかなぁ。客は池を挟んで反対側から眺めろ、っていえばいいんだしさ。

とにもかくにも、さあ、ベートーヴェン記念年が再開されたました!まだたっぷり半年は残っているぞっ!

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

「キープディスタンス・コンサート」で試されたこと [パンデミックな日々]

本日2020年6月16日午後12時10分から、ミューザ川崎シンフォニーホールで「公演再開に向けたキープディスタンスコンサート」なる演奏会が行われました。

なお、この作文は基本的には終演後に記したものですが、いかな無責任私設電子壁新聞とはいえ、今のような状況で公的な機関が主催するこのようなイベントをどう報道すべきか、いろいろと判らぬことも多い。その後、他の主催団体のディレクターさんなどと話す機会などもあり、まあ、どんなもんかは伝える方が良いのであろうと判断し、アップいたします。なお、17日に東京新聞に記事が掲載され、Webでも読めますので、以下に貼り付けて起きます。事実関係は、こっちをご覧になって下されば判るので、あえて当稿では記しません…っても、具体的なコンサートの記述は殆どないですなぁ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/35983

このコンサート、ミューザ川崎とすれば3月以来の客席にスタッフ以外の人が入った演奏だそうな。で、ともかく、京急川崎駅からJR川崎駅を跨いでミューザの正面入り口に至り、エスカレーターでホール入り口ロビーに至ると、こんな感じ。
02.jpg
広いロビーが5本くらいのラインに仕切られ、床には「三密回避」のガイドのテープが貼られています。

まず、上の写真の右手奥の受付に行き、用紙に名前と連絡電話番号を記します。それをしないと、チケットをいただけません。やたらと人の手に触るものを消毒しまくっているらしいのに、この用紙書き込み用のボールペンが使い回しなのは問題である、と言われそうだなぁ。

で、仕切られたラインのいちばん左側の列に向かい、並びます。こっち。
01.jpg
一応、三密回避で並びますが、久しぶりに顔を合わせた同業者関係者などとマスク越しであれ話をしたりしちゃうわけで、三密回避の会話というのは現実問題としてはかなりキツい。いつものようにそれなりの近さで話をしようしちゃうわけだし、それにわしら業界トークというのはある程度密になって小さい声で話さないと、周囲のお客さんを吃驚させちゃうような内容もあるわけだし。うううん、実際に経験してみると、三密回避というのは想像以上に困難であると実感した次第。

やがてこのロビーに60人くらいの人が溢れ、エスカレーターの下では規制されてここまで上がってこられない方が何十人もいたそうな。で、開演の30分前に開場となります。表方スタッフは皆、Faceシールドの下にマスクです。会話を控えろ、って、これじゃ、話もできないわね。で、チケットはもぎってくれず、自分でピリピリともぎって箱に入れます。当日プログラムも、置いてあるのを拾う。アンケートはプログラムに記してあるQRコードを読み込んでスマホから返す。つまり、紙や筆記具はありません。

ちょっと意外だったのは、レセプショニストさんがいっぱいいたこと。作業に関わるスタッフを極力減らすのではなく、作業がいろいろ増えているので人海戦術、って感じでした。つまり、感染の可能性のある人が増えるわけだよねぇ、これって。

で、客席はこんなです。
03.jpg
どうやら暫くはこのような状況が「当たり前」になるようですな。まるでヨーロッパや北米近距離線の737や320のビジネスクラス真ん中空け席みたいだなぁ。これに慣れちゃったら、2020年2月末までの客席がLCCみたいに感じちゃうだろーに。いやはや…

で、開演前の影アナはこんなん。
扉は自分で開けるな、というのがどういう意味か判らなかったので、コンサート後の質疑応答で尋ねたら、「みんなが触れるものには、できる限り触れないようにしていただくため」だそうです。うううん、それなら手袋を義務化した方がいいんじゃないか、とも思っちゃうけど。なお、コンサートの開催中は、表方スタッフが人が触ったような場所を消毒しているそうです。今時のホテルや高級マンションの公共施設みたいなやり方ですね。ちなみに、客席は1階平土間と2階正面だけを用い、100名ほどの聴衆。客の数は40人くらいであったろう2階の担当スタッフは4名おりましたから、スタッフ数は異常なほどの密っぷりですな。

あと特記することは…そうそう、クロークです。公式にはクロークは使えませんが、やはりこれは客席には持ち込めないという荷物はあり得ます。何を隠そう、やくぺん先生ったら、佃の縦長屋から葛飾オフィスに向かう途中に川崎に寄ることになり、去る秋以来引っ張って歩いてる医療器具セットがあった。客席に持ち込むのか、はたまた入場拒否になるのか、どうなるのやらと思ったら、クロークはやっていないけれど、クロークのところにスタッフがひとりいらっしゃって、その方の指示で自分でクローク内部の荷物置き場に置いて、終演後は自分で取り出す、というやり方でした。このホール、クロークの内側に入ったのは初めてだぁ。
今回は使用したのはやくぺん先生ともうひとり、総計二人だけだったんで問題はなかったようですけど、夏のサマーフェスタは600人はライヴ聴衆を入れるということなので…まあ、夏だからコートはないし、荷物を持ってくる奴も1ダースくらい、ってことならなんとかなるのかな。

演奏は、いわゆるジャズでしたので、あたくしめには「へええ」としか言いようがないです。ただ、バンジョーという楽器をこういう響くコンサートホールで独奏で聴いたのは初めてかもしれないけど、いやぁ、金属弦というものを徹底的に追求した音がするんだなぁ、と吃驚しました。ピアニストさんが「数ヶ月ぶりで腕が鈍って…」と仰ってたのは、全ての音楽家さんの実感なんでしょう。アンコールで披露された《A列車で行こう》を聴きながら、この先の人生でまたA列車に乗ってコニー・アイランドならぬJFKの空港アクセスモノレール駅まで行くことがあるのかなぁ、マンハッタンは無限の彼方也…なぁんて、遠い目になってしまったりしてさ。

終演後、聴衆の半分ほどが残って関係者の質疑応答、というか、モニターミーティングみたいなものがあり、担当の方が「本日は密を避ける実験」とはっきり仰り、やったこと、やれなかったこと、を列挙してくださいましたです。

