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ライネッケ生誕200年 [弦楽四重奏]

記念年というのは便利と言えば便利、普段、あまり関心がない事柄やら人に注目するきっかけになるんだから、大いに利用しようではないかぁ。

ってなわけで、いきなりですが、カール・ライネッケでありまする。なんといってもフルート業界の方には極めて重要な名前、それからハープ奏者さんにしてみればコンクール本選までいくつもりなら絶対に必須な作曲家さんですわな。あとは、19世紀ロマン派の作曲家評伝を眺めているとちょこちこ作曲の先生とかライプツィヒ・ゲヴァントハウスの偉い人として盛んに名前が出てきたり。

そのライネッケさん、生誕200年でありまする。で、記念演奏会です。こちら。
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当無責任電子壁新聞の立ち読みに来ているような酔狂な方ならよくご存じ、21世紀の「古楽器」を越えた(当たり前になった)時代のクァルテットでありまする。
https://quartettooceano.wixsite.com/main

この団体が積極的に取り組んでいる「古典派からロマン派の、みんな名前はなんとなく知ってるけどあまりちゃんと聴いたことがない」ってような作曲家さんの作品を、その歴史的な意義を考えるだけではなく、楽譜をちゃんと調べて作品の面白さとして音にしてくれるんだから(チェロの懸田貴嗣氏に拠れば、やはり簡単に演奏出来る形のきちんとした校訂譜が出まわっていないのがこの辺りの作品が演奏され難いひとつの問題なのであろう、とのことでありまする)、こんなワクワクする娯楽はないでしょーに。ライネッケというメンデルスゾーンやらブラームスやらの裏にチラチラ見える、普通に考えれば「クラシック音楽」としてこんなに聴衆としてのアクセスがし易い作品群もない楽譜たちの真価を聴かせてくれようというのだから、これはもう聴かん理由はないわい。

それにしても、ライネッケが没したのって、マーラーの1年前なんだなぁ。ボッケリーニとかフンメルとか、はたまたブルッフとかサン=サーンスとかライネッケとかって、なんかいつ頃を生きてたか判らなくなっちゃうんだわなぁ。もっと大洋四重奏団さんを聴いて、しっかり勉強せんと。それに、老後にちょっとづつディスクで聴いたりする楽しい娯楽として楽しませて貰うためにも、皆さんが演奏したいと思ってくれないと困る。さあ、まずはみんなで生誕200年のライネッケを聴こー!

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ソウル・アーツセンター春のオーケストラ祭り24 [音楽業界]

恥ずかしながらいつからやってるのか知らんけど、ソウルの春といえばアーツ・センターの「オーケストラ・フェスティバル」でありまする。新年度が3月から始まり、復活祭も開ける頃からほぼ3週間くらい、韓国全土からプロオーケストラが連日日替わりでソウル・アーツセンター大ホールで演奏を繰り広げる。KBS響、ソウルフィル、韓国国立管などソウル御三家や、仁川、ブチョンなど大ソウル首都圏のメイジャーオケ以外の所謂「地方都市オーケストラ」の場合、広いロビーが物産展の様相を呈することもある、文字通りの全国オーケストラ春祭り、ですな。こちら。
https://www.sac.or.kr/site/main/content/2024_OrchestraFestival?fbclid=IwAR1NEPYstnXJzqgIqL3dwZnSqKIk6hP4ASse2hX1kL9ppl1N0ljFdo

過去に当電子壁新聞でもご紹介してまいりました。こんなん。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-03-15
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2017-05-01
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2016-03-31
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2013-03-18
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-10-02
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-03-05
へぇ、案外、あるなぁ。

ま、そんなお祭りもすっかり「春恒例の」になり、コロナ完全明けの今年は毎週月曜日のアーツセンターのお休みを挟んだ連続営業日23日ぶっ通しとなりました。

中身といえば、良くも悪くもこの半島の音楽趣味を反映したもので、所謂「定番名曲」中心。とはいえ、カセッラとかエルガーの交響曲、はたまたツェムリンスキーの誰も知らんようなオペラの序曲とか、なかなか興味深いものもあります。韓国国立管が委嘱新作をやったりもあるのは、これくらいは考えております、ということなんでしょう。

なによりも重要なのは、このようなイベントが毎年あることで、韓国全体のオーケストラの「スタンダード」が見えるようになることでしょう。ソウルや主要地方都市のメイジャー団体はともかく、そこからちょっと落ちるくらいに思われる都市のオケとすれば、「来年は出るぞ」とか「落とされないように頑張るぞ」という気持ちがイヤでも出てくる。そもそも地域への愛着が強いお国柄、こういう「ここに出れば韓国の一流オーケストラ」と誰もが思うなといっても思うようなフェスティバルがあるのは、なんとも凄いなぁ。

って、今年はやくぺん先生は顔を出しません。どなたか、全部聴いてきてくれんかね。

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人事異動:上海Q故郷に還る [弦楽四重奏]

20世紀の室内楽演奏史に於いて、業界用語(なのか?)で「Driven into Paradise」などと呼ばれる第2次大戦での中央ヨーロッパから世界各地への人材移動があり、ぶっちゃけ今に至る日本の室内楽も(様々異論はあるでしょうが)その流れの遙かな影響を受けて成り立ってるわけでおりまする。

そのような意味では、2020年春節頃に始まり、実質2022年いっぱいくらいまで続いた「コロナ禍」は、実質的に人類現文明根絶戦争になることが流石にプーチンやトランプでも判っているからやりたくてもやれない「大国間の全面戦争」に代わる、状況の巨大なリセットになったことは否めないようでありまする。