やったのは、マーキング、カウンターでの連絡先確認、アクリルボード&消毒薬、サーモグラフィー、チケットもぎりなし、チラシ・プログラム配布なし、トイレ・エレベーター列のマーキング、クローク・ギフト・ドリンクなどはクローズ、距離を取るための着席部分のバッテン印、客席最前列4列は潰す、スタッフはマスクやFaceシールドや手袋着用、スタッフは可能な限り喋らない(館内での指示は掲示を掲げる)、開演後の表まわり清掃、以上。

質疑応答でも、マイクは質問者に持たせず、スタッフが近づけます。車椅子など個別の対応が必要な聴衆をどうするかは、まだ実験がやれていない。客席清掃をどこまでやるかも試行錯誤中。神奈川県内某ホールの方から、ピアノ鍵盤の消毒はどうしますか、という質問がありましたが、「3日置けばウィルスは死滅する」というデータがあるのでミューザは特に弄っていないそうな。まあ、鍵盤はアルコールで拭けるのか、って大問題ですからねぇ。

引き上げ際に、一番大事なのは、「みんなが楽しく音楽が聴けるようにすること」とスタッフのひとりが仰ってました。そう、こういう非常時、何が一番大切かが判っていれば、なんとか乗り切れる。うん。

ミューザ、夏のフェスティバル、有料配信を中心にライヴ聴衆も入れてやるそうな。こちらをご覧あれ。まだいろいろ決まってないことも多いようですけど。
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/news/detail.php?id=1350

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

NJP《さんぽ》はパンデミックが生んだ最高の成果である! [演奏家]

2020年6月の現在、世界で最も売れているメイジャーな現役日本人指揮者は、久石譲と鈴木雅明であることは誰も否定できない事実でありましょう。マエストロ久石譲に限れば、世界のどこでも演奏会をすればアリーナ規模で完売。映像が公共の電波やネット上に流れれば翌日には海賊盤DVDが街角に溢れる都市だってある、って人気ですから。

パンデミック騒動が始まり、墨田区の善くも悪くも「スピード感のある」対応、いや、我が御上の得意技「スピードがあるっぽく見せることが大事で、実態はどーでもいい」というのじゃなく、ホントにスピードある対応で真っ先に国技館第九がキャンセルになり、それ以降もフランチャイズとなる区のホールが使えない状況が続いたNJPが、辣腕事務局も著名指揮者も関係ない、いかにも自主運営団体らしい団員の勝手連的な動きで「リモートワーク」の演奏を始め話題となり、この情勢下にあっても財政安定な自分のオーケストラは現状への対応らしい対応はなにもしてない公共放送にまで大きく取り上げられることとなり、パンデミック下での音楽家の生き方のひとつのシンボルともなってしまったのは、皆々様よーくご存じの通り。
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-05-31&ch=11&eid=15351&f=2443
あ、番組としてアーカイヴで視られるわけじゃないのか。ま、これはいずれ、誰かが新書版くらいの単行本やるだろうし。もう、企画書は上がって、ライターさんが始めてるんじゃないかな。←こういう「単行本フィニッシュ」的発想そのものが20世紀の生き残り、ネット時代に取り残された隠居爺の証拠なんだろーなぁ…

そんなNJPの、ってかNJPの某トロンボーン奏者さんのテレワーク、その後もいくつか行われ、団員さんに拠れば「今やうちは世界一上手なテレワークオーケストラ」とのこと(世界中で行われるようになったこの類いのテレワークの中には、音程を弄っていたり、場合によっては単なるカラオケになってたりするものもあるそうで…)。そんな中、満を持して、NJPワールド・ドリーム・オーケストラ監督たるマエストロ久石が登場!一昔前なら「フィドラー指揮ボストン・ポップス」やら「ボスコフスキー指揮(敢えてクレメンス・クラウスとは言いません)ヴィーンフィル」にも匹敵する最強コンビのテレワーク作品が完成し、公開されましたですぅ。ほれっ。

昨日くらいから公開されていたのですけど、何を隠そう不祥やくぺん先生、この《さんぽ》という音楽に対しては一種の「もうやめてくれ」アレルギーがありまして(ぶっちゃけ、アウトリーチでこれが鳴り出すとそれまでつまんなそうにしていた子供たち大喜び、という状況をある時期に眺めすぎ、《さんぽ》禁止令を出した事があるほどでありまする)、あああああ、なんでこれやるかなぁ、《ワールド・ドリームのテーマ》とは言わないが、《君をのせて》とか《アシタカ聶記》とかやればいいのにぃ、と思って眺めないでおりましたです。中身としては凄く上手くいっている、という話は気になってたけどさ。

で、訳あって、意を決して眺めることになり、先程やっと拝聴させていただきましたですがぁ…いやはや、これは凄い、なーるほど、と膝を打ち、大いに納得がいった次第でありました。

これ、要するに、《「さんぼ」による若い聴衆のための管弦楽入門》ヴィデオクリップなんですわ。テレワークがどうだ、というハンディキャップ(なんでしょうね)を全く感じることなく、「久石譲指揮でワールド・ドリーム・オーケストラが子供たちに視せるために制作した楽器紹介映像作品」として、極めてちゃんとしたもの。

だけど、この3ヶ月のテレワークという異常な環境がなかったら、誰もこんなアホで手間のかかることはやる筈もなく、コロナ無しでは存在しなかったパッケージであることは確か。

このコロナのパンデミックお籠もりが生んだ、恐らくは、最も意味のある「作品」でしょう。これ、ナレーターを差し替えて、各国語版を作って、NJPへのドーネーションをお願いします、と世界中に出せば、そこそこいくんじゃないかしらね。

プロデュースとしても、NJPの公式スポンサーのひとつがきちんと社名を出して提供しており、最後に出演者以下のクレジットも入ってるわけですから、団員のボランティア勝手連仕事を越えたものになっていることは明らか。いかにも「裁判だなんだ面倒を言ってるよりも、やれることやろう」と組合から分裂した創設の歴史を感じさせる(そして未だにその経緯を重視している還暦以降の方々も少なからずいる)、この団体らしいパンデミックの成果であります。そんな世代、ひとりとしていないけどね、この四角い箱の中には。