やくぺん先生が香港、シンガポール、キューシュー島とちょっとづつ規模を拡大しながらもローカルにブルグルしていた7週間の間にも、コロナ後の世界の室内楽業界ではいろんなことが起きていた。んで、遅ればせながら、キューシュー島西の玄関口長崎から船に乗って東シナ海渡ること一晩で辿り着く大陸は上海のお話。

先々週だかに個人のFacebookでステートメントが出されていた「上海Qのチェロが交代」というニュース、今や世界の英語圏メディアの中心に聳えてしまったViolin Channelが以下のような記事を出しましたです。
https://theviolinchannel.com/vc-artist-sihao-he-to-join-the-shanghai-quartet/

上海Qは、コロナ禍前に天津ジュリアード音楽院のファカリティとなり、更にはニューヨークフィルとの繋がりを深めていた上海響の客演首席奏者にもなっており、ホンガンとウィーガン兄弟の故郷上海に盛んに戻っていた。北米東海岸と中国東海岸を往来するような生活になっていたわけです。で、コロナ禍で、実質的に中国大陸実質まる2年足止め状態になり、いろんな状況で第2ヴァイオリンのイーウェン・ジャンはコロナ禍初期に離脱、北米に留まることになり、北京国際音楽祭などでお祝い演奏会があった昨年の40周年は中国人の若い新人くんになっておりました。ハワイ生まれで、今世紀前くらいから上海Qのメンバーとして活動してきたチェロのニコラスは、個人的には話をしてないので詳細な状況はよーわからんけど、基本的に上海やら天津に滞在していた。昨年の大阪国際室内楽コンクールの審査員で来日した第1ヴァイオリンのイーウェンは、「コロナの間、ずっと中国に居たよ」と申してましたわ。公式ページのコロナ禍時代の演奏会リストはこちらをご覧あれ。
https://www.shanghaiquartet.com/concerts

まあ、これだけ中国大陸生活にシフとしてくると、いかな直ぐ隣のハワイ出身とはいえ、生活拠点が北米東海岸のニコラスにはシンドイのでしょうねぇ。今シーズンの終わりで国に帰る決断をした、ということですな。まあ、これはしょーがないでしょーね。

ちなみに上海Qに新しく加わるチェロくんの写真を眺めたら、なああああんとぉ、なんとなんと、第3回八王子カサド・コンクールの優勝のホー・シーハオくんじゃないかぁ!
https://sihaohe.com/about
http://www.cassado-cello.jp/2013/results/
って、つまり、今や上海Qの後続としてヴィーン拠点にライジング・スターやってる我らがシンプリーQが、北京で唯一やられたクァルテット・コンクールの特別賞受賞者。ま、ある意味、来るべき人が来た、という感じですな。

思えば、文化大革命が終わって西洋音楽が戻った上海にスターンが乗り込み、天才少年兄弟としてリー兄弟を発見。やがて2人が上海で仲間を集め中国大陸で初めて本気でクァルテットを目指す団体となり、ポーツマス国際弦楽四重奏コンクール(現ウィグモアホール・コンクール)でメニューイン翁に激賛され西側でのキャリアを本格的に始め、あのカルミナQスキャンダルで伝説となった第1回ボルチアーニ・コンクールで実質カルミナに次ぐ2位となり、あのクァルテット・イタリアーノのおばちゃんの楽器は当時第2ヴァイオリンだったホンガンが今も持っている筈。北京中央音楽院にいたイーウェンのお母さんも、これまた伝説のオザワ氏のブラームスに乗っていた世代。

そうして「世界」に出ていった上海Qが、コロナという激動の時代を経て、国に戻る。彼らが後続者を育成していける施設が出来、市場規模や質は判らんけど、室内楽なんて文献に関心があり聴こうという聴衆もそれなりに出来てきた、ということなのでしょう。

ひとつの時代が終わった、というか、ひとつ時代が動いた、という感が否めぬ爺なのであった。

ニコラスの引退演奏会、福岡板付空港から浦東なんて東京より遙かに近いほんの1時間のフライトなんだわなぁ。うううむ、どうするべぇかなぁ。

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「九州交響楽団」はキューシューのオーケストラではないのか? [音楽業界]

7週間のアジア&キューシュー島放浪を終え、大村海上空港から新帝都は六郷河口空港に戻ります。新帝都滞在は4週間、その間に神戸、金沢日帰りがあるけど、ソウル弾丸1泊は無理そう。

さても、日本フィルの49年目の九州1周ツアーに同行し、思うところ考えるところ、教えられるところが多々あったわけでありますが、「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」をモットーとし「表の作文では書けないことを書きます」の当電子壁新聞でしか記せない、大きな疑問があらためて浮上したわけでありました。

単刀直入に言うと、「どうやら九州交響楽団というのは福岡のオーケストラであって、九州のオーケストラではないらしい」という事実(?)であります。

少なくともこのツアー同行でやくぺん先生が出会い、話をしたような「日本フィル愛好家」の方々は、皆が皆、口を揃えて「子どもの頃から、冬のこの頃には日本フィルが来るものと思っていた」と仰る。どうして「日本フィル」なのか、良く知らんけど、ともかく来るのが当たり前だった、と仰る。

んで、そういう方に「でも、九州交響楽団ってのがあるでしょ」と尋ねると、間髪を入れず「あれは福岡のオーケストラだから」ってさ。

へええ、少なくとも関東の東夷とすれば、「九州交響楽団」=「九州を代表するプロオーケストラ」であって、キューシュー島各地の人々は「おらがオケ」と思ってるだろう、と勝手に信じ込んでたわけでありますよ。

ある鹿児島出身で今は福岡に住んでいらっしゃる音楽関係者の方によれば、九州交響楽団が自分でリスクを取る自主公演として鹿児島で演奏会を開催するのは、数週間後に小泉監督退任記念のコンサートで《運命》《田園》が始めてじゃないか、とのこと。
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http://kyukyo.or.jp/cms/14611
九響さんはときに来ることがあっても、スポンサー付きの子どものためのコンサートとかで、定期演奏会クラスの演目で九州をツアーしてまわったりなんてしませんよ、ってさ。

うううむ…

確かに、付け焼き刃のインチキ九州住民とすれば、福岡県内の田主丸さわやかホール(ギャグじゃないよ!)やら、佐賀平野の長崎寄りの武雄温泉なんぞでは九響公演の告知を見るし、熊本でもなんか見たような気がするものの、大分で定期をやるとか、宮崎のフェスティバルにレジデンシィで出るとか、そういう空気はまるでないですわなぁ。

そういうもんなんでしょうかね?で、そうだとしたら、なんでやねん?