ともかく、背景なんてどうでもいい。状況を利用したのでも良いし、上手い具合に流れに乗っかったのでも良い。なんであれ、きちんと評価に耐えられるものが出てきたことを素直に喜びたいと思うのでありまする。誰がホントに偉かったのか、そのあたりの評価には、もう少し時間がかかるでしょうけど。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

「インターネット配信」の違いの表記について [売文稼業]

昨日から、溜池の初夏恒例の室内楽音楽祭、「チェンバーミュージックガーデン(CMG)2020」が2週末のオンライン上音楽祭として始まっています。また、先程午後3時から、東京郊外は調布で開催されていた「調布国際音楽祭」がこれまた1週間のオンライン音楽祭として開幕セレモニーがライヴで流されました。

人と人が距離を取って生活する、他人に息や唾液を極力吹きかけない、不特定多数の人が触りそうな場所には極力触れないようにする、などなどの条件を付けられた生活が始まって早や2ヶ月以上。ゲーム感覚でやってるみたいなちょっと滑稽な違和感が、いつの間にやら「それが当たり前」って感じにすらなりつつある今日この頃、欧米は学校の卒業式も終わりシーズンオフの地方音楽祭の季節となり、ヴァーチャル空間上にはそれなりの規模や仕掛けの、ほんまもんのライヴが戻りつつあります。

今、ほんまもんのライヴ、と記しているのには理由があります。手元に携帯端末がありまともなインターネット環境でありさえすれば、一部の地域以外なら誰でも個人レベルで映像音声が(その地域の御上と、相手に受ける気さえあれば)世界中の不特定多数に配信できてしまうというグーテンベルク以来数世紀ぶりの驚異的な情報革命が起きている真っ最中に勃発したコロナ・パンデミック、お籠もり生活の中で、御上から電波の使用許認可を獲得した特定の組織のみが独占しコントロールしていた音楽演奏の生配信はもう電話くらいに普通のものになってしまいました。

そのような状況下、この数ヶ月で「インターネットでの音楽映像配信」は一気に常識を通り越して、必需品になってしまった。となると、実は「インターネットでの配信」にもいろいろな違いがあることが、配信側だけでなく、受ける側にもなんとなく判ってきた。

先週だか、インターネットでのライブ演奏配信を行おうというある組織の方のお手伝いで、受信テストのモニターみたいなことをやったのですけど、そこで問題になったのが、様々な種類がある「インターネットでの配信」の違いをきちんと違う種類のものとして伝える用語はないのだろうか、ということでありました。

一昔前ならば「NHKがこういう風に表記してます」とか「讀賣新聞はこうしてますね」とか、メイジャーなマスメディアの表記に合わせるのが常識でした。それがいかに滅茶苦茶で、学者先生やマニアさんが文句を言おうが、NHKがこう記してるんだからしょーがないでしょ、と応じるしかない。おお、今や古き良き大メディア情報独占時代よっ!

てなわけで、もう今や日本語表記のお手本になるにお手本メディアなど存在しない、と割り切って、「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする当無責任電子壁新聞としましては、勝手に「インターネット配信」の表記の違いを以下のように定義する次第でありまする。

ライヴ配信:端末で映像音楽が受信可能となっている瞬間に、実際に世界のどこかでその演奏が行われている配信。

限定ライヴ配信:特定の手続きをした視聴者のみに受信可能となるライヴ配信。配信プラットフォームが提供する有料電子チケットを購入する、主催者(パーフォーマー個人の場合もあり)への一定額以上のドーネーションを行う、などでアクセスコードを入手することで視聴が可能になる。

ヴィデオ配信:事前に収録し編集を行った映像音楽の配信。要は、CDやDVDなど「パッケージ」の配信のネット版。

重要な違いは、「ライヴ配信」なのか「ヴィデオ配信」なのか。それと、「視聴者限定」なのか「オープン」なのか。さらに、「期間限定」なのか「アルヒーフ(原則、いつでも視られます)」なのか。ま、その辺りをハッキリされられれば、今のところは用語としては充分なじゃないかしら。

なんのことはない、この表記、「調布国際音楽祭」さんの表記に合わせたものです。これ、現時点ではいちばん妥当だなぁ、と判断した次第。横文字系はどうなってるかとか、まだまだ議論はありますが、ともかくこんなところで。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

「日本音楽会場協会」のガイドライン [パンデミックな日々]

当無責任電子壁新聞に昨日付でアップした「現在の日本で最もメイジャーなクラシック演奏団体が集まって出したコンサート再開ガイドライン」を巡る突っ込み記事で、小規模コンサートスペースやライヴハウスの状況について、ちょっと触れました。

この話は、マスメディアでは「ライブハウスの苦境」みたいな扱い方で「今日のコロナで困っている人」枠で取り上げられたり、コロナ騒動回顧の際に大阪は京橋のライヴハウスが関西での最初のホットスポットになって、さて今は、みたいな形で語られることがあるくらい。御上の助成金などとは全く無縁な、とはいっても億単位のお金が動いて大企業スポンサーや巨大広告代理店も関わる大規模興行の世界でもないので、まあ、どこも大変なんだから好きでやってる人たちは勝手に困ってなさい、俺には関係ないけど、という状況になってしまうのは仕方ないでありましょう。

このパンデミックお籠もりがピークに達していた(というのか?)先月の終わり、ライヴハウスなどのオーナーさんやら主催者さんが集まり、「日本音楽会場協会」という団体が作られました。そこが、以下のような「ガイドライン」を出しています。PDF3つになりますが、昨日アップしたオケ連などのガイドラインのお役所作文とは違う簡素なものですので、全部貼り付けておきます。
1、定義及び目的.pdf
2、ガイドライン.pdf
3,対応内容.pdf
1がこのガイドラインが対象とする会場などの定義。2は、先月末くらいに話題になっていた東京都の警戒レベルに対応する話。で、3が具体的にどうするか。

興味深いのは、3で極めて重要なのが「客の動きをきちんと把握する」こととしている部分ですな。これ、オケ連などのガイドラインでは、諦めてるのか、そこはうちらの仕事じゃない、と割り切った。関心の違い、大ホールとコンサートスペースの切実さのポイントの違いが見えてきますな。

ところで、この「日本音楽会場協会」なる任意団体ですけど、どうもこのガイドライン発表後、迷走を始めているというか、良く判らないことになってるみたい。なんせ、この団体名で検索しても、公式ページなどが出てこない。で、いきなり出てくるのがこれです。
https://www.youtube.com/channel/UCOaIQhO9hP4KpU0IfmmZx-A
公式が、YouTubeみたいなんですわ。いやぁ、凄い時代になったなぁ。んで、最新のアップが「ガイドラインもう限界」ですから…

ま、いかにも「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとする当無責任私設壁新聞が紹介するに相応しい団体といえばそれまででしょーけど…とにもかくにも、メイジャーオーケストラだけではなく、こういう小規模な会場の動きも一方ではありますよ、というご紹介でありました。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

「クラシック音楽公演における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」なるもの [パンデミックな日々]

完全に後の回顧のためのメモです。

既に業界現場のあちこちで議論されているようですが、昨日、「クラシック音楽公演における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」なるものが出されました。作ったのは、「一般社団法人日本クラシック音楽事業協会(加盟団体93団体)、公益社団法人日本オーケストラ連盟(加盟団体37団体)、公益社団法人日本演奏連盟(全国の音楽実演家等3,155人加盟) ほかで構成された、”クラシック音楽公演運営推進協議会”」だそうで、要は、「所謂クラシック音楽の実演を商売にしている方々の集まり」、業界団体ということです。PDFにしておきます。こちら。
classic_guideline0612.pdf

さても、酒の肴にみんなでよってたかって突っ込みを入れるのがいちばん良いんでしょうが、どうもそういうオンライン・ミーティングみたいなものは駄目な爺い世代としては、勝手にひとり突っ込みをしようと思ったんだけど……どうもなんだか、突っ込む気にならぬ。なにしろ、第1稿「 はじめに」で記される現状認識はともかく、じゃあどうするか、という議論の最初に「国の方針を踏まえ」とある。おいおいおい、国の方針、ってなんなんねん?我が御上、どういう「方針」があるんねん?「決定的な治療方法が見つかっていない病気の蔓延を少しでも防ぎ、人の命を守ること」が国の方針なのか、「人の命は大事だけど、経済が成り立たないと駄目でしょ」なのか、どっちなのよ?

ってなわけで、もうここで先を読む気がなくなってしまうわけだが、「何がいちばん大事かは空気や流れに任せ、なんとなく決まってるらしいことにする」というのがニッポンの大人であり、気配り忖度の美徳なのでありますから、非国民と言われたくなかったらそこはぐっと堪え、先に進まねばならないのであーる……いやはや。

だから、もう、ここから先は雑談でしかない、ということでんな。悪しからず。

さても、第2項には、この文書がどういうものか記してある。「クラシック音楽公演運営推進協議会として、クラシック音楽公演の開催における新型コロナウイルス感染症予防対策として実施すべき基本的事項を整理し、今後の取組の参考に供するために作成したもの」だそうな。「参考」だそうです。んで、これを参考に実際の公演を行う際には、「公演主催者が活動を再開するかどうかの判断にあたっては、会場の所在する都道府県の知事からの要請等を踏まえ、施設管理者と公演主催者にて協議を行い、本ガイドラインが示す感染防止対策の対応がどの程度実施できるかを踏まえた慎重な判断を求めるとともに、クラシック音楽公演において感染者の発生やクラスター等が生じないよう万全な取り組みを行っていくことを求めます。」とのこと。それぞれの地域の御上や、ホールさんや主催者さんとちゃんと話をして、ここに書いてあるからこれでやれば良いんだ、なんて責任をうちに持ってこないでね、ってことね。最も重要なのはあんたの公演で感染者やクラスターを出さないことですから、ってのがハッキリ記してある。これがこの団体としての一番大事なことなんでしょう。

第3項では、クラシック音楽の公演を行うコンサートホール(音楽堂、という御上用語は流石に使ってないんですねぇ)のキャラクターがどういうものかをさりげなく示してくれていて、なるほど、この文書は「劇場法下での音楽堂での公演」が前提なのね、と判る。この部分は、加えるかどうか、内部で議論があっただろうなぁ。野外コンサート、ロビーコンサート、アウトリーチ演奏、それに所謂「コンサートスペース」などの個人運営のマイクロホールに関してはここでは議論してませんよ、ということだもんね。

ちなみに、コンサートスペースに関しては、数週間前にライヴハウスを中心に小スペースの対策協議会みたいなものを作る動きがありました。とはいえ、御上や他の奴らとは関係なく自分で自分のやりたいことをやる、という方々が束になってるわけですから、なかなか上手くは行っていないみたいです。所謂「クラシック」系からの参加もあまりないようだし。おっと、これは別のカテゴリーになりそうなので、ここまで。

っても、あとは具体的な対策が延々と記されているわけで、こういうのは実際に自分で現場をやってみないと「ああそうですか」としか言い様がない。それこそ、個々の演奏会によって千差万別、ここにはこう書いてあるけど、どうするべーか、ってことだらけになるのでしょう。突っ込み出せばキリがないわなぁ。ともかく、3月頭のびわ湖ホールで《神々の黄昏》GPを眺めたときに楽屋から入れられ、ホールという密閉空間に入るためにいろいろやらされ、これはどうやらただ事ではないことになってるぞ、と思わされて以来、NJP演奏会のトリフォニーとか、東京・春・音楽祭の旧奏楽堂とかで成されていた対応を、ありったけ書き並べてみました、ってもんです。他に何か落ちてることありませんかぁ、って感じの文書ですな。

あれぇ、と思ったのは、会場でのクラスター発生を潰すのがいちばん重要という基本方針から考えれば、「集まっていた人をきちんと把握し、クラスター発生時に追いかけられるようにする」といういちばん重要な部分はスルーされていることです。韓国の携帯端末を用いた封じ込めの基本がこれで、一応の成功例とされているわけだが、何故か我が御上は「個人情報の問題」とか「サヨがまた騒ぐから」とか仰ってやりたがらない。