無論、日本フィルのツアーが始まった1975年頃には岸邊先生がオランダから戻って首都圏関西圏のオーケストラではなく敢えて九響コンマスに就任、日本フィルの九州ツアーと同じ年の夏に始まったゆふいん音楽祭の最初は、「星空の下での九響合奏団」でした。新幹線が博多まで延伸したこの年、大陸本土進出の軍事拠点だった久留米大牟田熊本などが工業地帯として没落していく一方、敗戦後は半島への窓口としてのポジションを失っていた九州北部地区が中央直結のキューシュー島窓口として発展し、筑豊で誕生した麻生帝国の帝都となっていくプロセスの中で、「九州交響楽団」はそのプロ楽団としての歴史を重ねてきたわけでありましょうがぁ…「九州を代表するプロ楽団として九州全体に音楽を広げる」みたいな動きはなかったのかしら?「アウトリーチ」という言葉が日本語でそのままに使われるようになったのは90年代半ば前、地域創造が出来て、文化庁だけではなく自治省も「地域文化」というものを意識するようになり、オーケストラのミッションステートメントに「地域活動」が謳われるようになるのも、世紀の終わり頃から。ちょっとまだ時代がそうはなっていなかったのか?

次にやるかもしれない大きな仕事の根底に、この疑問が口に出せないままに、ごろりと寝転がっている。

だれか、「やくぺんくん、あんたは相変わらず物を知らぬなぁ、それはね…」と、答え一発明快なご回答をいただけませんかねぇ。よろしくお願いします。

あ、空港ゲート前、隣に小山さんが来てしまったわい!借りてきたアヒルをしなければだっく。

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9000マイルのたびの空あと少し [たびの空]

大きな地震があって、その救援活動でバタバタしてた海保のダッシュ8とJAL350最新13号機が衝突炎上した三が日に新帝都を離れ温泉県に来て、盆地拠点に福岡、香港
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シンガポール
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小倉、大牟田、熊本
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鹿児島、宮崎、別府
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と動き回った距離はおおよそ15000㎞弱のようじゃ。幸か不幸か現役バリバリ時代のようにこれが全部マイルになって…なんていじましいことはもうやっとらんものの、マイル換算すると9000マイルちょいくらいじゃろかのぅ。キューシュー島反時計回り一州+横断のJR切符、現時点でこんなんじゃわい。
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太平洋越えて、そのまま大西洋越えて2ヶ月ニッポンに戻らない、移動の間に連日1本のペースで周囲の環境とはまるで無縁の原稿を入れ、移動中にも次々と…なぁんて頃に比べれば、まるでチョロい移動なんじゃが、いかな現役復帰宣言したといえ体はすっかり高齢者。若い頃のような作業ってば、福岡からシンガポールへのSQ機内から都内某所の編集者さんと何度もダメ出し原稿のやりとりしたくらいで、あとは7週間をノンビリ過ごしたようなもんじゃが…やっぱり疲れるわい。

そんな冬のたびの空、残すところあとは温泉県盆地からキューシュー横断し、春ともなれば気球ポッカリ浮かぶ佐賀平野、そして陶芸の里というか、谷を抜けてミサゴの母艦たる強襲揚陸艦「アメリカ」号どっかり居座るSASEBOに至り、風光明媚な大村湾に浮かぶかぶ洋上空港から新帝都に戻るだけとなった次第でありまする。

国道3号線と10号線でぐるり島の外周をまわるような移動を公共交通機関で行っている現時点で、なるほどなぁ、と思ったことを列挙しておきましょうぞ。ま、こんなアホなこと積極的にやりたいと思う奴はおらんじゃがのぉ。

★福岡麻生帝国は広大なのじゃ
隣の県の県庁所在地隣の田舎盆地から眺めると、北に広がる福岡麻生帝国はホントに広いわい。何より困るのは、日出生台から耶馬峡、日田彦山周辺を南北に貫く公共交通機関が絶滅しているために、小倉であれ福岡博多であれ久留米大牟田であれ、どこに行くにもソワレ演奏会では日帰り不可能となっている事実。かつては宇佐から瀬戸内を東進し大和国に侵攻した天皇家の祖先もいたし、この数百年では天領日田に向けての往還道が何本も通じていたし、重厚長大産業隆盛期には炭鉱産業中心地から日田彦山線を下って日田、更には湯布院温泉まで直行する特急も走っていた筑豊と豊後や日田を繋ぐ幹線は、今や真ん中を「満州国の地形や気候に近い」との理由で巨大な軍事演習場として召し上げ今に至って通行ストップさせられたり、車社会の軍門に降ったり、散々なことになっている。江東区や葛飾区、はたまた世田谷区やの南北移動の困難さ同様…とは言わぬがのぉ。