まあ、この文書の目的が「クラスターを出さないこと」にあって、「クラスターが出ちゃったらどうするか」ではないのだ、と反論されればそえまでなのでしょう。だけど、「会場に来ていた人のきちんとした記録をどうやって取るか」というのは、実際にクラスターを発生させる悪者にされてしまい、その後は本気でクラスター発生を恐れているライブハウスや小劇場、コンサートスペースの業界では最重要課題なので、ちょっと違和感を感じます。この文書を作成する過程でも議論があり、今回はそれはなしにしておきましょう、ということになったんだろーなー……

第2章は、ホントに現場関係者向けの内容なので、ご関心の方はご覧あれ、でおしまい。ただ、やくぺん先生らの職種とすれば、期待していた項目がまるでないのはちょっと困ってます。つまり、「報道関係者はどうするの?」ということ。それ、なーんにも書いてないんですよ。

正直、「報道関係者、マスコミ、ジャーナリストは特別扱いせず、裏には一切近づけないこと」ってくらいの文章を入れてくれちゃった方が話は楽だっんだけどなぁ。いやはや、「なにも言わないから、それぞれの広報さんが考えて適当にやってね」だわさ。

以上、これが単なる「コロナ騒動のときの歴史的文書のひとつ」と笑い話になる日が……来るのやら。

[重要な追記]

14日日曜日の昼過ぎです。昨日13日土曜日くらいから、世界中で「三密回避で聴衆を入れたコンサート」が復活し、SNS上はそんなニュースで溢れかえってます。

京都コンサートホールの小ホールでは京フィルが「コロナ後日本初の一般聴衆を入れたコンサート」を行い
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200613/k10012469651000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_016&fbclid=IwAR3dUrEShGb4DKXnMl2RG5fegklv1hHKAlv2tG2teVI09ncmJyli80aOYQA
お隣半島の先っぽのトンヨンでもエスメQが応手から帰国し2週間の隔離を行った後に、無事に聴衆入り初コンサートを行ったとのこと。ソウルでは月末に韓国国立オペラがアーツセンターのオペラハウスでフルステージ《マノン》をコロナ後世界初のフルサイズオペラの公開上演を行うとのことですし。台湾はもう先週から復活しており、昨日はベートーヴェンの交響曲ふたつ、なんて完全に普通の演奏会が戻ってきているみたい。来週はマーラーの9番だそうだし(案外編成小さいからね、あの曲って)。

そんな最中、オケ連さんが上述の文書を公式ホームページにアップし、やくぺん先生が「国って、なんじゃい?」と突っ込んだのに切り返すような情報を出して下さいました。
https://www.orchestra.or.jp/information/2020/post-31/
ガイドラインとやらそのものは、上述の中身と同じものですが、大事なのはその下にある情報。「当ガイドラインは、経済産業省、文化庁ならびに内閣官房コロナ対策 推進室、政府のコロナ対策専門家会議の有識者の監修を経て策定したものです。」
つまり、霞ヶ関のあちこちにちゃんとたらい回しして判子貰ってますよ(比喩ですが)、ってこと。誰も責任を取らないようになってる縦割り行政の姿がよく見えますな。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

音楽の都の室内楽再開は作品70から [音楽業界]

何故か知らぬが、今日の朝には久しぶりに欧州北米のあちこちから「今後の我が団体の方針」みたいなリリースなりが送りつけられ、シーズンも終わりで秋以降の方針を出さねばならぬ時期になってきたようじゃのぉ、と思ったら、鎖国ニッポンは新帝都に梅雨入りが宣言されたようでありまする。聖霊降臨祭も過ぎ、ニュルンベルクでは老マイスターが世代交代を考え、ファルスタッフが王殺しの儀式で殺される夏至も近い今日この頃。このまま、あっという間に秋が来て、冬になって…

欧州や北米のこの秋以降の新シーズンの流れは、どうもはっきりとふたつに傾向が分かれそう。ひとつは、大陸型の膨大な税金を用い社会インフラとしてのアーツ組織や業界(専門家)を支えることが常識になっている社会で、観光産業なども巻き込み、アルプスから北の大陸は夏の音楽祭をひとつの実験としてなんとか最低限の早期復旧をもくろんでいる。こちら、昨晩以来、マニアさん達の間で「どうやって鎖国日本を抜けてモーツァルトの街までたどり着けるか」喧々囂々の議論が展開しているザルツブルク音楽祭の発表。
https://www.salzburgerfestspiele.at/
細かく見ていくといろいろ興味深いラインナップで、特にバレンボイムのアラブ&イスラエル若者オケが小編成だったりするのは、8月までにEU外からの人の往来がどこまで可能になるのかが見えないからなんでしょうねぇ。ぶっちゃけ、100年の記念年なんだら、もうアジア、南北米、豪州からの客は一切配慮せず、席もフェルゼンライトシューレで500席くらいにしちゃって、独墺スーパーセレブの為の音楽祭という本来の姿に立ち戻ってみる絶好のチャンスではないか、と思うんですけどねぇ。まあ、事務局側含め、絶対にそんなこと口に出来ないでしょうけど。

そんな大陸の「イケイケ」なこのところの勢いとは裏腹に、かつては世界の音楽産業音情報をコントロールする音楽産業中心地だったロンドンや、海を越えた北米などの「アートは個人のサポートが基本」の場所からは、悲観的というか、長期的には相当厳しいことになるだろうという見方がはっきり出てきています。例えば、数日前に出たのこの記事とか。
“A lot of music venues are in city centres in sort of prime real estate. If they can’t continue to make the money that keeps the doors open then I think their landlords will be thinking about doing something else with the properties. We could very easily lose half the music venues we have in the UK during this crisis if there isn’t more permanent support for them.”
って、東京だって、サントリー芸術財団が森ビルにホール賃貸料を払えなくなる、なんてことは…ないのかな?巣籠もりでお酒の売り上げは好調だったりするのかしら?
https://www.theguardian.com/culture/2020/jun/09/majority-of-uk-theatres-and-music-venues-face-permanent-shutdown1
民間セクターと公共をきちんと分けて議論しているものとしては、今月頭に「ル・モンド」が出したこの状況鳥瞰記事があります。日本ではあまり意識されずに自然に形成されつつある「当面は鎖国でやるしかない」という認識は、パリみたいにあらゆる人がやってきて仕事をしていくのが当たり前だったところでは、判っていても「質が下がるのでは……」という恐怖に直結するのでしょうねぇ。
https://www.lemonde.fr/culture/article/2020/06/02/salles-de-spectacle-a-la-recherche-de-l-alchimie-perdue_6041432_3246.html?fbclid=IwAR0EPqXcDbM7ZSDo5jZy8qSYKElJW88PWbcBeZT4Fuqfo7MRu0IKdAGmVxc
あ、勿論フランス語で、やくぺん先生もちゃんと読めてるとは思えませんので、ご観戦のある向きはしっかり読んでください。

それはそれとして、日本でも今週に入りすみだトリフォニーでNJPが医療専門家や区の関係者と非公開で演奏テストをやり、上野の文化会館では都響が医療関係者ばかりか報道や、はたまた一般聴衆も入れた実質上の公開でのテスト演奏を始めています。サントリーホールが昨日に日本フィルで有料無観客ライヴをやり、週末からはブルーローズでCMG、はたまた遙か調布では「オンラインだけでの音楽祭」などとぶち上げているし。

来週になると、いよいよやくぺん先生も某ホールに座ることになりそうですが、こんな無責任壁新聞に記して良いことやら、状況を見ないと判らないところも多々あるので、ま、それまでお待ちあれ。って、専門的な記事など書きようがない話だけど……

さても、「ル・モンド」が心配する「質」に関して、ちょっとだけ前向きな話題。ええ、日本時間での本日木曜早朝からこの週末くらいまで、これ以上の公共セクターはないヴィーン国立歌劇場の日替わりライヴ無料ストリーミングで、いよいよホントのライヴ中継の舞台が視られます。こちらからどうぞ。
https://www.staatsoperlive.com/live
このページに行けた方なら(なんか無料の登録とかいろいろあるみたいで、簡単じゃなかったらゴメン)、多分、最初から二つ目か三つ目くらい、シュトラウスのバレエをノイマイヤー御大が振り付けした定番超傑作舞台の次にある「ヴィーンフィルの室内楽」って奴です。

これ、ご覧になればそれまでなんですが、あのデカいオペラハウスのピットに蓋をして、幕を下ろして、ピット上舞台にピアノ三重奏をセッティングし、平土間にポツポツと聴衆を入れてライヴをお届けする、というもの。

始まって25分くらいは延々と「宣伝」としか言えないものをやっていて、28分くらいから三密回避の平土間と、奥にいるカメラマンのおばちゃんなんかを舐めるように写し、33分くらいからやっと演奏家が出てきて、始まります。譜めくりのアジア系のお嬢さん以外はマスクもなく、ご覧のように配置もとりわけ「三密回避」をこれみよがしにやっているわけでもない。
DSCN5235.jpg
まあ、こういう街の真ん中のでっかい劇場のピットに蓋をしての室内楽って、やくぺん先生なんぞにしてみれば、レッジョ・エミリアでもボルドーでも、いつも眺めているやる方なので、「ちょっと間があいてるかなぁ、でもまぁ、こういう会場でコンクールの一次予選の朝くらいしか客が入ってない状況だと、こういう座り方になるのはあるだろーなー」って感じ。違和感はないですな。

そして、なによりも、演奏してくれるのが「耳に優しいみんなが知ってる名曲」とか「コロナの引き籠もりの気持ちを盛り上げる音楽」とかではないし、無論、「こんな特別な状況で演奏できるのはこんな曲しかありません、ゴメン」ってのでもない。正真正銘の、まともな普通の室内楽コンサート。場所だってこの舞台から下手に出て道渡った向こうは、《エロイカ》やらが初演されたロプコヴィッツ伯爵のお宅なんですから、始まったとたんに水入りになっちゃってるベートーヴェン生誕250年のお祝いを再開するのに作品70の2曲のピアノ三重奏曲を演奏するのに、これ以上の場所はなかろーに!

それに、みんなが知ってる《大公》でもなく、ましてやコロナで命を失った芸術家を忍ぶためのチャイコフスキーでもなく、この作曲家のなんのかんので14曲くらいはある(ちゃんとした大人の作品は8曲だけど)ピアノ・トリオの中でも、作品の充実ぶりに比べると余りに知名度が低すぎる作品70の2をメインに持ってきてくれるなんて、ヴィーンの楽人、なかなかやってくれるじゃああーりませんかぁっ。

この12週間、こういう、普通の、当たり前の、きちんとしたものを、私たちは聴きたかった。三密を透けたどういう座り方をしているかとか、譜めくりのお嬢さんがマスクをしているとか、そういうことじゃあなくてぇ、《幽霊》の第2楽章の雰囲気のいかにもそれっぽい雰囲気の作り方は流石にオペラのオーケストラとして日々ピットに入ってる人たちだとか、ベーゼンのピアノの音はやはりヴィーンの室内楽っぽくて素晴らしいとか、ひとつの演奏会として提示された音楽を、何の注釈も特別な意味づけもなく、当たり前に聴いてる奴らがてんでに勝手なこと言って評価すればそれで充分な1時間。

祝、音楽の都でのライヴ再開!祝、ベートーヴェンさんのお誕生250年!

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

ライヴの日程が戻る日 [パンデミックな日々]

実質上の「非常時日記」であるこのカテゴリー、こんなタイトルが出るのは終わりが見えてきたということなのか、それとも新たな日々が始まったというだけのことなのやら?