★頑張れVISAキャッシュ
たびの空で困るのは、昨今の公共交通機関、特にローカルバスは現金では乗車できぬことが多々あることじゃわい。地元の交通カードはOKだけどPASMOやSuicaもダメ、なんてところも珍しくない。そんな状況を受け、一部路線では「クレジットカードをまんま交通カードとして利用出来ます」というサービスが始まっておるようじゃ。シンガポール地下鉄、福岡地下鉄、それにビックリは鹿児島市バス&路面電車、等々。
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これはなかなか有り難く、大いに喜ばしいのじゃが、ひとつ心配性の老人としては…バタバタする乗降の際に財布からクレジットカードというそれなりにセキュリティの高いカードを引っ張り出す不安が残るのぉ。ま、これは爺の心配性、と笑われてオシマイなんじゃろが。

★キューシュー島には「表九州」と「裏九州」がある
どうやら昨今は「表日本」「裏日本」という表現はメディアからパージされてしまったようじゃが、少なくとも公共交通機関に関する限り、キューシュー島にははっきりと「表九州」と「裏九州」が存在しているのは否定し得ぬ事実なのであーる。両区間の連絡を含め、「山陽」と「山陰」にも似た状況が生まれており、その格差がドンドン広がっていきそうな感はありあり。ま、そもそもキューシュー島はひとつではなく、海ならぬ山で囲まれた島が点在している、と考えるのが正しいんじゃろなぁ。

さても、雑談もそこそこ、そのまま新帝都に抜ける明日からの大荷物を詰めましょか。まだまだ続く、冬のたび。キューシューはちっとも南国じゃないわい。

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どうして遙かキューシュー島で… [音楽業界]

数日前に大きな噴火があったという桜島、昨日からはいつものように鹿児島市内からは右の隅っこ辺りから煙が上がっている毎度ながらの状態みたい。
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たびの空の温泉県田舎者には、よーわからんけどさ。

第49回目を迎える日本フィル九州ツアーも、キューシュー島首府たる麻生福岡帝国から始まり反時計回りに移動、最南端となる昨日の鹿児島公演で折り返し、裏九州たる日向灘側を北上、最後は久大本線長崎本線沿いに突っ切り千秋楽の佐世保に至ります。やくぺん先生ったら、コロナ禍に引退宣言をし拠点を温泉県大分の盆地に移した縁もあり、一昨年の再開以来近場の九州島北部地域は眺めさせていただいてたんだけど、今年は演奏旅行も本格再開。引退宣言撤回したこともあり、もうこうなったらいちど全部付き合うか、ってなわけでぇ、全9公演追いかけている次第。

そもそもやくぺん先生、新日本フィルさんとは本拠地をすみだトリフォニーに移したときから13年間当日プロ執筆担当をしたり、佃からチャリチャリ行けてその頃の拠点たる佃と葛飾の真ん中にある錦糸町というがホームベースだったしたこともあり、いろいろご縁があったものの、ある時期から遙か東京の西に拠点を移した日本フィルさんとは…1980年代初めかなぁ、渡辺あけさんが復帰し、最後のシベリウス・チクルスを定期でやったとき(DENONが「世界で初めてのデジタル録音によるシベリウス全集」と煽ってボックスレコード作ったときでんな)に会員になったことがあるくらい。お仕事としても殆どしたことがなかった。

ところがどっこい、なんのかんので2011年3月の香港藝術節に日本フィルが出演するのに同行することになり
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2011-03-15
リーマンショック後のオーケストラ存続の危機に金融業界から乗り込んで手腕を発揮していた今の理事長さんたる平井氏が「オーケストラの運営の話にも珍しく興味を持ってる書き手」と思ってくれちゃったこともあり、オーケストラ団員やらからではなくそっち方面からの付き合いとなって、あとはなんのかんの。もうその頃はNJPの曲解仕事は青澤のたかあきら氏なんぞ若い人に渡していたし、そもそも「オーケストラ」というものには商売として付き合うつもりはない、ってか、敬遠してきたけど、まあこれもなにかの流れなんじゃろなぁ、と大植えーちゃんとの韓国ツアーに付き合ってまだピカピカのロッテホールの大盛り上がりを眺めたりもしたり。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2018-11-02

そんなこんなで、今、桜島眺めるの宿で宮崎への移動の準備をしているところなのであーる。

この日本フィルツアー、日本フィル4月の下野定期当日プログラムに「マエストロ下野故郷九州を駆ける(仮)」てな原稿を入れるのが直接のお仕事でありまするがぁ、勿論、裏の流れがある。ぶっちゃけ、『ゆふいん音楽祭~35年の夏』なる拙著と同じ関心なんですわ。その地域拡大版、かな。

コンサートホールにいらして音楽を聴くのを楽しみになさっているほぼ全てのファンにしてみればどーでも良いことなんじゃろが、このツアー、世界を見渡しても極めて特殊、というか、誠におかしなやり方をしているのでありまする。

当たり前のオーケストラ地方公演は、地方の音楽事務所やら労音や音協、民音などの鑑賞団体、最近では地方公共団体が税金で運営している文化財団、教育スポーツ財団、ホールの指定管理者、などが主催者。そこが何千万円だかでオーケストラ公演を買って、そこが責任をもってチケットを売ります。オーケストラ側には原則、リスクはありません。ま、個人のサロンでお金持ちがポケットマネーで出来る額ではありませんから、資本主義社会で生きる以上、当然といえば当然ですね。

ところがどっこい、この日本フィル九州ツアー、主催者は「●●日本フィルを聴く会」とか「××日本フィル実行委員会」とか、要は映画やアニメ制作なんかではお馴染みの「実行委員会」が主催者となっている。組織として法人格はどうなってるか知らんけど、あくまでも任意団体で、NPOやら社団法人ではありません。無論、公益財団法人なんてガッツリした組織であるわけはない。毎年の学祭やら町の神社のお祭りなんかを運営するテンポラリーな任意団体みたいなものが九州の特急が停まるくらいの各都市に存在し、そこが共同で連続する日程の演奏会を作って主催者となり、各地の公共ホールなどを借り、年に1度だけ日本フィルを遙か杉並から招聘、日本フィルも共催となって自分らのリスクでツアーを行う、というものであります。ま、お判りになる方はお判りになると思うけど、つまるところ「ゆふいん音楽祭」実行委員会と同じやり方、ローカルな年に一度のお祭りですわ。