ちょっと早すぎる桜が咲き誇る上野の山の超三密を抜け向かった旧奏楽堂で、《大公》が鳴り終わった3月21日の土曜日から、本日でまるまる11週間が過ぎたところ。こんな頃だったのかぁ。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-03-20

昨日の夕方、東京都独自の政令でもない要請で警戒が出ているとはいえ、聖霊降臨祭も終わり水無月に入り、梅雨入り前の一年で一番外で過ごすのが気持ち良い新帝都には夏至へと向かう長い昼間が続く湿気もそう酷くない爽やかな日曜日。日常になるんならもうちょっとオシャレなアイテムとできんものか、計算高い頭の良い皆さんがたくさん居るファッション業界なのに妙な商売っ気の無さに陰謀でもあると思わざるを得ぬ無骨なマスクが人々の顔面下部に貼り付いているものの、オーストラリア東海岸の12月みたいな爽やかな風が吹き抜ける中を帝都新開地川向こう葛飾の柿ノ木下オフィスに戻ると…ひとつ連絡が来ておりました。

ええ、現状ではどのようなコンサートか、オープンにして良いものやら判らない。んで、残念ながらデータなどは記せません。とにもかくにも、再来週の日曜日の夕方に、ひとつライヴの演奏会を聴けることになりましたです。このパンデミックのお籠もりの間、連日、YouTubeで自分の演奏をアップしていた某打楽器奏者さんが、孤独に鍛え上げていた大作を一気に披露するという独奏演奏会。オーケストラをパラパラ配置し、耳に優しい楽しい名曲を久しぶりにやりましょ、とかじゃない。全く普通の、まともな「ゲンダイオンガク」のライヴでありまする。

先週くらいから、4月頭の緊急事態発令で急にストップさせられていた「無観客有料ライヴのネット配信」が堰を切って各地で始まろうとしている今、「いつもの演奏会が出来ないのでこの演目です」というニュースに喜びつつ、複雑な気持ちを抱くばかりであった今日この頃、そんなハンディキャップ無しで、正真正銘、真っ向勝負の演奏会であります。本来なら、このパンデミックお籠もり期間中に「B→C」に出演する予定だった若きソリストさん(誰だかバレバレ…)、復活の演奏会に相応しい夕べとなるでありましょうぞっ。

などと思いつつも、なんだかこの緩みはマズいんじゃないかぁ…と思いつつ、さっさと寝て起きて、すっかり夏の空になった柿の木の上を見上げながら朝のゴミ出し前の掃除をしてたら、これまたコロナ禍では大変なことになった(なっている)遙か北の大地から、こんな連絡が入りました。
https://quartet-excelsior.wixsite.com/schedule/20-7-1

7月1日のエク札幌定期、三密回避で決行することになりました。で、NPOエクの顧問として、公式カメラマン&動画撮影諸々のボランティア仕事のため、赴くことになった次第でありまする。

何しろ演目は、かのベートーヴェンの作品132です。この瞬間を狙っていたように、「病からの快癒を神に感謝するリディア調の讃歌」が、PMFがなくなってしまいぽっかりと空いてしまった札幌の音楽好きの心の空白を埋めよと響き渡るのでありまするっ!

世間では大規模合奏や合唱がいつ再開出来るかという話題ばかりが聞こえてくる気がしないでもないが(ひがみ、と言えば言えっ!)、今こそ独奏や弦楽四重奏こそがその真価を発揮するときであります。作品132の第3楽章は第九の第3楽章にだって匹敵する、いや、敢えて暴言すれば、凌駕さえする音楽!三密回避条件など軽々と乗り越え、高く深く、北の空に響けえええええ!

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

ヴィーンの《レオノーレ》鑑賞のお供に [音楽業界]

本日は久しぶりに佃の勉強部屋に陣取って、来週から動き出したくてむずむずしている業界の関連広報さんやらに面倒なメールを書かねば…と思っていたのだけど、「今日だけのライヴストリームをちょっと眺めて…」という春からすっかり毎日の習慣になってしまっているネット巡回を始めたら…やはりヴィーンの《レオノーレ》はちゃんと視ないとマズいなぁ。こちら。あ、登録していないと開かないかもしれないなぁ。ま、なんとか頑張って下さい。
https://www.staatsoperlive.com/live
まだ丸一日くらいは視られるのかしら。

ベートーヴェン生誕記念250年で大いに盛り上がる筈だった2020年、楽聖の本家本元、天下のヴィーンの世界に冠たる劇場がまず最初に出してきたのが、《エロイカ》や《ラズモフスキー》セットの頃に書かれた、この作曲家唯一の歌劇の最初の版でありました。普通に考えれば、ミンコフスキ指揮&ルーブル楽団でリンクの外の初演を行ったアン・デア・ヴィーン劇場かなんかがいかにもやりそうな企画ですな。ま、経緯はどうあれ、2月の頭からまずはこの《レオノーレ》初稿版の公演が5回あり、この5月には本来なら最終決定稿たる第3稿の《フィデリオ》が出される予定だった。いかにも記念年らしいラインナップだったのだけど、当然ながら《フィデリオ》の方はコロナ禍で劇場が休館になってる真っ最中、上演されておりません。

このプロダクション、ちょっとクセのある若手演出家さんに任され、演奏者も若手中心。いかにも企画ものらしいラインナップではあります。で、やくぺん先生ったら、ぶっちゃけ、「馴染みのない初稿をヴィーン国立歌劇場としては初上演するのだから、今時の才気走った古楽っぽい指揮者かなんかのお勉強っぽい演奏演出なんじゃろうなぁ、さて、じゃあ拝聴してやろーか」とばかりに、なーんにも勉強せずに視聴を始めたでありまする。初演第1稿って、一部の楽曲が失われていたりするわけで、そこをどう補充しているかなども、なーんにも調べずにいきなり聴き始めた次第。

ったらもう、最初の《レオノーレ第2番》なんて序曲からして、モチーフがあっちこっちに行っていつまでも終わらぬながあああああいよー知らんもんが始まり、その途中から奥でレオノーレとフロレスタンが幸せそうな若夫婦やってるパントマイムが始まり、それはそれでああそうですか、なんだけど、幕が開くとレオノーレが歌手と役者の二人一役であれぇ、と思い…最後は、ある意味、死んでいくレオノーレの夢オチ、ともとれる処理の仕方で終わり…

とにもかくにも、いろいろ言い立てればキリがない。まだ視られるのですから、ご関心の向きはさっさとご覧あれ。《フィデリオ》をよくご存じの方であればあるほど面白がれます。

で、当無責任電子壁新聞とすれば、せっかくだからやくぺん先生の世を忍ぶニンゲン体が15年も前にNJPでアルミンク王子が《レオノーレ》第2稿改訂版をセミステージ形式上演したときの曲目解説を、ボランティアで提供しましょうぞ。ほれ。
NJP0503レオノーレ.pdf