そんなやり方には、利点もあれば、当然、問題点も多々ある。「誰もやらないことには訳がある」という有名すぎる格言そのまま、このような実行委員会連合形式でのオーケストラ招聘が他に例がない、少なくとも半世紀近く続いているなんてところは世界にも他にないのには、挙げていけばキリがないほどの理由があるわけですな。アートマネージメント専攻の学部生やら博士前期課程の諸君、さあ、明日までにその理由を最低3点挙げるレポートをやくぺん先生のところに出してくるよーにっ!優秀者には温泉県1泊無料宿泊を提供しよーではないかっ。「北海道、東北、中国四国で行われていた同様の地方ボランティア実行委員会主催形式の演奏旅行は全て無くなったのに、何故九州でだけ続いているのか?」に明快な答えを出せたら、生涯フリー宿泊を保証いたしますじゃ。

もといもとい。なんせ始まったのは1975年、初期の実行委員の核となったのはその2年前に日本フィルを解散したフジテレビに対し法定争議を行う旧組合を支援する放送労連だった、という経緯からお判り、正に『炎の第5楽章』の世界でありますわ。労音が支援、と思ってらっしゃる方も多いようですが、労音とは別組織で、もっと「職場内同好会」っぽいもんだったようです。

Z世代以降の若いニッポン国民には想像を絶することかもしれませんけど、遵法闘争スト権ストで「組合は日本国民の敵」という印象操作を完成させつつあった1970年代前半から半ばのニッポン社会にあって、未だに「マスコミ」は資本や国家権力の敵。テレビアナウンサーが政治家になるときは、野党からの立候補が当たり前。90年代以降「楽しくなければテレビじゃない」になってからの与党自民党を支える勢力としての大手マスコミ(今時のSNS言葉を使えば「マスゴミ」でんな)となる以前の、遙かな昔話なのじゃよ、若い衆。

事の経緯はどうあれ、時流れて日本フィルの争議は和解し、「裏切り者のオザワ一派が出ていった後のオケを救ってくれた創設者の渡邊あけさん」なんてまた別の神話でカバーアップされ、今や現場ではそれすらも忘れられつつある2024年の春節今日この頃。ゆふいん音楽祭とほぼ同じ、ってか、全く同じ時期に始まったイベントの半世紀をどう評価し、未来に繋げていくか、はたまた繋げる必要なんてないのか?人生最後の10数年をキューシュー島ベースに過ごすことになりそうなやくぺん先生とすれば、お世話になる土地への税金みたいなものとして、眺めていくべきなんじゃろなぁ…ってことなのでありますわ。

こういうイベントの空気は、実は演奏会の会場だけでは全然判らない。ゆふいん音楽祭でいろんなものがぶっちゃけ見えるのが、演奏家と実行委員らが入り乱れ本音飛びまくる連夜の酒席だったように、終演後の交流会を眺めるしかない。ところが、コロナ禍で中止欠番になった2021年以降、インキネン来日不可能で代打若手で切り抜けた22年、広上指揮でまわったとはいえまだまだ恐る恐るの感は否めなかった2023年と、終演後の無礼講交流会は開催されておりませんでした。カーチュンでまわる予定という来年の50年記念ツアーを前に、やっとホントの雰囲気を眺めるチャンスが至ったわけで、これは付き合わないわけにいかんでありましょう。昨晩の鹿児島は宝山ホールから徒歩数分、やっと到着したマエストロに盛り上がる交流会、この先、何時まで続いたんやら…
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ま、この取材を日本フィルさんの仕切り以外の形でどうまとめ、どう出していくのか、なーんにも考えてないんだけどさ。

今、霧島の山麓を抜け都城に到着。ここからはまた、別の世界が広がる。キューシュー島はひとつの島じゃなく、山で隔てられた離島の集まりみたいなものじゃからのぅ。

さて、電池があるうちに、昨日の取材メモを整理するか。なんせJR九州さん、車内に電源があるのはシンカンセンだけですから、ふうううう…

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連休前の秋吉台コンクール [弦楽四重奏]

本日は日本フィル九州ツアー同行も移動日でお休み。温泉県盆地で洗濯やって連絡作業や日程調整など自分の秘書仕事して、ホントは今日中にやっつけてしまいたかった商売原稿にはやっと昼過ぎに着手。日が暮れた現時点でまだ半分くらいしか出来てないけど、明日から週末までの南九州ツアーの移動中にやれるところまでの目安は立ったので、まあなんとかなるじゃろ。なんせ九州新幹線、車内でネット繋がるからのぉ…アッと言う間じゃけどさ。

さても、年明けから春節までのアジア滞在、今の九州ぐるり周遊なんてバタバタ動いている間に老人に残された貴重な時間がアッという間に経っていき、そろそろ連休明けから室内楽お庭くらいまでの日程はある程度は決めんといけん状態にっておるわい。そんな中で、どうしようか頭を悩ませるのが、これでありまする。
https://aiav.jp/22075/

前回2019年に開催された弦楽四重奏部門では、QインテグラとほのQが優勝を分けるという今となって振り返れば荒井審査員長以下、なんとも先見の明がある結果を出していたこの国内大会でありまする。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-04-28
「外国から来ちゃダメ」とは言ってないけど、メイジャー国際大会のような外国からの参加者を前提にしいろいろな準備がされている大会ではない所謂ナショナル・コンクールでありながら、ニッポンローカルなターゲットとして唯一きっちり機能しているので、いかな最前線は退いたとはいえ、温泉県盆地の隣の隣の県での開催、今回も当然関心はあるのだけど…

なんせ日程が翌日からレオンコロQツアーが始まる連休直前、既にそっちに向けていろいろと移動の準備をしてしまっている。それよりもなによりも、アジア各地で刺激を受けた愛するお嫁ちゃまからも尻を叩かれ「引退宣言」は撤回したものの、だからといってこの先の命が延びる保証が出来たわけじゃありゃせんわい。今、インテグラやほのよりも若い団体を新しく見ていっても、彼らがやっと「国際舞台」やら「弦楽四重奏としての本格的な活動」の入口に辿り着く頃までも見ていけないことは明らか。それだったら、キッチリ眺めていくのはレオンコロの世代までとスッパリ諦め、結果は審査委員さんからちょちょっと話を聞くくらいに止めて老害振り撒かぬようが潔よかろうに…と思う反面、温泉県から距離にして200㎞くらいのところでやってるのに知らんぷりするのもなぁ。うううむ…

時期も場所も見物に行くにはなかなか難しいでしょうが、このジャンルにご関心のある方、是非、連休前の秋吉台へどうぞ。審査委員は信用出来る人ばかりですから、セミナー含め、興味深いと思いますよ。

なんのかんの、1日くらい顔を出してしまいそうじゃのぉ…

[追記]

結経、某専門誌の依頼を受けて、22,23日のコンクール部分だけを見物に行くことにしました。25日は大分発3時45分成田行きというフィックス航空券があるので、朝っぱらに秋吉台を出て延々と温泉県に戻らにゃ並んです。典型的な安物買いの…でありまするな。ほんと、爺になってもアホじゃ…

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訃報:パイオニアSeiji Ozawa [演奏家]

先週、シンガポールのヨン・シュ・トウ音楽院ホール客席で、たまたま小澤征爾氏が話題になった。話し相手は、マレー連邦から切り捨てられるように独立させれる前、黎明期からのシンガポール音楽界をほぼひとりで支えたヴァイオリニスト兼プロデューサーの娘さん。無論、わしらと同じくらいのいいお歳のおばーちゃんなわけで、当然ながら爺婆夫妻との昔話になる。お嫁ちゃまが「この人、SeijiがNHKとシンガポールに来たときの資料を探しに、国立図書館に通ったことがあるんです。ええ、ストレーツ・タイムズしかないですけど(笑)…」って話を振ると、あの演奏会をこちら側で仕切っていたのが父でしてね、って。あの頃は日本側の記事ではどれもこれも「クアラルンプールは英国風の都会だが、シンガポールは暑いばかりで酷いところだ」という愚痴ばかりでしたよ、40度くらいの体育館みたいなところでの演奏会で…どうこうどうこう。

でもね、あの演奏会が、シンガポールでアジア人がやる最初のオーケストラだった。それからずーっと、あの時の若い日本人指揮者がドンドン偉くなって、シンガポールには全然来なくて…

※※

ゆふいん音楽祭元実行委員長の加藤氏から聞いた話。

まだこの盆地に辿り着く前、若い画家の加藤氏がパリでフラフラしていたとき、小澤征爾という若い日本の指揮者が初めてパリのオーケストラを指揮することになった。出かけた加藤氏は、オーケストラ団員の何人かが演奏を拒否して下りた、という話を聞かされたという。指揮者氏がどういう反応をしたのかは、若いニッポン人のヒッピーなんぞの知るところではない。

※※

あまり知られていない事実かもしれないけど、この春節明けで51回目を迎える香港芸術節の第1回、開幕いちばん最初のオーケストラコンサートは、小澤征爾が指揮する結成されたばかりの新日本フィルだった。小澤氏が日本フィル組合メンバーの裁判路線に乗らず、無理をしても「日本の自分のオーケストラ」を作る必要があったのは、新たに誕生したフェスティバルの開幕を「世界的に最も著名な中国出身のアジア人指揮者」が勤める必要があったからなんじゃないかと思っている。何の証言もない勝手な憶測なんだけど。

無論、まだご健在な当時の老ディレクター女史を含め、誰もホントのことなんて言わないだろうけどさ。

※※

夕方過ぎに訃報に接したときから、萩さんが作った「北京にブラームスが流れた日」の最後で鳴っていたブラームス第2交響曲終楽章、あれをずーっともう一度、ちゃんと聴いてみたいとばかり思っている。

海賊盤だか正規盤だか判らないけどレコードがあるとは昔から聞いていて、北京や上海にレコード屋があった頃は、まさかと思っていつも探していたのだけど、とうとう一度も出会ったことはない。どういうわけか、ブラームスの2番というと、小さなテレビの画面から流れたあのアヤシげな録音のあの演奏しか頭に浮かんでこない。映像を収録していたのは、実相寺さんだったんだろうなぁ。

恐らく、あのオーケストラでは、イーウェン・ジャンのお母さんなんかも弾いているんじゃないかしら。あの北京のブラームスと、アイザック・スターンの上海でのマスタークラスで、中国の蓋が開いた。そして、上海Qやらが世界に出てくることになる。そこから先は…

※※

「歴史的にスゴイことをしたパイオニア」とは、普通に歩いているだけであちこちでその人の影が見えてしまう人。この人がいなかったら、今の東アジアの音楽の世界は全く違うものになっていただろう。そういう人が、本来の職たる音楽家としていちばん力がある頃に、お嫁ちゃまと一緒にそれなりの時間を共にできたんだから…ホントに幸運としか言いようがない。