ぶっちゃけ、この映像で視られる初稿と、第1幕のロッコ一家の話を中心に短くした第2稿の間にも、かなりの違いがあります。とはいえ、レオノーレとマルチェリーナのヴァイオリンとチェロのオブリガート付きみたいな二重唱とか、第2稿にも含まれるけど決定稿にはないナンバーなどもあり、なかなか興味深い資料にはなるでありましょうぞ。やくぺん先生からのベートーヴェン250年祭へのボランティア参加でありまする。著作権がNJPにあるわけじゃないですから、問題は無いでしょうし。

それにしても、このような特殊な作品の、ぶっちゃけ、興味本位、という言葉でしか言い様がない上演でありながら、いろいろと問題多い台本をまともに読み込んで、絶対に文句言われること必至の舞台をしっかり作り上げてくるなんて、ヴィーンは懐が深いというか、古典芸能の創造性ってのはこういうものなんだと見せつけてくれるというか。カーテンコールでスタッフ陣が出てきたときの壮大なブーイングを眺めるだけでも、価値がありますよ。一昨年の初台も、カタリーナおばちゃんはこれくらいのブーを期待してたんじゃないかしらね。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

ネット漬け週間の終わり…? [パンデミックな日々]

今週末でお籠もり対応無料配信が終わるアムステルダムの《リング》を、半年前にライヴを眺めて現時点ではやくぺん先生としてはニッポン列島外で見物した最後の舞台となっている《ヴァルキューレ》は抜いて
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-12-04
一応全部眺め、葛飾オフィスから先月末に再オープンしたインバウンド混雑皆無のソラマチを経由し、感染危機が鉄道より高そうな密閉空間たる都バスに久しぶりに乗車(冷房を入れながら、あちこち窓を開けておりました)、週末の佃の庵に戻ってまいりました。

今週佃の塒に届いた数少ない郵便物の束の中に、二期会さんからの連絡があり、「7月に予定していた《ルル》は、2022年8月に延期。会場は文化会館から新宿文化センターに変更になります」との案内が。大きな舞台プロダクションで「中止」ではなく「延期」をきちんと通達してきたのは、これが初めてじゃないかしら。
http://www.nikikai.net/news/view_00572.html

今週から再オープンしたシン・ゴジラ視線の勉強部屋に陣取り、大川を上り下りするようになった観光船を見下ろし、梅雨の走りのような半端な雲の下を東京タワーや未だ無人(なんでしょ)の電通ビルの上を羽田空港に向けちっちゃなビジネスジェット仕様737が降りていくのを眺めてます。
YAL_0805.jpg
葛飾お籠もりのひとつの理由がなくなったのだけど、来週以降、今の妙な緩んだ感じのままにダラダラと新帝都のあちこちで再開される三密回避ライヴや生ネット配信系のコンサートの現場取材などが入ることになったら、これまで以上に感染の危機に晒されることになる。

となると、佃の家族のところには戻らず、葛飾オフィスを拠点に動く方が家庭内感染を避ける意味では安全なのだけど…葛飾オフィスからだと自転車で会場まで行けるのは葛飾シンフォニーヒルズくらいしかなく(京成電車で15分とはいえ、荒川放水路の彼方の上野は物理的な距離は案外遠い)、公共交通リスクが増えるばかり。さても、どうしたものやら。

なんであれ、びわ湖リング配信で始まったこの13週間におよぶ「日程の縛りは、メイジャー劇場からの期間限定配信スケジュールのみ」という生活、いよいよ終わりになるのであろーか。

メモをチェックしたら、コロナ騒動がなければ視られなかった、若しくは視なかったであろうオペラ全曲のソフト視聴数は総計50本にも及んでら。それに加え、これだけ締め切りがないときでなきゃ視る気になれないYouTube上やら、買ってはあるが積んどくになってたパッケージソフト、はたまた録画をお願いしてBlu-rayに焼いて貰っていながら視ていなかった放送録画なども、1ダースくらいは処理できた(処理、なんて制作してる方々には誠に失礼な言い方、お許しを)。これって、3ヶ月くらいヨーロッパから北米の諸都市を転々と動きまわって、ほぼ連日どっかの劇場なりに潜り込む、ってくらい数ではありませんか。体力ばかりはあって、あらゆるものがみられる、理解出来ると信じ込んでいた40代から50代はじめ頃みたいな、無茶なツアーであることよ。

あのスカラ座のクルターク《エンドゲーム》世界初演とか、ベルリンでやったヴィドマン《バビロン》改訂版の初演とか
IMG_4833.jpg
まさか公式に視られるとは思わなかった貴重な映像もあったし、『戦後のオペラ』を書いたときからずっと探していて視たかったがどうしても出てこなかったシュトゥットガルトの《サティアグラハ》とか、昨年秋に医者から病人認定されて出国禁止となり涙を飲んだジュネーヴの《浜辺のアインシュタイン》とか、現代のパッチワーク的な創作のひとつの大規模例を示してくれたこれまたシュトゥットガルトの《ボリス》とか、新作の同じプロダクションをメトとヴィーンという異なる二大メイジャー劇場のプロダクション比べを視せてくれたアデスの《テンペスト》とか…敬愛するロヴェット御大以下、このコロナ禍で命を落とされた皆様には本当に申し訳ないけれど、まさかまさかの経験をさせていただきましたです。

って言いながらも、この週末はヴィーンの《レオノーレ》、来週以降はメトのグラス初期偉人三部作の最近のメト上演があるふたつ(《浜辺のアインシュタイン》は会場がメトだっただけで初演時の主催は違ったみたい、あの頃は今のメトの舞台を貸し劇場としても使わせていたんですかねぇ?)とか、まだ週に二日くらいはパソコン前に貼り付く日々は続きそう。

ここから先は、「2019年暮れまでの日常への恢復の道筋」として記録すべきなのか、それとも「人類が過去に経験したことない新たな状況にじわじわと移っていく過程」に旗印を立てていくのが仕事なのか?湿った水無月最初の週が終わろうとする新帝都の夕暮れをぼーっと眺めていても、まだなぁんにも判らない。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