ありがとう御座いました。

日が変われば、東アジア世界での新しい年の始まり。そして、オザワと袂を分かった団員達を放送労連らが支援することで始まった九州ツアーも、明日開幕。マエストロ下野のツアーに同行するのは、カーネギーでサイトウキネン管のポディウムを小澤氏と分けるのを眺めて以来、かな。

[追記]

2月11日付けで、日本フィルからこのようなリリースが出ました。PDFで貼り付けます。
【訃報 小澤征爾氏】 _ 日本フィルハーモニー交響楽団.pdf

実質半世紀、ニッポンのオーケストラ界という狭い狭い場所とはいえ、ひとつの時代が終わった感がありますね。無論、今やオーケストラ事務局にも団員にも、現場での「わだかまり」を抱えている人なんてひとりもいなかったとはいえ。

『炎の第5楽章』って、品切れなんだ…
https://japanphil.or.jp/node/23780

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祭りの終わりと次の祭り [音楽業界]

旧正月まで1週間、赤い点みたいな南の島の小さな先進都市で21年ぶりに開催された室内楽に特化した音楽祭、最後の演奏会のプレコンサート金管五重奏が始まる直前は、この島の雨期の終わりらしく夕方の驟雨がヨン・シュ・トウ音楽院周辺を襲ったものの演奏開始頃に雨も上がり、摩天楼立ち並ぶ大都市風景の上に大きな虹がかかる。
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参加した11歳から70代までのプロアマ演奏家28団体100名以上の中から選ばれた3団体(11歳の天才少年率いるピタゴラスQ、21年前の音楽祭での教育セッションに加わっていたヴィオラさんを含む地元団体、ヨン・シュ・トウ音楽院を出て地元でいろいろな活動をしていて今回の音楽祭を機にジュロンQと名告ることになった若いプロ団体)、遙々オハイオ州はオーブリン音楽院から学生ゲストのような形でやってきたパンダンQ(メンバーのひとりが日本とハーフのシンガポール人とのこと)が成果発表を行う「教育セッション発表会」と、タンQの創設からチェロを弾き今やバロックチェロから現代音楽までこの島での室内楽には不可欠な存在たるレスリー・タンの芸達者が光るシュニトケのピアノ五重奏までが前半。

後半は、この島でほぼ唯一真面目に室内楽をプロモートしたいと考えている「ストレーツ・タイムズ」誌(さしずめ読売朝日日経全部合わせたようなこの島の最大にして唯一のメディア)に演奏会批評を書く評論家にして音楽プロデューサーのメルヴィン・ベン音楽祭監督
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https://www.sgchamberfest.org/message
とは盟友で、「まだシンガポールには機が熟していなかった」と監督が反省する前回のフェステイバル実現でも尽力なさった英国在住のシンガポール出身重鎮ピアニストのトー・チー・ハン女史が、この島始まって以来のピアノトリオ再現と絶賛の嵐となった初日の葵トリオ演奏会ですっかりお気に入りになった我らが秋元氏とドヴォルザークを4手で共演、我らがオンちゃん率いるコーチングスタッフチームのブラームスのピアノ四重奏曲第3番、そして最後はコンコーディアQに葵トリオ弦楽器らが加わるメンデルスゾーン弦楽八重奏終楽章で、100名近いシンガポール、マレーシア、インドネシアからの参加団体メンバーも座る客席もステージも大いに盛り上がる大団円となりましたです。
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ベン監督に拠れば、演奏会4回で動員人数は1000人を越え、参加者総数はセミナーや先生含め100数十名という、建国半世紀とちょっとの国で行われた室内楽イベントとしては空前の規模となったとのこと。地元の演奏家達も、葵トリオやオンちゃんなどバリバリ現役の室内楽のプロと接することで大いに刺激を受けたばかりか、国際音楽祭のメインゲストなどという重鎮を初めて務め見事に期待に応えた葵トリオもとしても、いろいろ考える多かったとのことであります。

30年前にシンガポール響のメンバーだったタンQが本格的に活動を始め、20年前に国立のエリート学校ヨン・シュ・トウ音楽院が出来て室内楽を教えられる先生が訪れるようになったとはいえ、常設の室内楽シリーズがあるわけでもなく(エスプラネードの向かいのヴィクトリア・コンサートホールで開催される室内楽シリーズは今はシンガポール響の仕切りとなっていて、所謂著名常設室内楽団体は年に1度訪れるくらい、次回は5月のパヴェル・ハースQです)、まだまだ演奏者も「室内楽をどうするのか」手探り状態を抜け出したところ。首都圏や関西圏の学生達とは違って(首都圏の音大大学院レベルの弦楽器奏者なら、メンデルスゾーンの八重奏を一度も弾いたことのない奴など、絶対にいないでしょう)、そもそもプロレベルの室内楽を人前で披露する機会がさほど多くはないレッド・ドットの島でどうやって室内楽の経験を積んでいけばいいのか、この先の課題は大きいとあらためて分かった、正に虹に向かって歩み始める最初の一歩でありました。

経済的にも、民間非営利団体がアーツカウンシルからの支援を受けるイギリス型の支援で成り立っているシンガポールの音楽界、2年後に予定される次回の音楽祭に向けて、監督は早速お金集めに走らねばならない。それだけではなく、今回の葵さんたちが与えたようなインパクトを与え、そしてシンガポールの若者達と一緒になってやれるアジア圏の若きプロ室内楽奏者がどこにいるのか、それも探さなければならない。

てなわけで、まだまだお手伝いすることはありそう、隠居宣言撤回せざるを得ない爺なのであったとさ。ま、全ての室内楽コンクールに顔を出すという第一線仕事は頼もしい後続者に任せ、ヒコーキで2時間程度のキューシュー島から半島やらもちょっと近い南の島を眺めるのが、やくぺん先生の人生最後の本来業務になるのじゃろかな。その意味では、今年のレッジョは行かなきゃならんのじゃろが…ううううむ。

ま、先のことは先のこと。かくて、ネットも繋がる深夜1時20分発のシンガポール航空深夜エアバスはかた号は、キューシュー島首都の板付に向けてマレー半島先っちょからブルネイ沖に向け鋭意飛行ちゅーでありまする。
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朝に到着し海胆頭で温泉県盆地に荷物を降ろしたら、月曜午後にはまた福岡にとって返し、ヴィーンで学んだ九響連中を中心とするUNO弦楽四重奏団のクライスラーを聴きに行かんと。

なんだか結果としてまだまだやんなさいと尻を叩かれ現役復帰宣言をさせられに来たような、2024年グレゴリオ歴新年旧正月前の南の島のたびの空でありました。

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別府は巨匠達の室内楽大会 [音楽業界]

1月半ばからの常夏の世界での久しぶりに現場密着、周囲の色々な人々に気を遣う現役仕事に近いことをやってたうちのお嫁ちゃまがとうとう一昨日以来沈没、本日はオーチャード通りを延々と島の内側に向けて半時間も歩いたところのJapan Creative Centreというところを会場に葵トリオの演奏会があるのだけど、どうもダメそうで、婆さんはアパートで寝かせて爺だけが顔をだすことになりそうじゃわい。ま、バリバリのマネージャー氏が頑張ってくれるじゃろて。

半月以上の南洋ツアーもいよいよこの週末まで、いかな爺たりとてそろそろ桜が咲く時期から先の日程なども考えないとマズいわなぁ、と思いながらお嫁ちゃまのためにインスタントカップお粥の準備をしてたところへ(カップの封切って、お湯沸かすだけじゃが…)、由布岳の向こうは別府から「今年の音楽祭の内容発表がありました」というリリースが来ました。

昨年はアルゲリッチ&チョン・キョンファの初顔合わせというスーパーイベントがあったけど、大阪のコンクールに張り付いていたので全く顔を出すことも出来ず、別府の奥座敷の更に奥に蟄居する隠居宣言撤回爺とすればちょっとマズいなぁ、とは思っていた。なんせ、マルタ&キョンファという超スーパーデュオなのに、どうもニッポンの音楽業界では不思議な程に話題にならなかったようなので(正真正銘別府でただ一度だけの顔合わせでチケットがほぼ瞬間蒸発、別府大分の人も手に入らなかったプラチナ券になってしまい、東京の評論家メディアまでとてもじゃないがまわらなかったようじゃわい)、会場入口バス停まで直行する路線バスで50分山越えするだけの場所に居る身としても、せめてもうちょっと世間に告知するくらいの協力はせにゃならんじゃろて。

てなわけで、以下が本日発表された今年の「別府アルゲリッチ音楽祭」の全プログラム。ほれ。
https://argerich-mf.jp/2024-mf-schedule
こっちは公式チラシのPDF
https://argerich-mf.jp/wp-content/uploads/2024/01/2024MF_reaf.pdf

今年の目玉は5月17日金曜日の晩、別府では王道の顔ぶれ、「アルゲリッチ&クレメル&マイスキーのピアノ三重奏」の堂々復活でありますな。演目は、いつものショスタコの2番のトリオではありますが。
https://argerich-mf.jp/program/2024ensemble_masters
で、続く日曜日19日には、マルタ&ギドン二重奏もありまする。
https://argerich-mf.jp/program/2024argerich_kremer
それにしても、メインがヴァインベルクのソナタ第5番なんだなぁ。グレメル様、一昨年だかの金沢でもヴァインベルクをメインに据えた演奏会をやってたし、いよいよ6月には溜池の室内楽お庭でもダネルQが6番だかを披露するし、この「ソ連のシューベルト」たる作曲家さん、少しは人口に膾炙するようになったのでありましょうか。

やくぺん爺ったら、このところ葵さんの「1曲作るのに数ヶ月練習するのが基本」というキッチリした室内楽ばかりを聴いているので、世界のスター巨匠さんたちの一期一会的な合わせというのは新鮮でもあります。ともかくスケール弾いただけで世界を作れちゃう人達が集まってくるんだから、どういうことが起きるにせよ、ただ事ではないでありましょうぞ。

こういう室内楽が、由布岳の東では奏でられている。分水嶺越えた西側の盆地でも、趣が全く違う音楽が夏の盛りに鳴る予定ですので、請うご期待。

…って記して、あれ、と思ってチェックしたら、アルゲリッチ&クレメル二重奏の前日18日の午後5時から、仁川アーツセンターでパヴェル・ハースQがあったじゃないかぁ!うううむ、日曜日は仁川大分便はないし(あっても間に合うかギリギリの時間だしなぁ)、朝一仁川発福岡便で板付に到着してソニックで吹っ飛んでくればギリギリ間に合わないでもなかろうが…うううううむ、困ったなぁ。なんせパヴェル・ハースQのアジア公演、コロナ期の埋め合わせらしく仁川とシンガポールの2公演、それもシンガポールは乗り打ちみたいな無茶なツアーで、他では全然予定されてないんだわなぁ。ううううむ…

ちなみにアートセンター仁川は、こんな場所。仁川空港の西側滑走路に南側から着陸するとき、右窓側に座っていると見えますよ。
https://koreajoongangdaily.joins.com/2019/11/14/features/Incheon-welcomes-the-worlds-top-talent-The-cuttingedge-Art-Center-Incheon-aims-to-become-an-elite-destination-for-the-performing-arts/3070313.html
完全に狙ったアイコニックな建物だわなぁ。ビーコンプラザも他人のこと言えんが、あの場所では…

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